第37話 市谷署
自分のデスクに戻ると、田本がニヤニヤしている。
「神野のお
「あぁ、『坊っちゃんにケガさせたらタダじゃおかんぞ』と言われた」
「そら災難だな」
ヤツはオレの肩をポンポン叩くと、
「逆にあのボンは、手柄を焦っていやがるぜ」
ボソッと呟く。
それはそうだろう。
官僚の息子で警視庁捜査一課。
出世が約束されたエリートコースだ。
が、逆に言えば、これで出世できなきゃ。
あるいは通常の官僚コースに乗った連中と同じスピード、
ただのエリートで終わったら。
これ以上の恥もないだろう。
だが、勝手に年功で上がる以上の出世をするには手柄が必要だ。
いくら些細な実績を上が増幅させようとも種はいる。
もちろん気にしなければ普通に出世していけばいい。
じゅうぶんエリートコースだし、せいぜいプライドの問題だ。
だが翻って、プライドが問題になる手合いなら。
ゆえの焦りがあるのだろう。
すでに暗雲を感じる先行きに、田本はいつものように笑った。
「ま、市谷署はおまえの古巣だろ? 気楽にやってこいよ」
翌朝、新宿区の東。
そこに鎮座する建物こそ、
オレが所轄時代を過ごした古巣、警視庁市谷署。
「行くか」
「ええ」
かつては通い慣れた自動ドアをくぐり、刑事課へ行くと、
「おおー! 二階!」
「久しぶりだな!」
「元気してた?」
「ちょっと老けたか」
かつての同僚たちに取り囲まれる。
「おいおいおい。気持ちはうれしいが仕事で来てるんだ。またあとでな」
ニヤケそうなのを隠して真面目ぶっていると、
「二階さん!」
清楚な、それでいて芯の強そうな女性の声がした。
そちらに目をやると、
「五十嵐!」
刑事課配属1年目から世話を見ていた後輩、五十嵐
「雰囲気が変わったな。独り立ちできたのか?」
「むしろ私がいなくて、二階さんが困ってないか心配でしたよ」
「コイツ、口も立派になったみたいだな」
「二階さんも」
「オレはすでに立派だったろうが」
オレが
『そろそろおまえも脱ペーペーとして後輩の指導に当たれ』
と任されたのが五十嵐だ。
どうしても思い入れがあって、話が弾んでしまう。
「二階さん。早く職務に取り掛からせていただきたいのですが」
「すまない」
神野に急かされてしまった。
旧交を温めるのも中断。課員たちが『まず課長へあいさつするだろう』とデスクへの道を開けると、
「私は本庁捜査一課の神野です。それでは捜査方針をお伝えしたいと思います。
神野は壁際のホワイトボードの前に立つ。
正直「えっ」という空気に包まれるが、彼は気にしない。
「ご存じと思いますが。我々は現在発生している『新宿連続婦女暴行爆弾魔事件』の捜査でやってきました。犯人が行動範囲を広げつつあるため、市谷署管内にも現れる可能性を考慮してです」
だが刑事は基本忙しい。辞宜合いも飛ばしてスムーズに、というならそれでも構わない連中の集まり。
全員即座に頭を切り替える。
「つまり我々は転ばぬ先の杖。いつものように事件が起きてからノコノコ解決に向かうのではなく。新たな犯行が起こるのを未然に防ぐのが役目です」
もっともなことだ。
そして最も難しい。
全員に緊張が走る。
こういうときに言われることは、大抵決まっているからだ。
「というわけで。これより所轄の皆さんには、24時間体制で警邏を行なっていただきます」
「20……」
「4時間」
「リゲインかよ」
課員たちが、小声ながらもはっきりざわつく。
刑事なんてこういうもんだが、人体として無茶ってものもある。
噂に聞く『島流し署』みたいな、存在そのものがバカにされているところは別として。
実は本店支店も、ドラマほど組織単位でバチバチではなかったりするのだが(個人は知らん)。
それでも、こうも上から言われては、所轄じゃ言いにくいこともある。
三田村が代わりに先陣を切る。
「しかし、犯行は常に深夜帯です。24時間ですか?」
「犯人は毎回人目につかない、かつ何かしらの構造物。つまり爆破のし甲斐がある場所を犯行現場に選んでいます。その彼がこのたび新宿東部へ進出するとなれば、必ず下見をするでしょう。その場合、昼から動いている可能性も高い」
神野は少し歩いて、窓の外に目をやる。
眼下に広がる
「現状犯人の顔は割れていません。が、臭い場所複数に同一人物が現れたらソイツと見て間違いないでしょう。所轄ならそういう場所に詳しい。くまなく監視してください。他に質問は?」
三田村のおかげで流れができた。
所轄の一人が手を挙げる。
「ウチの人数と増援に来たのが3人じゃ、管内24時間体制は厳しいと思いますが」
「犯人が検挙されたあとで、好きなだけ眠ればよろしい」
「……さいで」
仕方ない。どうやら世界の人権の総量は決まっている。
いまだにどこかの国やどこかの人は人権がない時代だ。
市民の人権を守るにはオレたちの人権を差し出さねばならない。
逆にストーカー被害とか、警官が差し出さず市民が犠牲になるケースも聞くが。
「それでは早速、捜査に取り掛かってください」
反論は許さない、というように神野は話を切り上げる。
本来は『ケガさせるな』だが、オレは広義のお目付け役だ。
所轄のみんなが出動するなか、応接室へ向かう神野に声を掛ける。
「おまえは行かないのか」
「本部に構えている指揮官が必要でしょう」
「正論だが、やり方と印象の問題もある。『所轄は兵隊』スタイルで得することはないぞ」
「でも実際、兵隊なんですよ」
正直、こんなヤツが出世したらお寒いような。
でも上に立つ者に必要な精神性なのか。
帝王学とやらのないオレには分からない。
ただ、オレにできるとすれば、少しでも本店支店間のヘイトを和らげることだ。
「三田村。オレは現場に出る。本部付きは頼む」
「あっ、はい」
それがまだ士気の低減を緩和したかは分からない。
そもそもオレがいたころから、市谷署のみんなは優秀だった。
みんな昼夜を問わず駆けずり回り、
一週間ほどで
『空きテナント2件、貸し倉庫1件、無人のトタン小屋1件で怪しい男を発見』
『いずれも20代後半から30代前半の男性。身長は170センチ中盤で痩せ型。同じフード付きのウインドブレーカーを着用』
『同一人物と断定』
という報告を上げた。
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