第7話 夢と幼馴染の抱擁
──これは夢だ。
なんとなくだけど、はっきりとそう思った。
ぼんやりとした淡い光があたりを照らしている。俺はベンチに腰掛け、なぜか二人の子供を見守っていた。
たぶん保育園児くらいの年頃で、一人は女の子、もう一人は男の子。そのどちらの顔にも霞がかかったようになっており、誰なのかまでは判別できない。
その二人は公園の砂場のような場所で遊んでいて、俺の耳に会話が届く。
「ねぇ、──くん。しってるー?」
「んー? なにをー?」
「あのね、パパとママはね、けっこんっていうのをして、ふーふっていうのになったんだってー」
親の言葉をそのまま話す女の子はどこか得意気だ。幼くたどたどしい口調のくせに、話している内容は一端に女の子している。おしゃまな子ってイメージがしっくりくる。
「けっこん? ふーふ? なにそれ?」
男の子の方は歳相応、よくわかっていないらしい。
「あたしもよくわかんないっ。でもね、ずっといっしょにいたいひととなるみたいだよー?」
「ふーん? じゃあ、ぼくと──ちゃんもふーふ?」
おそらく名前を呼んでいるのだろうが、その部分だけはノイズが走ったようになってうまく聞き取れない。こんなに近くにいるのにおかしなこともあるもんだ。
まぁ夢だしな。なんでもありだろ。
ひとまずそう思うことにする。
「ううん。ちがうんだって。おとなにならないとなれないみたいなの」
「なぁんだ。つまんないのっ」
「でもね、あたしは──くんとずっといっしょにいたいよ? だからね、おとなになったらけっこんしよーっ?」
「いーよっ、──ちゃんとなら」
「やったぁ! じゃあ、やくそくだよ?」
「うん、やくそくだ!」
俺はいったいなにを見させられているんだ?
こんなちびっ子のくせにイチャつきやがって。
そんな悪態をつきながらも、どこか懐かしくて幸せな気持ちになっている自分に気付く。心の中で、今のその気持ちを忘れんじゃねぇぞ、なんて思ったりもして。なんでも迷わずに言葉にできる無邪気さにも少しだけ憧れる。
それからしばらくして砂遊びにも飽きたのか、その二人は仲良く手を繋いでどこかへ走り去って行った。
俺はその子供たちのことが気になって後を追いかけてみたが、あっという間に見失ってしまう。あちこち探してみてもなかなか見つからなくて。
ただ俺の横を様々な色の光の塊がいくつもいくつも、それこそ数え切れないほどに通り過ぎていく。その光の色はどれも柔らかく明るいものばかりで、時折かすかに笑い声だけが聞こえてきた。
そうしてあてもなく彷徨い続けているとポツリと雫が頬に当たった。
「……雨、か?」
知らぬ間に周りはどんよりと薄暗くなっていて、降り出した雨は俺の身体を濡らしていく。雨はいつしか雷雨に変わり、そして俺は初めにいた公園の入口に戻ってきていた。彷徨っているうちに周りをぐるりと一周してしまったらしい。
「なんで──っ!」
「そんなのわたしの────────っ!!」
「もう────て──────────よっ!」
また声が聞こえてくる。さっきまで俺が座っていたはずのベンチの方から。そっと様子をうかがうと、そこには二つの人影が。すぐになにかがおかしいと気付いた。聞こえてきた声は怒鳴り声だったんだ。
「…………──くんのバカっ! 大キライっ! もう知らないっ!」
さっきの二人、最後に叫んでいたのは女の子の方だ。どちらもいきなり見た目が小学生くらいにまで成長しているが、不思議と俺は同じ子達だと確信していた。
お、おい……喧嘩か……?
あんだけ仲良さそうだったじゃんか。なにがあったってんだよ。早く仲直りしろよな。
そう思うが男の子は俯いたままもう何も言わない。そんな男の子に愛想を尽かしたのか女の子は一人で走り去っていく。俺の横を通り過ぎた時、女の子が泣いているのがわかった。
その顔はとても悲痛に歪められていたんだ。
俺が泣かせたわけでもないのに、その涙にズキンと胸が痛む。その痛みは指先に深く木のトゲが刺さった時のようにいつまで経っても引いてくれない。
俺は男の子に歩み寄り声をかけようとするが、口は動くのに言葉が出てこなかった。
なにしてんだよ。早く追いかけろって。
ずっと一緒だって約束してただろうが。
そう言いたいのに身体が思うように動いてくれなくて、ただ男の子の側に立ち尽くすだけ。
やがて男の子も立ち上がり、とぼとぼと肩を落として歩き出す。女の子が去っていったのとは違う方向へ。俺も男の子の後について歩く。どういうわけかそうしないといけないって思ったんだ。
どれだけ歩いただろうか。気付けば周りは完全な真っ暗に、追いかけていたはずの男の子の姿はなくなっていて、肩を落として歩いていたのは俺だった。
あぁそうか……あの男の子は俺だったんだ。
聞き取れなかった名前の部分、それはきっと俺と里桜で。
つまり、女の子──里桜を泣かせたのは俺なんだ。
妙にストンと胸に落ちた。
胸に落ちたと同時に急激に足が重くなる。下を見ると、雨に濡れてぬかるんだ泥がまとわりついて固まっていた。それに構わず歩いていくと、泥はさらにまとわりついて固まり、重さを増していく。ずっしりと重くなった足を引きずって俺はひたすらに歩いていた。
どこへ向かっているのかなんてわからない。暗闇の中をただ歩き、足を重くしていく。足が重くなるにつれ、それに呼応するように胸の痛みもより大きくなっていった。抜けないトゲのせいで化膿してしまったかのように。
あぁ……これは、たぶん自責の念なんだな。
あの日、あの時から続く、俺の後悔の道のり……。
ここまで痛みに耐えて、足を引きずって歩いてきたのは時の流れってことなんだろう。
こんな痛み、もう味わいたくないのにっ……!
