俺だけダンジョンの難易度が鬼畜すぎる件〜元社畜の鬼畜ダンジョン奮闘記〜

福寿草真【コミカライズ連載中/書籍発売中

俺だけダンジョンの難易度が鬼畜すぎる件

「うぉおおお!!!! 自由だぁぁぁぁ!!!!」


 スマートフォンを片手に俺、翁宗一郎おきなそういちろうはここ何年かの鬱憤を晴らすように、歓喜の声を上げた。


「これでサビ残とも、クソ上司の嫌味ともおさらばだ! だーっはっは! ありがとうインターネッツ! ありがとう退職代行!」


 自身の勤める会社が世に言うブラック企業と気がつきながらも、上司の圧力等様々な理由から退職という選択肢を取れずにいた俺。


 しかしネットサーフィン中に偶然にも退職代行という存在を知り、これならばと勢いで電話をし──今この瞬間、ついに俺は自由を手に入れることができたのである。


 というわけでアパートの自室でひとしきり大笑いをしていると、突然ドンッという音が聞こえてくる。いわゆる恋愛とは関係ない方の壁ドンである。


「っと、すみません」


 その音を受け、俺はこれまでの異常なハイテンションが何だったんだとばかりに平静を取り戻す。


「……あー、これからどうしましょ」


 そう。勢いのまま仕事を辞めたはいいが、当然今の俺には転職先などない。つまり扱いとしては無職ということになる。


 一応失業保険をあてにしつつ、節約に節約を重ねて貯めた3桁万円の貯金を切り崩せば当分の生活は問題ないだろう。なんなら、半年程度であれば気ままに旅行したりと、自由の身を謳歌することもできるはずだ。


 だが……やはりずっと仕事漬けの日々を過ごしてきたからか、いざ職がないという状況になるとどうにも落ち着かない自分がいる。


「はぁ……せっかく自由の身になれたのに、結局社畜思考からは逃れられないのかよ」


 ……なにかないだろうか。自由の身でありながら、世に明確に職として認められている。そんな今の俺を救うようなものは。


「なーんて、そんな都合の良い仕事は──」


 そう考え、俺はふと1つの職業を思い出す。


「まてよ──ダンジョン探索者……だったか? あれならあるいは……」


 ──ダンジョン探索者。数十年前、突如世界で同時多発的に発生したダンジョンという名の異空間に潜り、様々な財宝を手に入れるという存在。

 魔物という危険な生物と対峙する必要がある代わりに、活躍できれば莫大な富と名声を手に入れられるとして、ここ数年『若者のなりたい職業』として男女とも常に上位に位置している職業である。


 ……正直莫大な富とか名声なんかには興味ないんだよな。ただ、自由の身でありながら今までと同じくらい稼げるのなら……十分に魅力的だな。それにある程度貯金のある今なら、最悪すぐ辞めても問題ないと。


「……うっし。正直よくわからんがとりあえず探索者とやらになってみるか!」


 こうして俺は表面上は落ち着きつつも、内心は仕事を辞めてハイになっていたのもあってか、その勢いのままに探索者ギルドへと向かった。


 ◇


 現在日本には100程度のダンジョンが見つかっている。そしてなんとも都合の良いことにそれらは各都道府県に最低1つずつ存在しており、結果探索者の活動支援を行っている探索者ギルドも全都道府県に1ヶ所以上設置されている。


