第16話 怖がりな幼馴染と大好きな幼馴染 

 昔から里桜は怖がりな女の子だった。


 真っ暗闇が苦手で、お化けとか妖怪なんかの怪談話も苦手だった。もちろん最初からそうだったわけじゃない。里桜がそうなってしまったのには理由があるんだ。


 あれは小学一年生の秋のことだったか。


 その頃の俺と里桜はよく近所の公園で一緒に遊んでいたんだ。その日も学校が終わったあと一度それぞれの家に帰り、ランドセルを投げ捨てて公園で合流した。


 公園でしていたことといえば、砂場で砂いじりをしたり、ひたすら滑り台を滑り降りたり、ブランコをどちらが高くこげるかを競ったり。遊び自体は実に歳相応なものだった。


 この時期はなにをするにしても里桜と一緒が一番楽しかったんだよな。


 この日はひたすらブランコで遊んでいたのだが、まぁ遊びの内容については今は関係ないのでひとまず置いておく。


 夕方、辺りに音楽が流れ始める。俺達が住んでいた地域では17時に町内放送で音楽が流れるんだ。それが家に帰る合図、どちらの家も遊ぶのはその時間までという取り決めになっていた。


「しゅんくんっ、かえろー?」


「うんっ」


 俺達は手を繋いで公園を出る。少し行くと俺の家と里桜の家の分かれ道、そこまで一緒に帰るのが常だった。


 この日までは。


「またあしたねっ、しゅんくんっ!」


「うん、またあしたっ」


 バイバイと手を振る里桜を見送ってから俺は真っ直ぐに帰宅した。そこまではいつも通り。


 異変が起きたのはその後、帰宅してしばらくすると母さんの電話が鳴った。


 電話に出た母さんの顔がだんだんと険しくなっていって、よくないことが起こっているんじゃないかって不安になったのを覚えている。


 母さんは険しい顔のまま俺に尋ねた。


「隼? 里桜ちゃんが家に帰ってないみたいなんだけど、隼はなにか知らない?」


 切羽詰まった母さんの声に不安が的中したことを知る。


「りおが……? いつものところでバイバイ、したよ?」


「そう……じゃあそこまでは一緒だったのね?」


「うん……」


 それからまた母さんは電話に向かってなにかを話し始める。その会話は俺の耳には届いていなかった。それどころじゃなかったんだ。


 里桜が帰っていない。つまりいなくなった。いてもたってもいられなくなった俺は家を飛び出そうとして、それに気付いた母さんが慌てて止める。


「ちょっと隼っ! 待ちなさいっ! あんたは家にっ────」


 母さんの静止は強引に振り切った。後ろから伸びてきた手をスルリと躱して、玄関の外へ。そのままの勢いで駆け出す。


 ただただ里桜が心配だったんだ。外はもうほぼ日が沈んでいて、どこかで里桜が泣いているんじゃないかって、もしかしたら悪い人に連れていかれたんじゃないかって。里桜がいなくなることなんて考えられなくて、そんなの認められなくて。


 ブランコの漕ぎ過ぎで疲れ切った脚を懸命に動かして走る。まずはいつもの分かれ道、そこを里桜の家の方角に曲がる。


 まわりを注意深く確認しながら里桜の家の前まで。


 ──いない。


 さらに走る。里桜の行きそうなところ、もう一度公園へ戻ってみる。


 ──いない。


 そこからは闇雲だった。分かれ道から里桜の家に向かう途中の曲がり角、その全部を曲がって探した。


 ──いないっ。


 ──いないっ!


 ──いないっ!!


 ──どこにもっ、りおがっ、いない……。


 なんでっ、どうしてっ?!


