第8話 幼馴染とのお買い物

 里桜は幼い頃から近所でも評判の可愛い女の子だった。


 あれは確か俺達が小学2年生の時だったか。男女というものを少しずつ意識し始める、そんな時分だったと思う。


「ねぇ、隼くん? 隼くんはわたしにどんなおようふくがにあうと思う?」


 前後の会話までは覚えていないが、里桜は真っ直ぐに俺の目を見つめながら聞いてきた。まだ里桜に対して照れるとか恥ずかしいとか、そういう感情がほぼなかった当時の俺は特に何も考えずさらっと答えたはずだ。


「うーん。里桜にはかわいいかんじのふくがにあうと思うよ」


「そっか、わかった。隼くん、ありがとぉ!」


 この会話はこれだけで終わりだったけれど、それからしばらくすると里桜は服を新調するたびに可愛いかどうかを俺に尋ねるようになり、俺が可愛いと言った服を着ることが多くなった。


 そしてそれはだいたい、淡い色合いで女の子らしい服だった。



 ***



「今日はね、これからお買い物に行こうと思いますっ!」


 俺の前に仁王立ちした里桜が声高らかに宣言した。


 俺がシャワーを浴びて、里桜が洗濯機を回して、里桜が朝食の準備をして二人で食べて、里桜が洗濯物を干し終わってからしばらくのんびりした後のことだ。


 こうして見ると朝の里桜の仕事って多すぎるんじゃないか?


 その間に俺のした家事といえば……皿洗いだけ。


 バランス、悪くね?

 

 一応二人で決めたことではあるんだけどさ。その上里桜は今から買い物に行くと言う。


「えっと、いってらっしゃい?」


「また疑問形っ?!」


「あぁ……ごめん。いってらっしゃい」


 そうだ、昨日もこれで怒られたところなんだった。まったく、俺の学習能力の低さよ。


「うんっ、いってきま──って、ちっがーうっ! そうじゃないのーっ!」


 華麗にノリツッコミを決めた里桜は頬を膨らませてぷんすこしている。ちゃんといってらっしゃいしたのになにが不満なんだろうな。


「あのねっ、隼くんっ!」


「は、はい……」


 なんで里桜は朝からこんなに元気なんだ……。


 そのあまりの圧に俺は小さくなって返事をした。


「私一人でお買い物に行くなら、行ってくるねって言うよ? わざわざ隼くんに行こうと思います! なんて言わないよっ!」


「お、おぉ……そうか」


「そうか、じゃないよっ! 隼くんについてきてもらいたくて言ってるってなんでわかんないかなー?」


「あぁっ、そういうこと?」


 いや、わかんねぇよ。それならそうと最初から言ってくれればこんな回りくどいことしなくて済んだのにさ。


 ──ジロリ


 口まで出かかった言葉は里桜の一睨みで引っ込んでしまった。美人ってなんでこういう時こんなに迫力があるんだろうな。


「というわけで隼くんにはお買い物の同行をお願いしますっ!」


「まぁそれはいいけどさ、昨日も買い物行ったばっかりじゃん?」


「そりゃ行ったよ? なーんにも食べるものなかったしね。でも昨日は一人だったから最低限しか買えなかったんだもん。これからキッチンを預かる身としては、ちゃんと調味料とか一通りは揃えておきたいじゃない」


「あー、なるほどな。それで俺の出番ってわけか」


 ようやく合点がいった。事情を知れば同行が必要なのもわかる。液体のものが多い調味料類は重いもんな。里桜の料理の腕前は昨日の夕飯で嫌と言うほど思い知らされたし、美味い飯のために必要と思えばなにも苦ではない。


 って……そういや俺、一瞬で胃袋掴まれてるじゃんな。


「わかればよろしいっ。で、ついてきてくれるってことでいいんだよね?」


「そういうルールだったしな。荷物持ちは任せとけ」


「……」


 希望に沿うはずの返事をしたというのに、里桜のぷんすこ顔が元に戻らない。逆に悲しそうな雰囲気まで加わってしまった。


「あの……里桜?」


「……隼くんは、私と出かけるの、イヤなの? ルールがないと、一緒に行ってくれないの……?」


 今にも泣き出しそうに瞳をうるうるさせる里桜に、俺は慌てて言葉を探す。そして、どうにか導き出した。


「そんなことは、ないぞ? ルールなしでも、うん、全然付き合うし……」


「本当っ?!」


 涙がこぼれる寸前に見えていたのが一転して満面の笑みに変わる。今にも踊りだしそうだ。


 なんか調子いいなぁとは思う。思うけど、またぷんすこさせたりしょんぼりさせてしまう気がしてとてもじゃないが言えない。


「……本当だって。ほら、行くんだろ? 準備しようぜ」


「わかった! ちょっと着替えてくるから待っててねっ!」


「えっ? あ、うん……」


 俺の返事を聞き終える前に、里桜は自分の部屋へと駆け込んでいった。


 あれ? 準備ってそこからなのか?

 財布とか買い物袋を用意するだけだと思ってたのに。

 別に外に出てもおかしくない服装をしてた気がするんだけどなぁ……。


 さっきまでの里桜の格好はというと下がスキニーデニム、上がTシャツにゆったりとしたパーカーを羽織ったカジュアルなものだった。昨日も似たような雰囲気だったので、俺は勝手に最近の里桜はそういうのが好みだと思っていたわけで──


 約十分後、部屋から出てきた里桜を見て俺は言葉を失うことになる。


「お待たせっ、隼くんっ!」


 いや、どっかのお嬢様かよ?!


