第34話 嵐のあと
その後何分地面に手をついていたかは分からない。
が、おそらくそう時間は経っていないだろううちに、
「桂は!」
捜査一課の連中が駆け付けた。
どうやらあれだけ言ったのに、粟根か水崎さんが連絡していたのだろう。
「逃走しました!」
すぐさまハキハキ答えるのは水崎さんなので、おそらく彼女の方。
「方向は!」
「えっと」
「フラッシュバンを使われたから方向は分からない。気を付けろ、ヤツは爆弾を携行している。さっきもそこの記者を人質に取った」
「そうか。各捜査員、聞こえるか! 桂は以前逃亡中!」
オレに話を聞いてきた捜査員が無線で報告を入れていると、
「おやおや二階さん、よかったですねぇ」
人を嘲笑うためにチューニングされた声が聞こえる。
粟根と水崎さんに促されて立った視界に映るのは、
「神野」
「ご無沙汰しております。『故意ドラゴン事故誘発探索者殺害事件』以来ですか」
あのときオレに嫌味を言ってきた、いや、そんなことどうでもいい。
オレが殴って左遷となった、桂に並ぶ因縁深き男。
「何がよかったんですか」
「お嬢さん、そう睨まないで。嫌われてしまったかな?」
嫌味の場に居合わせた粟根はよく覚えているのだろう。
桂を見るより険しい目で相手を睨む。
「なぁに。『捜査員が到着するまでのあいだすら尾行を完遂できない』失態。それが今回は『マスコミの妨害』と言い訳できるからよかった、と」
「なんですって!?」
小型犬のように噛み付きかねない粟根だが。
尾行を完遂できない、か。
『命令無視で逮捕しようとして失敗した』ではなく。
一応ギリギリ連絡が入っていたから、オレの独断専行がバレていないのだろう。
水崎さんが引き
やはり彼女が一報入れたのだ。
「ふん」
オレが何も言い返さないからだろう。
神野は興が醒めたらしい。
こちらへ背を向け、周囲を恫喝する。
「さてマスコミの皆さん! あなた方の行為は立派な凶悪犯の逃走幇助! 公務執行妨害だ! 覚悟はできているんでしょうねぇ!」
まだ桂を追わずに残っていた何名かの捜査員が、記者たちへつかみ掛かる。
「二階さん。ここは捜査一課に任せて、一旦署へ戻りましょう?」
水崎さんがオレの肩を軽く叩くと、粟根も顔を覗き込んでくる。
「そうですよ。蹴られてましたし、手もさっきのでケガしたかもしれません」
たしかに一呼吸置くと手首が異様に痛くなってくる。
夜の外気も感じられるようになって、より強調される気分だ。
「我ながら情けないな」
「誰もそんなこと言いませんよ」
「ほら、帰って一緒に温かいカップ麺でも食べましょ」
「粟根はさんざんバーのおつまみ食ってただろ」
熱気が冷めたのを気持ちの一区切りに、署へ帰ろうとすると、
「あっ、あのっ! 二階さんっ!」
背中に投げ掛けられる声。
振り返るとそこに立っていたのは畠山だった。
結局彼も来ていたらしい。
「あの、その、すいませんでした」
正直『やめてくれ』と思った。
彼が考えているとおり、マスコミのせいで大迷惑、オレは怒りを抑えている状況だ。
謝る必要があるという畠山の考えは、人として間違っていない。
だが、壁を殴ったなりにオレは『抑えている』んだ。
そこに『すいません』と、非を認める言葉を。
オレに改めて『邪魔された』という意識を植え付けられると。
「やってくれたな」
それは呼び水だ。消した導火線への再着火だ。
「二階さん」
「おまえらマスコミはいつもいつも! 人の邪魔して楽しいか! ためになる報道ならまだしもな! ゴシップ誌が誰の役にも立たない、人のプライベートを掘り漁りやがって! 挙句凶悪犯を取り逃した!」
「その」
「次にヤツの被害者が出たら、おまえらが殺したんだからな!」
「ちょっと二階さん!」
粟根がオレの口を抑えようとする。
自分でも過激なことを口走ったのは分かっている。
事実だとしても言ってはいけないこともある。大問題だ。
だが今のオレは怒りのあまり、そこを自制できない。
署を飛び出したときと同じだ。
善悪が分からずやってしまうのではなく、
分かったうえでやる頭の沸騰だ。
「いいか! 次オレの前に現れてみろ! 刑務所にぶち込んでやる!」
いや、我ながら大人げない。
しかし吐いた唾は飲めず、
畠山は何も言えず硬直している。
「二階さん、もう帰りましょ? ね?」
左右からも『そのへんにしておけ』という目線が注がれる。
オレももう何も言えない。
こうしてオレたちは、疲労感を土産に署へと引き上げた。
少しだけ後ろを振り返ると
畠山はじっとこちらの背中へ90度、頭を下げ続けていた。
結局その日、本店からも桂を捕まえたという報告は上がらなかった。
翌朝。
出勤すると、
「二階くんおはよう」
「手首大丈夫っスか?」
日置係長や上総は、実に普段どおりに接してくれた。
彼らだけじゃない。
他の課員も、普段からあいさつする仲の人はあいさつをする。
基本話さない相手とは特に目が合わない。
誰もオレを意識せず、腫れ物扱いしない。
昨日散々迷惑を掛けたのだ。
もっと何かあると、あってしかるべきだと構えていたから驚きだ。
もちろん非難を浴びたい人間なんているまいが、これはちょっと。
オレが落ち着かない。
「あ、粟根」
「おはようございます!」
こちらも相変わらず、というか永遠に不変そうな粟根が書類を抱え歩いている。
彼女なら安心と話を聞いてみる。
「その、自分で言うのもなんだが、みんなの態度がだな」
「やっぱり冷たいですか?」
「逆だ逆。何もなさすぎて不気味だ」
「あー」
粟根は優しく微笑んだ。
「みんな課長から話を聞きましたから。分かってますよ」
「なにっ!」
それは驚きだ。
別に『勝手に人の過去をペラペラと』とは言わないが。
敷島課長にもオレの事情を話したことはない。
いったいどうして。
思わずデスクの方を見ると、課長と目が合う。
「一応引き取る側としてな。本庁の同期からいろいろ情報は回してもらったよ」
「そ、そうですか」
「安心しろ。何もかも話したわけじゃない。せいぜい『本庁にいたころ追っていた事件の犯人』ってことくらいだ」
彼は席を立つと、トイレでも行くかのようにこちらへ歩いてくる。
すれ違いざまオレの肩に手を置き、そっと囁く。
「細かいことは自分で話せ。話したい相手にな」
これが大人の対応というものだろうか。
オレも自分をおっさんおっさん言うのなら、ああいう大人にならねばならない。
そう思いながら、課長の背中を見送った。
「同僚に恵まれて、ありがたいことだな」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう。もんじゃ奢って」
「台なしだよ」
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