第1話 謎の裸の女の子

 世の中、予想もできないことが突然に起こることがある。


 といっても、僅か15年と7ヶ月程度しか生きていない俺に予想できることなんてたかが知れているわけだが。それでも、これは俺にとってはとても大きな衝撃だったんだ。


「あー……隼、ちょっと待て」


 夕飯が終わり部屋に戻ろうとしたタイミングで父さんに呼び止められた。


「ん?」


「とりあえず、そこに座れ」


「……わかった」


 今日は卒業式もあって疲れてるから早く休みたかったのだが、いつになく真面目そうな顔をした父さんに逆らえず素直に椅子に腰を下ろす。キッチンで後片付けをしていた母さんも父さんの隣に座った。


「……ほたるは?」


 二つ歳下の妹、反抗期真っ只中の蛍だけは食事の後、さっさと自室へと引っ込んでしまっていた。


「あぁ、蛍には後で話すから大丈夫だ。まずは隼からな」


「ふぅん……。で、なに?」


「えーっとだなぁ……」


 結構すっぱりと物を言う父さんにしては歯切れが悪い。その緊張が顔を見るだけで伝わってきて、よくないことを言われるんじゃないかと身構えてしまう。


「すまんな、隼。父さん、四月から県外に異動になっちまった」


「はぁ……?」


 突然告げられた言葉の意味がわからず、この時の俺はすごく間抜けな声を上げたと思う。


「それで、な……。家族揃って引っ越しをしようかって考えてるんだ」


 『引っ越し』その単語を聞いた瞬間、胸がズクンと痛んだ。ただそれは一瞬のことで、別のもっと大きな問題に気が付いた。


「……今、県外に引っ越しって言ったか? ってことは……俺の高校はどうなるんだよ?」


 どうにかこうにか滑り込んだ高校なのに通えなくなるんじゃないのか?


「そう急ぐなって。この話の本題はここからだ。まず、隼には予定通り柊陵高校に通ってもらうことになる。さすがに今からいきなり違う学校の編入試験を受けろと言われても困るだろ?」


「そりゃそうだけど。じゃあ、俺はその県外から通うことになるのか?」


「いや、通うのは無理な距離なんだ。だからお前はこっちに残れ。と言っても、この家は引き払うことにしたから隼の住む部屋は別に用意してあるんだがな」


「別に、部屋……? まさか、一人暮らししろって言うんじゃ……?」


「そのまさかよ。隼ももうすぐ高校生なんだから、社会勉強にもなるんじゃないかってことで、お父さんと話して決めたの」


 父さんの話を引き継いだのは母さんだった。母さんは父さんと違って、ニヤニヤしているのが謎だ。


「まじかよ……」


「まぁ、そんなわけでだ。隼、明日から引っ越し準備を始めておけよ。慣らしも必要だろうからな、三日後には新しい部屋に移ってもらうぞ」


「いや、待てって! いくらなんでも急すぎるだろ。いきなりそんなこと言われても困るわ。俺、家事とかほとんどやったことないんだぞ? それでどうやって暮らしていけってんだよ!」


 自慢じゃないが、俺は料理はおろか、洗濯だってしたことがない。自分の部屋の掃除はするし、乾いた洗濯物くらいなら畳んだことがあるけれど、他はからっきしだ。


「そこも含めて社会勉強よ! 料理だって今は探せばレシピなんていくらでもあるし、なんとかなるものよ。家具とか家電とか生活に必要そうなものはもう一通り用意してあるし、あとは自分で頑張りなさい。もちろん困った時は相談にはのってあげるからね」


「というわけで、話はこれで終わりだ。仕送りはちゃんとしてやるから、うまくやれよ」


「まじかよ……」


 その後はもう取り付く島もない。すでに準備万端整っているから今更変えられないと言われたら、俺にはどうすることもできなかった。


 翌日からは母さん監修のもとで引っ越しの準備をさせられて、本当に三日後には家を放り出されてしまった。


 家を出る時、父さんからは「頑張れよ」という言葉を、母さんからは無言で背中を思いっきり叩かれて気合を入れられ、蛍からは「ふんっ」と鼻を鳴らされて一瞥をもらった。


 いや、まじなんなの?

 蛍のやつ反抗期にもほどがあるだろ。

 お兄ちゃんは悲しいよ。最近はもっぱらおにぃ呼びだけどさ。

 お前、とか言われないだけマシなのかね?


