第40話 人質解放交渉
「いいか! こいつはただの水筒じゃねぇぞ! 金属片で数人ズタズタにするのはわけねぇ!」
桂は過剰に左手の缶を振ってアピールする。
ヤツと車は数メートル離れている。
普段の建物と被害者を爆破する用の高火力なブツと離れているのはいいが、
五十嵐個人の範囲において、殺し方として生々しく残酷なのは変わりない。
話を聞いて、捜査員たちが警察車両のドアを大きく開く。
せめてもの遮蔽物に身を隠すためだ。
「よせーっ! そんなことをしたらおまえも死ぬぞ!!」
オレ一人身を乗り出さんばかりに叫ぶと、高崎に袖を引っ張られる。
「二階! 危ないから伏せろ!」
「ダメだ! オレたちだけ安全確保に走ってみろ! 五十嵐は見捨てられたと思うぞ!」
「二階……」
「人質の平静を保つのも重要なことだ!」
しかしあまり前のめりになっては、今度は犯人を刺激する。
一度背筋を伸ばす。
「そうだろう! おまえのためだ! 投降しろ!」
「うるせー! どうせ捕まったら死刑だ! だったら一緒だろうが! むしろ自分の作品で逝っちまった方がマシだぜ!」
「ちっ!」
自分の犯罪に多少の美学やプライドがあるタイプのようだ。
こういうのは理論や利害で説得は難しいタイプだ。
どうしたものかと困ったところに、
二階、さん……?
声は雨音で聞こえなかった。
だが、手持ちライトと車のライトで照らされる中、
グッタリしている五十嵐の口が、
「五十嵐!? 五十嵐! しっかりしろ! 今助けてやるからな!!」
人質の平静なんてお題目。
ただひたすら、五十嵐の心を少しでも救いたくて。
すると彼女は、一瞬だけうれしそうに微笑むと、
「二階さん……! 私より、桂を……! 逮捕を!!」
意識は朦朧としているだろうに、大声を絞り出した。
「女ぁ! 余計なこと言うとぶっ殺すぞ!! しかもテメェ、警察だな!?」
桂は激昂し、五十嵐の首に巻き付けた右腕を絞める。
「ぅぐっ!」
「やめろぉ!!」
五十嵐の意思を蔑ろにしたいわけではないが。
そもそも警察自体が、『被害を出しても犯人を確保しろ』という方針ではない。
むしろ逆だ。危険な職場だからこそ、『命を最優先に』。
オレ自身の信条や個人的な彼女への入れ込みではない。
組織人の、人間社会としての順当な判断として
「分かった! 桂、交換条件だ! 人質を解放しろ! そうすればこの場でおまえに手出しはしない!」
高崎始め、周囲の捜査員たちがギョッとしてオレを見る。
勝手に重大な判断を宣言したんだ。当然だろう。
だが、それと同じくらい当然のこととして。
誰かが異論を挟むこともない。
「ふざけんな! 誰が信用するか!」
桂が爆弾の安全ピンに指を掛ける。
ヤツの立場なら当然の反応ではある。
「分かった! ならまず、オレ以外の捜査員をさがらせる! それから人質を交代しよう! 彼女は負傷して治療が必要だ! オレにしろ! ケガ人より長
「んだと!?」
相手に見えるよう拳銃を足元へ落とし、両手を頭の上へ。
「瀕死の人質なんて運ぶのも手間だろう! しかもすぐに死んだら役に立たないぞ! どうだ!」
返事がすぐに来ない。
ということは、却下しない程度には心が揺れているんだろう。
本当は五十嵐がどのタイミングで力尽きるかなんて、オレたちには把握できない。
シュレディンガーの猫だったかみたいな感じでの牽制になるのだが。
興奮状態の桂はそこまで頭が回っていない。
もうひと押しだ。
「おまえら! さがれ! 離れろ! オレは大丈夫だ! 任せてくれ!」
「だが」
「早く!!」
思いを汲み取ってくれたか、単に
が、まず隣の高崎が車の運転席に入る。
誰も動けないとき、誰かが動くとみんな無意識にそれへ追従するものだ。
捜査員たちは続々車に収まり、少しずつバックで後退していく。
「どうだ! 約束は守るぞ! おまえにとってもメリットしかないはずだ!」
合わせてオレは、相手を刺激しないよう、ゆっくり一歩ずつ前進する。
数秒戸惑い、動けないでいる桂だったが、
「チィッ!」
ここで譲歩を飲まないと、逆に正面衝突になると考えたのだろう。
一度は自爆するとまで叫んだ男も、逃げられそうなら決意も揺らぐ。
依然爆弾を掲げたままだが、
わずかに五十嵐に組み付く体が離れる。
オレが近くに来たら、素早く五十嵐を放してこっちを抑える準備だろう。
綱渡りの交渉がうまくいったのだ。
「ありがとう、桂」
「ほざけ!」
「五十嵐、もう大丈夫だぞ。もうすぐ助けてやるからな」
「二階さん……だめ……」
「先輩の言うことを聞け」
一歩進むごとに五十嵐との距離が縮まる。
つまり桂が逃げていないということだ。
もう少し、もう少しで五十嵐が救える
と思ったそのとき、
「二階さん。伏せてください」
「え?」
唐突に、背後から神野の声。
そのまま、オレが指示を理解して従うより早く、
この豪雨の夜を、乾いた音が引き裂く。
聞き馴染んでいるわけじゃないが、知っている音。
かつて訓練で何度も聞いた、
銃声だ。
そのことに驚き、一歩遅れて尻餅をついたオレへ被さるように、
「がああああ!!」
苦痛に歪んだ叫びが叩き付けられる。
そこには左の二の腕を抑える桂がいて、
「チッ!」
背後からは神野の舌打ちが聞こえる。
振り返ると
桂へ拳銃を向け、すでに銃口から煙を昇らせる神野がいる。
起きた事実に頭が追い付いたそのとき、
「テメェよくも!!」
「きゃっ!」
桂は五十嵐を突き飛ばし、
「死にさらせっ!!」
爆弾のピンを抜き、
こちらへ向かって投げ付けた。
全てがスローモーションに映る。
放物線を描く爆発物が
急に投げ出された五十嵐が
伏せるべきか五十嵐へ手を伸ばすべきか、一瞬ためらう自分の動きが
音は消え去った。
鼓膜の中で降っているような大雨の合唱が
おそらく後ろで距離を取るべく駆け出しただろう神野の足音が
金属製の筒がアスファルトに落ちる音が
しかしそんなもの全て、
筒が内側から歪に膨れた瞬間
中から光の糸が漏れ出た瞬間
どうでもよくなった。
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