第21話 幼馴染の膝枕と覚えていない言葉
里桜は昔から結構不器用な女の子だった。
学業においては並々ならぬスペックを持っている里桜にとっては唯一の欠点とも言える。
あっ、唯一じゃないか。
運動も割と苦手だし、引っ込み思案だもんな。
……まぁそれは今はいいか。
そんな不器用だった里桜があんなに美味い料理を作るようになるとは俺も未だに驚きが隠しきれないでいる。
そんなわけで、今回は過去の里桜の不器用エピソードでも語ってみようと思う。あれは小学二年生の時だったか。紙粘土で好きなものを作るという図工の授業だった。
「里桜はなにを作ったのー?」
すでに彩色の作業に入っていた里桜に俺は声をかけた。見たところ脚が四本あるので動物のようだ。胴体はずんぐりとして頭は丸い。その頭には耳がついている。それを里桜は真っ黒に染め上げていた。
……くま、かな?
これが俺の予想だった。
でも里桜の口から告げられた正解は全く別のものだった。自信たっぷりに、当然のように言うのだ。
「うんとねー、ねこさんだよっ」
「ね、こ……?」
俺は言葉を失った。里桜が作り上げた作品をドヤ顔で見せてくれるのだが、残念ながら猫には全く見えない。脚が太く短いせいなのかもしれない、首元に塗り残しか白い部分があり、その風貌としてはツキノワグマが最も近い。
「ねこさんに、見えないかなぁ……?」
俺が動揺しているとだんだんと里桜がしゅんとなっていって、慌てて軌道修正をすることに。
「い、いやっ、ねこだねっ。うん、どう見てもねこだったよ」
「本当っ?!」
「本当本当! かわいいくろねこだねっ!」
「えへへ、でしょー?」
一瞬で笑顔になった里桜に俺は胸を撫で下ろした。うっかり本音を言って里桜を傷付けてしまうところだったのだから。
というわけで、昔から里桜は結構不器用だったんだ。
***
「隼くんのやってたゲーム、私もやってみたいっ!」
里桜がそんなことを言い出したのは三連休の最終日、里桜と二人で昼食をとり終わった後だった。
「……里桜、ゲームとかやったことあるのか?」
昔は一緒にゲームなんてしたことはなかったはずだ。当時の俺はゲーム機こそ持っていたが、夜に一人で少しだけやる程度。里桜と二人の時は外で遊ぶことが多かったし、家で遊ぶ時だって本とか漫画を読んで過ごしていた。
「ううん、ないよ。でも隼くんはしてたんでしょー? なら私も隼くんと同じことしてみたいなーって」
「なんか理由が子供っぽいなぁ……。まぁ別にいいけどさ」
ひとまず二人でソファに座って、俺が昨日やっていたゲームを立ち上げてやる。新たにセーブデータを作ってからコントローラーを里桜に渡す。難易度はもちろん初心者向け、easyだ。
「ほれ、まずはチュートリアルからな。操作はそこで教えてくれるからさ、とりあえずやってみな」
「ありがとっ、隼くんっ!」
嬉々としてゲームを始めた里桜なのだが──
「んっ! にゃあっ! ひっ……! ちょあっ……!」
コントローラーのボタンを押し込むたびに里桜の口から変な声が漏れる。それだけならいいのだけど……。
「里桜……? 里桜が跳ねてもキャラは跳ばないぞ……?」
里桜はキャラの動きを真似るように、右へ左へ、さらには上に下にと身体が動きまくっている。
というか真似てねぇな。里桜だけが動いてるぞ、これ。
レースゲームなんかで身体が動くってのは聞いたことがあるけど、アクションゲームでもなるやつはいるんだな。
この際だからはっきり言うが、里桜は不器用なんだ。
「そんっ、なっ……ことっ、言われっ、ても……! あっ、あっ、やんっ……!」
うん……隣で艶かしい声をあげないでほしい。
変な気分になってくるから……。
しかも結構な大声だし、ご近所にあらぬ誤解をされても知らないからな。
……って、そうなると俺が巻き添えを食うのか?
「あぅっ……。死んじゃった……」
「身体ばっかり動いて操作がおざなりだったからそうもなるだろ」
「しょうがないじゃんっ……。勝手に動いちゃうんだもんっ」
「里桜、ゲーム向いてないんじゃね……?」
俺がそう言うとぷくりと頬を膨らませる里桜。
拗ねた顔も可愛いんだから、美人ってのは得だよなぁ。
「あー、隼くんってばひっどーいっ! 私だってねー、もう少し慣れればちゃんとやれるんだからねっ!」
「この調子で慣れるのか……?」
里桜がこのゲームを始めてすでに一時間くらい経過している。それでいてまだチュートリアルから抜け出せていない。俺が10分弱で通り過ぎたところをだ。
「むぅ……。きっと身体が動いちゃうのがいけないんだよっ。ねぇ隼くん、ちょっと押さえててくれない?」
「押さえるって、どうしたらいいんだ?」
「それはー……私が隼くんのお膝に座るから、後ろから羽交い締めにする、とか?」
「あぁ、なるほど……って、そんなことできるかぁっ!」
里桜を膝に乗せる?
羽交い締めにする?
そんなことしたらめちゃくちゃ密着することになるじゃねぇか! そんなのバカップルくらいしかやらんだろ!
