第20話 幼馴染は寂しがり3
◆side里桜◆
「ねぇ、里桜。私達も一緒にお風呂入ろっか」
お母さんがそう言ったのは午後9時過ぎ。
ご飯も食べ終わって片付けも済んで、一緒にお風呂に入っていたお父さんと翔が出てきたタイミングだった。
「お風呂くらい、一人でも入れるよ?」
「そんなのわかってるよ。でもたまにはいいじゃない。久しぶりに髪、洗ってあげるから」
正直に言えばこの歳で親と一緒にお風呂に入るというのは恥ずかしい。でもお母さんの顔は真剣で、有無を言わせない雰囲気がある。
お母さんってこういう時は絶対に意見を曲げないんだよね。頑固っていうかさ。ここで私がごねても最終的には引きずられてお風呂場に連れていかれちゃうだろうね。
「うーん……お母さんがそう言うなら……」
なら最初からこう言っておいた方がいい。
「じゃあ決まりねっ。翔の髪乾かしてあげたら行くから、里桜は先に入っててくれる?」
「うん、わかったよ」
一度部屋に戻って着替えを用意してからお風呂に向かう。
掛け湯をしてお湯に肩まで身を沈めると、やっぱり浮かんでくるのは隼くんの顔だった。
隼くんも今頃お風呂入ってるのかなぁ?
ご飯、ちゃんと食べてくれたかな?
隼くんだって子供じゃないんだから一人でも平気なことくらいわかっているのに、そんなことばかり考えてしまう。『里桜』とぶっきらぼうに私を呼ぶ隼くんの声まで聞こえてくるみたい。
私としては昔みたいにもう少し優しく呼んでほしいんだけど、ね。
「里桜、お待たせ」
カチャっとお風呂場のドアが開いてお母さんが顔を出した。
自宅のお風呂、一緒に入る相手は娘の私、当然お母さんが身体を隠すようなことはしない。久しぶりに見たお母さんの裸身は女の私から見ても惚れ惚れしてしまうようなものだった。
真っ白で透き通るような肌、ウエストはきゅっとくびれて、手足はスラリと細く長い。そしてなにより──
「どうしたの、里桜? そんなにじっと見て」
「えっ、いや……だって……」
私よりおっぱい大っきいんだもん!
親子なのにずるい!
そう言いたくなるのも無理はないと思うの。
確か今年で41歳になるはずなのに、お母さんの胸は重力に逆らうようにキレイな形を保っていて。ついつい自分のものと見比べてしまう。
「あぁ、そういうこと? 大丈夫よ、里桜もこれからまだまだ成長するはずだからね。私の娘だもの」
「そうかなぁ?」
……というか、隼くんはどんな感じが好きなのかな?
やっぱり男の子だし、大っきい方が好き、なのかなぁ?
私もそこそこある方だとは思うけど……お母さんのと比べちゃうと自信なくなっちゃうなぁ。
もし小さい方が好きなら……もう手遅れかも。
そうでないことを祈らないとね。
「ほらほら、そんなことはいいからこっちにいらっしゃい」
「はぁい」
お母さんに手招きされて湯船から出る。バスチェアーに腰を下ろすと、お母さんがそっと私の頭に触れた。こうされると、撫でてもらってるみたいで落ち着く。
でも……本当にしてほしい人は──。
「お湯かけるから、ちゃんと目を閉じててね」
「うん、わかってる」
お母さんは私の髪をシャワーで濡らして、泡立てたシャンプーを馴染ませていく。頭皮はしっかりと、髪は優しく。美容院でもしてもらうけど、お母さんに洗ってもらうのはすごく久しぶりで、緊張しなくてもいいからすごく気持ちがいい。泡を流したらトリートメントまでしっかりと。
してもらってばっかりじゃ悪いから、私もお母さんの髪を洗って、背中の洗いっこまでして隅々まで磨き上げたら二人でお湯に浸かることに。
広めな我が家のお風呂だけど、大人二人が入ればちょっぴり窮屈。ザバーっと溢れたお湯が排水口へと流れていく。
「ねぇ、里桜。隼君との暮らしはどう?」
お母さんがぱしゃりと肩にお湯をかけながら言う。たぶん、この話をするためにお風呂に誘ったんだなってようやく気付いた。
「どうって……今のところは普通、かなぁ……?」
目立った問題は起こっていないし、それなりにはうまくやれていると思う。でも……。
「そっか。普通ってことは、まだまだってことね」
「うぅっ……」
お母さんは私が隼くんとどうなりたいのかなんて全部知ってるんだよね。そもそも知っているから隼くんとの二人暮らしを許してもらってるんだけど。私の計画を全面的に後押ししてくれたのはお母さんなんだから。
「ねぇ、里桜。今日はずっと上の空だったじゃない? それってやっぱり隼君のことでしょ?」
「それは、うん……」
だって、あと一日半くらい会えないんだもん。寂しいんだもん。
「それなら、明日にでも向こうに戻っちゃいなさいよ」
「えっ、でも……」
お母さんは簡単に言うけれど、翔が寂しがってるからって帰ってきたのに、まだ全然話だって聞いてあげられてないし。
「呼んだ私が言うのもって思うけど、今の里桜にとって一番大事なのは隼君なんでしょ? ならこっちのことは気にしなくていいの。お父さんと翔には私からうまいこと話しておくから。ね?」
「それで、いいのかな……?」
お父さんはともかく、翔に悲しい顔させちゃわないかな……?
