第33話 千載一遇

 ウインドブレーカーの下にダボッとしたパーカーを着ているが。

 それでも痩せ型なのは誤魔化せないし、


 何より忘れもしない、

 キャップを被ってもその下から覗く、爛々らんらんと輝く目。

 瞳孔が開いているとか、なんらかの中毒者のような感じではない。

 ただ、






『動くな! 動くとこの女ごと吹っ飛ぶぜ!』






 どんな状況でも恍惚としているような、遊ぶ少年のような輝き。


「桂だ」


 オレは思わず噛み締めるように、もう一度名前を呟いていた。


「本部に連絡しましょう」


 粟根が無線に手を伸ばすのを反射的につかむ。


「二階さん?」

「それはナシだ」

「えっ、でも」



「ヤツはオレの手で取り抑える。そのためにここまでを張ったんだ」



 二人の顔が青ざめる。

 無理もないだろう。命令違反と危険な捕り物が同時に起きようとしているのだから。


「二人とも手を出すなよ」

「でもそれは」

「ヤツは女性の人質を取ることに躊躇がない。君らが小田嶋ならともかく、危険だ」

「そうじゃなくて!」

「静かに。まだ動かんさ。ここは密閉空間で客も多い。爆弾魔へ手を出すには条件が悪いからな。通りに出てから抑える。バーに来たんだ、酒も飲むだろう。酔ってくれた方が抑えやすいからな」


 桂はカウンターの離れた席に着いて、目論見どおりシー・ブリーズを受け取っている。

 ヤツの生白い喉が動くのを、オレは執念深く見つめた。






 1時間ほど経っただろうか。

 桂は4杯目にバラライカを干すと、


「チェック」


 伝票を受け取る。


 オレも背筋が伸びた粟根の前に財布を投げる。


「これで会計しといてくれ」

「あっ、はいっ」


 この店はテーブルチェック。

 レジカウンターで止まることもないので、離席するまでに距離を詰めておきたい。


 会計を済ませた桂が出口へ向かうのを、付かず離れずで追い、



 ドアベルの音を立ててヤツは表へ出る。

 数秒開けてオレも続く。秋の夜の外気温など感じない。血液が煮たっている。


 左右を見渡す。

 桂は当然走って逃げることもなく、東仲通りへ向かってゆっくり歩いている。

 酔った人間のご機嫌な動きだ。


 また、すぐ近くこそ清澄通りと人の往来もあるがここは路地。

 飲食店が連なり人がいなくはないが、多いこともない。


 少なくとも今掛かれば、ヤツの手が届く範囲に人質になる人物はいない。



 絶好のチャンスだ。



 今までは慎重に詰めたが、ここからはスピード勝負。

 一気に桂へ駆け寄り、肩に手を置く。


「なんすか」


 振り返った顔は、近くで見てもやはり、あの日のままの。


「桂剛達だな」


 素早く警察手帳と手錠を掲げ、相手が呆気に取られているうちに確保

 しようとしたそのとき、



 鼓膜に叩き付けられる、少し高い機械音。

 ロービームに切り替えない車とすれ違ったような、網膜を焼かれる光量。



「うわっ!」


 これは、昼間ではあったが、つい最近も味わった、そう、



 カメラのシャッターだ。



「マスコミどもかっ!!」



 張り込み先にまで来ていたとは。


 そういえば、勇み足で気にしなかったが。

 張り込み行くときは署の前にマスコミがいなかった。

 捜査一課が来る際に追い返したので、今日はおとなしく引き上げたのだと思っていた。


 とんでもない。

 誰かが追い返すときの問答でポロッと溢したんだろう。

 ヤツら『捜査本部が敷かれる』と知って、あえてオレを泳がせたのだ。


『激写! 熱血刑事デカ、張り込みの姿』


 とか


『スクープ! 熱血刑事、犯人逮捕の瞬間!』


 とかを捉えるために。


 大体は察した。

 状況を整理するためには必要な思考だった。



 しかし、今回ばかりは間違いだった。



「オラッ!」

「ぐッ!」



 思考とマスコミに気を取られた瞬間、腹に鈍い衝撃が入る。

 遅れて痛み。


 桂が膝蹴りを入れてきたのだ。


 受け入れ態勢がなかったオレは、受けたダメージ以上によろめき尻餅をつく。


「待てっ!」


 しかし相手は痩せ型の男だ。

 起き上がれないほどの痛みではない。


 逆に向こうは酔っていて足元も覚束ない。

 すぐに追い掛ければ取り押さえられる、というところで、



「それ以上近付くな!」

「ヒイッ!」



「チッ!」


 桂に右腕で首へ組み付かれているのは、さっきまで写真を撮っていたマスコミの一人。

 調子に乗って近付きすぎたのだろう。

 確保に水を差したどころか、今度は人質になっているようだ。


「オレを知ってるってことは、これが脅しじゃねぇってことも分かるよなぁ!?」


 逆にヤツが突き出している左腕。

 そこに握られている、一見スプレー缶のような物体は、






『この女の命が惜しけりゃ、追ってくるんじゃねぇ!!』






 ヤツ手製の、それゆえ乱雑に金属片を撒き散らす手榴弾だ。


「くそっ!」


 こんな狭い路地でやられたら、人質はもちろんオレも、集まったマスコミも。

 なんなら窓ガラスが割れて、バーの中にいる人たちだって巻き込まれる。


 下手に手は出せない。

 ジリジリ様子を窺っていると、



 コツ、と。

 桂の左足の裾から、何かが落ちてアスファルトに当たった。

 瞬間、



「うっ!!」



 またも激しい音と光。

 しかし今度はカメラではない。


 ヤツ手製のフラッシュバンだ。


 一瞬で世界が喪失し、意識もあるのかないのか分からなくなる。

 視界は白飛び、耳はキーンと。






「うっ、くっ……!」


 何秒、何分そうしていたか。

 最初に戻ってきたのは、誰かに揺さぶられているという触覚。


 ついでボンヤリと視界が効き始める。

 まだ目の前にいるのが誰だか判別つかないが、至近距離に人というのは理解した。


 何より、見慣れた口の動きをしている。


『二階さん!』『二階さん!』と。


「粟根、か」


 とオレは答えたんだと思う。

 耳がイカれて、自分が発した言葉もよく聞こえない。


 だが、マズいことを言わなかったらしいのは確実だ。

 ただでさえグワングワン歪む相手の顔が、安心したように綻んだから。


 背中にも手が触れているのを感じる。

 おそらくは水崎さんがいて、オレが倒れないよう支えてくれているのだろう。


 一人で突っ走って迷惑を掛けていたオレに、なんと優しい仲間たちだろう。


 情けなくも安堵すると、それが回復を早める。

 やっと視界がまともに戻り、


「二階さん!」


 耳もまだ若干遠いがやられてはいない。

 とりあえずセーフと言ったところ


 だが、


「そうだ! 桂は!? 人質は!?」


 肝心かなめの逃走犯は、


 粟根の肩越しの視界、



 気絶した人質を残して、跡形もなく逃げ去っていた。



「くっ! そおおおおおおお!!」



「二階さん!」


 前後にいる二人のあいだから飛び出し、思わず路地の壁を殴る。


 拳の痛みも、見ている彼女らの心の痛みも感じる余裕はなかった。

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