「えー……」
「えー……じゃねぇよ……」
しかもずっと膝に乗せてたら足が痺れるだろうが。
「うーん。なら私がソファの下に座るからさ、隼くんは私の肩を支えててよ。それならいいでしょー?」
そう言うなり里桜は床に座り、俺の脚の間に身体をすっぽりと収めた。
「しょうがねぇなぁ……。それくらいなら……」
里桜の肩に手を置くと、自然と里桜の頭が顔の真下辺りに来る。おそらくシャンプーのもの、甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。
……なんで里桜はいっつもこんないい匂いがするんだ。同じシャンプー、使ってるはずだよな……?
「よしっ、これなら私でも楽勝だねっ!」
一人でドキドキしてしまっている俺を他所に里桜はゲームを再開する。楽勝なんて言う割にまた身体が動いていて、俺はそれを必死で押さえ込む。
そのおかげもあってか、里桜のプレイは多少見られるものになってきた。まだまだ動きは荒いが少しずつ進み始めた。
ただ、ずっとそんなことをしていれば当然俺のほうが先に疲労が来る。里桜はゲームに集中してるからいいかもしれないけど、好き勝手に暴れようとするんだから困ったもんだ。
しかも、
「あーんっ、もうっ……。やったなぁー……!」
なんとも言えない声に力が抜けそうになる。
これ、わざと、じゃねぇよな……?
諸々に耐えつつ見守っていると、ゲームの方はチュートリアルの最後、最初のボス戦に突入していく。そりゃもう熱の入った里桜が動く動く。俺も必死で止めようとしていたのだが、ついに限界を迎えてしまった。
里桜の操作するキャラがジャンプをしようとして、里桜本体も跳ねる。ちょうどそのタイミングで手が滑って肩から外れて、伸び上がった里桜の頭が勢いよく俺の顎を直撃した。
「んがっ……!」「あいたっ……!」
俺と里桜の悲鳴が重なる。
ぶつかったのは頭と顎、よりダメージがでかいのはたぶん俺の方だ。ぐわんと軽く目眩がする。舌を噛まなかったのが不幸中の幸いだろうか。
「ごっ、ごめんね、隼くんっ……! だ、大丈夫……?」
「だい、じょ……ぶ。なんか……グラグラする、けど……」
「それ全然大丈夫じゃないよっ……! あぁ……えっと、とりあえず横になった方がいいよね」
コントローラーを投げ出した里桜は俺の横に座り、自分の膝をポンポンと叩く。
「里桜……? なにして……?」
「お膝貸してあげるから、早く横になって!」
「いや……そこまで、しなくても……少しすれば平気に……」
「つべこべ言わないのっ。脳震盪起こしてたらまずいんだから、とにかく安静が第一だよ!」
里桜はそう言うと、俺の頭をそっと掴んで無理矢理に引き寄せた。
「ちょっ……そんな強引に……」
脳震盪ならそんな急に動かしたらダメだろっ……!
でも里桜の膝に頭を預けると、なぜかすごく落ち着いてしまって。
「よしよーし。痛かったねぇ。ごめんね、隼くん」
そう言って里桜が俺の頭を撫でる。その手つきがまた優しくて、心地良い。
でも、
「……それより里桜。自分の頭は……平気なのか?」
里桜だって頭をぶつけてるんだ。ダメージは俺の方が大きくても、痛かっただろうに。
「えっ、うん。ちょっぴりジンジンするだけだよ。少しずつ治まってきてるから大丈夫だと思う」
「……そうか。なら良かった」
「もうっ……私の心配より自分の心配してよね。私のせいでこうなってるんだから……」
「それも、そうだな……」
なんにせよ、里桜に大事がなかったのならそれでいい。俺も少しすれば治るだろうからな。
ただ……この状況はあまりよろしくないな。
里桜の膝は柔らかくて暖かくて、それに俺を見下ろす里桜とばっちり目が合って気恥ずかしい。
と、そこで違和感を覚えた。
……あれ? なんかこの光景、どこかで見たような気がするな。どこで、だっけ……?
「えへへ。また隼くんに膝枕、しちゃったね」
里桜がポツリと呟いたことでそれは確信に変わった。でも、肝心のいつどこでかが思い出せない。
「……また、って?」
「あっ、そっか……。隼くんは寝ぼけてたから覚えてないんだね。なら、今は内緒ってことにしとこうかなぁ」
「なんだよ、それ……」
「んーん、なんでもないよ。でもその時の隼くんね、すっごく嬉しいこと言ってくれたんだよ」
「俺が? なにを?」
それこそ全く記憶にないぞ。
俺、なに言ったんだよ……?
「だから、まだ内緒っ。いつかまた、寝ぼけてない時に隼くんから言ってもらえるまでは、ね」
「……」
すごく気になる。俺が里桜の喜ぶようなことを知らないうちに言っていたなんて。なのに未だにクラクラする頭のせいで思考が定まらない。
それに里桜の手がそっと俺の目を覆って。ヒンヤリとした手が気持ち良くて、もうなにも考えられなくなる。
「ほら、落ち着くまで寝ちゃってもいいよ。私のお膝、好きに使っていいから。ね?」
「あ、あぁ……」
そのまましばらくの間、俺は里桜の膝枕でされるがままに。それでもまた寝ぼけてなにか口走るんじゃないかと思うと眠ることはできなかったのだった。
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