第10話 入学式前夜 女子高生な幼馴染
課題も無事に終わり、あとは入学式当日を待つのみとなった。というか、入学式はすでに明日に迫っている。
現在は夕飯と風呂の後、自室で一人ダラダラしているところだ。
持ち物や制服の支度は昼間のうちに済ませてあるので、あとはほどほどの時間で歯を磨いて寝るだけの状態。
普通ならここで新たな生活に向けてドキドキしたりワクワクしたりするところなのだろうが、俺にそれは当てはまらない。というのも、俺はすでに高校入学よりも大きな衝撃を伴って新たな生活をスタートさせているからだ。
もちろん緊張がないわけではないが、里桜との共同生活が始まった時と比べてしまうとないに等しい。せいぜい悠人が同じクラスなら心強いなと思う程度である。
……そういや最近悠人に連絡してないな。
悠人も俺と同じ高校に入学が決まっていたので、中学の卒業式の後「また高校でな!」とハイタッチを交わして別れたっきりだ。
俺と悠人は仲の良い友人関係ではあるものの、悠人が割とさっぱりした性格なのもあってか、そこまで密に連絡を取り合ったりはしない。長期の休みでさえたまに会う約束をするくらいなものだった。
そんな悠人だが、実は俺の妹である蛍のことが好きだったりする。中学三年生の間、俺の受験勉強に付き合うために何度も家に来ていた悠人。蛍ともちょくちょく会って話すこともあったので、まぁそういうこともあるのだろう。
はっきりと聞いたわけじゃないが、あの態度を見ていればわかる。それまでどんな女子に言い寄られても爽やかスマイルでお断りをしていた悠人が蛍の前ではしどろもどろになっていたのは面白かったな。
あのじゃじゃ馬妹のどこがいいのかはさておいて、蛍は蛍で満更でもない様子。悠人が家に来る日が知りたいと言うので教えてやると、その日は必ず家にいるようになったりな。
つまりこの二人は両思いということになるはずだ。
そんな蛍も両親と共に遠方へと引っ越していった。引っ越し完了の報告と新たな家の外観の写真が送られてきたのが数日前のこと。蛍の転校手続きも済んでいるそうだ。
ツキンと胸が痛む。
特別な人との別れというのは辛いもの、大事な人であればあるほど余計に。それは俺自身が痛いくらいに知っている。
「まぁでも言えねぇよなぁ……」
可哀想だとは思う。思うが俺がどうにかできるわけでもないし、悠人と蛍のことについては俺は気付かぬフリ知らぬフリで通してきた。
いずれ悠人がその事実を知った時になんで言わなかったのかと怒られるかもしれないが、ひとまず俺は問題を先送りにすることに。それでもなんとなくスマホを手に取りメッセージを打ち込んでいた。
『(隼)おーい悠人、生きてるかー?』
すぐに既読が付いて、返信がくる。
『(悠人)死んでたら今頃隼のところにも葬儀の連絡が届いているだろうね。久しぶり、隼』
久しぶりに連絡を取る時は毎回こんな感じだ。軽いじゃれ合い、生存確認から始まることが多い。
『(隼)おう、久しぶり。なんとなく明日からだなって思って連絡してみた』
『(悠人)そうだね。いよいよ俺達も高校生なんだよね』
『(隼)つってもまだあんま実感わかねぇけどなぁ』
『(悠人)それは同じく』
『(隼)ま、とりあえず明日は寝坊だけはしないようにしようぜ』
『(悠人)それは隼の方が心配なんじゃないかな?』
『(隼)うっせ!』
どうせ俺は里桜に起こされるだろうから大丈夫なんだよ、とは言えない。
『(悠人)あはは。ひとまずそこはお互い気を付けようってことでさ、明日は同じクラスじゃなくても終わったら少し話そうよ』
『(隼)んだな。じゃあそん時また連絡するわ』
『(悠人)おっけー。待ってる』
ほぼ中身のない短いやり取りだが、それが心地良くもある。久しぶりに里桜以外の人間と文字だけとはいえ会話をしたからなのかもしれない。
俺は悠人とのこの距離感が結構気に入っているのだ。浅すぎず深すぎず、そんな距離感に安心するのはきっと──
あぁ、ダメだな。この考えはよそう。せっかく気晴らしも兼ねて悠人と話したんだしな。
俺は頭を振って立ち上がる。こういう時はさっさと寝てしまうに限る。まずは歯を磨いて、と思いドアを開けると、
「……あっ、隼くんっ!」
俺の部屋の真ん前に女子高生がいた。まさに今、ドアをノックしようかという体勢で固まっている。
「どうした、こんな時間に。ってか……なんで制服……?」
そこに立っていたのはなぜか高校の制服に身を包んだ里桜だった。ブラウスにジャケット、チェック柄のプリーツスカート、リボンタイまでしっかりつけて足元は紺色のソックス。どこに出しても恥ずかしくない女子高生ルックである。制服完全装備なんだから当然なんだけどな。
もしかして気が先走りすぎたのか?