 その言葉通り、俺の住む静岡県にも東部中部西部と3ヶ所ギルドが存在している。

 その中で俺は徒歩10分程度とかなり近所にある中部支部へと向かった。


 到着と同時におよそ役場を思わせる建物に入り、その足で受付へと向かう。

 そして流れのまま受付嬢による説明を受け、探索者カードを手に入れる。

 次いで一般的な皮鎧と片手剣をレンタルすると、ものの1時間ほどで探索者として活動できる最低限の基盤が整った。


「案外あっさりしてんなー」


 身に纏った鎧と右手に持つ片手剣の重さを感じながら、俺は思わずそう声を漏らす。


 向かう先がダンジョンという死地である以上、てっきりもう少し厳かなやり取りでもあるものかと思っていたのだが。


「まぁ、受付嬢の話通りならこんなもんでいいのか」


 そう口にしながら、俺は念のため先程の会話内容を簡単に振り返る。


 まず探索者にはランクと呼ばれるものがあり、F〜Sで区分される。基本的にはFランクスタートであり、現に俺もこのランクである。

 ダンジョンはその難易度から初級、中級、上級、超級と分かれており、潜ることのできるダンジョンは探索者ランクに依存しているとのこと。

 つまり探索者の大部分は最初初級ダンジョンにしか潜ることができないという訳だ。


 そしてその初級ダンジョンがどうもかなりレベルが低いらしく、いわゆる一般的な成人男性であれば、そこまで傷を負わずに攻略が可能なようだ。


 ……まぁ、確かにそれなら最初の登録は簡単でも問題ないのか。


 改めて思い返した情報に、俺は内心頷く。


 そして同時にギルドが推奨する持ち物がしっかり揃っていることを確認すると、小さく一息ついた後、俺は最寄りの初級ダンジョン──藤枝ダンジョンへと向かった。


 ◇


 藤枝ダンジョンは藤枝駅を中心とした一般的な街中に存在するダンジョンである。


 実際に付近へと到着すると、幾人か人の姿があり、ダンジョン入口前の受付に列を作っていた。

 その姿は周囲が普通の住宅街というのもあり、さながら飲食店に並ぶ客のようである。


 俺は彼らに倣いその最後尾へと並んだ。そして持て余した時間をつぶすようにチラと辺りを見回す。


 ……やっぱ大抵緊張した顔をしてるな。俺も人のことはいえないけど。


 まぁ、それも当然か。いくら死ぬ可能性が低いとはいえもちろんゼロではない上、軽い傷を負う可能性でいえばそれなりにはあるのだ。


 たしかに現状の魔法医療やポーション類の流通により簡単な傷であれば安価に、それも一瞬で治すことができるようになった。しかし当然怪我をすれば痛みを覚えることには変わらないわけで。

 だからこそダンジョンに初めて潜る俺らのような人間は、どうしても緊張してしまうのである。


 ……まぁだからといってここで引き返す気はないけど。


 探索者の登録、武具のレンタル、初級装備の準備ですでにそれなりのお金を消費している。だからこそ、ここで引き返すことほど無駄なことはない。


 ……せめてダンジョンの内部を拝んで、1階層の攻略くらいはしないとな。


 そう考えている間に列が進み、俺の番が回ってきた。

 ダンジョン前の受付にてもう一度簡単な説明を受けた後、探索者カードを提示する。

 どうやらここでカードを読み取ることで誰がいつからダンジョンに潜っているかを管理しているようだ。


 ……まぁ大事なことだよな。


 こうして準備が整った所で、受付嬢の「お気をつけていってらっしゃいませ」の声に軽く返事をした後、街中に忽然と姿を表す異質な真っ暗い穴──ダンジョンの入口へと歩を進めた。


 ◇


「ここがダンジョンかぁ」


 先の見えない穴を抜けた先には、いわゆる洞窟のようなゴツゴツとした岩肌でできた空間が広がっていた。

 通常洞窟といえば灯りなどないが、どういう訳か目に見えた光源などないのにもかかわらず、ダンジョン内には空間全体をはっきり確認できる程の明るさがある。


「なるほど確かに異空間じゃなきゃ考えられない造りだな」


 辺りを見回し、これが街中にあるんだもんなぁと一人感嘆の声を漏らす。


 さて、これからダンジョンに挑むことになるが……なぜ今こうも悠長に周囲を眺めていられるのか、俺はその理由を含めて一度ダンジョンという存在について振り返ることにした。


