第15話 幼馴染は計画的2

 学校が終わり家に帰ると玄関には里桜のローファーが綺麗に揃えられて置いてあった。つまり里桜はすでに帰宅しているということだ。


 放課後になると里桜はさっさと教室を飛び出していったからそうだとは思っていた。きっと囲まれるのがイヤだったんだろう。


 休み時間のたびに男子の割合が増えてたし……。早くも他所のクラスのやつまで混ざり始めてたっぽいからよっぽどだよな。


 入学式で里桜の容姿は学年内に知れ渡っているし、そうなるのも容易に想像はできた。それくらい里桜の容姿は魅力的に見えるからな。


 でもそこは人見知りの里桜、昔から特に男子が苦手だった。男子に話しかけられるとすぐ俺の後に隠れていた。


「ただいまー」


 そう声をかけつつリビングダイニングへ続くドアを開けると、里桜は制服のままソファに座っていた。ただ、どことなく様子がおかしいことに気付く。


「おかえりぃ、隼くん……」


 返事はしてくれた。でもその声が不機嫌そうなんだ。きゅっと膝を抱えて座る姿もどこか拗ねているように見える。微妙に唇も尖ってるしな。


 昔から里桜は拗ねるとすぐこんな顔をするんだ。わかりやすくて結構だが、なにを拗ねてるのかまではさすがにわからない。

 

「どうした? 囲まれすぎて疲れたか?」


「それもあるけどぉ……そうじゃなくってぇ……」


「じゃあなんなんだよ? あっ、そういや弁当美味かった」


 鞄から空になった弁当箱を出してダイニングテーブルへ置きながら言う。部屋に戻ってからだとまた持ってくるのが手間だからな。


「本当っ?! えへへ、よかったぁ」


「美味かったのはいいんだけどさ、ハートはやめてくんねぇかな……」


「えーっ! 可愛いのにぃっ!」


 予想と一言一句違わず里桜が不満を口にする。こうもそのまんまだと逆に面白いな。でもここで譲るわけにはいかないんだ。悠人にも疑われるしさ。


「男の弁当に可愛いはいらねぇんだよ……。頼むからさ、普通にしてくれ……」


「ぶー……」


「ぶー……って、子供かよ……」


 こういうところも昔と変わんねぇのな。里桜は甘やかされて育ったせいか結構我儘なんだ。


 作ってもらってる身で我儘言ってんのは……俺なのかもしれないけどな。


「むぅー……やめてあげてもいいけどー……」


「けど、なんだ?」


「その代わりに……私も隼くんと学校でお喋りしたいっ!」


「はぁ?! なんでそうなるんだよ?!」


 まさかそんな交換条件を出してくるとは思わなかったぞ。


「だーってぇ、今日……隼くん、女の子と話してた……。私はダメなのにズルいっ!」


「ズルいって言われてもなぁ……。あれは悠人のことを聞かれてただけだし、それにすぐ終わったぞ?」


 ……ん、待てよ。なんだこれ?

 なんで俺、浮気を疑われてる男の言い訳みたいなこと言ってんだっけ?


「それでもズルいのっ! 私がまともに落ち着いて喋れる人、クラスに隼くんしかいないのにぃ……」


 なるほどな、それで拗ねてたってわけか。

 うーん、これはどうしたもんかね……。


「ねぇー……隼くぅん……」


 俺が悩んでいる間に近寄ってきた里桜が俺の制服の裾をちょこんと摘む。さらに潤んだ瞳で見上げてきた。


 里桜にそんな顔をされて心が動かない男なんて存在しないと思う。そこには当然俺も含まれるわけで、


「あー、もうっ! ったく、わかったよ」


 あっさりと陥落した。そして俺の一言で里桜は破顔する。さっきまでのしょんぼり顔が嘘のように、まるでそこにだけ太陽の光が差し込んだように。


「えっ、いいのっ?! 学校でも隼くんに話しかけていいの?!」


 っ……?!

 急にそんな顔されたらドキッとするだろうが!

 危ねぇから学校ではするんじゃねぇぞ!