全部忘れてしまえば楽になれるのにっ……!
………………。
………………。
忘れられるはず、ないだろうがっ……!
初めてだったんだ、里桜のあんな顔……。
俺はただ里桜に────
──隼くん? 隼くんっ?
不意に誰かが俺を呼ぶ声がして、暗闇にわずかな光が差し込んだ。その光はとても優しくて、この痛みを和らげてくれるような気がして、ふらふらと吸い寄せられていくと────
***
「うっ……眩しっ!」
「あっ、やっと起きてくれた。隼くん、なんかすっごくうなされてたよ……?」
心配そうに俺を見つめる里桜の顔が直ぐ側にあった。
「うなされ、て……? あぁ……なんか変な夢を見ていたような気がする、な……」
そのせいだろうか、心臓がイヤな感じにドクドクと脈打ち、寝間着は汗でぐっしょりと濡れている。
「怖い、夢だったの……?」
「怖い……? いや……よく、わかんねぇけど……」
なにかしら夢を見ていたことまでは覚えているんだ。でもその内容だけがきれいさっぱり頭から抜け落ちている。とても大事な夢だったような気がするのに。絶対に、忘れちゃいけないような……。
「ねぇ……隼くん? ちょっと起き上がってくれるかな?」
「……わかった」
そう返事をして身体を起こしたところで俺の頭はふわりとなにかに包み込まれていた。里桜に抱きしめられていると理解するのにはそう時間はかからなかった。
「っ?! 里桜?!」
甘い香りと頬に当たる柔らかな感触に戸惑う。慌てて振り払おうと思っても、やんわりと里桜に止められてされるがままに。
「いいからじっとしてて。今はなにも考えなくていいから、ゆーっくりと息をして、私の心臓の音だけを聞いて。ね? ほーらっ、大丈夫だから」
──トクン、トクン、トクン
少しだけ早いような里桜の心臓の鼓動を聞いて呼吸を整えると、しだいに自分の心臓も正常なリズムを取り戻していく。
「ね、もう怖くないよ?」
子供のように頭まで撫でられて、それが心地良くて。でもだんだんと平常心が戻ってくると、今度は途端に恥ずかしさが込み上げてきた。
「里桜……もう平気だから……」
「そう? 私はもうちょっとこのままでいてもいいよ?」
「……俺がよくない」
「ざーんねんっ。じゃあこれくらいにしておいてあげるね?」
ようやく里桜が頭を解放してくれた。
なんなんだよ。
里桜のやつ、いきなりこんな……。
顔、あっちぃなぁ、もう……。
「隼くん、落ち着いたかなぁ?」
「それは、まぁ……」
効果が抜群なんてもんじゃない。もう少しされていたら、落ち着くを通り越して幼児退行してしまうところだったぞ。
「これ、私もよくしてもらってたんだぁ。怖いこととかイヤなこととかがあった時にね、お父さんかお母さんがしてくれるの。こうしてもらうと不思議となんでもへっちゃらになっちゃうんだよ。だから隼くんにも効くかなぁって思って。ねっ、すごいでしょー?」
「……とりあえず礼は言っておくよ。ありがと」
恥ずかしさを押し殺してどうにか言葉にすると、里桜は嬉しそうに微笑む。
「ふふっ、どういたしまして。それじゃ起きたならお着替え済ませちゃってね。パジャマお洗濯するから。でも汗かいてるみたいだから、その前にシャワー浴びた方がいいかもね」
ようやくここで里桜が俺の部屋にいることに疑問を抱いた。
「……いや待て。それよりもどうして里桜が俺の部屋にいるんだよ。用事がないなら入らないって昨日決めたばっかりだろ?」
ルールを決めたばかりで破ってくるとは見上げた根性だ。お互いのプライベートは守るべきだし、本当のところはむやみに俺が里桜の部屋に出入りしない方がいいだろうと思ってのルールだったのだが。
「用事ならあったもーんっ。隼くんが起きてくれないと洗濯機回せないでしょー? それに朝ごはんも食べてもらわないとだしっ」
「……そんだけ?」
「そんだけじゃないよぉ! 私にとってはすごく大事なことなのっ! わかったらさっさとベッドから出るっ!」
「しょうがねぇな……」
「隼くん? そんな顔してるとまたぎゅってしちゃうんだからね?」
「っ?! 勘弁してくれっ! シャワー浴びに行ってくるから!」
そんな顔ってどんな顔だよ、まったく!
俺はベッドから飛び降り洗面所へと退避することになったのだった。
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