 まずダンジョンは複数階層に分かれている。階層の数はダンジョンによってまちまちではあるが、基本的には難易度が高くなるほどその階層も増える傾向にあるという。

 現在俺が潜っている藤枝ダンジョンは初級ダンジョンということで難易度は最低レベル。そして階層もまた全10階層と少ない。


 ……確か日本最下層が現在124階層だったか。それでまだ終わりが見えないってことだから末恐ろしいよな。


 次にダンジョンの構造についてだが、これは場所によるらしい。ここのように洞窟タイプもあれば、各階層が先が見えないほど広いフィールドタイプなんかもあるようだ。


 ただその全てで共通していることとして、ダンジョンの一階層は魔物などの危険がないいわゆるセーフティゾーンになっていることである。


「まぁだからこそこうしてのんびりしている訳だが」


 その言葉と共に辺りを見回しながら、俺はダンジョンのとある要素を思い出す。


「にしてもダンジョン内で他の探索者と遭遇することはないってのは本当なんだなぁ」


 そう。これもかなり大事な要素なのだが、どういう訳か同じダンジョンに入っても、探索者同士が遭遇することは絶対にない。ただしこれは他人の場合で、どうやらパーティーを組んでいる時はパーティー単位でダンジョンに入れるという。


 このことから『ダンジョンは生きている』だったり『ダンジョンを操る神のような存在がいる』といった話もあったりするのだが……まぁ今はいいか。


 とにかくこれにより、いくら大人気のダンジョンであろうと、探索者同士で狩場が被ることはないのである。


 ……まぁ逆にいえばソロだとダンジョン内で助けを呼べないってことでもあるけど。


 なんにせよこれがダンジョン全体のおおよその構造である。


「うし、振り返り完了っと。んじゃいよいよ先へと向かいますか」


 俺は一人かつセーフティゾーンであることをいいことにそう呟くように声を上げると、一歩一歩と歩みを進め、2階層に続く階段を下っていく。

 数十段の階段の先に目を向ければ、これまた先の見えない穴がポツンと存在している。


 ……この先が2階層。つまりいよいよ魔物とご対面という訳か。


 俺はギュッと片手剣を握る手を強めながら、このダンジョンに存在する魔物について思い出す。


 藤枝ダンジョンは通称ゴブリンダンジョンと呼ばれており、その名の通りゴブリンのみ存在している。

 ゴブリンといっても色々と種類や強さはあるようだが、初級ダンジョンである藤枝ダンジョンには通常のゴブリンと、最下層である10階層にボスとして現れるホブゴブリンしか現れない。


 では階層ごとにどのような変化があるかというと、どうも出現するゴブリンの数が変わってくるらしい。


 そしてこれから向かう2階層に出現するゴブリンの数は1体のみ。更にいえば単体のゴブリンはごく普通の10代前半の少年が膂力で勝てる程度の強さでしかない。


 つまり最初はそんな魔物最弱クラスであるゴブリンと1対1、仮にパーティーであれば多対1で戦えるという訳である。


「確かに初めて戦闘する人間にとってこれほど恵まれた環境はないわな」


 そう言葉にしながら下り続け、俺はついに2階層の入口前へと到着する。

 そして念のため大きく深呼吸をした後、意を決して穴へと飛び込んだ。


 ◇


 穴の先は1階層と変わらない造りであった。しかし1つ違う点を挙げるとするならば、広々とした空間の中央──そこにダンジョン外ではおよそ目にすることなどできない異質な生物の姿があることである。


 2m程か人間の平均身長を上回る身長に、まるでアスリートを思わせるような筋骨隆々とした、しかししなやかな緑色の体躯。全身を覆うようにボロ布を纏い、右手には身長と同程度の大剣を抱えている。

 額からは発達した2本のツノを生やしており、ニヤリと笑みを浮かべる口元からは、どんなものでも噛み砕けそうな程発達した牙を覗かせている。


「これが最弱の魔物……ゴブリンか」


 俺は前方の魔物が発する圧倒的なオーラに気圧されそうになりながら、思わずそう呟く。


 普通に考えれば、目前のソレにはどう頑張っても勝てるはずがないのだが……ゴブリンは最弱の魔物。そして10代前半の少年でも勝てる相手なのだ。おそらくだが何かカラクリがあるのだろう。


 ……と、目前のゴブリンをジッと睨みつけながらそんなことを考えていると──不意に俺の全身をこれまで感じたことない程力が湧き上がる感覚が包んだ。


 っ……! なんだこれ!? ……なるほどな。この力が、目の前の存在を圧倒できるカラクリって訳か!