にしても早すぎるだろ。まだ日付も変わっていないんだぞ。
「えへへ……。えっとねぇ、隼くんに制服、変じゃないか見てもらおうと思って……」
照れ笑いを浮かべる目の前の女子高生を一言で表すのなら、可愛い、しか出てこないのだが、
「別に変じゃないけど……?」
俺の口から放たれたのはそんな言葉だった。
「似合ってる?」
「……似合ってる」
「よかったぁ……」
里桜は軽い足取りで俺から少し離れてくるりと一回転、ふわりとスカートを膨らませた。そして手を後に回して腰を折りじっと俺を見つめる。
……あざとっ!!
でも、可愛いんだよなぁ……。
「ねぇ、隼くんも着て見せてよ?」
「なんでだよ? どうせ明日になったら見るだろ」
「だって! 隼くんの制服姿、一番最初に見たいんだもんっ!」
「あー……そいつは無理な相談だな」
「えーっ! なんでー?!」
「そりゃ買いに行った時に母さんが見てるからな。里桜はどう足掻いても二番目だ」
仕上がったのを着せられて隅々まで確認されているしな。店員も含めると……面倒くさいからそこは無視するか。
「お、おばさんはノーカンだもんっ……! いいから見せてよぉ! 隼くんの制服姿見ーたーいーっ!」
「駄々っ子かよ、まったく……わかったよ」
「本当?! 見せてくれるの?!」
「里桜がグズるから、しょうがなしにだけどな」
「見せてくれるならなんでもいいよっ! ねぇっ、早く早くぅっ!」
「焦るなっての。ちょっと待ってろ」
里桜を残して部屋に戻る。
おかしいな、これから寝ようと思ってたはずなんだけどなぁ。まぁさっさと済ますか。
パパっと服を脱いで、ハンガーに吊るしておいた制服を身に着ける。新品なのでまだ馴染んでおらず、若干ゴワゴワする。
慣れないネクタイに少し手間取りはしたが最後にジャケットを羽織ったら完成だ。どこに出しても恥ずかしい男子高生になってなきゃいいけどな。
再びドアを開けると、里桜がワクワクした顔で待っていた。
「ふあぁっ……夢にまで見た隼くんの制服姿だよぉ!」
「なにを夢に見てんだよ……」
そんなもんよりもっといい夢見ろよな。
でも確かにお互い制服姿を見るのは初めてなんだっけ。小学校は私服だったし、中学は別々だったのだから。そう思うと里桜の制服姿も新鮮で特別なものに見えてくる。
「うふふっ、隼くんっ。とっても似合ってて素敵だけど、ネクタイが曲がってるよー?」
スルリと近付いてきた里桜が俺の首元に手を伸ばす。
「ちょっ……別にいいんだよ! どうせ里桜しか見てないしすぐ脱ぐんだから!」
「いいじゃん。こういうのちょっとやってみたかったんだもーんっ! これも幼馴染の特権ですっ!」
「どんな特権だよっ! ……まぁいいけどさ」
俺のネクタイを閉め直す里桜は嬉しそうだ。そして嬉しそうな里桜はやはりとても可愛くて。
そこで俺は一つ里桜に言っておかなければならないことを思い出した。
「なぁ里桜。ちょっと話があるんだけど」
「んー? なぁに?」
俺のネクタイに手をかけた里桜だが、慣れていないのか苦戦している。あーでもないこーでもないといじり回しながら返事をする。
「あのさ、学校では俺と幼馴染ってことと一緒に暮らしてることは伏せといてほしいんだ」
そう口にした瞬間、里桜の手がピタリと止まる。表情も同時に固まってしまった。
「……里桜?」
「……なんでーっ?! 隼くんは私と幼馴染なのがイヤなのっ?! 一緒に暮らしてるのは……言わない方がいいってなんとなくわかるけど、幼馴染は別にいいでしょっ?! おばさんにも言われたのにー!!」
「ちょっ、ちょっと落ち着けっ! というか首に手をかけるなっ、絞めるなっ、揺さぶるなーっ!」
里桜は動き出したと同時に俺の首を掴んで前後にガクガクと揺すってきた。苦しいし、クラクラする。
「隼くんがっ、あんなことっ、言うからーっ!」
「ちがっ……! イヤじゃない、イヤじゃないからっ! 頼むからっ、理由を聞いてくれーーっ!」
もちろん、里桜が一人ぼっちにならないようにという母さんの言葉を忘れたわけではないんだ。
「うぅーっ! わかったよぉ。でも納得できなかったら聞かないからねっ?」
「納得してもらえるように話すさ……」
