5
夏休みの初日、秋野はまた同じ時刻に通学列車に乗った。塾や部活動に入っているわけでもないし、友達がいるわけでもない。行き先などない。
ただただ、その少女に会うためである。
……と言えば、あまりに格好いい。しかし、実際そこまで格好よくはない。
確かに少女に会うためではある。だが、今まで通りのある種純粋な心持を持って彼女に会うのではない。
秋野は、話さなければならないと思ったのだ。このおよそ二週間のことについて。一連の行動の動機とか、これからのこととか。
一方、同時にそれはとても勇気のいることだった。昨日初めてまともにコミュニケーションを取った相手に、意識的に求めかけるというのは、秋野にはより一層恐ろしいものであった。
しかし、ぐずぐずもしていられない。一度コミュニケーションを取った以上は、これまでの習慣をなかったことにはできない。
決意して、秋野はいつものホームに立ち、列車が来るなりボックス席に座り込んだ。
いつもどおりだった風景が、その日はいつもとはまた違った新しいものに見えた。
あっという間に次駅が訪れた。示し合わせたように、少女は列車に乗ってきた。そして、いつもと同じように秋野の向かい側に座った。
服装も、仕草も、いつもと何ら変わらない。青いオーバーサイズのパーカーに黒いジーンズ。ほぼ黒に近い茶のスニーカー、そして水色のイヤホン。窓の外を眺める。ただし、その瞳は憂いているものではない。
少女は、頬を紅潮させていた。やはり、そこまでいつも通りとはいかなかった。
二人の間に、絶妙に居づらい雰囲気が流れる。どちらがどう切り出すのか、どう切り出せばよいか。お互いに探りを入れている、半ば心理戦のような状態。
……列車が発進しだして、しばしばの時間が経った。秋野はふうとため息をつき、リュックサックの中から大きなスケッチブックを取り出した。
そして、油性ペンで大きくこう書き、それを少女に見せた。
〈今日から夏休みか〉
それを見ると少女は、いささか訝し気な顔をしたのちに、何かが結びついたのか、瞳を大きく見開いて、そっぽを向いてさらに頬を赤らめた。秋野は、そんな少女の姿をただなんでもなく見ていた。
少女も、バッグの中からノートを取り出し、鉛筆でこう書いた。昨日と同じ、でも少し丁寧な、凛とした文字だった。
〈ありがとう〉
そのようにして、二人の習慣は文字とともに継続することとなった。
それからというもの、夏休みにもかかわらず、秋野は毎日のように通学列車に乗った。そして同様に、少女も毎日秋野が乗る列車に乗った。二人はボックス席で、以前のように向かい合って座っていた。ただ、先述の通り、以前と一つ異なるのは、そこに文字情報が入ったということである。
秋野と少女は、文字を通して多くを話した。お互いのこととか、昨日あったこととか、嬉しかったこととか、むかついたこととか、願いとか、本当にいろいろなことだ。そして、その中で二人は、お互いのことをより深く知っていった。
また、少女の名を知ったのは、もちろん文字情報が入った初日のことだった。秋野が少女に訊ねた。そして少女が秋野に教えた。いたって普通の会話と同じである。しかしこれこそが、秋野と少女が初めてお互いを聞きあったときであった。
そしてもう一点、これは余談であるが、その初日、先述の通り秋野は少女に「このおよそ二週間のことについて。一連の行動の動機とか、これからのこととか。」を聞こうと画策していた。しかし、秋野がそれらについて聞くことは、忘れていたのか聞く気にならなかったのか、結局のところ今まで一度となかった。
〈そうだ、君の名前を聞いていなかった〉
〈佐奈田凛といいます〉
〈ありがとう。俺は秋野文浩。よろしく〉
〈こちらこそよろしくお願いします〉
〈よろしくって、なんか変だな笑〉
〈そうですね笑 改めて、の方が正しいかもしれません〉
〈じゃあ、改めてよろしく〉
〈こちらこそ、改めてよろしくお願いします〉
文字を使ったコミュニケーション——筆談は、秋野にとって初めてのことだったから、その時こそ秋野はどう書けばいいか悩むことが多かった。しかし、素直な気持ちを書くことこそが一番通じ合える気がして、すぐに秋野はその形式になれていった。少女——佐奈田も、そんな秋野との筆談を楽しんでいった。
思えばここまで不思議なもので、示し合わすことなどなくこのような状態を迎えていた。お互いにこの時間をともにすることを約束したわけではないし、こうして筆談を始めることも、確認しあったわけではない。けれども確かに二人は毎日のように会い、こうやって筆談をした。
だがどんな物事の始まりも結局そんなものなのだろうと秋野は思った。すべてが論理的に積み上げられていくわけではない。
出会ってから、三週間が経った。
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Titleless Story 水無月うみ @minaduki-803
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