 フッと息を吐く。そして心を整えると、片手剣を握る力を強めた。


 そんなこちらの姿を目にし、いよいよ戦闘が始まると勘付いたのか、目前のゴブリンも大剣を構えると再びニヤリと口元に笑みを浮かべた。


 こうして1人と1体の視線がぶつかり──数瞬の後、俺の初めての戦闘が始まった。


 ◇


「……はぁ……はぁ……はぁ。勝った……のか?」


 目前で動かなくなったゴブリンを目にしながら、俺は息も絶え絶えにそう声を漏らす。


「……ざけんな、なにが最弱の魔物だよ……くっそ強いじゃねぇか……」


 ……正直舐めていた。湧き上がる力と、少年でも圧倒できるという敵の弱さ。精々負っても軽い切り傷程度だと思っていた。


 しかし実際にはどうだ。全身至る所に傷が付いている今の俺の姿は、とてもではないが最弱の魔物と相対したとは思えないほど酷いものだ。


「……魔物の強さは……同個体なら差はないはずだから……はぁ……要するに俺が特別雑魚って訳か……」


 最弱の魔物相手でこの結果である以上、そう結論付けるほかないだろう。しかし──


「──なんだろうなぁ……この達成感は……」


 自分は才能が無いのだと突きつけられながらも、こうして全身を絶え間なく痛みが襲おうとも、どういう訳か俺の心には悲壮感はなく、あるのは何かを成し遂げた時に感じる高揚感だけ。


「……まさか俺がここまで戦闘狂だとはなぁ……おっと」


 思わぬ事実に一人呆れていると、ここで唐突に身体がふらついた。どうやら思った以上にダメージを負っているらしい。


 俺はとりあえず手持ちにあった安価なポーションを全て口に運んだ。それにより幾分か傷がマシになったが、かなり傷が深かったらしく完全回復には至らなかった。


「……やっぱダメか。もう少し高いポーションを使えば、この程度すぐ治るだろうけど……そのためにはまずダンジョンを出なきゃだな……」


 ダンジョンにソロで潜っている以上、誰かの助けを借りることはできない。だからこそ倒れる前にダンジョンの外へ出る必要がある。


 俺はそう考えると、ズキズキと痛む身体を何とか引きずりながら、ゆっくりと道を引き返した。


 ◇


 ダンジョンの外に出ると、辺りは騒然となった。


 当然か。軽傷で済むことが大半の初級ダンジョンから、こうも全身に傷を負った男が現れたのだから。


 その後受付で処置を受け──といってもその場で購入した少し質の高いポーションを飲んだだけだが──傷が無くなった所で、受付嬢から色々と質問を受けた。


 もちろんこの場で嘘をつくこともできたが、そんなことをしても意味がないため、俺は正直に2階層のゴブリンと戦い、苦戦したことを話した。


 受付嬢はその話に俄かに信じられないといった反応を見せたが、俺が2階層までしか潜っていないことはどうやら探索者カードを見ればわかるらしく、結果的に俺の話が真実だと納得した様子であった。


 その後少しだけ休憩させてもらい、最後にやんわりと『探索者の才能がないから別の職を探した方がいい』と伝えられた後、俺はすぐさま解放された。


 そして翌日。俺はやはり戦闘の楽しさが忘れられず、受付嬢の忠告を完全に無視して探索者ギルドへと入った。


 瞬間、周囲の視線が俺へと向き──次には騒めきと、クスクスという笑い声が聞こえてくる。


 ……あー、こりゃあの場に居合わせた誰かが広めやがったな。ただまぁ……しゃあないか。誰でも簡単に倒せるゴブリン相手にあれだけの傷を負ったのなんて、きっと俺くらいだろうしなぁ。