 そう思ってしまうほど、里桜の姿は完璧に仕上げられていた。

 

 ずっと下ろしていた髪は上品なハーフアップにされ、服は白を基調としたロングワンピースとパステルピンクのカーディガンで可愛らしく、かつ清楚にまとめられている。斜め掛けにされたポーチがいいアクセントだ。


 里桜はトコトコと俺の正面まで来るとコトリと小首を傾げた。


「それじゃ、行こっか?」


「その格好で、か?」


 ……今から行くのってスーパー、なんだよな?

 調味料揃えるって話だったもんな。


 なのになんでこれからデートにでも行きます、みたいな格好してんだよ……。


「変かな?」


「いや、似合ってる、けどさ……」


 見た目だけで言えば、まさに俺の好みのど真ん中を撃ち抜くような服装をしているんだから。


 まぁ中身だって別に……。

 いや、そこはいい。


 とにかくさすがに手放しで褒めるのは恥ずかしい。ただ、これだけでも里桜は嬉しそうに笑う。


「え、えへへ。そっかぁ……。なら、行こっ……?」


「えっ、ちょっ……」


 なぜか頬をわずかに朱に染めた里桜に腕を掴まれて玄関まで連行される。


 まさか、ずっとこの状態で行くつもりじゃないよな?

 

 そう思ったのも束の間、玄関を出るとすぐ里桜は俺の腕を解放してくれてホッとする。


 そのまま外に出た俺達は並んでスーパーまでの道を歩いていく。俺はまだその場所を知らないので昨日一度行っている里桜についていく形だ。


 その俺達の間には微妙な距離感がある。人一人分くらいのスペースが空いていた。里桜はポーチから取り出した買い物メモらしきものを見ながらなにやらブツブツ呟いていて会話もほとんどない。


 あんまりベタベタされるのも困るんだけどさ、家にいる時とのこの違いはなんなんだ……?


 昨日は握手した時にやたらと手をにぎにぎされたし、朝は頭を抱きしめられたし、かと思ったら距離あるしで里桜がなにを考えているのかいまいちよくわからない。そうじゃなくてもわかんないことだらけだってのにさ。


 沈黙に耐えかねてなにか話しかけるべきかどうかを悩んでいると、前方からこちらに自転車が向かってくるのが見えた。さほど広くもない歩道、俺と里桜が横並びで、しかも間隔を空けて歩いているのでそのままでは自転車は通れそうにない。


 おまけに里桜の視線はメモに注がれたままで自転車に気付いている様子はない。


「里桜、前から自転車──」


「えっ?」


 俺の呼びかけで顔を上げてくれたものの、思っていたよりも自転車の速度が速く、里桜の反応が間に合いそうにない。


 俺は咄嗟に里桜の肩を掴んで引き寄せた。


 ギリギリで空いたスペースを通過して行った自転車、すれ違いざまに舌打ちをもらった気がする。前方をよく見ていなかった俺達が悪いんだけどさ、あまり良い気分ではないよな。


「……里桜、大丈夫だったか?」


「──ぴぃっ……!」


 突然小鳥みたいに変な鳴き声を上げて固まった里桜はなんだかぽーっとした顔で俺を見つめていた。そんな里桜と目が合うとなんだかドキっと胸が高鳴る。


 ……かっっっっわ!


 言えんけどっ! 

 言えんけどさぁ、その顔はずるいだろ……!


「あ、あの……隼くん……?」


「な、なんだ……?」


「あの、そのね……そろそろ離してもらえると……」


 里桜に言われるまでずっと肩を掴んだままなことに気が付かなかった。


「ごめっ……!」


 慌てて手を離す。


 いったい俺はなにをやってんだ。こんな抱きしめるみたいにしてさ。そりゃ舌打ちもされるってもんだろ。それに里桜だってこんな──


「あっ……違うんだよっ? 隼くんがイヤってわけじゃなくって……。でもね、こんなところをもし人に見られたらって……あぅ……恥ずかしいよぉ……」


 きゅっと小さくなって呟く里桜にまた悶えさせられて、


「ご、ごめん……」


 再び謝るしかできない俺なのだった。


 結局、里桜は帰宅するまで真っ赤な顔で俯いていて、買ってきたものを片付けるやいなや自分の部屋に閉じこもり、しばらく出てくることはなかった。



 ◆side里桜◆


 お買い物から帰ったあと、私は部屋に逃げ込んでベッドにダイブした。


 一緒にお出かけするのすっごく久しぶりで楽しみだったのにっ。

 せっかく昔隼くんが可愛いって言ってくれた感じの服を着て気合入れたのにっ。


 外に出たら、

 これってもしかしてデートなのではっ?! 

 なんて思って緊張しちゃって。


 昔はなんにも気にせずに手を繋いで歩いてたのに、私ったらどうしちゃったんだろうね……。


 それで……お買い物メモを見ているフリでどうにか乗り切るつもりがまさかあんなことに。


 あんな……あんなーーっ!!


 あーーーーんっ!

 隼くんにっ、隼くんに肩ぐいーって! ぐいーってされちゃったよぉーっ!!


 あれってさ、私のことを守ってくれたんだよね……? ねっ?! ねっ?!


 あぅぅ……あの時の隼くん、すっごく格好良かったよぉ……!


 それから私はしばらくの間ジタバタと悶え続けることに。おかげでお昼ご飯の準備はかなり遅れることとなった。


 そしてその時になって気付く。


 あっ……料理酒、買い忘れちゃった……。

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