第22話 幼馴染の看病

 昔の里桜はちょくちょく体調を崩す女の子だった。


 持病があったり、ものすごく身体が弱いとかってわけじゃないんだ。ただ季節の変わり目、特に冬場にはよく風邪を引いていた。


 あれは俺達の別れがわずか数カ月後に迫った小学三年生の冬のことだった。


 里桜が毎年恒例の風邪を引いて学校を休んだ日、帰宅した俺に母さんがお決まりの言葉を告げた。


「おかえり、隼。帰って早々だけど、里桜ちゃんが隼に会いたがってるって。行ってきてあげなさい」


「わかってる。言われなくてもそのつもりだよ」


 里桜が風邪を引いたらお見舞いに行く、それが俺の中では毎度のことになっていたんだ。もちろん感染力の強い感染症の場合は除くけど、ただの風邪ならマスクをしっかり着けさせられた上で里桜に会いに行っていた。


 部屋を訪ねると、里桜がベッドに横になっているのが見える。熱を出してるんだから当然だよな。


「りーおっ、きたよー?」


 里桜の目が覚めていることを確認してから声をかける。さすがに寝ている病人を起こしちゃいけないことくらいはわかっていたさ。


「あー、隼くんだぁ……。来てくれたんだねぇ……」


 里桜のぽーっとした目が俺を見つめていた。


「いつも来てるじゃん。それより、具合はどう?」


「んー、朝よりはよくなってるよぉ……」


 とは言っても、まだ声に力がない。おでこを触ってみてもほんのりと熱いような気がする。なのに里桜はのそりと起き上がろうとして、


「だめだって。ちゃんとねてないと」


 俺は慌てて里桜をベッドに戻す。


「だってぇ、ねすぎてねむくないんだもん……」


「それでもダーメ。早くよくならないといっしょに遊べないよ?」


「それはやだぁ……」


「ならちゃんとねてなきゃ」


「はぁい、わかったよぉ……」


 素直ないい子である。俺は再び横になった里桜に布団をかけ直してあげる。首までしっかり覆って、冷やさないようにして。


 そうするとわずかに首を動かして俺を見た里桜が、恥ずかしそうに言うんだ。


「ねぇ、隼くぅん……」


「なに?」


「あのね……手……」


 布団からちょこんと里桜の手が出ていた。俺はためらうことなく里桜の手を取って、そのまま布団の中に戻してあげた。もちろん、俺の手も一緒に。


「ほら、里桜がねるまでこうしててあげるから、目つむって」


「うんっ。えへへ、ありがとぉ、隼くん……」


 里桜がはにかむように笑って、その顔がまたすごく可愛くて。子供心にもドキドキしていたっけ。


 俺が手を握っていると、眠くないと言っていた里桜もあっという間に眠ってしまうんだ。それがわかっているから毎回おばさんは里桜に言われるままに俺を呼んでいたんだろうな。


 それから里桜がしっかりと寝付くのを確認してから帰る、というのがいつもの流れだった。



 ***



「これは完全に風邪だねぇ」


 俺のベッドの脇に立つ里桜が言う。その手には体温計、つい今しがた俺の熱を測ったばかりのものだ。


 ──38.3℃


 間違いなく風邪である。


 今日もいつものように部屋に突入してきた里桜に起こされたわけなのだが、その時点で身体が重く寒気がした。それでも無理矢理起き上がると今度はクラっとして。頭が熱を持ち、ずきずきと痛んでベッドから降りられなかった。


 それを見ておかしいと思った里桜がリビングにすっ飛んでいって体温計を持ってきてくれたというわけだ。


「そうみたい、だな……」


 原因には心当たりがありすぎる。


 昨日のことだ。

 天気予報は午後から雨だった。もうすぐ梅雨入りするらしく、最近では雨が多い。朝、里桜からも傘を持っていくように言われていたんだけどな。


 俺は普段から鞄に折りたたみの傘を入れっぱなしにしているので油断していたんだ。数日前に中身の整理をした時に出してそのままだったのを完全に忘れていた。


 そういう時に限って、きっちり雨が降りやがるんだよ。そして下校時、大雨を前にしてようやく傘がないことに気が付いた。


 里桜とは一緒に暮らしていることがバレないように登下校のタイミングをずらしてるし、今週は掃除当番の里桜は帰りは少しだけ遅い。


 おまけに悠人は部活、中学から引き続き継続して陸上部に入っていて、雨の日はトレーニングメニューを考えるミーティングがあるとか。そもそも悠人には今の住んでいる場所を教えていないから頼ることはできない。