 と、この嘲笑を受け入れつつ受付へと進んでいると、唐突に野太い男声が届いた。


「……おいおい! ゴブリン単体に負けた雑魚の癖に、まさか懲りずにまたダンジョンに潜る気かァ……?」


 声の方へと視線を向けると、そこには昨日相対したゴブリン並みに恵まれた体躯を持つ大男が、わかりやすく嘲笑の笑みを浮かべていた。


 ……うーわ、めんどくせぇ。けど周囲の反応的にこいつかなりの強者だろうし……しゃあない。今日は帰るか。


 俺は内心でそう考えると、その場で踵を返した。そして先程の大男や周囲の探索者から発せられる嘲笑の声を背に、家路に着いた。


 その日から俺は毎日探索者ギルドを覗いた。そしてあの大男がいない日は受付をし、ダンジョンに潜るという生活を続けた。


 やはり俺には才能が無いようで、何度挑戦しても2階層でかなりの傷を負ってしまう。その度に周囲から馬鹿にされるが、それでも少しずつながら成長の感じられる毎日は非常に充実したものになっていた。


 そんな生活を1週間ほど続けたところで、時折周囲から「おじいちゃん」という声が聞こえるようになってきた。


 はじめはその意味がわからなかったが、どうやら俺の苗字であるおきなを元にした蔑称のようだ。


 こうして『おじいちゃん』というなんとも不名誉な二つ名を付けられながらも、しかし俺は変わらず探索者として活動を続けた。


 ◇


 探索者になって2か月が経過した。その間ほとんど毎日藤枝ダンジョンに潜っていると、才能がないながらも何とか10階層まで攻略することができた。


 10階層には事前情報の通りこれまでのゴブリンとは明らかに纏う雰囲気の違う存在──ホブゴブリンがいた。

 はじめは当然その力に圧倒されていたが、幾度かの敗走を繰り返し、成長を重ね、ようやくその討伐に成功した。


 ……もちろん毎度他の探索者ではありえない程にボロボロになっていたが。


 そんなこんなで自分なりに成長を実感しつつも、変わらず藤枝ダンジョンに潜る生活を繰り返していたある日のこと。


 この日もいつものごとく探索者ギルドへと向かうと、なにやらギルド周辺に異様な雰囲気が漂っているのに気がついた。


 ……なんかあったのか?