 と、悪態ともつかない心の声をあげつつも表面上は平静を装う。


「どんだけ喜んでんだよ……。でも少しだぞ。それからあくまで自然にだ。やりすぎるなよ?」


「わかってるって。隼くんは心配性だなぁ」


「心配もするだろ。ボロを出して万が一俺と里桜が一緒に暮らしてることがバレてみろ。大変なことになるぞ、主に俺がな」


 里桜に群がっていた男共に詰め寄られて……下手したら血祭りにあげられそうだからな。いや、さすがにそこまではないかもしれないけど、居心地が悪くなるのは確かだ。


「それはヤダなぁ。隼くんに迷惑をかけるのは本意じゃないし」


「ならほどほどにしといてくれよ。話なら帰ってからいくらでもできるんだからさ」


 むしろ俺としては里桜に友達の一人もできない方が心配なんだがな。こんなんでこれまでの六年間をどうやって過ごしてたんだか。


「家と学校は違うもんっ。でもそうだなぁ……ちょっといろいろ考えてみるねっ!」


「お、おぉ……」


 突然やる気になった里桜は自分の部屋に駆け込んでいった。


 ん……? 考えてみるって、なにをだ?

 おかしなことにならなきゃいいけどな……。


 やたらと張り切っている里桜に、俺は少しだけ不安になるのだった。


 *


 里桜がその考えとやらを行動に移したのはその翌日の昼休み。悠人とともに弁当を食べ、俺が空になった弁当箱を鞄に戻した時だった。


「ねぇ、しゅ──柊木くん。悪いんだけど、ちょっとだけ時間もらえないかな?」


 俺は思わずそのままの姿勢で固まってしまった。悠人もぽかんとした顔で里桜を見ている。加えてクラス中が唖然として俺達に視線を注いでいた。里桜が自分から誰かに話しかけるのは初めてだからな。


 里桜の注目度、高すぎる問題だ。


 だが今の俺にはそれより問題にしないとならないことがある。


 おいっ!

 今、隼くんって言いかけただろ?!

 昨日気を付けろって言ったばっかじゃねぇか!


 しかもこのセリフは……。


 里桜が口にしたのは約24時間前、この場所で聞いたのとほぼ同じ言葉だった。そして里桜はさらに続ける。


「時雨くんもごめんね、少し柊木くんを借りてってもいいかなぁ?」


 どんだけしっかり聞いてたんだよ?!

 今のは一言一句そのまんまだぞ!

 あの時里桜も誰かと弁当食べてたんじゃないのかよ?!

 

「あっ、うん。どうぞ……?」


 俺が心の中で叫んでいると、またしても悠人が俺よりも先に返事をした。


「……おい、悠人」


「ご、ごめん……!」


 悠人は悠人で動揺しすぎだ。突然の里桜からの接触に目をパチパチさせてやがる。


「ダメかなぁ? しゅ──柊木くん?」


 里桜のやつ、どこまで昨日のアレをなぞるつもりだよ。しかもまた隼くん言いかけてるしさ。


 頭痛くなってきた……。

 でもこれ以上このままここでうだうだしているとまた里桜がおかしなことを口走りそうだからな。


「はぁ……わかった。悠人、ちょっと行ってくるわ」


「う、うん。ごゆっくり……?」


 おい悠人、昨日と言ってることが違うぞ。

 なんだよ、ごゆっくりって。


 今日の悠人は『ごめん』のジェスチャーをしなかった。


 教室を連れ出された俺は里桜の後ろについて校舎内を歩いている。昨日は廊下の隅、その場所はすでに通り過ぎた。それでも里桜はズンズンと進んでいく。振り向かず、何も言わずに。