 どんどん焦りが大きくなる。


 どれだけ探してもなかなか里桜は見つからなくて、疲れもあって動けなくなりそうで、俺まで泣き出しそうになった時。ようやくかすかに里桜の声が聞こえてきた。


 それは泣いているような、必死そうな声だった。


「おとーさーん、おかーさーん……うぅ……しゅんくーん……!」


 俺を呼んでいた。

 里桜が俺を呼んでいたんだ。

 声を聞けばなんとなくわかる。助けてって、そう言ってる。


 でもまだどこにいるのかわからない。俺も声を張り上げる。


「りおーーー!!」


 その声が里桜に届いたのだろう。返事が返ってくる。


「しゅん、くんっ! しゅんくーんっ!!」


 里桜が何度も何度も俺を呼ぶ。里桜を不安にさせないように応えながら、声のする方へ向かう。だんだんと里桜の声が大きくなってきて、そして俺は神社の前に辿り着いていた。


 何度か来たことのある近所の小さな神社だ。すでに完全に日は落ちていて、境内には灯りが一つだけ。不気味だった。怖くて脚が震えそうなくらいに。明るい時とは雰囲気が全然違ってしまっていた。


 それでも里桜の声は境内から聞こえる。俺は迷わずに飛び込んだ。


 そんな時間にやってきた俺を威嚇するように狛犬が睨んでくる。怖い。けど睨み返してやった。そんなのを気にしてる場合じゃないんだよ。里桜が泣いてるんだから。


「りおーっ? どこー?」


「しゅんくんっ、ここっ、ここだよぉー……」


 さほど広くない境内、すぐに里桜を見つけることができた。里桜は本殿の後ろ側でしゃがみこんで泣いていたんだ。


「りおっ、みつけたっ……!」


「しゅんくーんっ……ぐすっ……こわっ、こわかったよぉ……うわぁぁぁぁん!」


 俺の顔を見た瞬間、里桜は大泣きし始めてしまった。俺は里桜の側にしゃがみ込んで、そっと抱きしめる。


 こうしたら安心してくれるんじゃないかって、そう思って。


「りお……よかったぁ……」


 頭を、背中を撫でる。いつもおじさんやおばさんがしていたように。そうしているとしだいに里桜は落ち着きを取り戻していった。


 それからしっかりと手を繋いで、里桜を家まで送り届けることに。その道中で里桜を探しに出てきていたおばさんに会って、また里桜が大泣きして、おばさんからものすごくお礼を言われて、そこに合流した母さんから勝手に飛び出したことをこっぴどく怒られて。


 いろいろあったけれど里桜が無事だった、俺はそれだけで満足だったんだ。俺の知らないところへ行ってしまわなくてって。


 あとになって聞いた話によると、帰り道で里桜は猫を見つけたらしい。その後を追いかけて神社の中に、途中で見失って探しているうちに暗くなり、不安と恐怖で動けなくなってしまったというのがこの騒動の原因だそうだ。


 そしてこの一件から、里桜は暗闇や怖いものが苦手になった。


 さらにこの日を境に俺にも変化が起こる。里桜がいなくなってしまうのが無性に怖くなり、二人で遊んだ後は必ず家まで送り届けるようになったのだった。



 ◆side里桜◆



 私が隼くんのことを好きになったのには理由がある。もちろんそれまでも漠然と大好きだったんだけど、確実に、明確に、確固たるものとして隼くんを大好きになったきっかけがあるの。