 そう疑問を抱きつつギルド内を覗くと、人だかりの中で2人の男女が言い争いをしている姿が目に入った。


 一人は……高校生くらいだろうか、燃えるような赤髪をツインテールに纏めた、気の強そうな美少女。

 そしてもう一人は……俺がとにかく会わないようにと避けてきたあの時の大男であった。


 組み合わせとしてはよくわからない2人だが、遠くから話を聞いているとどうやら大男が赤髪の少女をパーティーに誘っているらしい。ただ──


「あー!? ギルド一の強者である俺様が誘ってやってんのに断るってのかァ!?」


「だーかーらー! 力とか関係なく、あんたの人柄が無理って何度も言ってるじゃない!? なんで伝わらないのよ!」


 ──会話内容的に大男がかなり強引に迫っているようだ。


 ……女の子側はかなり嫌がってるみたいだな。流石に可哀想だし、ギルド側から大男に注意でもして欲しい所だが。


 そう思い、奥のギルド職員へと視線を向けると、少女を心配そうに見つめつつも、どうやら大男が怖いのか間に入る気はなさそうであった。


 ……くそ。ギルド職員はダメか。なら、他の探索者は──


 と辺りを見回していると、ここで唐突に少女が悲鳴を上げた。


「きゃっ……! っ……いた……っ! や、やめて!」


 その声に思わず2人へと視線を向けると、どうやら痺れを切らした大男が少女の手首を掴んだようである。


「…………っ!」


 周囲の探索者たちが息をのむ。


 手首を掴まれた少女は痛そうに顔を歪めた後、先ほどまでの気の強そうな瞳に涙を滲ませると、助けを求めるように周囲に目を向ける。


 しかし周囲の探索者やギルド職員はあの大男がよほど恐ろしいのか、目線を逸らすのみで一切助けようとはしない。


 そんな彼らの反応を受け、表情に絶望を滲ませる少女。


 そんな彼女の姿を目にし──俺は1人小さく息を吐いた。


 ……はぁ。本当は関わるべきじゃないんだろうけど。この状況じゃ流石にそういう訳にはいかないよなぁ。


 周囲は最早あてにならない。であれば、この場で彼女を救えるのは俺しかいない。


 ただ……あの大男との力の差を考えれば、仮に少女をこの場から救うことはできても、俺自身はかなり大怪我を負うことになるだろう。いや、下手すれば死ぬ可能性も──


 そこまで考え、俺はすぐさま恐怖を吹き飛ばすかのようにかぶりを振った。

 そしてよしと気合いを入れると、内心「死にたくねぇなぁ」と思いつつ、彼らの元へと近づく。


 そして「なぁ、嫌がってるだろ? あんま強引に誘うのはやめとこうな」という言葉と共に、少女を掴んでいる大男の手首をギュッと握り──


「んぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 ──瞬間、大男の悲鳴と共に何かが砕けるような音が辺りに響き渡った。


「……………は?」


 目前で手首を押さえながら蹲る大男の姿を見下ろしながら、俺は訳の分からない状況に素で戸惑いの声を上げる。


 ……いや、え? どゆこと?


 一応俺としては、間に入り矛先が俺に向いた所で少女を逃すという筋書きを描いていたのだが。


 ……いや。まぁなんにせよ少女が拘束から逃れることができた。なら今のうちにこの子をこの場から逃がすか。


 そう考えると、俺は目前で同じく困惑している少女へと視線を向ける。


「なぁ、今のうちに──」


 ──その瞬間であった。


「テメェ……っざけんじゃねぇよ!!」


 突然目前で蹲っていた大男が物凄い形相で立ち上がった。そして完全に頭に血が上っているのか、俺の腹部めがけ本気で殴りかかってくる。


「……いやっ!」


 圧倒的強者である大男の全力右ストレートに、少女はこれからの惨状を考えてか、小さく悲鳴をあげた。


 大男の拳が腹部へと迫る。まるでスローモーションのように見えるその拳に……あぁ、俺はここで死ぬんだなと悟った。


 その間にも拳は迫り、そしてついに俺の腹部へとぶつかった……その瞬間──


「んぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 本日2度目となる大男の悲鳴と、何かが粉々に砕けるような音が辺りに響き渡った。


「「…………へ?」」


 少女と俺の困惑の声が重なり、思わず視線が合う。


 ……待って待って、どゆこと? ってそうだ! 俺の腹は!


 慌てて、服を捲り、男の拳が当たった箇所を露出する。しかしどういう訳かこれっぽっちも傷らしきものは見当たらない。


 ……いや、え? まじで訳がわからないんだが。まさかこの大男が手加減したとか……?


