第2話 1人目:川岸 陵介(カワギシ リョウスケ)2
人間は性欲も、食欲も、睡眠欲も、本来ならその全てを等しく求めながら生きていくべきなのだ。
17になるまでは当たり前のように抱き、消費していた睡眠欲や食欲は、今となっては全く感じる事ができない。
しかしそれでも人間は食べなければ死に、眠らなければ狂っていく。
「食べたくないのに食べなければいけないのはさぞ辛かろう」
「もしかして寝てるの?眠くもないのに偉いのねぇ」
家から追い出し、俺など始めからいなかったかのように振る舞う癖に、一家の恥である息子と世間体のために縁を切ろうともせず、正月には半日だけ無理矢理帰ってこさせる父と姉に何度同じ皮肉をぶつけられたことか。
「母さんに欲情することも忘れた癖に子供を5人も作ったアンタに言われたくないね」
父親に皮肉られる度に口先まで出かかり、噛み砕いてきた台詞である。
我ながら的を得ている言葉だと思うが、こんなことを言ったら何をされるか分からない、悔しいが父親が作るこの実家が無ければ俺は人間としての尊厳を最低限守ったまま生活することなどできないのだ。
家族には完全に軽蔑され、敬遠されている俺だが家族の中でも唯一俺を除け者として扱わない者がいた。
長兄、正俊(マサトシ)である。
正俊は昔から優しく、そしてこれ以上ないくらいに不器用な人だった。
貴族というのに似つかわしい長身と端正な顔を持ち合わせているが、言葉使いはおそらく俺より酷く、ファッションに関してはセンスはなかなかだがあまり万人受けはしないモノだ。
学生の頃に関西に住んでいたのが原因で関西弁が染み付いている。
それでも正俊は絵に描いた様な善人で、過去に俺が男女関係で男と揉めた際、止めに入った正俊が10針を縫う怪我を負ったのだが、彼は自分より俺の服を自分の血液で汚してしまったことを酷く気に掛け、仕舞いには新しい服を何着か買ってやると言い出した。
流石に遠慮したがせめてクリーニング代だけでもと、俺の気づかぬ間にそのころ愛用していたジャケットのポケットに千円札を何枚か入れられていた。クリーニング代どころではない額だ。
結局クリーニング代だけはありがたく頂戴し、残った金は無理矢理返金したが、正俊は何故か申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
あの時は正俊の底無しの善意に狂気的なモノを感じたが、正俊は誰に対しても同じ様な善意を持って接し、引くべきところではきちんと線を引いているのに気づいてからいつの間にか正俊は俺が唯一家の中で尊敬できる人物となった。
そんな正俊が選んだ欲求は〔睡眠欲〕である。
正俊らしいと思った。
そして賢い選択である。
人間は性行をしなくても生きられるし、食欲が沸かなくても無理矢理押し込むことはできる。
しかし眠ることに関しては眠くならなければ意識が遠退かない。
そのため〔睡眠欲〕以外の欲を選んだ者は薬を服用しなくてはいけない。
“K-623”というイギリスで開発されたモノが一般的な薬だがその他にも日本で開発された“J-825”や、アメリカで開発された“A-130”というモノもある。
俺はK-623を服用している。
大して副作用などは無いが、17歳から毎日同じ薬を飲むのにはうんざりする。しかも普通の風邪薬よりも一回り程大きい。
それだけが理由ではないが、基本的にこの世界の半分の人間は〔睡眠欲〕を選択する。
そして他の2つの欲を選んだ人間より精神が崩壊し、狂人になるケースが少ない。
逆に一番狂人と化すケースが多いのは〔性欲〕を選んだ人間である。
俺は狂っていない。
しかし正俊は、俺の兄は狂ってしまった。
三大欲求 亜諭 @ryomga519
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