ひとまず話は聞いてもらえるようになったので、制服のまま二人でソファに腰を下ろす。
「で、なんでなの?」
まだ機嫌の直らない里桜はぷんすこ顔だ。口調もトゲトゲしい。
「そうだな。それを説明するにはまずは悠人のことから話すべきか」
「ゆうと、って誰?」
「俺の中学からの友達。時雨悠人っていうんだけど、こいつがまたかなりのイケメンでさ」
「ふぅん? 隼くんにそんなお友達がいるんだぁ……。それで、そのイケメンなお友達がなんなの?」
今度はなんだかつまらなさそうに言う。
「えっとな、こいつがとんでもなくモテるんだよ。で、そうなると近くにいる俺の方に女子が寄ってくるんだ。悠人と仲良くなりたい女子がな……」
「えっ、なんで……? 普通直接本人にいくものなんじゃないの? それ、なにがしたいの?」
「そりゃ悠人の情報を聞き出すためだろ。あとは俺を足がかりにするためってのもあるかもな。自然と悠人に近付くためにさ」
「なにそれ……そんなの隼くんにも時雨くん? って人にも失礼なんじゃない?」
「そう思うよなぁ。でも実際には結構あるんだよなぁ」
まずは悠人と仲の良い俺に近付いて、そこから本丸へと攻め込む。姑息だがありがちなやり口だ。気持ちはわからなくはないが、悠人にその気がないのだから俺としては面倒くさいだけである。
もちろん悠人本人にいくパターンもあるが、割合で言えば半々といったところか。それでも何度「時雨くんって、今彼女いるのかなぁ?」と聞かれたかわからない。10回より先は数えるのをやめたからな。
そしてそれは高校に入ってからも続くと容易に想像できる。これに里桜の分まで加わると思うとそれだけでげんなりしてしまう。つまり今回の話はその予防ってわけだ。
あとはまぁ里桜は人気出そうだし、家と同じ調子でこられて他の男子に睨まれるのも厄介だからな。
これで里桜も理解してくれ──
「ひとまずそれはそういうことにしとくとして……私のこととどう関係があるの?」
──なかった。
「え……ここまで言ってわかんないのか?」
「んー?」
キョトンとする里桜に俺はため息をつきたくなる。
もしかして、里桜って可愛い自覚がないのか?
昔から結構言われてたはずなんだが……。
「ねぇー? どういうことなのー?」
里桜がピトッとくっついてきて、耳元で「ねぇねぇ」と連呼する。
なんなんだよ、この可愛い生き物は?!
あぁ……俺の幼馴染だったわ。
「いや、だって里桜は……」
「私は?」
「その……」
「うん?」
これは……埒が明かないな。
言うしかない、のか……。
「だってさ、里桜は……すごく、可愛いだろ……。だから──」
絞り出すように言うと、また里桜が固まった。
「かっ────」
「
「かわっ……?! かわわっ……!! かわーーーっ!!」
あっ、里桜が壊れた……。
えーっと、どうすりゃいいんだこれ……?
里桜の顔はぼふんと音がしそうなくらい急激に赤くなっていた。
「えーっと、そういうわけだからさ、ひとまずは他人ってことにしといてくれな! よろしくっ!」
「あわわわっ……!」
「おーい、里桜……? 本当に、頼むぞ……?」
──コクコクコクっ
真っ赤な顔のままで激しめに頷いた里桜を残して、俺はひとまず自室に避難した。制服を元通りハンガーにかけて寝間着に着替え、ベッドにうつ伏せる。
なんなんだよ、里桜のあの反応は……。
◆side里桜◆
あわわわーーっ!!
隼くんがっ、隼くんがぁっ……!
私のこと可愛いって、可愛いって言ってくれたよぉーーっ!!
聞き間違いじゃ、ないよね?!
再会してからは、初めて、だよね?!
がっつり気合いを入れた服装を見せても、制服姿を見せても「似合ってる」までしか言ってくれなかったあの隼くんがっ!
うーっ! 嬉しいよぉっ!!
これってもしやちょっぴり前進なのでは?!
そう思っちゃっても、いいんだよね?!
なら……この調子でもっともっと頑張ろっかなっ!
でも、その前にっ。
「えへ、えへへ……」
私は隼くんから言われた「里桜は……すごく、可愛いだろ……」という言葉を頭の中で無限リピートしてしばらくニヤけていたのだった。
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