初瀬の嫁入り3

 どれくらいの時間を歩いただろう。気温が降下する一方で吐く息は濃く白い。白木台を持つ手も一度も立ち止まらずに歩き続けた足も寒さですでに感覚がなくなっている。今は何周目かと桁が二桁になった途中あたりで数えることをやめた。たいまつの火は既に消えうせ、祭壇は深淵に包まれている。

 初瀬はそれでも足を止めずにいるが、己が今どこを歩いているか分かっていない。もしかすると気づかぬ間に祭壇ではない道を歩いているかもしれない。それとも感覚を失った足である。実際は一歩も動いていないかもしれない。あいにくと明かりになるものはなにも持っていないため、確かめる術を初瀬は持ち合わせていない。

 歩き続けていると思うことでこの儀式を続けていた。朦朧とした意識と閉じてしまいそうなまぶたに耐えていたところで、目の前に突然と赤が飛び込んできた。

 鮮烈な色に初瀬の意識は一気に覚醒する。いつの間にか目の前に赤毛の毛むくじゃらの手が差し出されていたのだ。

 その手は黙ったまま、ただ手のひらを上にして待っている。その前にあるのは、初瀬が白木台に乗せた一振りの枝だ。互いに沈黙したまま、どのくらいの時間がたっただろう。ほんの数秒だったかもしれない。数分、数十分だったか。

 初瀬は恐る恐ると枝へと手を伸ばす。かじかむ手に苦戦しながらもなんとかつかむと毛むくじゃらの大きな手へと渡す。手の持ち主は渡された枝をしっかりと握りしめると、どこからかふっと息を吹きかけた。毛むくじゃらの手から想像していたような 獣臭いにおいはなく、どこか香しい花の甘い香りが漂う。

 細く枯れた枝はみるみるとハリを取り戻しながら若返ってゆく。光沢のある濃い緑の葉が芽生え、蕾が生まれる。そして、ほどかれた蕾から真っ赤な花が顔をのぞかせた。

「まことに君は愚かだな」

 聞き覚えのある声が聞こえた。思わず顔をあげかけた初瀬だったが、それは生暖かい感触と強い錆びた匂いに視界がぼやけ、意識が薄らいでゆく。

「全ては神のまにまに」

 別の声が聞こえて、初瀬の記憶はそこで途切れた。



 目が覚めたとき。見知らぬ者が三つ指をついてお辞儀をしていた。

「初めてお目にかかります。わたくしの旦那様。ようこそ、はざまへ」

紅色の髪が印象的であった。色素の薄い灰色の瞳と目が合いにっこりとほほ笑まれる。

 実際に見たことはないが、異国の者は黒髪黒目に見慣れた自分たちとは異なる容姿をしているという。それにしても流暢にかけられた言葉は初瀬からすれば母国語の言葉であった。

 透き通るような白い肌に細い身体も声もどうみても女のものだというのに、服装は書生風である。結いあげた髪が動きにあわせて滑らかに滑ってゆく。

 その動きを目で追いながら働かない思考で、初瀬はひとまず確認をする。

「……旦那様って俺のこと?」

「えぇ。あなた様以外ここに誰かいらっしゃいますでしょうか」

 言われたとおり五畳くらいの部屋には目の前の彼女と初瀬しかいない。

 しかし、意識を失う前の毛むくじゃらと目の前の彼女が全く結びつかない。だが、彼女は『はざま』と告げた。この言葉には聞き覚えがあった。遠い昔に花木の女が言っていた言葉も『はざま』だ。

「ねぇ、ここは俺のいたところとは違う世界になるのかな」

確信をもって尋ねるも、彼女は笑顔を浮かべたまま首を横に振る。問いに対する答えだったのか、わからない。ほっそりとした白い手が初瀬の肩をそっと押す。

「今日のところはお休みください。お疲れでしょう。詳しい話は後日にしましょう」

 有無を言わせない手際の良さで初瀬を褥に寝かせてしまう。そして、再度三つ指をついて、「おやすみなさいませ」と声をかけると襖を閉じて姿を消してしまった。

しばし、呆然としていたが、はぐらかされたことにきづく。だが、言葉通り疲れていたのも事実で、初瀬の意識はそう遠くないうちに再び夢路へと旅立った。

「も……し、もう……。……もうし……もうし」

 誰かが呼ぶ声が聞こえる。初瀬はむずかるように寝返りを打つ。それでも声は止まず、煩わしさに目が覚めたところで自分が置かれた状況を改めて思い知る。

「あぁ、やっと目覚められましたね。よかった。おやすみのところ、大変申し訳ありません。突然のことで信じられないでしょうが、あなたは今すぐに逃げるべきです」

 先ほどから聞こえていた声が明確に聞こえてくる。そちらへと向くと、閉じられた障子越しに淡い影が揺れていた。声の主はその影らしい。

 しかし、逃げろと言われたところで、初瀬にはどこに行けばいいのか見当もつかない。ましてや自分がどこにいるのかわからない。ここが本当にはざまと呼ばれる場所であれば、彼が元いた世界とは異なる場所。信用してもいいのだろうか。

 そんな初瀬の戸惑いを感じ取ったかのように、影は安心するように言葉を連ねる。

「大丈夫です。わたしはあなた様を助けにきたのです。安全なところまで案内する役目を仰せつかっております」

「……なぜ、おまえは身も知らずの俺をそこまでして助けたがるわけ?」

 問いながら視線は素早く周囲を巡らせる。出入口は影がいるところのみで、他にも出られる場所はない。幸いにも身につけていたものは枕元にそろえて置かれてあり、初瀬の手はゆっくりと懐刀へと伸びた。

「……なぜ? それはつばき様より遣わされたからです。あなた様は本来であれば、山神様へ嫁がれる身。あの儀式は、その高みへと目指すもの。後少しで山神様への道が開かれたというのに、あのものは寸前で邪魔をしたのです。あなた様も見られたのではありませんか?あのものの本来の姿を」

 初瀬の動きがぴたりと止まる。思い出されるのは、けむくじゃらの赤い手。あのときの手と先ほど会った少女がうまく結びつかない。影の言葉が事実なら、初瀬はつばき様こと山神に無事嫁げていない状態である。このままでは、儀式は失敗と判断されるだろう。

 影が「早くご決断を」と迫ってくる。実際に時間がないのだろう。先ほどの彼女が再び訪ねてこないとは、言い切れない。影は焦ったように、さらに言い募った。

「あなた様がつばき様のところへ行かれないのであれば、新たな方をお迎えすることになります」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初瀬とさざんか 緋倉 渚紗 @harusui_u

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