 俺は周りの人気がなくなったところで里桜の背中に声をかけた。


「おーい里桜、どこまで行くつもりなんだよ?」


「んふふー、あんまり人の来ないところっ」


 くるりと踊るように、軽やかに振り返った里桜は楽しそうに笑っていた。


「そんな場所があるのか? というかなんでそんなの知ってんだよ?」


 入学してまだ三日目、俺だって校内のことはまだよく知らない。里桜もそれは同じだろうに。


「そりゃお母さんに教えてもらったからだよ?」


「……それ、めっちゃ昔の話じゃん。参考になるのか?」


「いいからいいから。人がいたら戻るだけのことだよっ」


「里桜がそう言うなら、いいけどさ……」


 おばさんが教えてくれたってことは、その情報は20年以上も前のものだ。今も同じだとは限らないのに里桜の足取りに迷いはない。


 そうして連れていかれたのは、


「──図書室?」


「そうだよっ。ここは人があんまり来ないだけじゃなくってね、お父さんとお母さんが出会った場所でもあるんだって」


「そう、なんだ」


「ずっとね、この目で見てみたいって、そう思ってたの」


 里桜の目がすうっと遠くを見つめる。その瞳に映っているのはたぶん──


 両親に、両親の思い出に憧れてこの柊陵高校に来たという里桜にとって、ここはたぶん特別な場所なんだろう。


「ほらっ、入ろっ?」


 里桜に手を掴まれた。いつも少しだけヒンヤリしているはずのその手はほんのりと熱を持ち、里桜の興奮具合が伝わってくる。


 ドアを開ければ、図書室の中はシンと静まり返っていた。里桜がおばさんから聞いていた通りに無人のようだ。


「ねっ? 誰もいなかったよ」


「そう、みたいだな。で……これからどうするんだ? なんか話したいって言ってたけど」


「まぁまぁ、そんなに焦らないのっ。まずは座ろうよ」


 俺と里桜は適当な椅子に腰を下ろす。人はいないくせにだだっ広い読書スペースを二人占め、なのに隅っこの席でしかも隣り合って座ることになった。


「ふぁ〜……静かだねぇ。それに暖かいし。なんか眠くなっちゃうよぉ……」


 里桜はそう言ってペタリと机にうつ伏せる。その状態で顔だけを横にして俺の方を向く。春の陽光に照らされた里桜の顔はとろんと緩み、長い睫毛の生えた瞼をパチパチと瞬かせていた。


「待て待てっ、本当に寝るなよ? 寝たら置いて帰るからな?」


「あー……。隼くんが意地悪言うー。ちゃんと起こしてよぉ」


 声までゆるゆるになってやがる。


「意地悪だったらここまでついてきてねぇだろうが」


「それも……そうだねぇ。隼くんはなんだかんだ言いながら……いつも、優しいもんねぇ」


「そんなこと──」


 ──ないんだ。


 もし俺が優しいのなら……きっとあの六年の間に一度くらいは里桜に会いに行っていたはずなんだから。


 でも里桜は俺の心を読んだように、ふっと柔らかく目を細めた。そのままゆっくりと瞼を閉じて。


「そんなこと、あるよ。私ね、隼くんの……側が、一番……すぅ……」


 おい……まじで寝たのか?

 俺の側が一番、なんだよ?

 肝心なところだけ言わないなんてズルいだろうが……。


 里桜は安心しきったような顔で寝息を立て始めた。きっと弁当作りなんかで早起きしてくれていたせいなんだろう。そう思うと言葉の続きが気になってもすぐに起こすことはできなかった。


 ……ったく、呑気な顔で寝やがってさ。


「よだれ垂らしてんじゃねぇよ……。しょうがねぇやつだなぁ……」


 俺はポケットから取り出したティッシュで里桜の口元を拭ってやった。


 里桜のこんな姿、他のやつには見せらんねぇよな。俺の前だからいいけどさ、こんな無防備にしてたらなにされても知らねぇからな。


 そんなことを考えていると悪戯心がわいてきて、指先で里桜の頬を突いてみた。すべすべでやわやわな里桜の頬、軽く突いただけでどこまでも指が沈んでいきそうだ。


「んん……隼、くぅん……」


「っ?!」


 里桜が俺の名前を呼んで、ビクッとして指を離した。起こしたかと思ったのに、その後も全く目を覚ます気配はない。俺はホッとしつつ、しばらくの間あどけない顔で眠る里桜を眺めていたのだった。


 結局、次の授業開始10分前に俺が起こすまで里桜は眠り続けて、タイミングをずらして教室へと戻ることに。悠人に言われた通り、しっかりとごゆっくりしてしまったというわけだ。



 ◆side里桜◆


 あーんっ……! 失敗したぁっ!


 隼くんに寝顔見られちゃったっ!

 いや、寝顔だけならいいんだけどね……でもさすがによだれ垂らすのはダメじゃんっ?!


 だらしないって思われたかなぁ?

 幻滅、されてないよね?


 もうっ、本気で寝るつもりなんてなかったのにぃっ……!


 だって、静かで暖かかったんだもんっ!


 それにさぁ──やっぱり私は隼くんの側が一番落ち着くし安心できるんだよ。教室にいる間はずっと気を張ってるんだもん。疲れるんだもん。そんな時に気が抜けたら寝ちゃうに決まってるよっ。


 それでも、ね……ようやくこの場所に来れたよ。

 お父さんとお母さんの始まりの場所に。ずっと、ずっと、隼くんと一緒に、二人だけで来たいって思ってたんだよ?


 そのために、いろいろ考えたんだから。あの騒がしい教室をどう抜け出すかとか、隼くんにあんまり迷惑かけないようにするにはどうしたらいいかとか、ね。時雨くんに声をかけるのだって、緊張して変にならないように練習してきたんだよ? 参考になる人がいて助かっちゃったね。


 だって、隼くんと二人だけで来れたなら私達もお父さんとお母さんみたいになれるかもって、そう思って。


 隼くんはまだ気付いてないかもしれないけど、でもいいの。これは私の願掛けみたいなもので、覚悟の確認なんだから。ここから始めるんだぞ、ってね。


 そしていつか、必ず──。

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