 そんな経緯で教科書やノートの入った鞄だけを保護して自分は濡れて帰ったのだが、これが良くなかったようだ。15分ほどずぶ濡れで歩いて帰り、適当にタオルで拭いただけの身体が冷えてしまったらしい。


 普段の俺ならこの程度で風邪を引いたりはしないはずなのだが、慣れない環境で疲れが溜まっていたのかもしれないな。


「隼くん、今日は学校お休みだねぇ。自分で連絡、入れられる?」


「それくらいなら……なんとか」


 枕元に置いてあったスマホを取り、メールで病欠の旨を送る。さすがにこれを里桜にやらせるわけにはいかないからな。


「……ん、できた」


「なら隼くんはこのままもう少し寝てて。お粥作ってくるから、それ食べてお薬飲もうね」


「……わりぃな」


「別にそれくらいするよ? 一緒に暮らしてるんだもん」


「いや……そうじゃなくてさ。今日も弁当、作ってくれてたんだろ? 余計な手間かけさせちまったかなって……」


 里桜は俺よりもかなり早く起きて弁当を作ってくれているんだ。今の体調じゃとても食べられないし、無駄にさせたかと思うと申し訳なくて。


 でも里桜は首を横に振り、俺の額に触れる。


「こんなに熱がある病人が変な気を使わないのっ。隼くんが食べられないなら私が晩ご飯に食べるだけだよ。それにね、昔は私が風邪を引くと隼くんが毎回お見舞いに来てくれたでしょ? あれね、すっごく嬉しかったの。あの頃は隼くん全然風邪引かなかったし、ようやくそのお返しができるよ」


「……里桜」


「ね? だから隼くんは早く治すことだけ考えてくれたらいいからね」


「わかった……」


「ん、いい子。じゃあすぐ作ってくるから待っててね。冷凍のご飯があるし、そんなに時間はかからないからね」


 里桜は俺の頭をさらりと一撫でして部屋を出ていった。


 ……だめだな、こりゃ。熱のせいか完全に里桜のペースだ。


 俺がお見舞いに行っていたなんて言っても、ただ寝るまでの間付き添ってただけ。なのにここまで手を煩わせてさ。


 情ねぇなぁ……。

 とにかく安静にして早く治さなきゃな。


 しばらくすると里桜はお盆にお椀と水の注がれたコップ、それから薬の箱を乗せて戻ってきた。


「隼くん、お待たせ。さっきなにも聞かずに作りに行っちゃったけど、お粥、食べられそう?」


「それくらいなら……なんとか」


 あまり食欲はないけれど食べなきゃ治りも遅いだろうし、薬も飲めないからな。ここは無理にでも食べておくべきだ。


「なら隼くん、少し起き上がろっか」


「あぁ……」


 ベッドボードを背もたれにして上半身だけを起こすと、里桜がベッドの端に腰を下ろし持っていたお盆を膝の上に置く。


 ようやく見えるようになったお椀の中には黄色と赤色がほんのりと混じり合ったお粥が入っていた。梅入りの玉子粥のようだ。


 ふわりと湯気と共に立ち昇る香りに胃袋が反応した。有り体に言えば、里桜の料理の腕前を知っているこの身体は正直で、食欲が出てきたということだ。


 里桜はそれをスプーンで掬い取ると俺の口の前に差し出す。


「はい、隼くん。あーん」


「……えっと、里桜?」


「あっ、そっか。このままじゃ熱いよね」


 ふーふーと息を吹きかけて冷まされたお粥が再び俺の前に。


「いや……そうじゃなくて……」


「んー? ならなんなの?」


「自分で食べられるけど……?」


 俺がそう言うと、里桜はクスリと笑う。それはイタズラをするように、少しだけ意地の悪い笑みだった。


「私がしたいのっ。言ったでしょ? 昔お見舞いに来てくれたお返しだって。だからね、隼くんはなーんにも気にせず食べてくれたらいいから」


 ……一歩も譲らないって顔してやがるな。匂いで食欲を刺激しといてからのこれはずるくねぇか?


