AIにアヴァンギャルドはつくれない

加賀倉 創作

AIにアヴァンギャルドはつくれない

——アヴァンギャルド。


 辞書を引くと、「前衛的」とか「革新的」とか「先駆け」などと訳されている。


 もとは、フランスの軍隊用語で、前衛、斥候せっこうという意味だったらしい。


 要は、「あの人の作品って、進んでるよねぇ、時代を先取りしてるよねぇ」とか、そんな具合である。


 このアヴァンギャルドというのは、おそらく、AIにはつくれない。


 それはなぜか。


 AIは、良くも悪くも、「秩序」というものに従って、思考するからである。


 想像していただきたい……


 『ボボボーボ・ボーボボ』や『絶体絶命でんじゃらすじーさん』のような、秩序な(僭越せんえつながらこれは、考えうる中で最上の褒め言葉のつもりである)はずなのに、なぜかお腹がよじれるほど笑ってしまうくらいの面白みを、AIが生み出せるだろうか?


 おそらく、不可能だろう。


 AIは……


 既存の「材料」と「公式」(「食材」と「調理法レシピ」と言い換えると、わかりやすいかもしれない)からしか、ものを生み出せない。


 AIと人類の頭の中を比較してみると、なるほど「材料」に関しては、人類よりもAIの方が、何かを記憶するのに必要な時間と労力がべらぼうに短いおかげで、圧倒的な量を有している。

 

 一方で、「公式」の方はどうだろうか。


 公式は、しばしば突飛とっぴな発想から生まれる。


 例えば、ピカソ。


 ピカソの『アヴィニョンの娘たち』に見られるような「キュビスム」というのは、目に見えるものをそのまま再現することを拒絶し、世界を外面的にではなく、概念的に捉えている。


 AIは、実際にある景色や絵や映像をカメラレンズから取り入れることができるだろうし、人の発する言葉や人の書いた小説の文字を読み取ることもできるだろうが、大雑把な、フワフワとした存在については、感じ取ることができないはずである。


 ただ、芸術のような、理論だけでなく感性を多く要求するであろう土俵は、少々不公平感が否めないので……


 今度は、論理を重視する「科学」を例にとってみる。


 だがやはり、科学も突飛であるのには変わりはない。


 相対性理論、量子論、エントロピー……


 「0」と「1」による信号をひたすらいじくっているだけでは、光速と時間と重力を結びつけられるとは思えないし、電子に粒子と波動の二重性を見出せるとは思えないし、秩序と無秩序のグラデーションを理解できるはずも、ない。

 

(少なくとも私はそう、考える。皆さんは、どうだろうか?)


 AIは、人に及ばない。


 これは、AIの「全」否定ではない。


 人はAIを支配し、駆使する側に立たなければならない、ということである。


 AIに支配されてはいけない。


 『ターミネーター』や『マトリックス』は、非常に興味深い世界観で、私も大好きな作品なのだが、あのような世界が現実になることを許しては、ならない。


(もっともそれらSF作品では、結局AIは、人の「愛」という具現化・言語化が困難なものを、打ちのめすことができなかったわけだが)


 人類よ、AIに負けるな。


 人類よ、アヴァンギャルドであれ。


   〈完〉

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