第38話 東部捜査線異常なし

「これは素晴らしい」


 普段は落ち着き払った神野も、これには興奮気味だった。

 何せ


「容疑者が絞り込めただけじゃない。次の犯行をこの近辺で行おうとしていることまで分かる!」


 根城の応接室で報告を受け取った彼は、昼飯の焼き肉弁当をテーブルに放置。

 勢いよく立ち上がる。


「必ず! 必ずこの男を捕まえる!」


 ここだけ見れば、うまくことが運んで大チャンス到来といったところだが。

 実際ここまではうまくいっていたが。


「本部への報告は私がしておきます。二階さんと三田村さんは、所轄とヤツが現れそうな場所を絞り込んでください」

「分かった」



「二階さん。きっと神野さん、全部自分の手柄として報告しますよ」

「実際方針を決めて指示を出したのアイツだ。間違っちゃいない」

「でも」

「神野が手柄に焦っていることは確かだし、アイツは官僚の息子だ。だからってバイアスで見るな。別のヤツだったとして、所轄の手柄として報告するヤツが何人いる」

「所轄はそうだとしても、二階さんのがんばりはなかったことになりますよ? 最近暑いのに走り回って。神野さんは空調の聞いた応接室に居ただけだ」

「いいんだよ、オレはさっさと犯人が挙がれば」



 正直、これはオレのミスだった。

 ヤツの欲を見誤っていた。


 神野が本部へ報告していなかったと知ったのは、左遷が決まってからだ。

 どうやら応援で来る別チームに、手柄を取られたくなかったらしい。






 そんなはさておき。

 その日の14時ごろの捜査会議。


「おそらくホシは」


 所轄メンバーの滝野たきのが地図に赤のマジックペンで円を書く。


「この範囲に現れると思われます」

「あなた方が発見報告した範囲とはずいぶん遠いようですが」

「犯人は深夜に帰宅中の女性を攫っています。ここは駅とマンションや企業の社宅が多いエリアの中間です。人目につきにくい箇所もある」


 引き継いだのは高崎たかさき

 それから、


「犯人は車を持っていました。なら犯行予定地の近場より、こちらで誘拐して運んだ方が便利です」


 五十嵐が締める。

 堂々とした発言っぷり、立派になったもんだ。


「なるほど」


 これには神野も感心して頷く。


「であれば、そこを重点的に警邏しましょう」


 オレも鼻が高いものだ


 で済んだはずだった。

 ここで済んでいれば。


「では割り振りを発表します」


 神野は課員たちと目を合わせる。


「あなた、お名前は?」

浅野あさのです」

「あなたは」

島本しまもとです」

「あなたは」

木田きだです」

「あなた」

「五十嵐です」


「分かりました。では今の4名を中心に、エリアを4つに分けて捜索してください」


 一瞬場が固まる。

 冷えるというよりは「ん?」という感じ。

 滝野がおずおず意見を出す。


「あの、島本はこの4月に刑事課へ配属された新人です。急に捜査の班長を務めるのは荷が勝つかと」


 しかし、


「誰も彼女らに指揮を執れとは言っていませんよ」


 神野はやや冷たく言い放つ。


「しかし『4名を中心に』と……」


 そこまで口にして、滝野の表情が強張る。


「まさか」


 オレもメンバーを見て嫌な予感はしていた。

 なぜなら今指名された4人は全員、


 若い女性だからだ。


 何より冷酷な、冷酷な自分にゾクゾクしているような神野の薄い笑みに。

 オレの予想は確信に変わる。


 言いにくそうにしている滝野に代わり、オレが神野に向き合う。



「まさか、おとり捜査を行うおつもりですか」



 今度こそ場が、冷える意味で固まる。


 何人かは薄々察していたが、確定されるとやはり衝撃が違う。



「おとり捜査は現場レベルで判断していいことじゃない!」

「薬物犯罪だって厚労省の許可取ってやってんだぞ!」

「そもそも相手は凶悪犯だぞ! 危険極まりない!」

「ウチの課員を危険にさらせってか!」



 冷却が溶けたあとは。

 もちろん怒りの炎が轟々である。

 怒声が課内に響き渡る。


 しかし、当の神野は。

 まるで別のレイヤーに存在しているかのように、涼しい表情を浮かべている。


「おやおや。私は『今の4名を中心に、エリアを4つに分けて捜索しろ』としか言っていませんよ。まったく、言っていないことばかり付け足す人たちだ」

「なんだと!」


「あくまで警邏ですよ。もちろんそのなかで、最大効率を生み出す動きを期待していますが。事件の早期解決のため、市民を守るために、ね?」


「この……!」

「班分けはお任せします。日没には捜査が開始できるよう、よろしくお願いしますよ?」


 市谷署の面々は返事もせずに解散する。

 そのままオレたちから離れたデスクで地図を広げなおした。

 口々に


「おとり捜査なんか絶対に死ねぇからな!」

「テメェが女装してやりやがれ!」

「この件上に報告できないんですか!?」


 と聞こえてくる。


 取りなしたらいいのか近付かない方がいいのか。

 三田村は真っ青になって、両者のちょうど中間あたりでウロウロしている。


 オレは怒りに震えるのを抑え、努めて冷静に神野へ忠告する。

 視線は合わせず、署のみんなの方を向いたまま。


「問題になるぞ」

「おや、古巣とはいえ、所轄の肩を持たれるんですか?」


 対する神野の態度は、オレまで煽る対象なのか、常にこうなのか。

 もう分からない。


「問題になると言っているんだ。そもそも同じ警察で、どっちの肩を持つとかの話が」

「なりませんよ、問題になんて」


 オレの言葉は途中で遮られた。

『お説教はたくさん』というよりは。自信たっぷりに『掻き消してやる』というような。


「まえにも言いましたがね。所詮所轄なんて兵隊なんですよ。『西部戦線異常なし』、ご覧になったことは?」

「あいにく母仕込みの戦争映画嫌いでな」


『自分は官僚の息子だから』と言い出さなかったのは褒めるべきか。

 はたまた彼のプライドが許さなかっただけか。


「ただ、オレたちが『西部警察』じゃないことは確かだ」


 とにかく説得は無理そうだ。

 オレは祈る気持ちでみんなを見つめるしかなかった。


 怒りで紅潮した顔が並ぶなか、

 一人青白い顔の五十嵐が気掛かりだった。

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