結婚記念日

白那 又太

 その日、仕事帰りの電車の中でふと朝の光景を思い出した。鍋の中にはまだ煮込まれる前のジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ。恐らく今日の晩御飯はカレーだ。帰宅時に手間取らないよう、今から仕込んであるのだろう。

「たまにはらっきょう食いてぇ」

 子供が生まれてからしばらくして、においを理由に敬遠されて以来我が家の食卓から、らっきょうが消えた。福神漬けもいいが、カレーにはらっきょうだ。逆に言うとカレー以外のフィールドで奴が輝くことはほとんど無い。そろそろ子供も大きくなったし、解禁してもいいだろう。

 私は、帰り道から少し外れたところにあるスーパーマーケットに立ち寄って、二食程度で食べきれる容量のらっきょう漬けを購入し、帰宅した。


「遅かったのね」

「ちょっと、寄り道をしてね」

 すると、なぜか妻の顔が明るくなった。

「あら、珍しい」

 確かに、家と会社を往復するだけの生活だ。寄り道は珍しい。

「覚えていたのね」

 俄かに、背筋が冷たくなった。

『覚えていたのね』

 この言葉に、戦慄した。腕時計の日付をよく見た。そうだ。何を寝惚けていたのか。

 今日は結婚記念日ではないか。恐らく彼女は記念品か何かの買い物をしていたと勘違いをしているのだ。しかし、手持ちのアイテムはらっきょうのみ。どうする。忘れていたとそのまま伝えるのも危険だ。彼女は今、私の手荷物に対して、私の行動に対して期待値が上がっている。しかし私の手にはらっきょうしかないのだ。どうする。

「け、結婚記念日だろ?」

「さっすが! 何買ってきたの?」

どうする。らっきょうを出すのか? これまで高価な贈り物をしたことは無いが、とはいえ、らっきょうは無いだろう。よしんば高級品だとしても贈答の格好がつく様なシロモノではない。

「これを」

 勢いのままに僅か200グラム足らずの市販のらっきょうを取り出した。

「……。は?」

 妻の疑問はもっともである。いや、怒りか?

「つ、漬物言葉って知ってる? 最近流行の!」

「……。は?」

 録画を再生したかのようなリアクションである。

「花言葉みたいなやつだよ」

「……。」

 ついには言葉を失くした。当然だ。結婚記念日に何を買ってきたのかと思いきやらっきょうである。

「らっきょうの漬物言葉は『永遠の愛』って言うらしいよ」

「そんなわけあるか」

 放ったのは、冷気を纏った言の葉とそれより速い肩へのグーパンである。

「待て待て。ちゃんと、由来があるんだ。らっきょうは酸っぱいだろ? 酸っぱいことをある地方では『酸い』とも言う。つまり」

「好いとーと!?」

「そう! 転じて永遠の愛」

「そんなわけあるか」

 再びのグーパンである。

「じゃあ、たくあんの漬物言葉は?」

「『永遠に共に』、だったかな?」

「なんでよ」

「たくあんてしわくちゃだろ。あれが年老いても一緒に居たいって見立てで」

「じゃあ、キムチは?」

「『永遠の情熱』」

「なんでも永遠つけりゃ花言葉っぽくなると思うなよ」

 三度、寸分たがわぬ場所へのグーパンが飛ぶ。

「あと、情熱の赤とか安易すぎるだろ」

「くっ……」

 ご明察である。

「野沢菜漬けは?」

「若々しさ、みずみずしさ」

「段々適当になってるだろ」

「ただの白菜漬けは?」

「ぐっ……、みずみずしさ、青春」

「梅干しは?」

「え、永遠の情熱……!」

「被るの早すぎだろ」

「花言葉もそんなもんだし」

「それはそう」

「すいません、記念日忘れてました、許してください」

「……ふん」


 翌日、我が家の花瓶にはスノードロップと、イヌホオヅキと黄色いカサブランカと紫色の芍薬が並んでいたが、花言葉は調べないことにした。

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結婚記念日 白那 又太 @sawyou

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