 頑固な里桜のことだ、俺が食べなければ学校に遅刻するのもお構いなしでここに居座り続けるだろう。さすがにそんなことはさせられない。


「わかったよ……」


「それじゃ、隼くんっ。あーん」


 今度は素直に口を開ければ、ほどよい温度になったお粥が入ってくる。


「ん、美味い……」


「ふふっ、よかったぁ」


 里桜が作る料理はなんだって美味いんだ。このお粥だって、胃に負担をかけないように米は柔らかく、塩加減も梅干しが入ることをしっかりと考慮されているし、玉子もとろりと甘い。


 その優しい味になぜか涙が出そうになる。


 いや──もう……。


 その滴がぽたりと自分の手に落ちた。


「しゅ、隼くんっ?! どうしたの?! やっぱり美味しくなかった……? それとも熱かった……?」


 急に泣き出した俺に里桜は戸惑うけれど、俺にだってなんでなのかわからないんだ。ただ、これだけは訂正しておかないと。


「いや……すげぇ美味いよ。冷ましてくれたから熱いわけでもないし……」


「隼、くん……?」


「なぁ、里桜……」


「うん、なに……?」


 わからないものはわからないんだ。だから、わかっている欲求を口にする。


「なんかさ、食欲出てきたみたいだわ。もっと、くれるか……?」


「あっ、うん……。まだまだあるからいっぱい食べてっ!」


「ん……」


 里桜は嬉しそうにお粥を冷ましながら何度も俺の口に運んでくれる。子供みたいな扱いをされているのに止まらなくて、お椀に入り切らずキッチンの鍋に残っていた分まであっという間に全て腹の中におさめてしまっていた。


「すごいね、隼くん。全部食べちゃったよ」


「……美味かったから」


「そっか。なら作ったかいがあるってものだよ」


「ありがとな」


 素直に、お礼の言葉が口から溢れた。こんなにスルッと出てきたのはすごく久しぶりな気がする。


 でもいつまでも里桜を引き留めておくわけにもいかない。里桜が持ってきてくれた薬を飲んで、俺は再び横になる。


「里桜……そろそろ出ないと、遅刻するぞ。俺はこのまま寝るからさ、学校、行ってきな」


「あー……もうそんな時間……。ごめんね、ついていてあげられなくて」


「いいって。でも……」


「でも……?」


「早く帰ってきてくれると、その……嬉しい……」


 少し、ほんの少しだけ一人になるのが心細かったんだ。


 普段じゃ絶対こんなこと言えないのに……。

 里桜の帰省の時に寂しさを感じたせいか、それともただ弱ってるせいなのか。


 自分でもこっ恥ずかしいことを口走ったはずなのに、里桜はふわりと微笑んだ。


「言われなくたって終わったら飛んで帰ってくるよ。それまで寂しいかもしれないけど、我慢できる? あとお昼ご飯も用意してあげられなかったけど……」


「さすがに子供じゃねぇんだから……。昼も自分でどうにかするさ」


 たしか冷凍庫にうどんがあったはずだし、動けそうならそれをレンチンして食えばいいだろ。そこまで里桜に迷惑かけられないからな。


「それも、そうだね。なら……行ってくるね?」


「あぁ、いってらっしゃい」


「うん……いってきます」


 里桜はまた俺の頭をそっと撫でて、何度も振り返って名残惜しそうに出ていった。


 里桜を見送った俺は満腹感と薬による眠気に身を任せて、そのまま意識を手放すのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


皆様、明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願い致します。


近況ノートにちょっとしたSSをご用意しておりますので、よろしければそちらもどうぞ。

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