第2話 再会と衝撃
里桜(だと思われる女の子)が服を着て髪まで乾かすのを待った後、俺達は場所を移すこととなった。
廊下の突き当たりのリビングダイニング、いくら狭く見積もっても十畳はあるだろう。さらにそこから別の部屋に繋がるドアが二つ。どう見ても単身者向けの部屋ではないことがわかる。とは言え、今はそれを気にしている余裕はない。
……気まずっ。
重苦しい沈黙が漂っている。それもそのはずで、俺は裸をしっかりと見てしまったし、彼女は裸で俺に抱き付いていた後だ。
事故なのだが罪悪感が半端ない。なのに、見てしまった光景が頭に焼き付いてしまっている。透き通るような白い背中、小振りながらプリンと張りのあるお尻、キュッとくびれたお腹周り、そして振り返った時に見えた大きな二つの──は、はっきりとは見えなかったけど。でも抱きつかれた時の柔らかさが……。
いや、これ以上はだめだな。ただの変態みたいになりそうだ。
頭を振って不純な考えを打ち消す。
俺達は今、ダイニングテーブルを挟んで、なぜか二脚用意されていた椅子に腰を降ろして顔を突き合わせている。
やっべぇ。どうすんだ、これ……?
やっぱり俺からなにか言うべき、なのか?
このままお互いにだんまりを決め込んでいても埒が明かないので、口を開くことにする。ひとまず目の前の女の子、その正体の確証が欲しい。
「あの、さ。もし間違ってたら悪いんだけど……、里桜、だよな……?」
「──っ!! そうっ、そうだよっ! よかったぁ……、隼くんに忘れられちゃってたら、どうしようかと、思って……。私……、ぐすっ……」
里桜で正解のようだ。里桜は大輪の華を咲かせたように笑い、笑いながら大粒の涙を流す。その感情を素直に受け止められなくて、俺はそっと里桜から視線をそらした。
「……ごめん。さすがにあの状況じゃ気付けなくて、さ。でも、俺の呼び方が昔と一緒だったから……それでわかったんだ」
見た目でわからなかったのは、里桜がこんなにも大人びて綺麗になっているなんて知らなかったから。俺の記憶の中の里桜は六年前で止まっているのだ。
「私は、すぐにわかったのにぃ……」
「ごめんって。忘れたりはしてないからってことで、そこは許してほしい。それと、その……。いろいろ見ちゃって悪かった……」
里桜だって年頃の女の子、俺みたいな男に裸を見られるのはイヤだろう。でも、里桜は顔を赤くこそしたものの首を横に振る。
「ううん、大丈夫……。恥ずかしかったけど、隼くんになら平気、だよ……?」
「っ?! それって……」
「あっ。えっと、その、ほらっ。昔はよく一緒にお風呂に入ったりしたでしょ? もう散々見られてるんだもん。だからね、全然気にしないでいいからっ」
昔と今じゃ全く違うだろとは思うが、許してくれるというのに蒸し返すこともないか。
「わかった。……でも一応ごめん」
「うん……。私も舞い上がっちゃって、ごめんなさい……」
「あ、あぁ……」
再び訪れる沈黙。
幼い頃は、いや、疎遠になる直前まではなにも考えずとも話ができていたというのに。当たり前のように同じ時間を過ごして、遊んで、笑って、時々喧嘩してもすぐ仲直りして。
あの頃は、ずっとそれが続くと思ってたんだけどなぁ。
それができなくなったのは、たぶん俺が──
「ね、ねぇ、隼くん……?」
二度目の沈黙を破ったのは里桜だった。
「……うん?」
「なんで、私がここにいるのか、聞かないの……?」
「それも、そうだな。どうして里桜がこの部屋にいるんだ? 俺、今日からここで暮らせって言われて来たんだけど」
この場で一番気にするべきことのはずなのに、再会があんな形になってしまったので頭から抜け落ちていた。ようやく俺がその疑問をぶつけると、里桜は一呼吸置いて、よくぞ聞いてくれました、といわんばかりの表情を作る。
「私ね、四月から柊陵高校に通うの」
「それって俺と同じって、こと……?」
「うん、そうだよ。それでね、私もこの部屋に住むことになってるんだ。学校にはここから通うの。隼くんと、一緒にね」
「……ごめん、もう一回言ってくれるか?」
なんか耳がおかしくなってるみたいだ。俺と里桜が一緒に住むって聞こえたぞ。
そんなことあるわけが──
「だーかーらっ! 隼くんと私、二人でこの部屋で暮らすのっ! 高校生の間、ずっと!」
──あったわ。
「……いやいや、ダメだろ! 高校生の間って、三年間ってことだろ?! というか、なんでいきなりそんな話になってるんだよ?」