 ***


「ええっと……、たぶん、こっちか……?」


 住み慣れた家で引っ越し業者に荷物を預けた俺は、母さんからもらった地図を頼りに今日から暮らすことになる部屋を目指していた。


 どうやら学校に近い部屋を借りてくれていたらしい。学校の最寄り駅を出て、学校とは反対方向へ十分ほど歩いた先にそれはあった。


「……ここで、あってるんだよな?」


 目の前にはなかなか立派な建物がそびえ立っている。男の一人暮らしなのだからと、てっきりボロアパートみたいなのを想像していたのだが、何度住所と建物名を確認してもここで間違いはなさそうだ。


「なんかすげぇな……」


 コンシェルジュこそいないものの、しっかりとしたエントランス、その先にオートロックの扉がある。


 自宅に入るのに二回も解錠が必要となるのは少し手間だが、どうやらセキュリティはしっかりしているらしい。


 一応大事にはされてるってことなのかね……?


 そこで母さんから渡されていた鍵を使って中に入り、エレベーターにのって三階へ。302号室、それが俺の暮らす予定の部屋。


 緊張しつつ玄関を開けると、クリーニングされた部屋のなんともいえない匂いがする。


 だが、部屋自体はすごく綺麗そうだ。玄関から真っ直ぐ伸びる廊下の突き当たりに一つ目のドア、その先が恐らく居住スペースなのだろう。他には廊下の横にもドアが二つ。


「ひとまず全部見て回るか……」


 探検というほどではないが、これから住むのだから自分の目で確かめておく必要がある。そう決めて一番近くのドアを開けるとそこはトイレだった。


 おそらく母さんが用意してくれたマットやスリッパ、トイレットペーパーまでもがしっかりセットされている。


 まじで用意周到だな。いつの間にこんなことしてたんだ? 俺、全然知らなかったんだけど。


 続いてその横、たぶん洗面所と風呂場なのだろうと予想しつつドアを開ける。


 まずシャンプーの甘い香りがふわりと鼻をくすぐり、そして俺の目に飛び込んできたのは濡れた黒髪、次に真っ白な背中と…………お尻?


「────は?」


 どういうわけか、洗面所には一人の女の子がいた。しかも、首からバスタオルを垂らしただけの裸で。


 声に気付いたその女の子はゆっくりと振り返り、俺は叫び声を覚悟した。もしくは、張り倒されるかもしれない。下手したら通報案件だ。


 でも俺を待っていたのは叫び声でもビンタでもなかった。彼女はわずかに驚き、そしてどこか嬉しそうな表情を浮かべて俺の名前を呼ぶ。


「──っ! 隼、くん……?」


「えっ、はい……? な、なんで……?」


 俺は心臓がバクバクと鳴るのを感じた。彼女の嬉しそうな顔が美しかったからなのか、全く身体を隠そうともしないせいなのかはわからない。


「やっぱり隼くんだぁっ! 隼くんっ、隼くぅんっ!」


 そう言うと、彼女は勢いよく俺に抱き着いてくる。その途中、かろうじて胸だけを隠していたバスタオルがハラリと床に落ちた。


「ちょっ……えっ?! なにっ?! 待って、誰?!」


 もう完全にパニックに陥っていた。俺以外の人間がこの部屋にいるだけでも謎なのに、裸で、しかもこんなにきつく抱きしめられて。


 初めて感じる柔らかな感触、温かい体温、風呂上がりの良い香りに俺の頭は一瞬で茹で上がっていった。


「誰って、私っ、私だよっ?! ねぇ、わかるでしょ? もうっ、ずっとずっと会いたかったんだからぁ……!」


 さらにぎゅうっと締め上げられて、グラグラと揺さぶられて、胸に頬ずりまでされて、とうとう俺の頭は限界を迎えた。


「と、とにかくなにか着てくれーっ!」


 抱き着く彼女を無理矢理引き剥がして、洗面所から脱出する。


「えぇっ?! ねぇ、隼くぅん、待ってよぉ!」


 そう言われても、待てるわけがない。

 急いでドアを閉めて、その前にへたり込んだ。


「────って、私……。いやあぁぁぁぁぁ!! なんで私、裸なのぉぉぉぉぉっ!!」


 彼女もそこでようやく自分が裸なことに気が付いたらしく、洗面所の中から叫び声とドタバタと慌てる音が聞こえてきた。


 どうなってるんだよ、これ……。


 でも──


 なんなんだろう、この感じ。

 すごく、懐かしいような……。


 不意に幼い頃の記憶が蘇ってくる。


『ねぇ、隼くん』


 さっき名前を呼ばれた声とその記憶が重なる。


「……まさか、里桜?」


 俺は、小声でポツリと呟いた。

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六年ぶりに幼馴染と再会したら、なぜか同棲と猛攻が始まった。 あすれい @resty

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