第22話 ハートのエース⑫
その昼休み、藤川夏澄はグラウンドのダグアウトで悩みに悩んでいた。
大事な勝負の時が近い。なのにどうやって攻めていくか、作戦が全く決まらないのである。
「ううう……!? まずいよぉ……! もうアタマおかしくなってきたよぉ……!」
慣れない頭を使ってドツボに嵌まるのは、初めてのはず。
それなのにこうしていると、訳もなく懐かしい。
それからちょっぴり胸が切なくなるのは、一体どうしてなんだろう……?
「──夏澄先輩。何を悩んでいるんですか」
頭を抱える夏澄を、ぬうっと大きな影が覆う。
ユニフォームを着た厳つい後輩──由川花希が、眉をひそめていた。
「勝負の配球でも悩んでいるんですか? だったら今更、何を選んでも一緒です」
彼女が担いでいたバットで、グラウンドの周りをぐるりと指す。
内野も外野もひっきりなしに埋まったギャラリーたちが、夏澄たちに注目していた。
「勝つのは私です。ここにいる全員に、それを見せつけてやりますよ!」
「……あ、うん」
新しいスタートを切るために、再戦の招集をしたのは自分だ。
快く受けてくれた花希には本当に感謝してる。ちょっと鼻持ちならんけど。
「でもあたし今、別に勝負のことで悩んでるわけじゃなくって……」
「はッ?」
「今それどうでもいいっていうか、正直それどころじゃないっていうか……」
「……ど、どうでもいい? それどころじゃないッ?」
ががん、と花希は衝撃を受けている。
そうだ。いっそのこと、こうなったら。
「ねえ花希。ちょっとあたしに、アドバイスしてくれない……?」
「ええッ!? あの夏澄先輩が、後輩にっ!?」
「しょ、しょうがないでしょ。……悔しいけど、未熟なんだから。何でもするよ」
いつも無表情な花希が、口を開けてわなわな震えている。
今まで自分が周りにどう思われてたのか、思い知らされてちょっとつらい。
でも、少しずつ変わっていかなきゃね。
「それで、悩みとは?」
「……うん。……いやぁ、そのう……実は…………えーっと…………ううう……」
「何ですかもじもじと。さっさと言って下さいよ!」
くっ、仕方ない。言うしかない!
「何か知らないけど気になる男の人がいて……。ど、どうしたら今後も仲良くなれるかな?」
「知るか──ッ!」
花希が帽子を地面に叩き付ける。
湯が沸かせそうなぐらい顔が真っ赤になっていた。
「どうせ一緒に連れてきた眼鏡の人でしょう!? 神聖な勝負に、関係ない男なんか連れてきて……! 舐めてるんですか!?」
「ウッ……関係なくはないもん……」
ちゃんと一回、ボールを拾ってもらった仲だもん。
なんて弁明する暇もなく、花希はぐるると睨んでくる。
「もう許せない。これだから先輩みたいな天才は嫌いなんですッ」
「……え? あ、あたしが……天才?」
「そうですよ! あんな化物みたいに野球上手くて、華があって、しかも顔まで可愛くてっ。私みたいな凡人は、野球だけで精一杯だっていうのに、男まで……!」
花希はバットで夏澄を指し、
「絶対ぶちのめしてやる……。先輩なんてフラれちゃえっ!」
肩を怒らせて、どすどすバッターボックスに歩いて行った。
今まで魔王か何かに見えていたのに、途端に可愛い後輩に見えてきた。
今日の練習が終わったら、ごはんに誘ってみようかなあ。
「……なあんだ」
──みんな同じように、勝手に誰かに『天才』を見るんだな。
本当はそんなもの、ただの言葉に過ぎないのに。
「よし。行くかあ。……待たせてるしね」
結局悩んでも、アホの自分じゃたかが知れてる。
いつも通りド直球で、心のままにぶつかっちゃうしかない。
「──夜光さん夜光さん夜光さぁ──んっ!」
グラブを持って、マウンドに駆けた。
キャッチャー防具を着けた彼は、穏やかな笑顔で迎えてくれる。
「話は済んだのか?」
「はいっ。……あのう、ありがとうございます。いきなりキャッチャー引き受けてくれて」
「全く構わないが、俺が断ったらどうするつもりだったんだ?」
「断りませんよ。夜光さんは」
何で、って言われても分からない。だけど心が言っていた。
「夜光さんなら、絶対受け止めてくれる。そんな気がしたんです」
「……良い勘だ。当たってるよ」
「えへへ。野球に、自信がおありなんですか?」
「フッ。ルールなら知っている」
「ご経験は?」
「バットを握ったことすらない。だけど、どうにかなるだろう」
にやりと、夜光さんは笑った。
「──なぜならお前は、天才なんだろ?」
「……はいっ!」
「よし。ではやるか。サインは必要なしでいいな?」
「はい。あたしが投げるものは全部、全身全霊のストレート。それで死ぬなら本望です!」
真っ直ぐに伝えると、彼は凄く、凄く、嬉しそうに笑って。
宝物を手渡すように、ボールを託してくれた。
「──頑張れよ。夏澄の投げる球、大好きだぞ!」
背を向けて、彼がマウンドから離れていく。
夏澄は手を左胸に差し当てる。
高鳴るハートに呼応して、正体不明の涙が零れた。
「絶対、克つ」
溢れる涙を袖で拭い、ボールを掴んで前を向く。
血潮を通じてハートが運ぶものは、希望だけじゃない。恐怖も分け隔てなく運んでくる。
投げるのは怖い。打たれるのは怖い。
挑んだ果てに砕け散るのは、震えるぐらいに恐ろしい。
「──行くぞッ! 打てるもんなら、打ってみろ!」
だけど──それでも、死ぬまで笑って投げてやる。
砕け散っても拾い集めて、何度だって蘇る。
全力で投げたその先に、受け止めてくれる人がいる限り。
投げることが好きで好きでたまらない自分がいる限り、藤川夏澄の球は死なない!
「──プレイボール!」
さあ、試合開始です。
ピッチャー、蘇って第一球──。
投げた!
【電撃文庫11月8日発売!】ヒロイン100人好きにして? 渋谷瑞也 イラスト:Bcoca/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko
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