第13話 幼馴染と家族
里桜は昔から愛情深い女の子だった。
両親から愛情をこれでもかと受けて育った里桜は引っ込み思案ではあるものの、一度気を許した相手にはとことん優しく、そして甘えん坊だった。里桜は特に両親のことが大好きで、いつもベタベタに甘えていたんだ。
「おとうさん、だっこーっ!」
「はいはい、里桜はしょうがないなぁ」
そう言いながらもおじさんは嬉しそうに笑う。しっかりと抱き上げられた里桜もご満悦そうだ。しばらくして抱っこから降ろされると今度はおばさんの脚にしがみつく。
「えへへ、おかあさんもー!」
「ふふっ、里桜は甘えん坊さんね。いったい誰に似たのかなぁ?」
おばさんは里桜のふわふわな髪を優しく撫でる。いつもわしわしと乱暴に頭を撫でてくるうちの母さんとは大違いだ。
「そりゃお母さんでしょ」
「お父さんも負けてないと思うけど?」
「そうかなぁ……」
そこで笑いが起きる。里桜の家族はいつだってとても仲が良くて幸せそうなんだ。
「しゅんくんもぎゅーっ!」
そして里桜は遊びに来ていた俺にも抱きついてくる。里桜はハグが好きで俺にもこうしてよくぎゅっとしてくるんだ。
里桜のこれは家族の延長だったのかもしれない。でも里桜は近所でも有名な可愛い女の子。小さい子供とはいえ俺だって男だ、そんなことを頻繁にされていたら里桜のことを好きになってもおかしくないと思う。
俺はいつ、というのを自覚しないまま里桜のことが好きになっていたんだ。
***
美女がいた。
里桜に腕を引かれたままで玄関をくぐった時のことだった。ちょうど洗面所から出てくるところに出くわした形だ。
「お母さんっ!」
里桜は靴を脱ぎ捨てながらそう叫び、その女性へと飛びついた。
……お母さん?! お姉さんじゃなくて?!
もちろん里桜に姉がいないことは俺も知っている事実。それでもそう思ってしまうくらいその女性は若々しい。俺の母さんもわりと童顔で若く見られることが多いけれど、それ以上だ。
六年前からなにも変わっていないように見える里桜の母親、
……あの頃はなにも気にせずに言ってたけど、これはおばさんって呼ぶのなんか気が引けるな。下手したら20代後半くらいでも通用しそうだもんなぁ。
里桜よりもわずかに背が低いだけで、まるで生き写しのようにそっくりで。でもさすがに今更呼び方を変えるのもおかしな気がするし、ひとまずはおばさんということにしておこう。
「里桜、おかえりなさい。しばらくぶりね、元気にしてた?」
「うん。元気だよっ」
「そう、ならよかった。それから隼君も、久しぶりね」
「えっ、あ、はい。お久し、ぶりです」
柔らかく細められた目で微笑まれるとついドキッとしてしまう。そんな俺を見て里桜はぷくりと頬を膨らませた。
「ちょーっと隼くん? なーにお母さんに見惚れてるのかなぁ?」
「はぁっ? そんなんじゃないって」
「本当かなぁ?」
「本当だってのっ。ただ、久しぶりだなって、思っただけだから……」
里桜のジトッとした目を避けるように、俺はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「ふーん? まぁそういうことにしといてあげる。言っとくけど、お母さんにちょっかいかけたらお父さんに殺されても文句言えないんだからねっ?」
「かけねぇよ……。てか殺されるとか物騒だな」
「だってお父さんは今でもお母さんラブだからねっ!」
「そりゃ知ってるけどさ……」
昔も俺や里桜が見ていようがおかまいなし、出かける前と出迎えには必ずハグとキス、それがおじさんとおばさんの基本スタイルだった。それに里桜がここに来た日にもそんなこと言ってたしな。今でも隙あらばイチャイチャしてるって。
俺の両親とは大違いだ。ちょっとのことで喧嘩しやがるんだからさ。その後すぐに仲直りするからいいんだけどな。
「じゃああんまりお母さんのことジロジロ見ないのっ!」
「いや、そんな見てねぇし……」
「ふふっ、二人とも仲良くやってるみたいね」
理不尽にも里桜に怒られている俺を見ておばさんが笑う。それと同時にリビングのドアが開いて一人の男性が出てきた。
「ちょっと里桜、中まで聞こえてきてたよ? 怖いこと言わないでほしいなぁ。ただ諦めてくれるまでとことんお話をするだけだよ?」
里桜の父親、
……おじさんもまったく変わってる感じがしないし、どうなってるんだこの夫婦は?
ちなみに俺の父さんの見た目は歳相応である。たしか今年で40歳になるんだったか?
