第11話 入学式 遠くなった幼馴染
昔の里桜は恥ずかしがり屋な人見知りで引っ込み思案、でも気心の知れた相手と一緒だと明るく活発、そんな女の子だった。
あれは小学校に入学して間もない頃、里桜がクラスの中でも特に社交的なタイプの女子に話しかけられた時だった。
「ねぇ、りーおちゃん!」
「ひゃわぁっ……!」
里桜は飛び上がって驚いた。そしてバタバタと俺の後に隠れてしまったんだ。
俺と里桜は物心つく前から一緒にいて、保育園も同じ。俺には気を許してくれていたので、恰好の逃げ場所だったというわけだ。
「……りおー? どうしたの?」
「あぅ……しゅんくん、たすけてっ……」
俺の服にぎゅっとしがみついて、プルプル震えていたっけ。そんなに怯えることないのにな。取って食われるわけでもないんだからさ。
「あれれ? りおちゃーん?」
「あわわっ……」
その女子はめげずに里桜に話しかける。俺の後を覗き込むようにすると、里桜はさらにそれから逃れようとする。
しばらくの間二人は俺を中心にぐるぐると回っていた。向こうは里桜と友達になりたかっただけのようだが、結局途中で諦めてどこかへ行ってしまった。
「ほっ……」
「ほっ……じゃないよ、りお。おはなししてあげたらよかったのに」
「だってぇ……なんかはずかしんだもん……」
里桜は真っ赤な顔をして消え入りそうな声で言ったのだった。
これ以降少しずつ改善されてはいったものの、こんな出来事があったくらい里桜は極度の人見知りで、おまけに引っ込み思案で誰かに自分から声をかけるということをほとんどしなかった。
***
「それじゃ、いってきまーす」
「ふぁ……。いってら──って、もういないし……」
ようやく目を開けると、黒い髪が靡いて部屋から出ていくところだった。
「あぁ、そっか。今日は入学式か……」
起き上がった俺はハンガーに吊るされた真新しい制服を見つめ、大きく伸びをした。
…………。
あれ?
寝ぼけていた頭が少しずつ覚醒してくると、なにかがおかしいと疑問が浮かび上がってくる。
俺、今里桜にいってらっしゃいって、言ったよな……?
里桜の『いってきます』には『いってらっしゃい』、これまでこのやり取りを何度もしたことで条件反射的に返していたわけだが。
なんで……?
食事は一緒に、が基本の里桜が俺を起こしてすぐに出ていった。しかも俺の『いってらっしゃい』を聞き終わる前に。その理由がいまいちわからない。
時計を見ると7時半。なぜかいつも起こされる時間よりは遅いが集合までにはまだまだ余裕がある。確か9時までに教室に到着していれば良かったはずだ。ここから学校までは歩いて15分から20分といったところで、家を出るにはいくらなんでも早すぎると思う。
そういえば今日は早く着いてないといけないとか、そんなことも言っていたような気がする。そんな話は初耳だったし当然理由も聞かされていないわけで。
「まぁいっか。とりあえず飯食お……」
考えてもわからないものはわからないのだ。それよりもこのままベッドの上に居続けて二度寝してしまう方がやばい。悠人とそんな話もしたことだし、入学式から遅刻かますなんていい笑いものだからな。それに入学式には参加するらしい両親に後でどやされるのもごめん被りたい。
俺は顔を洗って寝癖を直してから里桜が用意しておいてくれた朝食をとる。食パンだけは自分でトーストした。
「相変わらず美味いんだよなぁ」
冷めても尚ふんわりとして優しい甘さのスクランブルエッグ、里桜のお手製だというドレッシングをかけたサラダが今朝のメニュー、そのどちらも絶品だ。
もはや母の味を忘れる勢いで里桜に胃袋を掴まれまくっている。
スクランブルエッグはさておき、そもそも俺にはドレッシングを手作りするという発想がない。我が家はいつも市販のものだった。そもそも母さんの料理自体が大雑把だからな……。
まったく、いったい俺の幼馴染さんはどうなっているのやら。というか幼馴染ってここまでしてくれるものなんだったっけ?
また幼馴染というものがよくわからなくなってしまった。里桜と再会してからこっち、ずっと同じことを考えているような気もする。
昨日だって幼馴染の特権だとか言ってネクタイ直そうとしてきたりさ。むしろあんなの新婚夫婦の真似事みたいじゃないか。
って、そういや……昨日といえばあの約束は大丈夫だよな?
いや、記憶力のいい里桜のことだからたぶん大丈夫なはずだけど。でもなぁ、里桜はたまに抜けてるからなぁ……。
それに──
昨夜の里桜の姿が浮かんでくる。顔を真っ赤にしてぶっ壊れてたよな。
あのまま放置しちまったけど、その後はどうなったんだ?
そもそもあんな状態でちゃんと話聞いてたんかな……?
そんなことを考えながら食べた朝食は絶品だったはずなのに、なぜかいつもより少しだけ味気ないように感じた。
そして不安を抱えたまま家を出てきたのだが、俺の心配は見事に的中することになる。声こそかけられなかったものの、遠目からとはいえ手を振られてしまったのだから。
***
俺達のクラスを受け持つ担任教師の登場で里桜は手を振るのをやめてくれて、ひとまずは難を逃れることができた。
里桜が誰に向かって手を振っているのかとまた男子達がざわめき始めたところだったので本当にギリギリだったと思う。先生のタイミングの良さには感謝しなければならないところだろう。
いきなり男子の大半を敵に回すとか、勘弁してほしいからな……。
そしてその後の入学式、そこで俺は里桜があんなに早く出ていった理由を知ることになる。
粛々とした雰囲気の中で式は進み、現生徒会長から新入生歓迎の言葉をもらった後のことだった。
『続いて、新入生代表の宣誓。高原里桜さん、お願いします』
……はぁっ?!
