第六集:日陰の長公主
「
薄紫色の
「それにしても、
首元に巻いた包帯が痛々しい。
「両方ともとても可愛い顔立ちだったけれど……。一人、見覚えがあるような、ないような……」
風通しのいい室内に、
女性は自身が住まう
適度に品のある調度品に、誕生祝に兄から下賜された物。
夫から愛情表現の一つとして贈られる高価な小物に、成人した子供たちが帰省するたびに用意してくれる絹などの品々。
何もかも恵まれているのに、その何もかもが空虚で灰色に見える。
「まあいいわ。
女性は侍女を呼び、着替えを手伝うよう命じた。
(あの日、
女性の笑みがこぼれる。
着替えを持ってきた侍女は、仕えている主人の機嫌が良さそうなことに安堵した。
着ていた服が床にするりと落ち、新たな
「
新たな
色の白い
「妹に会うのは久しぶり。具合がよくなるといいのだけれど。花梨の
「同行する侍女に持たせてあります」
「ありがとう。行ってくるわ」
部屋を出て、廊下を進み、靴を履いて門を出る。
外に停めてある馬車に乗り込み、目指すは
「やけに天気が良いわね」
馬車の屋根に当たる陽の光が眩しく鬱陶しい。
そして思い出す。
自分の人生に起きた大きな転機を。
少女のころはとても夢見がちで、恋に憧れていた。
それこそ、後宮でよく好まれている絵巻物のような、そんな恋がしたかった。
「高貴な姫である私を、美しい貴公子が心ごと奪い去ってくれるような、そんな恋をしてみたい」と、よく母に言っては、困らせていた。
なぜなら、他の公主達と比べたら、それほど高貴とも言い難かったからだ。
母はただの
さほど寵愛もされず、皇子を産めなかったので、その地位は生涯変わらなかった。
そんな地位の低い公主は、そこそこの官僚へ与えられた。
まるで、褒美の玉器のように。
子供は三人。
女児と男児二人を産んだ。
最初が女児だったため、好きでも無い男の実家の跡継ぎを産むために仕方なく、三回妊娠するはめに。
二回目の妊娠で男児が産まれて喜んだのもつかの間、産まれた男児は身体が弱く、跡継ぎとして少し頼りない。
その兄を支えるための弟を産むために、三回目の妊娠をしたのだ。
賭けだった。
もし女児なら、絶望していたことだろう。
一度目も二度目も、そして三度目も感動しているふりをして泣いてみせた。
慈しみ合う外面から、周囲には素晴らしい夫婦だと思われている。
そう装うのは昔から得意だった。
夫からも心底大切にはされている。
子供たちも立派に成長し、長男は器量の良い
そんな平均的な日々を過ごしていたある日のこと。
彼は
それらはすべて鮮明で、起きた後も、息遣いも感触も全身に残っていた。
それが
かつて自分の魂は
だから合点がいった。
幼いころからずっと、妹である
羨ましくて、妬ましかった。
さらに追い打ちをかけたのは、
さえない男に嫁がされた
それなのに、まさか『神』にまで愛されるとは。
表向きはとても仲の良い姉妹。
武神の子供を妊娠したことも早い段階で聞かされており、嫉妬の炎は大きく燃え盛るばかり。
そして、運命のあの日。
「残念だったわね。この子は
良い様だと、
そんな
戻ってくると、祭壇がある部屋の中には異母兄の
まさか、
子供は殺せなかったが、一番の目的を果たすことは出来た。
愛する人の霊魂が復活したのだ。
あとは何も知らないふりをして
完璧な始まりのはずだった。
だからこそ、ずっと心に引っかかっていることがある。
「あの時、
調べようとしたことはあるが、うまくいかなかった。
「なぜ
二つの質問には答えられたとしても、最後の問いに対してはどうしようもない。
「本当、生きていても死んでいても腹の立つ妹ね」
馬車が進む音で
景色はそう大きく変化するわけも無く、
馬車を降り、長公主府の侍従たちに案内されて妹が臥せっている部屋へと向かう。