 今起きていることが本気で理解できず、困惑と共にうずくまる大男へと視線を向ける。

 大男はピクリとした後、恐る恐るといった様子で顔を上げ──俺と視線が合った瞬間「……ひっ!?」という素っ頓狂な声と共に、逃げるようにギルドの外へと出て行った。


「えぇ……」


 思わず俺がそう声を漏らすと、ここで静まり返っていた周囲が、まるで止めていた呼吸を再開するかのように騒めき出した。


 その声を受けてか、少女はハッとした後「お礼を言いたいのだけど、この後時間あるかしら?」とこちらへ声を掛けてくる。


 その声に、俺は今置かれている状況に理解が追いつかないこともあり、完全に処理落ちした脳のまま「おう」と返事をする。


「よかった。それじゃいきましょ」


 言葉と共に、少女は柔らかく俺の手首を握ると、ギルドの外へ向かい歩き出す。

 俺は処理落ちした脳のまま、彼女に引かれるままにギルドの外へと出た。


 ◇


 その後俺と少女は近くのカフェへと入った。そして互いに注文した飲み物を飲み、一息ついたところで、少女が口を開いた。


「さっきは助けてくれてありがと。あたしは火野愛華ひのあいか。Dランク探索者よ」


 ……Dランク!? 格上じゃねぇか!