司会進行を務めていた教頭の思わぬ言葉に耳を疑った。
「はいっ!」
短くはっきりと返事をした里桜が席を立ち壇上へ登っていく。黒髪を揺らしながら姿勢を正して颯爽と歩く里桜は、それがたとえ後ろ姿だとしても可憐に見える。誰もがその様子を息を呑んで見守っていた。
俺以外は。
……まじかよ?!
里桜が新入生代表……?
あんなに引っ込み思案だった里桜が?!
あっ……まさか早く出たのはこのリハーサルのためだったのか!
俺の視線は他の人と同じく里桜に釘付けだが、驚きすぎて動揺しまくっていた。
やがて里桜はポケットから原稿を取り出して読み上げ始めたが、全く内容が頭に入ってこない。ただマイクで増幅された里桜の澄んだ声が耳を素通りしていく。
どうにか正気に戻り、かろうじて聞き取れたのは、
「────新入生代表、高原里桜」
最後のこの部分だけだった。
役目を終えて席へと戻る理桜と目が合う。その目はまるで『どう? 見ててくれた?』と言っているようで、俺は心の中で返事をする。
あぁ見てたさ。
全然聞けちゃいなかったけどな……。
いや、声は聞こえてたけどさ。
でもすげぇよ、あんな堂々として。
人前に出るのが苦手だったはずなのに、あんなに……。
六年もあれば変わるものもある。おそらく里桜は苦手なものを乗り越えたのだろう。料理だって当時はできなかっただろうしな。
なのに俺は……あの頃から止まったままだ。
何一つだって成長してやいないじゃないか。
身体ばっかりでかくなったって中身が伴わなきゃ意味がないのに。
俺はひどく理桜との距離を感じてしまっていた。今は近くにいるはずなのに、こんなにも遠くて……。
*
「高原さん、すっごーい!」
「ねぇねぇ、どこの中学だったの?」
「新入生代表ってことは首席入学ってことじゃん?!」
「そんなことよりすっごく髪キレイだよねっ。シャンプーってなに使ってるの?」
里桜の周りには人だかりができていた。
式が終わって教室に戻ってすぐのことだ。さっきは先生の登場で気になりつつも声をかけられなかったクラスメイトが里桜のもとに集結したのだ。
当の里桜本人は、
「あの、えっと……その……」
とアワアワしている様子だが。
無理もねぇよな。いっぺんに話しかけられたらそうもなるだろ。まぁでもこの調子なら、母さんがいっていた里桜を一人ぼっちにしない、という俺の役目はもう必要なさそうだな。たぶんすぐに友達もできるだろうしさ。
里桜の周囲が里桜本人を置き去りにして盛り上がる中、俺はというと悠人と一緒にそれを遠巻きに眺めていた。
「ほぁ〜……。高原さん、すごい人気だねぇ」
悠人も見た目でいえば理桜と同様に整っているので群がられてもおかしくはないのだが、今は女子の大半の興味が里桜に向いているので平和そうだ。
その平和がいつまでもつのやら。ついでに俺のもな。ここまで悠人は俺としか話をしていない。俺と悠人の仲が良いのはすでに周囲にはバレているだろう。
今後のことを思うとやはり気が重い。それで悠人との友人関係をやめようとは思わないがな。しつこいやつは本当にしつこいから、あしらうのにも苦労する。
まぁなんにせよ里桜はいきなりとんでもない人気者になったもんだ。そうなるのも頷けるんだけどさ。
「そりゃなぁ。最初っからあんだけ目立てばなそうなるだろ。しかもあの見た目だし」
「それはそうなんだけど、そういうことじゃなくてさ……隼は行ってこなくていいの?」
「は? なんで、俺が……?」
例の一団の中には当然男子も幾人か混ざっている。だが俺がそこに行く意味がわからない。
「さぁ? 隼がなにも言わないんだからなんとなくで言ってるだけだよ。けど、それは隼が一番わかってるんじゃないの?」
「いや、悠斗。お前、なに言って……」
朝の一件で悠人はなにか察するものがあったのか、心配そうに俺を見る。
「ま、隼がいいならいいけどね」
「なら、ほっとけよ……」
もう一度里桜に目を向けると、なぜか心がクサクサする。
さらにそれを見透かされているようで、八つ当たりみたいに悠人にトゲのある返事をする自分にも嫌気が差す。悠人は興味本位なんかじゃなくて、ただ俺のことを本気で考えて言ってくれているのがわかるから余計に。
悠人は諦めたように深くため息を吐いた。
「はぁ…………わかった、ほっとくよ。でもさ、隼?」
「……なんだよ」
「後悔だけはしないようにね?」
「……」
今度は返事ができなかった。
悠人は俺が一番わかってると言った。でも、わかんないことだらけなんだ。
里桜が苦手を克服した姿を見て、どうして素直に喜んであげられないのか。人気者になってしまった里桜を見て、どうしてこんなに心が乱れるのか。
それから悠人はただ気遣うように俺を見つめるだけで、なにも言わなかった。
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