「隼くんは、私と一緒じゃ、イヤなの……?」
「ぐっ……」
里桜が俯きがちに上目遣いで見つめてきて言葉に詰まる。あぁ、そうだ。俺は昔から里桜のこの顔に弱いんだった。これをされると少しくらいの我儘はなんでも聞いてしまうんだ。
「ねぇ、どうなの? 隼くんがイヤだって、そう言うなら、私は……」
「……イヤ、ってことは、ないよ。でもさ、これはそういう問題じゃないだろ?」
「イヤじゃないなら、なにが問題だって言うの?」
「そりゃ、高校生の男女が同じ部屋で、なんて……普通に考えておかしいだろ?」
たとえ恋人同士だとしても、高校生のうちから一緒に暮らすなんてことはそうそう許してもらえないだろうに。世間一般的には俺のこの考えが大多数を占めると思う。
「別におかしなところはないと思うけど。だって私達、幼馴染でしょ? 私、隼くんのこと信用してるもん」
「俺のなにを信用できるんだよ。六年だぞ。六年もの間、一度も会わなかった俺の、なにがわかるって……」
幼馴染はそんな便利な言葉じゃない。それに六年も間が空いて、馴染もくそもないじゃないか。正しく言うなら、俺たちの関係は幼馴染だっただろうが。
無意識に語気が荒くなる。それはたぶん、俺が俺自身を責めているから。自分のちっぽけさに泣きそうになる。そんな涙にはなんの価値もないのに。
本当は、俺だってずっと里桜に会いたいって思っていたさ。
実際、会おうと思えば会えたはずなんだ。
親同士が、今でも必ず年に数回は会うくらいに仲が良いのは知ってる。確か父さん同士、母さん同士がそれぞれ親友だったはずだ。
だから里桜に会いたいと強く頼めばその機会くらい簡単に作ってもらえたかもしれない。あるいは何度か「会いに行く?」と聞かれた時に素直に首を縦に振っていれば。
そのどちらをもふいにしてきたのは俺だ。本心では会いたいと思っていたはずなのに、俺にはその資格がないってくだらない意地を張って。
里桜と離れ離れになる直前から今に至るまで、六年の時間を経て凝り固まった意地はまるで岩のようにガチガチになってしまっていた。普段は表に出さないようにしていても、心の奥底に沈めた後悔は俺を苛み続けている。
里桜が里桜だとわかった時、本当は里桜がしてくれたように抱きしめて喜びを分かち合いたかった。
でも、そんなこと俺にできるわけが──
「大丈夫、大丈夫だよ」
ふわりと、手が温かなものに包まれた。それを感じた瞬間、締め付けるような胸の痛みが軽くなる。
里桜が真っ直ぐに俺の目を見つめて、腕を伸ばし俺の右手を両手で包み込んでいた。
里桜の手の感触は、記憶の中のものと何ら変わることがなくて。
「六年経っても、隼くんは隼くんだよ。手だって、こうして触れたら隼くんのだってすぐわかるよ。ちょっと素直じゃないところも、優しい目をしてるところも、全部昔のままだよ」
「里桜……」
「これでなにか問題が起きるなら、その時は私の見る目がなかったってだけだから。それでも、ダメなのかな?」
こうなると里桜は絶対に引かない、それは顔を見ればわかる。里桜は結構ガンコなんだ。
降参……するしかないか……。
「……はぁ、わかったよ。でも、少しだけ待ってくれ」
「なにを、待てばいいの?」
「母さんに電話する。なにも聞かされてないことにも文句も言いたいし」
ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出して母さんの番号を呼び出し、通話ボタンをタップして耳に当てる。
完全に二人暮らしを想定した部屋、里桜がここにいるというこの状況、俺と同じ高校に通うという事実、おそらくかなり早い段階から事が進んでいたような気がする。当然、父さんと母さんは承知の上。それは里桜の両親も同様だろう。
俺だけが知らなかったんだ。
もし、母さんが最初から話してくれていたらこんなふうに……。
──いや、聞いていたら、俺はどうしたんだろう。心の準備をして、しっかり里桜に向き合っただろうか。それとも、どうにかして逃げ出しただろうか。
そんなことを考えていると電話が繋がる。俺はそこに向かって怒鳴りつけた。
「おいっ、母さん!」
『はいはい、そろそろ電話してくる頃じゃないかと思って待ってたよ! その様子なら無事に会えたみたいね、里桜ちゃんに』
母さんは全て計画通りでしたって口調で、笑いながら言うのだった。
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