「いいのいいの。だって隼君に会いたいーって、寂しいーって里桜の顔に書いてあるんだもの。だからね、里桜。まずは隼君のことだけ考えてなさいよ。里桜が浮かない顔してたら、翔だって心配しちゃうよ?」
「……うん」
「それにほら、もしかしたら隼君も寂しがってるかもしれないでしょ? そこに里桜が予定より一日早く帰ってきたら、どうなるかなぁ?」
「それ、はっ……」
喜んで、くれるかな?
そんな期待、してもいいのかな?
隼くんに会いたくて早く帰ってきちゃった、なんて言ったら……困らせたり、しないかな?
……あぁ、だめだなぁ。私、弱気になってる。諦めないって、決めてるのに。再会する前はこんなことなかったのに。
やっぱり、隼くんから離れたせいなのかな……。
俯きかけると、お母さんの手が伸びてきて私の顔を両手で掴んだ。そのままぐいっと前を向かされる。
「大丈夫。きっと上手くいくよ。なんてったって里桜は私とお父さんの自慢の娘なんだから。少しずつでも、ちゃんと気持ちは伝わってる。まずは里桜がそう信じなくっちゃ」
「お母さんっ……。そう、だね……。私、明日帰ることにするっ」
「うん、応援してるからね。もちろんお父さんも翔も同じ気持ちだと思うよ」
「ありがと、お母さん」
裸だって構わない。私はお母さんの胸に飛び込んだ。しっかりと抱きしめてもらうと自信がわいてくる。
だってね、付き合い始めてから今に至るまでお父さんのことをずっとメロメロにし続けているお母さんの言葉なんだもん。お母さんは私の憧れで、目標でもある。私はそんなお母さんの血を引いてるんだから。
心は決まった。いや、とっくに決まってたんだけどね。だからこれは再確認、って感じかな。
こうして私は、たった一晩の滞在で実家をあとにすることになった。
翌日。
さすがに朝一で出ていくのは翔が可哀相だったから午前中はしっかり翔に構ってあげて。お昼ご飯を食べてしばらくしてから実家を出ることになった。
再び新幹線と電車を乗り継いで、隼くんと暮らす部屋に戻ってきたのはそろそろ夕方になろうかという頃だった。
隼くんは……今はお部屋かな?
できればビックリさせたいし、静かに玄関をくぐる。キャリーケースはひとまず玄関に置いていく。ゴロゴロって音がうるさいからね。
そっとリビングのドアを開けると、予想と違って隼くんはそこにいた。ソファに座っていて後頭部が見えている。テレビの電源はつけっぱなしで、画面には大きくGAMEOVERの文字。
……ゲーム、してたのかな?
私がいる時にはしてたことないのに。
隼くんの正面に回ってみればその目は閉じられている。すぅすぅと寝息を立てて、でもどこか苦しそうで。
「……もう、こんなところで寝ちゃって。風邪引いても、知らないよ?」
隣に座って耳元で囁くと、
──ぽすん
と、隼くんが私の膝に倒れ込んできた。そして私にぎゅうっとしがみついて。
「里桜──」
私の名前を呼んだのだった。
◆side隼◆
目を覚ますと里桜がいた。
ご機嫌な様子で洗濯物を干している。
俺は……夢でも見てるのか?
そう思うが全てがリアルすぎる。試しに頬を抓ってみると、しっかり痛い。寂しいなんて思ってしまった俺の心が見せている幻影ってわけでもなく、つまりこれは現実。
ならなんで里桜が……?
不思議に思って声をかけてみる。
「里桜……? なんで、いるんだ……?」
「あっ、隼くん。おーはよっ。よく寝てたね」
そう言うと里桜は持っていた洗濯籠を置いて俺の隣に腰を下ろす。そして俺の腕に抱きついてきた。
「里桜?!」
「んー? なぁにー?」
甘えるような声と幸せそうな顔にドキッとする。
いや、そうじゃないだろ。里桜は今、本当なら実家にいるはずで……。
「さっきの答えは? なんでいるんだよ。帰ってくるまで、まだ一日あるだろうが」
二泊三日だったはずだ。変な時間に寝てしまったとしても、そんなに時間が経っているわけがない。
「帰ってきちゃった。隼くんが寂しがってるんじゃないかなーって思ってね」
そしてからかうような顔。
また、俺で遊んでるのか……?
そりゃ……寂しかったさ、すっごく。
また里桜が遠くに行ってしまうんじゃないかって、思って。
不安で、怖くて。
でも、まだそれを素直に言葉にはできなくて。だから……代わりに、
「子供じゃねぇんだから、そんなわけ──」
里桜が俺の唇に指を当てて、言葉を遮った。そして突然真面目な顔をする。真っ直ぐ俺の目を見据えて、そんなことをされると心の奥底まで見透かされてしまうような気がする。
「ふふっ。大丈夫、もうこれ以上言わなくてもわかったから。あのね、隼くん」
「……なんだよ?」
「私、もうどこにも行かないから。ずっと、ずっとずっと隼くんの側にいるから。だから、安心してね」
里桜はそう言って笑ったんだ。
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