 あれは私達が小学一年生の秋のことだったかな。


 その頃の私達はよく近所の公園で遊んでいた。


 砂場で砂いじりをしたり、ひたすら滑り台を滑り降りたり、ブランコでどちらが高くこげるかを競い合ったり。


 その日はブランコで遊んでいたんだったっけな。競い合うなんて言っても私じゃ全然隼くんに勝てなくて。でも隼くんと遊んでいるだけでとっても楽しかったんだよね。


 楽しい時間ってね、本当に過ぎるのが早いんだ。


 夕方、辺りに音楽が流れ始めるの。17時、遊びは終わりの合図。それが聞こえたら帰ってくるんだよって私達はお母さんに言われていた。


「しゅんくんっ、かえろー?」


「うんっ」


 言いつけは守るもの、破って隼くんと遊べなくなったらイヤだもん。


 隼くんと手をつないで公園を出る。この頃はまだ人目を気にせず手を繋げていたんだよね。


 今は……見られたらって思うとなんか照れくさくなっちゃう……。

 二人きりなら平気なのに、変なの……。


 そしていつもの分かれ道、ここでバイバイするのが私達のお決まり。


「またあしたねっ、しゅんくんっ!」


「うん、またあしたっ」


 隼くんは私が見えなくなるまでそこで待っててくれるんだよ。何度も振り返って手を振って、そこからは真っ直ぐお家に帰る。


 ──つもりだった。


 不意に私の目の前に一匹の猫が飛び出してくるまでは。


「あっ、ねこさんっ!」


 私は猫が好きだった。声をかけるとその猫は私をじっと見て「なー」と鳴く。まるでついておいでって言われてるみたいだった。


 真っ直ぐ家に帰るのよ、というお母さんの言いつけは頭からすっぽりと抜けてしまって、私は夢中でその猫を追いかけた。私がついてきているのを確かめるように時々振り返る猫を追ってふらふらと。


 しばらく追いかけているとその猫は茂みにひょいっと入っていき、姿を消してしまった。


「あれー? ねこさーん? どこいったのー?」


 茂みに顔を突っ込んでみても見当たらない。近くを探してもやっぱり見つからない。残念に思いながらも諦めて帰ろうとした時だった。


 辺りはすっかり暗くなっていて、付近にはほんのわずかな灯りがあるだけ。ひとまずその灯りの方へ向かってみると。


「ひぅっ…………?!?!」


 今になって思えばただの狛犬。でも当時の私にはそれはすごく怖いものに見えたんだ。足が竦んで、でも狛犬に睨まれているのは怖くって。その視線から逃れた。玉砂利がジャリジャリ音を立てるのすら不気味で、私は本殿の裏側でうずくまった。


 暗くて、怖くて、一人ぼっちで不安で。私は泣いた。泣きながら叫んだ。


「おとーさーん! おかーさーん! しゅんくーん!」


 声を張り上げてみても誰からも返事はない。そりゃそうだよね。叫んだって言っても、恐怖であんまり声が出てなかったんだから。


「おとーさーん、おかーさーん……うぅ……しゅんくーん……!」


 何度も何度も叫んで、もうこのままこの真っ暗なところに一人取り残されるんだ、そう諦めかけた時だった。


「りおーーー!!」


 隼くんの声が聞こえたんだよ。


 お父さんでもお母さんでもなくて、隼くんの声だったの。


 隼くんが私を探してくれてる。

 暗闇に差した希望の光だったよ。


 私はここにいるよっ! 怖くて動けないのっ!


 そんな想いを込めて隼くんを呼んだ。


「しゅん、くんっ! しゅんくーんっ!!」


「りおー?!」


 私が呼ぶたびに隼くんは応えてくれる。その声はだんだんと近くなって。


「しゅんくーんっ……!」


「りおーっ? どこー?」


「しゅんくんっ、ここっ、ここだよぉー……」


 ジャリジャリと音が近付いてくる。さっきは不気味に思えたそれも隼くんの足音だと思うとへっちゃらだった。


 そしてついに──


「りおっ、みつけたっ……!」


 隼くんが目の前に現れた。


 息を切らして、きっとすっごく探してくれていたんだろうね。私は隼くんに見つけてもらえたのが嬉しかったの。でもそれ以上に隼くんの方が嬉しそうな顔をしていたんだよ。


 その時の隼くんの顔は今でもしっかりと記憶に残っている。


「しゅんくーんっ……ぐすっ……こわっ、こわかったよぉ……うわぁぁぁぁん!」


 私はまた泣いた。隼くんの顔を見た瞬間、堰を切ったように涙が溢れて、どうしようもなかった。そんな私を隼くんはそっと抱きしめてくれたの。


「りお……よかったぁ……」


 頭を、背中を撫でられて。それが暖かくて、優しくて、私はしだいに落ち着きを取り戻していった。


 この時だよ。この時、私ははっきりと自覚した。


 必死で探してくれた隼くん。

 私を見つけてくれた隼くん。

 優しく抱きしめてくれた隼くん。

 暖かくて安心する隼くん。


 この日、この瞬間、私の中の不動の一番大好きな人は隼くんになったんだ。


 そしてそれは今でも──。

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