第14話 幼馴染は計画的1

 里桜は昔から計画的な女の子だった。


 目的に対してなにが必要なのかをしっかりと考え、実行可能かどうかを精査し、それから行動に移しやり遂げる。そんな女の子だったんだ。


 具体的な例としてこれを挙げるとまたかと言われてしまいそうだが、一番わかりやすいのだから仕方がない。


 夏休みの宿題である。


 あれはまだ次の春に里桜が引っ越してしまうなんて露とも知らなかった小学三年生の一学期終盤のことだった。


 一度帰宅してランドセルを放り投げて里桜の家に行くのは、この頃ではいつものこと。たまーに蛍も一緒なこともあったが、この日は俺一人で向かった。


 おばさんに家にあげてもらい、里桜の部屋へ。おばさんはまだ小さかった里桜の弟、翔を抱っこしていたっけ。


 俺は、机に向かいカレンダーを眺めながらせっせと紙になにかを書き込んでいる里桜を見て尋ねた。


「里桜ー? なにしてんの?」


「んー? 夏休みの宿題をね、なにをいつやろうかなって考えてるの」


 その日はちょうどその宿題を出された日だったんだ。


「そんなのてきとーでいーんじゃないの? それにまだ夏休みなんて始まってもないじゃん」


「だめだよ、そんなの。だって早く終わらせて隼くんといっぱい遊びたいもんっ」


 こんなことを言われたら、そりゃ嬉しくなるに決まってる。告白とか付き合うとかそんなことは全く考えたこともなかった俺だが、好きな女の子に言われたのだから当然だ。


 ただそこで、じゃあ自分も、とはならなかったのが俺だ。結局、里桜が早めに宿題を終わらせて空けた夏休み後半の予定は俺の宿題の手伝いに費やされることになった。今になって思えば我ながら酷いやつである。それでも里桜は楽しそうにしてたけどな。


 あっ、もちろん祭りとか花火大会とかは一緒に行ったりしたぞ。


 とにかく、里桜は計画的な女の子だったんだ。



 ***



 入学式の翌日。

 柊陵高校は進学校ということもあって、二日目にしてしっかり6限まで授業が詰め込まれている。


 そんな日の朝、やはり里桜に起こされた俺はこれまた里桜の作った朝食をとっていた。


「はい、これ。隼くんの分ね」


「ん? なんだこれ?」


 目の前に置かれた包みを見て俺は首を傾げる。


「なんだこれ、って見たらわかるでしょ? お弁当だよ」


 うん、聞くまでもなく弁当だった。おまけに里桜のお手製だ。俺は作れないのだから里桜の作に決まっている。


「いや、それはわかってるけど弁当まで里桜が作るのか? 朝、大変すぎじゃね?」


 朝食作って弁当も作って、洗濯機を回して洗濯物干して──どこの主婦だよ! って感じだ。


 俺の朝の仕事はやっぱりこの後の皿洗いだけである。


「どうせ自分のも作るんだし手間は変わらないよ。というか隼くんはお昼ご飯、パンとかで済ませるつもりだったんじゃないよね?」


「いやぁ……それは……」


 里桜にじいっと目を覗き込まれて俺は言葉に詰まる。図星だった。


 学食こそないものの購買はある。パンの販売をしているということだったので、それでいいかと適当に考えていた。


「もうっ、ダメだよ隼くんっ。ご飯は私の担当なんだから隼くんの食事が乱れるのは看過できません。隼くんの健康管理も私の仕事の内だよっ」


「おかんかっ?!」


 思わずツッコんでしまった。そのツッコミに里桜はぶぅっと唇を尖らせる。


「違いますぅー、幼馴染ですぅー! だからこれ、ちゃんと食べてね?」


「わかったよ、ありがと……」


 家での食事みたいにハート満載のラブリー弁当じゃなきゃいいけどとは思いつつも、味は保証済み、素直に受け取った。


 そして初日とは思えないほど進みの早い午前中の授業をどうにかこうにか乗り切り昼休み。


 里桜は今日も今日とて人気者だ。本人は小さくなっているが、それを無視した連中が話しかけまくっている。


 しばらくすると、里桜はそのうちの誰かと一緒に弁当を食べることになったのか、小さなグループに合流していた。おどおどあわあわしてるのは相変わらずだが。


 里桜とは対照的に俺のところに集まってくるのは今のところ悠人一人。俺的には悠人といるのが一番楽だったりする。大人数で騒ぐのが嫌いなわけじゃないが、疲れるからな。


「隼。昼、一緒に食べようよ」


「おう」


 中学時代から昼飯は悠人とだった。高校でも同じクラスなのだからこうなるのも当然だ。まだお互い他に友達もいないしな。悠人の手にもしっかりと弁当の包みが握られている。


 俺の前の席の主が不在になったので悠人がそこを拝借する形でのランチタイムとなった。俺も鞄から弁当を取り出して蓋を開けると、


「あれ、なんか隼の弁当めちゃくちゃ可愛いじゃん。どうしたのそれ?」


「…………」


 ラブリー弁当だった。満載、ってほどではないけどもしっかりハートが入っている。


 ……あの、里桜さん? 家でやるのは構わないけどさ、さすがに弁当はやめていただけませんかね?