貴太妃の娘という高貴な身分であるにもかかわらず早々に出家した
「
三人は
「
「はい。
「
得意なはずの作り笑顔がひきつる。
あの時に見た二人がここにいる。
「どちらが
「
「あなたは?」
「私も、皇太子殿下に友人として迎え入れていただきました、
「あなたも特別な力を持っているのね。皇太子である
「そうだ。私は見舞いの品を持ってこなくちゃ。それまで妹をよろしくね」
心の中は焦りと驚きで満たされ、鼓動が早まっている。
「
口の中で放った言葉は、廊下を歩く衣擦れの音で誰にも聞かれなかった。
一方、
「どうだ、
「
「それなら、私が封じたほうが早い」
「言うと思った。どうせ
「もちろん」
二人の会話に、
「
「このままでは、
「だが、そんな……」
「私の
「なぜ自分を犠牲にしたがるのだ」
「これは自己犠牲といった高尚なことではありません」
「私なら救える。ただそれだけです」
この感情を何と呼ぶのか。
今はまだわからない。
「私もついているしね」
「……わかった」
赤が混じった黒い煙のようなものが手の中へと吸い込まれ、腕を伝い、
数分の出来事だったが、
刹那、
「終わりました」
座り込んだ
「
差し出された薬を、
「私は調理場を借りて長公主の薬を煎じて来るから、二人は大人しく待っていてね」
「大丈夫なのか」
身体がひどく冷たい。
「だ、大丈夫です。私は丹薬を飲むのが下手なので、いつも粉薬を出してもらうのですが、それが喉にひっかかってしまっただけなのです」
また、嘘をついた。
胸に針が刺さったような痛みを、
毒をもって毒を制するように、
無傷ではいられない。
「大丈夫なら、白い息に血など混ざるものか」
背を撫ぜる
「この先幾度同じことがあろうとも、私は自分の心に恥じぬよう、行動します。例え、それでこの身が傷つこうとも。こればかりは、
「私は
「わかりました。無茶はしません」
「そうしてくれ」
「ちょっとぉ、私も仲間に入れてよ」
そこへ、煎じた薬を持って
仲睦まじい様子の二人を見て、頬を膨らましている。
「おかえり」
「あとで私も一緒に手を握るからね」
「
「……
「叔母上の
「……本当だ。私、もう何ともない。少し気怠いけれど、それだけよ」
「あなたが治してくれたの? ……二つ、大きな力を感じる」
「初めまして。私は
それに気付いた
「あなたが
「姉上と同じ霊力を感じるし、それに……」
口元を抑え、嗚咽が出ないよう、
母の顔を知らないため、似ているのかどうかはわからなかったが、鏡でよく見る自分の顔と、
「それに、姉上に目がそっくりよ……。
「こんなに大きくなっていたのね。兄上の言う通り、美しい男性に育っている。会えてとても嬉しい。でも……」
「
「そんなところも姉上に似ている」
「叔母上、その、聞きたいことがたくさんあります。でも、先ほどおっしゃっていたことが気になって……」
「姉上が亡くなった本当の理由のこと?」
「もちろん母上の死には疑問を持っています。ですが、貴妃の死にも疑問があるのですか」
「ええ、そうよ。
「貴妃は入宮する前、
「貴妃は
口から漏れ出る
「
「叔母上、御心配には感謝いたします。ですが、
悲しい怒りが甥の心へ一滴の墨のように広がってしまったことを、
「大人を頼って頂戴ね。家族が亡くなるのはもうたくさんよ」
二人が家族として出会うことが出来たちょうどその時、部屋の外、少し廊下を歩いたところで聞き耳を立てている人物がいた。
「まさか、あの青年が
「それに、貴妃のことも、このままではすべて露見してしまう……。早く
砂埃が舞い上がる。
春の陽炎を、蹴散らすように。
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