第七集:慈王府
「わかった。でも、どうして
「
「だから、本当は私のことなど忘れていてほしかった。一生出会うことなく、それぞれの人生を全う出来ればと思っていました。でも、幸か不幸か道は繋がり、同じ方角を向いて歩むことに。それが避けられぬ運命ならば、互いの願いを叶えるために尽力しようと決意したのです」
目の前に座っている甥は、この世に産まれ出でたことを知られることなく、そして知られるわけにもいかないまま生きてきた。
それだけでも悲しいのに、きっと
自分の存在が何の争いも生まないように、と。
しかし、彼は今まさに国家存亡の危機という重大な出来事の渦中にいる。
母親の死の真相を求め、友人が案ずる国と家族の憂いである
何も知らず存ぜぬで生きていくことも出来たのに。
「本当に、
もう一度だけ
「また、家族として会いに来て頂戴ね」
「ええ。もちろんです」
二人は微笑み合うと、
「ただいま」
服や湯桶などを持った侍女を三人連れて
「叔母上、我らはこれで失礼します。ゆっくりと休んでください」
「ありがとう。用が無くてもまた来てね」
「そういえば、
市井の人々でにぎわう道を三人で歩いていく。
「二人を待っていた間、一度も部屋にはいらっしゃいませんでしたよ」
「そうか……。まあいい。二人とも、皇宮へ行くぞ」
「え、こ、皇宮ですか」
前を歩いていた二人の足も止まる。
「そうだ」
好奇心旺盛な
「何か問題でもあるのか」
「私達は
我ながら良い言い訳を思いついたと、
「
「
改めて歩き始めた三人。
「私達のことはなんと説明するおつもりなのなのですか」
「
「あ、あの時はそれしか言い訳が思いつかず……」
「おそらく、すでに
「友人」ではなく、「護衛」だと告げたことを。
「他に質問はあるか?」
「
「でも、呼び方だけはどうしようもないよね。そこは譲歩してくれるんでしょう?」
「私は気にしないが、頭の固い官僚や他の皇子達に二人が目をつけられては困るからな。仕方がない」
「まずは私の
「
「私は東宮へ完全に居を移しているわけではないのだ。まだ親王だった時にもらった邸、
たしかに、
「私達も着替えた方が良いでしょうか」
「私は気にしないが……」
「
「服を貸そう」
「大丈夫。ほら」
「そういえば、二人はいつもどこからともなく武器を出して戦っていたな」
「便利でしょう?」
三人仲良く話しながら歩くこと数十分。
「これ、どこからどこまで……」
「皇子の邸は一様にこんなものだ」
「……質素過ぎない?」
「あまり飾り立てるのは好きではないのだ」
「
「たしかに。ごめんあそばせ」
可憐に微笑む親友の姿に呆れつつ、
「木のいい香りがしますね」
「兄上が選んでくれた場所だからな。手入れは欠かさないようにしている」
三人で歩いていると、前方から簡易的な鎧を身に着けた青年が二人歩いてきた。
驚くほど顔と背格好がそっくりな青年二人は
「殿下、また護衛もつけずに外出を……」
「私達のどちらかは同行させてくださいとあれほど申し上げましたのに……」
声の抑揚や表情の作り方までそっくりだ。
「
「あとで、とはいつですか」
「また逃げるおつもりで?」
「すまないと言っているのに……。そうだ。友人が出来たのだ。紹介しておこう」
「初めまして。私は
「私は
「私どもは皇太子殿下の軍で両翼の将を担っております、
「殿下の御友人とのこと。もしや、
三人は
「何故知っているのか不思議に思ったのでしょう?」
「
「皇太子殿下がたった二人の護衛だけ連れて戦場に現れた、と」
双子の将軍は怒っているようだ。
顔が怖い。
「
「話を逸らそうとなさっても無駄です」
「すまなかった。次からは気を付ける、と二人に言うのも、何度目かわからないな」
困ったように微笑む
「本日はどうなさるのですか?」
「まずは着替えて皇宮へ向かう。父上の
「わかりました。お召替えの準備をさせてまいります」
「お二人にはくつろげる部屋をご用意いたします」
「殿下の周囲にいる者は私達含めてみんな美男子ですね」
「見た目で選んでいるつもりはないぞ」
「殿下、何か言いました?」
「準備が整う間、演武場へ案内しよう」
三人は再び廊下を進み、歩いていった。
周囲に人がいないことを確認し、
「噂程度の知識だけど、皇太子に軍事力があるなんて知らなかった。
「私は軍功を挙げたことはないからな。
「どうして?」
「父上の善政で国は安定しているようにみえるが、朝廷は常に不穏だ。私に死んでほしいと願っている皇子やその腰巾着共は多い」
季節外れの冷たい風が吹く。
「もし私が命を落とせば、醜い皇位争いが始まるだろう。いくら
雨が降り始めた。
初夏が近付くと、天気は不安定になっていく。
「私の命は、私だけのものではないのだ」
春雷。
空は晴れているのに、雨と雷が降り注ぐ。
「起こるかもわからない暗い話をしてすまない。そこを曲がれば演武場が見えてくる……」
「私達といるときくらいは、国の為でも、誰かの為でもなく、ご自身の為に生きてください」
腕に添えられた手に触れたら、
それほどに、今の言葉が心を満たし、儚い夢を
「ありがとう
目を合わせて微笑むことが、今この時においては最善の正解だと思った。
「ねぇ、ここの人たちは雨でも訓練しているの?」
「そういえばそうだな。皆室内へ下がっているだろう」
他にどこを案内しようかと思案していると、侍従たちが近付いてきた。
三人の侍従は
「殿下の御召し物と、御友人方のお部屋の用意が整いました」
「ご苦労。では、二人は部屋で休んでいてくれ。私の支度と馬車の手配が終わったら呼びに行かせる」
「わかりました」
「またあとで、殿下」
「私達も着替えよう」
「うん。一番可愛い
「え、大丈夫だよ」
「どうして?」
親友が手に持ちきれないほどの装飾品を抱えて微笑んでいる。
「
「いいじゃない」
深緑色と白の
「もっときらきらしようよぉ」
「私はいいの」
いつもは背中に垂らしている三つ編みを、今日はお団子になるように巻きつけ、装飾の無い翡翠の簪をさした。
「こっちがいい? それともこれ?」
「全部かわいいですよー」
「当たり障りのない感想は禁止!」
「ううん。じゃぁ、さっきの、桃の花の
「そうするぅ」
「私って可愛い」
自画自賛を楽しんでいる親友に苦笑していると、人の気配がした。
扉を小さく叩く音の後、「殿下がお呼びです」と声が聞こえた。
部屋へ通される。
「わあ、とっても素敵ですね。殿下」
「動きづらいのだが、皇太子ゆえ仕方がないのだ」
落ち着いた薄茶色と薄灰色の中間色のような艶めく絹に、金の糸で繊細な刺繍が施されている、重厚だが柔らかな印象の
髪は高い位置で結われ、金の髪留めが輝いている。
「雨も止んだ。すぐに皇宮へ出発しよう」
三人は頷き合うと、門へ向かい、馬車に乗り込んだ。
水を含んだ土の豊かな香りが漂っている。
初夏の香りが混ざる風に乗って。
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