 弁当箱のセンターに入れられた二切れの玉子焼き、その断面がハートだったのだ。楕円形を斜めに切って反対向きにくっつけたものじゃない。しっかりとハート型に成形された玉子焼きだった。


 こんなのどうやって作ったんだよ?!


 と叫びたいところではあるが、それよりも今は興味津々な悠人の視線が痛い。


「か、母さんが悪ノリした、んじゃねぇかなぁ……?」


「隼のお母さんってそんなタイプだったっけ? そこまで凝ったもの作らなさそうなイメージなんだけど?」


「ぐっ……。さ、最初だからな……変な方向に張り切ったんだろうよ……」


 悠人は俺の母さんに会ったことがある。その上、学校行事なんかで弁当が必要になった時も一緒に食べていたりするので母さん作の弁当も見られているのだ。言い訳としてはとても苦しい。


 ただそこは素直な悠人、あっさりと信じてくれた。……ひとまず、この時はな。


「あー、なるほどね。そういやうちも張り切ってたかも」


「だ、だろっ? でもさすがにこういうのはやめてくれって言っとかねぇとな……」


 言うのは母さんじゃなくて里桜にだけどな。

 『えーっ! 可愛いのにぃっ!』って言われる未来が見える。


 そんなラブリー弁当も口に入れれば思わず頷いてしまうほどに美味い。冷めた時にベストになる状態が考慮されているとしか思えない味のバランスだ。おかげで箸が進む進む。


「食べるの早っ!」


 思わず悠人が驚くほどがっついていた。里桜の作る料理は不思議な魅力がある。じっくり味わって食べたいのに、気が付けば次々口に詰め込んでしまう。そうすると口の中がすごく──


「隼さぁ、すっごい幸せそうじゃん? そんなに美味しいの?」


 ──幸せなんだ……はっ! 俺、顔に出てたのか?!


「えっ……そ、そうだな。美味い、な」


「ふぅん? それって本当に隼のお母さんが作ったの?」


「あ、あぁ……」


 適当に返事をして、弁当の締めに玉子焼きを口に放り込む。早々に片付けてしまおうと一切れ食べたら美味すぎて、一気に食べてしまうのがもったいなくなって最後に残しておいた玉子焼きだ。


 やっぱ美味いな……。これでハート型じゃなきゃ言う事な──


「んー…………彼女でもできた?」


「んぐっ……!」


 危うく吹き出しかけた。わざわざ取っておいたのにそんなもったいないことができるわけがない。無理矢理飲み込んだら、今度は喉に詰まった。それをお茶で押し流す。


「はぁっ?! できねぇよ! なんだよ藪から棒にっ」


「いやぁ、母親の作った弁当をそこまで嬉しそうに食べる隼がイメージできなくてさ」


 悠人の視線がチラリと里桜に向いているのがわかる。これ以上はまずい。たとえ相手が悠人だろうと、バレたらマズいこともある。悠人なら悪いようにはしないだろうけど、それでもダメなものはダメだ。


「今見たまんまをイメージしとけよ……。それに詮索しないんじゃなかったのか?」


「おっとそうだった、ごめんごめん。つい気になりすぎちゃってさ」


 勘のいいやつめ……。

 なんでこれで蛍のことは気付かんのかね?


「ったく……いいから悠人も早く食っちまえよ」


「いや、隼が食べるの早すぎるだけでしょ……」


 悠人が食べるのを再開したのを見つつ、俺は空になった弁当箱に蓋をして元通りに包み直す。そしてそれを鞄にしまい終えた時だった。


「ねぇ柊木君、悪いんだけどちょーっとだけ時間もらえないかなぁ?」


 同じクラスの女子の一人に話しかけられた。名前は──まだ覚えてねぇや。


 髪こそ染めていないものの、制服をわずかに着崩したその女子は作ったような明るい声で言う。


「時雨君もごめんね、少し柊木君を借りてってもいいかなぁ?」


「あー……うん、いいよ」


「待て待て、まだ俺がいいって言ってねぇだろ……」


 悠人のやつ、俺の前に返事すんじゃねぇよ。


「ダメかなぁ?」


 きゅるんと瞳を潤ませる目の前の女子。


 いちいちあざといなぁ……。

 悠人に可愛いアピールをしたいのはわからんでもないが。とりあえず面倒くさいから手早く済ませるか。


「わかった、少しだけな」


「本当っ?! ありがとっ、そんなに時間は取らせないからさっ」


「んじゃ悠人、ちょいと行ってくるわ」


「うん、いってらっしゃい」


 その女子が視線を外した隙に悠人は片手で『ごめん』とジェスチャーを寄越す。悠人自身もこの展開についてはわかってるんだ。俺はそれに苦笑いしつつ頷きを返し、まだ名も知らぬ女子の後について教室を出た。


 廊下の隅まで連れて行かれた俺は予想通りの質問にげんなりさせられることになるわけだが、この一連のやり取りを里桜が見ていたと知るのはその日の夕方、帰宅してからだった。

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