……あれ、41歳だったっけ? まぁいいか。
そんなおじさんの登場に里桜はぱぁっと顔を輝かせた。
「あっ、お父さん! ただいま!」
「うん、おかえり。それよりも里桜? お父さんにはそれ、してくれないのかな?」
里桜は相変わらずべったりとおばさんに抱きついたまま。それ、というのはつまり里桜からのハグをご所望らしい。
「えー、どうしよっかなぁ?」
「里桜がイヤって言うなら無理強いはしないけどさぁ……」
寂し気に肩を落とすおじさんを見て、里桜はいたずらな笑みを浮かべる。これは里桜が本当に気を許した相手にだけ見せる表情だ。
里桜の一家は昔と変わらず仲が良いらしい。そういえば里桜には弟がいたはずだけど、今日は来てないのか。六年前ははまだ1歳とか2歳だったから、俺のことなんて覚えちゃいないだろうがな。
「もー、冗談だよ。ほら、お父さんもぎゅーっ!」
おばさんから離れた里桜はおじさんに抱きついていく。里桜を受け止めたおじさんは慈しむような顔をして、里桜の頭をそっと撫でる。
俺達くらいの年代の女の子って父親のことを避けたりするもんだと思っていたが、どうやら里桜はそういうのとは無縁らしい。昔と変わらず良好な親子関係のようだ。
「よかったぁ……。里桜もついに反抗期かと思って焦ったよ」
「私、お父さんもお母さんも大好きだもん。反抗期なんて永遠にこないよ?」
「それはそれでどうかと思うけどね……。でも元気そうで安心したよ。これも隼君のおかげかな?」
「えっ? 俺ですか?」
「うん、そうだよ。だって里桜は──」
「涼、ダメだよ」
おじさんがなにか言いかけたところをおばさんが止める。なにを言おうとしていたのか気にはなったが、おじさんはぐっと言葉を飲み込んでしまった。
「──そうだったね。ごめん」
「里桜が、なんですか?」
「いや、なんでもないよ。それより隼君と里桜に言わないといけないことがあるんだ。こうしてまた二人が揃った時に言おうってずっと思ってて、六年もかかっちゃったけどね」
急に真面目な顔になったおじさん、少しだけ苦しそうにも見える。
「……なん、ですか?」
「なぁに、お父さん?」
おじさんは俺と里桜に向かってゆっくりと、そして深く頭を下げて言った。
「……仕事の都合だったとはいえ、あれだけ仲良しだった二人を離れ離れにさせて、ごめん。許してほしいなんて今更言えないけど、どうしても二人にはしっかり謝っておきたかったんだ」
そう、俺と里桜が疎遠になった大元の原因はおじさんの仕事の都合、転勤だった。今回我が家が引っ越しをすることになったのと同じ理由だ。支社から本社への転勤が決まって、という話だったと記憶している。
「それは……しかた、ないですよ。気にしてません、から……」
誰にもどうすることもできなかった。里桜の一家にも生活がある。それを支えるおじさんが転勤ともなれば家族がついていくのも当然だ。単身赴任という手段もあったのかもしれないが、こんなにも仲の良い家族がバラバラになる方が一大事なんだから。
そもそも俺はおじさんのことを恨んだりはしていないのだ。仕方がなかったと今になればわかる。頭ではちゃんと理解してるんだ。
でも……当時の俺はそれを受け入れられなかった。ただそれだけの話。
「大丈夫だよ、お父さん。許すとか許さないとか、そんな話じゃないから。私もお父さんが私達家族のことをすごく大切にしてくれてるのわかってるから。隼くんも言ってたけどね、仕方がなかったんだよ。それにほら、こうしてまた隼くんと会えたしね」
そう言って里桜は俺を抱きしめた。再会した直後のように力強く、昔よくされていたように。
「……里桜?!」
当然今はあの頃とは違う。いきなりこんなふうにされれば驚くし戸惑う。
「ね、隼くんもお父さんのこと、怒ってないよね?」
「それは、そうだけど……」
「そっか。それを聞けて安心したよ。隼君、これから里桜のことをよろしく頼むよ。できたら……昔みたいに仲良くしてあげてほしいな」
「えっと……はい……」
そう返事をする他なかった。だってさ、おじさんの顔にはまだ後悔の色が浮かんでいたのだから。
「おーいっ、皆して廊下でなにやってるのーっ?」
しんみりした空気を打ち破ったのは母さんだった。その後に父さんも続いてくる。
「とっくに準備できてるぞ? 早く来いよな」
「あっ、準備の途中だったのにごめんね。里桜、隼君、今日は二人の入学祝いだから腕によりをかけてお料理作ったの。皆で食べましょうね?」
そういえばおばさんが昼飯作って待ってるとかなんとか、さっき里桜が言ってたか。
「はーいっ。ほら、隼くんも行こっ?」
「え、ちょっ……!」
ごく自然に里桜が俺の手を取る。そのままリビングダイニングへ連れていかれた。
そこで俺が見たものはダイニングテーブルとローテーブルに所狭しと並べられた料理の数々。
俺と里桜の着替えを待って食事会が開かれることになったのだが……俺達の入学祝いと言うわりに、一番盛り上がっているのは両親達のようだ。
どちらの家も車で来ているので当然お酒は飲んでいないのだが、飲んでいると言われてもおかしくない騒ぎよう。なんでも卒業して以来初めて母校に足を踏み入れたらしく、思い出話に花が咲きまくっている。四人全員が揃うのも久しぶりのことのようで、さながらプチ同窓会といったところか。
そんなわけでリビングは現在大人達に占領されている。
俺と里桜はそれをダイニングから眺めつつゆっくりと食事をとっていた。里桜が言うだけあって、おばさんの作った料理はどれも美味しい。
でもなんか──里桜が作ったものの方が……?
「ねぇ、隼くん?」
「ん? なんだ?」
「私達もさ、いつかあんなふうに思い出話ができるようになるといいよね?」
「そう、だな」
両親達が騒いでいる姿は里桜がそう言いたくなるのも頷けるものだった。卒業してから20年以上経つのに、あんなに仲が良くて、楽しそうに笑っていて。
つい憧れてしまった。たぶんこれは里桜が両親に憧れたのと同じような気持ちなんじゃないかな。
「なら私、もっともっと頑張っていくね」
「頑張るって、なにをだよ?」
「それは──ふふっ、いろいろと、だよ?」
里桜はいつの間にかまた俺の手に触れていた。そしてこれが、里桜が攻撃の手を緩めないという宣言だったと知るのはもう少しだけ先のことになるのだった。
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