第39話 義憤犠牲

 その日から夜の警邏体制を変えて数日。

 被疑者の男が桂剛達であることこそ分かったものの、

 当の本人が捜索範囲内に姿を現すことはなかった。


 幸いにして、そのかん管内で事件が起きることもなかったが、


「くっ! あなた方の予想は本当に当たっているのでしょうね!?」

「保証はしかねますが、論理的に予想して当たらんのであれば運です」


 市谷署刑事課では、別のものが爆発しそうにはなっていた。


「下見したうえで『やっぱりやめておこう』ということもあるだろう。たしかにオレたちの使命はいち早く犯人を捕まえることだ。だが何もないなら、それに越したこともないだろう」

「腑抜けたことを!」


 さすがに手柄がどうと口には出さないが、神野は桂が来ないことにイラ立っている。


「ヤツが野放しになっているかぎり、その『何もない』は破られるのですよ! 必ず!」


 彼は立っている場所に近い強行犯係長のデスクへ拳を落とす。

 発言内容自体はもっともだ。


 オレたちは裏の事情を知っているから複雑だが。

 五十嵐なんかは神妙な顔をして聞いている。

 コイツはおまえたちを『西部戦線異常なし』とまで言い放ったんだぞ。


 だがこのときはまだ、


『そんなこと言ったって、来ないんじゃ仕方ない』


 そういう空気だった。






 それを切り裂いたのは、翌朝の新情報だった。



「本日深夜1時、信濃町しなのまちのバスターミナルで爆発事故発生! 被害にあったマイクロバスの中から女性の遺体も発見されました!」



 一晩中の捜査で疲れ切った面々の、眠気を吹き飛ばすにはじゅうぶんだった。

 オレ自身も前線には出るなと言われたが、ずっと電話の前にいたので少し分かる。


「これで4件目! 他のチームと所轄が無能なばかりに!」


 一応神野も、『オレの手柄を残してくれて助かる』という神経ではないらしい。

 歪ませる外圧があるだけで、人並みの正義感はあるんだろう。


 それは市谷署の面々も同じ、いや、


 自分たちが捜査に関わるようになってからは、初の被害者だ。


 今までの話に聞いていただけよりショックがあっただろう。

 一度桂の顔を見て近くにいただけに、

 仕方のないことではあるが、他の署の管轄ではあるが、


『自分たちが捕まえていれば』


 と思ったヤツもいるかもしれない。

 いや、


 思ったんだろう、彼女は。






 気付けば6月になり、もう梅雨のころ。

 朝からずっと振り続け、視界も足元も悪い夜のことだった。


 その日も夜通しの『警邏』が行われており、

 オレたち捜査一課は応接室の本部で無線を統合していた。


 それは日付が変わるまで1時間を切ったあたり。

 交代で三田村が眠り、神野は神経質そうに腕時計を人差し指で叩き、

 オレはタバコを着火せずに咥えていた。


 湿度の高さでグッタリ具合も割り増しの空気感。

 そこを引き裂くように、


『こちら第二エリア捜査班!



 桂が現れました!!』



 息を切らした報告が舞い込む。


「なんですって!?」

「ふがっ!?」


 神野の大声に三田村も飛び起きる。


「今すぐ! 今すぐ確保しなさい! 絶対に逃してはなりません!」


 まるで目の前に相手がいるかのように腕を振り回す指揮官。

 しかし、


『それなのですが』

「まさか速攻で見失ったとは言いませんよねぇ!?」



『い、五十嵐巡査が、攫われてしまいました』



「は……?」


 オレの口からは、思わず言葉がこぼれ、タバコが落ちた。


「バカな!」


 神野の声が怒りで少し高くなるなか、


「五十嵐……」


 オレの脳内で、彼女の顔が走馬灯のように巡る。

 それがあまりにも不吉すぎて、


「神野! オレは前線の応援に行く!」


 ソファに掛けていたジャケットを取り上げ走り出す。


「お待ちなさい! むやみに飛び出してどうするのですか!」


 しかしこのときは神野の方が冷静だった。


「第二エリア捜査班! そこから一番近い、マークアップした犯行予想ポイントは!」

『はっ、はい! 新目白しんめじろ通りの貸し倉庫です!』

「二階さん。そちらに車を回しましょう」

「分かった」

「ぼ、僕も」

「三田村さんは残りなさい。一人は本部に残るべきです」


 こうしてオレと神野は、雨の中車で飛び出した。






 あとで知ったことだが。

 五十嵐は新たな被害者が出たことにひどく心を痛めたらしい。


 結果、彼女は神野に負けず劣らず早期解決を焦り、



 自ら志願して、おとり捜査を行なった。

 あまりの気迫で、誰が止めても聞かなかったという。



 そうして五十嵐は一人で行動、他の班員が遠巻きに見守っていたのだが、


 折り悪く雨。

 班員も、五十嵐自身も視界が機能していなかった。


 逆に相手はすでに数件を成し遂げた誘拐のプロ。

 周囲が五十嵐の異変に気付いたころには、



 彼女は車に押し込められ、誘拐されてしまった。






 車内でも絶え間なく無線の報告が入る。


『桂は新目白通りの貸し倉庫へ向かっているようです!』

「よろしい。我々も今そちらへ向かっています」


 助手席の神野はテキパキ受け答えをする。

 ここだけ見れば、雰囲気は鼻についても有能な指揮官だ。

 しかし、


 彼は自分側からの音声を切ると、


「く、くくく」


 肩を振るわせ、押し殺したように笑う。


「何がおかしい」


 オレの声が剣呑だったからだろう。

 神野はなおも笑いを我慢し、窓の外へ顔を向ける。


「やはり、おとり捜査が正解でしたよ」

「結果論だ。何より五十嵐に何かあれば大失敗だ」

「いいえ。たとえ他の方法で抑えても、現状はせいぜい怪しい廃墟マニアだ。だから所轄もヤツを特定しただけでは逮捕できなかった」


 曲げた指の骨か何かで窓ガラスを叩く音がする。

 腕時計と違って愉快そうだ。



「しかしこれで現行犯。チェックメイトですよ」



 オレの方が年上だが、自分が運転役を買って出てよかった。

 好きなだけ五十嵐の元へ急げるし、


 ハンドルを握っていなければ何をしていたか分からない。






 オレたちが貸し倉庫に到着すると、すでに何台かの警察車両が集まっていた。

 他の班も応援に来たんだろう。


「五十嵐は!」


 傘も指さずに飛び出すと、


「あそこだ」


 高崎がライトで照らす。


 そこには貸し倉庫の前、雨と夜の闇の中、くっきり浮かび上がる、



「動くな! 動くとこの女の命はねぇぞ!!」



 頭から血を流してグッタリしている五十嵐と、

 彼女を盾のようにして立ち、金属製の筒を突き出す桂。

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