 内心でそう思いつつも努めて冷静を装い、言葉を返す。


「翁宗一郎だ。……助けた? のかはわからんが、とりあえず無事でよかったわ」


 俺の声を受け、少女──愛華はその元々大きな瞳をさらに大きく見開いた。


「翁……まさかあなた『おじいちゃん』!?」


「老人ではないが……まぁ世間からはそう呼ばれているな」


「う、嘘。あなたFランクよね……?」


「実は最近はれてEランクに昇格したんだが、まぁ藤枝ダンジョンで苦戦してたやつって意味なら間違いじゃないぞ。ほれ……」


 言葉と共に、俺は自身の探索者カードを彼女に手渡した。愛華はそれを受け取ると、食い入るように見つめる。


 そして数十秒ほど経過したところで、愛華は呆然とした表情で俺にカードを返した。


「本当にあの『おじいちゃん』なのね……」


 彼女は呟くようにそう声を漏らすと、続けて真剣な面持ちで言葉を続ける。


「あなたもしかして秘めた力を隠していたりする?」


「いや、さっきカード見せただろ? それが答えだよ」


「そう……よね。探索者カードに虚偽情報は記載されない。つまりあなたはEランクながら、あのCランクのクズを圧倒したと……」


「いやーそこなんだけどさ。正直俺もよくわからないのよ」


「わからない?」


「おう。だって俺なにもしてないしな」


「何もしてないって……」


「ならあの大男の悲鳴はなんだって顔してるけど、悪いけどまじでわからんぞ。あの時の俺の困惑した顔見たろ?」


「えぇ、それは見たけど……うがー! もうわけわかんない!」


 言葉と共に少女は頭を掻きむしる。

 しかしその暴走も束の間、すぐさま居住まいを正すと、こちらへと頭を下げてきた。


「……まぁなにはともあれ、あなたのおかげで救われたのは確かよ。改めてありがとう」


「おう」


「……ねぇ。あ、えっと宗一郎って呼んでいいかしら?」


 明らかに彼女の方が年下だが、特に敬称や敬語にこだわりのない俺はすぐさまうんと頷く。


「いいぞ」


「こうして救われた以上、お礼がしたいんだけど……何かあたしにしてほしいこととかないかしら?」


「してほしいこと……?」


「あっ! え、エッチなのはダメよ!?」


「いや、しねぇよ。……にしてもそうだなぁ」


 正直してほしいことと言われても特に何もないんだが、おそらくこの少女はそれでは納得しないだろう。


 ……してほしいことねぇ。


 目前で愛華が期待したようにこちらをじっと見つめる中、俺はうーんと考え──


「あっ。ならさ──」


 ──ひとつ思いついた考えを彼女へと伝えた。


 ◇


「まさかこんな簡単なお願いとはね──」


 そう呆れ顔で言う愛華に、俺は真剣な面持ちで言葉を返す。


「いや、格上の愛華に戦闘を教えてもらえるって結構なお願いだと思うけどな……」


「んー間違ってはないんだけど。なんかなぁって感じ」


 言葉と共に、愛華は複雑そうな表情で息を吐く。


 ──そう。あのカフェの場で俺がしたお願いは、コーチング。

 つまり俺が今後探索者として上にいけるよう、実際に俺の戦闘風景を見てもらい、アドバイスをもらうことである。


 我ながら中々良いお願いだと思ったのだが、どういう訳か愛華の表情はあまり冴えない。


「あまり言いたくはないけど、宗一郎って強さの割にかなりの戦闘狂よね」


「一言余計だが、まぁ戦闘狂なのは認める」


「認めるんだ。……まぁいいわ。それでここがいつも潜っているダンジョンで合ってるかしら?」


「おう。藤枝ダンジョンだ。……って、その言い方だと愛華はここ初めてなのか?」


「そうよ。だってあたし1週間前に中部に引っ越してきたばっかりだし」


「あーそうだったのか。……って、そんなお前ですら知ってるとか『おじいちゃん』の2つ名はどこまで広がってんだよ……」


「とりあえず東部までは知れ渡っていたとだけ伝えとくわ。よかったわね、名前が売れてて」


「嬉しくねぇ……」


「さて、軽口はここまでにして。それじゃいきましょうか」


「おう。よろしく」


 そんなやりとりと共に、俺とそして一時的にパーティーを組んだ愛華は共に藤枝ダンジョンへと入った。


 ◇


「ふーん、洞窟型なのね」


「ん? 珍しいのか?」


「全国的にはありふれているけど、東部ではあまり見かけなかったわ」


「ほー結構地域差あるのな」


 そう会話をしつつセーフティゾーンである1階層を歩く。そして2階層へと続く穴の目前まで来たところで、愛華がこちらへと視線を向けた。


「念のため確認だけど、ゴブリンと宗一郎が戦うところを見て、気になった箇所を指摘すればいいのよね?」


「おう、それでよろしく」


「わかったわ。あたしもいるし、そもそも初級ダンジョンだからそこまで気負う必要はないんだけど……まぁ、気をつけてね」


 愛華のその言葉にうんと頷いた後、俺は彼女と共に2階層へと続く穴へと飛び込んだ。


 ◇


 2階層へと到着すると、もはや何度戦ったかわからない俺の好敵手ライバル──ゴブリンの姿が目に入る。


 ニヤリと獰猛な笑みを浮かべるゴブリン。そんなヤツに俺も力強く睨み返した後、その視線をチラと愛華へと向ける。


「うし。それじゃ行って──って、ん? どうした愛華。そんなにゴブリンを見つめて」


 俺の言葉に、愛華はまるで壊れたロボットのようにギギギとこちらへ顔を向ける。


「ねぇ、宗一郎。ここって藤枝ダンジョンよね?」


「おう」


「藤枝ダンジョンって初級ダンジョンよね?」


「……ん? そりゃそうだろ。初心者の俺が潜れてんだし」


「そうよね。そのはずよね」


「…………?」


「ねぇ、もう一つ質問していい?」


「おう」


「貴方の目の前にいるのは何?」


「なにって、ゴブリン。Fランクで最弱の魔物……だろ?」


「…………はぁ」


 こいつダメだとばかりにジト目を向けられる俺。愛華は呆れ顔で言葉を続ける。


「いい? あれはホブゴブリンナイト。Cランクの魔物よ」


「…………は?」


「通常中級ダンジョン下層か上級ダンジョンで登場するような魔物なんだけど……おかしいわね。どうして我が物顔で初級ダンジョンにいるのかしら」


「いや、どういうこと?」


「そんなのこっちが聞きたいくらいよ。……でもあんたにとってこれは日常なのよね?」


「……おう」


「そ。……それじゃ、あたしは帰るわ」


 言葉の後、愛華はすぐさま踵を返す。


「は? いや、ダンジョンでの戦い方を教えてくれるって──」


「こんな鬼畜ダンジョンに潜ってるようなやつに何を教えろっていうのよ!」


 目前で吠える愛華。そんな彼女の姿、反応、そしてなによりもあの大男に対峙した瞬間を思い起こせば──流石に嫌でもわかる。


 ──なるほど。どうやら俺だけダンジョンの難易度が鬼畜だったらしい。……いや、どういうこと!?


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