第41話 兵隊の運命
「ぉ」
秒なのか分なのか自覚はない。
ただ、確実にオレの意識は一度断絶して、顔に落ちる雨で再起動した。
それによって自分が仰向けに転がっていると理解する。
体にこれといった痛みはない。幸いにして爆薬の脅威からは逃れられたらしい。
だがあくまで『幸いにして』。
一切の防御姿勢を取らずにぶっ倒れている自分を少し恥じる。
運100パーセントで生き残ったと言えるだろう。
ではあるが、わりと至近距離で爆発したように思う。
それで無事なのだから、そもそもあまり強力なブツではなかったのだろう。
桂の『数人ズタズタ』はハッタリだったか。
などと。
オレはのんきに、不必要な事後の状況整理をしていた。
たぶん必要だったのだろう。
思考を徐々に働かせる準備運動として。
より重大な情報と、寝ぼけた頭で急に向き合わないために。
本当にのんきなもので。
さっきまでの記憶を全部失ったのかというくらい。
オレは更なる情報を求めて、上体を起こして何気なく周囲を見まわし、
「あ」
見付けた。
見付けてしまった。
気付いてしまった。
あるいは、わざわざ意識の外へ追いやっていたもの。
地面へ力なく倒れ伏す、五十嵐の姿に。
「五十嵐ッ!!」
反射的に立ち上がると体が付いてこない。
雨の足元もあってスリップし、四足歩行に近いような体制で彼女の元へ駆け寄る。
「五十嵐! しっかりしろ五十嵐!! 返事をしろ!!」
パターンによっては負傷者を動かさない方がいい。
そんなセオリーも忘れて
暗くてよく見えないし
髪は乱れたうえに雨で張り付きまくっているし
それでも、
「ぁ……」
「五十嵐……!」
その顔が血まみれであることは分かった。
強い動揺が脳天を貫き胸を締め腹で渦巻く。
それでも、返事があった。
息がある。
「五十嵐! 生きているんだな!? えらいぞ! もう大丈夫だ! だからあと少し耐えろ!」
本当によくないんだが、その細い肩を揺すって声を掛け続けると
「二階、さん……なの?」
よりか細い、しかし意思のある言葉が返ってくる。
オレの全身の血が温度を取り戻すのを感じた。
動揺と緊張が歓喜と興奮に変わる。
「そうだ! オレだ、二階だ! 分かるか!?」
だからこそ、
「分からないわ……」
「え?」
続く言葉に
雨と頬に触れた彼女の手が、異様に冷たく感じられた。
「見え、ないの。何も、目が」
オレも目が見えなくなった錯覚に陥る。
網膜に何か映ってはいるんだが、脳が何一つ処理しない。拒否している。
「五十嵐? ウソだろ? 五十嵐? 五十嵐?」
「二階さん……そこにいるの……? 見えないわ、見えないのよ……。くらい、さむい」
「五十嵐ッ!!」
この数分間に、何度『五十嵐』と叫んだか分からない。
自分の名字が五十嵐だったとしても、一生分は叫んだ気がする。
絶望とはこのことを言うんだろう。
真っ最中より、あとになって思う。
雨に打たれ、文字どおり打ちひしがれるオレのところに、
「二階さん」
オレの背後にいたはずの神野が、前方からやってきた。
「桂に逃げられました」
意外にヤツは淡々としていた。
もっとイラ立っていてほしかった。
それが被疑者を逃し、手柄が手からすり抜けた悔しさであっても、
せめてオレが勝手に
『仲間を負傷させた相手を逃してしまった』
と解釈できるように。
でもそれがなかったから。
オレは思ったことをぶつけずにはいられなかった。
「神野」
「なんでしょう」
「なぜ撃った」
すん、と神野は鼻を鳴らす。
鼻で笑ったのか、寒さゆえか、特別理由も意図もないのか。
それは分からない。
分からないが、
「危険でしたからね。現場の判断で発砲していい範疇と判断しました。どのみち逮捕したら極刑なのですから」
「危険、だと?」
冷淡な言葉を平坦に吐ける態度が、どうにも心をささくれ立たせる。
「そう思うなら。思えるなら。桂を刺激しては、五十嵐が危険だと思わなかったのか?」
恨みがましさを隠さない声で返すと。
今度はふーっと、長いため息が聞こえる。
今回のは明らかに、向こうも『面倒くさいな』という態度を隠さない。
「そうしなければ、のちのち危険な目に遭う市民が増えますからね。そう考えるとむしろ、割りのいいトレードだ」
「!?」
瞬間、頭に血が昇った。
昇ったが、実のところ我を忘れるほどではなかった。
より凶悪。
一周して、冷静な頭と自身の正義感倫理観において、
「なんなら多くの人がそうしろと望むくらいの……」
「神野っ!!」
オレは素早く立ち上がり、その勢いを右拳に載せた。
「というのが、おまえらの言うところの『事情』だよ。あとの顛末は見てのとおり。オレはダンジョン課強行犯係・二階宗徹警部補。おまえらと仕事して、今日は焼き肉つついてる」
時間は今に戻り、場所はオレのアパートの一室。
時計は19時をそこそこ周ったあたり、広島巨人は2対1で中盤戦。
語り終えると、沈黙のなかにジュウジュウと食欲をそそる音が響く。
「ほら、箸が止まってるぞ。肉残ったら全部オレの冷蔵庫行きだからな。割り勘はビタ一文返さんからな」
「お、おぉ、はい」
「二階さん……」
とにかく沈黙を嫌った男子二人が言葉を絞り出すも、続くものは見つからない様子。
日置係長はグラスのビールの水面を見つめているし
小田嶋は腕組み、いつもの薄目ではなく明確に目を閉じている。
水崎さんはハンカチを取り出し、粟根はそれで顔を拭かれている。
「泣くな粟根。メイク落ちるぞ」
「だっでぇ〜!」
「こんな空気にしたかったんじゃないんだよ。さ、飲んだ食った」
「えっぐえっぐ……」
「なんだ、
「二階さんホントおもしろくない〜! 親父ギャグ〜!」
「おっさんだからな」
「センス×」
「ムード×」
「人をパワ◯ロみたいに……」
小田嶋と水崎さんから鋭い批判も浴びたところで。
やはりみんな、肉に手が伸びなくなっている。
ここは状況を打開するイベントが必要だろう。
オレは仁王立ちになると、ガラにもなく大声を張る。
「ではこれより、弁当焼き飯の儀を開催する!!」
みんながポカーンとしているあいだに腰を下ろす。
勢いそのまま、晩飯用に買っていた弁当の蓋を開けると、
「ダーッ!!」
中身をホットプレートへぶち撒ける。
「具は速いもん勝ちだぞ! モタモタしてるとオレがシャケ取っちゃうもんねー!」
半ばキャラ崩壊を起こしてキモい自覚はある。
だが暴走列車で強引に引っ張ると、
「あ、あ、じゃあ私きんぴら!」
このなかでは人の心がある方の水崎さんが気を利かせてくれる。
ファーストペンギンが行くと、あとも続きやすい。
「お、じゃあ海苔の部分はオレがもらっていっスか!?」
「僕は柴漬けがいいなぁ」
「私玉子焼き〜!」
「泣き止みなよ」
「係長は!」
「え、いらない……」
そこにノリと勢いと肉と野菜と焼き肉のタレも放り込んで混ぜてしまえば。
オレたちの気分もグチャグチャに混ざり、ホットに焼き上がった。
まだまだ夜は長い。
とても楽しい夜が長い。
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