謎解きの夜(抄)

@wlm6223

謎解きの夜(抄)

 午前二時三十二分、そのマンションの六階の一室だけ、灯りが点いている。その部屋で道介は「ふう」と溜息を吐いた。道介はやっとその抽象画を完成させたのだ。タイトルは「ある男の生涯」。その黒と青を基調とした渦巻きだらけの絵の前で、道介は完成の満足感にひたっていた。道介はリビング兼アトリエの、その一角にあるソファにどかっと座り込み、安ウイスキーをストレートで一杯飲みほした。完成した絵をほろ酔いで眺めると、「ある男の生涯」というタイトルが、いやに大仰に思えてきた。いや、絵に込めた流転の人生と、自分の今まで生きてきた生涯とを比較すると、俺にはこのタイトルの絵を描くにはまだ早すぎたかな、と思った。

 ピンポン、と呼び出しベルが鳴った。こんな夜中に誰かと思いながら、インターフォンのカメラを見る。腕だけが写っており、来い来いという仕草をしている。道介は不気味に思いながら玄関を出ると、そこにはもう腕の姿はなかった。ふと見ると、通路の向こう、エレベーターホールの方で、腕が来い来いとしている。外に来い、と言いたいのか? エレベーターに乗ると、行き先ボタンが全て「R」になっていた。道介は不気味に思いながらエレベーターに乗り、屋上へ出た。

 屋上は規則正しく高い柵が立ち並んでいるのみだった。が、誰かいる。五人の女子高校生がキャッキャと騒いでいる。彼女たちは道介に気付くと走って道介に近づいてきた。五人はみな同じ顔、同じ髪型、同じ制服を着ている。五つ子? まさか。女子高生Aが道介を瞶めながら言った。

「ねえパパ、この中に一人だけ親戚じゃない子がいるの。誰か当ててみて」

 パパ? 道介は独身だ。結婚したことすらない。どういう訳だ?

「君たちは誰なんだ? 俺に子供はいないんだが」

「これから産まれるのよ。いいから、当ててみて!」

 女子高生Bが切り出すと、他の四人はクスクスと微笑みながら道介にせめよった。

「いや、これから産まれるって言われてもね…… みんな同じじゃないか」

 女子高生たちはそこで大笑いした。

「パパ、未来が怖いんでしょう? だったら他の階に行ってみたら?」

「ああ…… まあ…… そうするよ」

 道介は混乱した。他の階に何があるといううんだ? 道介は五人の女子高生たちのクスクス笑いに見送られながらまたエレベーターに乗ることにした。

 道介は部屋に戻ろうと思ったが、行き先ボタン全てが「BF」になっている。酔いも手伝ってか冷静な判断ができない。道介はそのまま「閉まる」ボタンを押して地下階へ行った。

 地下階は駐車場になっている。が、車が一台もとまっていない。道介は不気味に思った。「おーい」と呼ばれた方を見ると、親子がキャッチボールをしている。親のほうが手を振っている。近づいてみると、それは三十年前の道介の父親だった。子供のほうは…… 五歳の道介だった。

「あなた、だれなんですか?」

「親の顔も忘れちまったのか。元気でやってるか」

「ええ…… まあ……」

「ここへ来たってことは、あんまり良くないな。未来は前途洋々のつもりいないと、絵描きなんか続けられんだろ? ほら、お前も挨拶ぐらいしろ」

 父親は五歳の道介を促し、「こんにちは」とだけ言った。父親は五歳の道介の頭をぐしゃぐしゃに撫でまわした。

「エレベーターで来たんだろ? そんな楽しちゃ駄目だ。階段を使え。何事も一歩一歩すすんでいかなきゃ、足下をすくわれるぞ」

「そんなこと言われても…… まあ、頑張ってみるよ」

「さあ、早く帰れ。人生、やることは多いし時間は少ないぞ」

 父親と五歳の道介は砂が風に吹かれるように消え去った。そう言われて道介はまたエレベーターホールへ戻った。

 エレベーターの方は無視して道介は自室のある六階目指して階段を使うことにした。階段を見上げると、腕が来い来いしている。ああ、行ってやるとも。道介は六階まで一気に駆け上がった。少々息が切れたが、どうということはない。

 道介は自室のドアを開け、リビングへ行きソファへ体を投げ出した。思わず「ああ」という言葉が出た。

 ふと目を上げ、キャンバスを見ると先程描き上げた「ある男の生涯」がズタズタに引き裂かれていた。道介は思わずその破片を手に取り握りしめた。夜明けまでに犯人を見つけなければ、と不思議な義務感が湧き上がった。

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