第ニ話 みえるということ ①

 あれから十四年。

 矢内静は二十三歳になった。

 高校卒業後、やりたい事がわからずにいた。   

 資格は取っておきなさいと両親に説得され、県外の一年制専門学校に入学。簿記や秘書検定、旅行業務などの資格を取った。

 就職活動をしたが内定をもらえず、実家に戻ってきた。

 今はとりあえず稼ぐことに集中している。

 求人で応募していたコンビニで働いて、もうすぐ四年になった。

 夢も目標もなく、ただ生きている。


 「高速道路ってどこ?」

 平日七時。

 世間はゴールデンウィークが開けたばかりだ。

 売り上げ重視ならゴールデンウィークは稼ぎ時、人手不足な内部事情を分かってるならゴールデンウィークは魔の期間。

 この県は動物で有名なテーマパークもあるし、白い砂浜と輝く海も綺麗だ。もう少し南まで行くと大きな神社が三ヶ所あり、県内に張り巡らされた古道も有名でもある。

 山に抱かれて、大きな川も流れ、綺麗な海もある、観光にはもってこいだ。

 コンビニは人の移動で成り立って経営しているものだと静は思う。

 来店音が鳴り止まず、もはやその音が店内のBGMと化していた。

 ゴールデンウィークは観光客で多かったのに、今は、出勤するさまざまな業種のお客さんと登校する学生さんで店内がごった返すのだ。

「いやー、すみません。この地域には高速道路はまだ出来てないんです」

 スーツをきた体格がいい五十代くらいの男性にそう告げると、

「ナビでみたら新の宮市まで海岸沿い線で約ニ時間!八時半までには先方に行かにゃならんのに!」

 あー、それはお疲れさまです、朝から頑張ってくださいと静は心の中でエールを送る。

 そもそも下調べが足りないなどとは言えないので、大変ですねという言葉で返した。

 そのお客さんはおにぎりとお茶とお菓子を買っていった。

 ピークはまだ続く。

 レジが空くと後ろに並んでいた学生さんが苛立たしげにカゴをゴンと台の上に打ち付ける。    

 いつものことだ。

 相手にはしないようにお待たせしましたーと静は素早くバーコードを通していく。

 冷静にならないとピーク時は仕事にならない。

 このコンビニは国道沿いにあり、すぐそこの信号が青になると駐車場にめがけて、通勤通学の人々がなだれ込んでくる。

 ピーク時に思うことはただ一つ。

 早く終われだ。

 終わるまで冷静に心を無にすることが、意外と仕事がスムーズにいく。

 朝のピークがようやく落ち着いてきたころ、

「さっきの人、さすがに田舎の事なめすぎやない?」

 同じパートで勤続年数は長いと言う小野が話しかけてきた。小野はおしゃべりで情報通、いわゆる噂好きの女性だ。

「ほんとっすね、返答に困りましたよ」

 愚痴は言いたくないので困った困ったという笑顔を作る。

 なるべく笑顔でいること。

 それは社会に出て学んだ事だ。

 疲れるが一番の処世術だと静は思っている。

 笑顔でいれば、そこからこちらの事情には入ってこられない。のらりくらりと誤魔化すことができるからだ。

ピロピローン ピロピローン

 入店音が鳴る。

 一日中働いていると頭にこびりついて、なかなか取れなくなる音。

 入店音脳内リピートは従業員あるあるだ。

「おはよう。ピースライト一つくださいな」

「おはようございます、いつもより少し早いですね」

 タバコを注文したのはいつもの常連のお客さんの声だった。少しハスキーでいて、声が通るお姉さんで、静の中で数少ない顔と声が一致しているお客さんでもある。

 このお客さんはだいたい十時過ぎくらいに来店するのだが、今日は九時前だ。

「今日は休みなんやけどな、甥っ子が東京から来ること忘れとってん。それを迎えに空港にね。あ、いやや、すっぴんやからあんまり見らんといて」

 被っていた帽子を目を隠すように引っ張っる。

 あ、どうりで。

「いつものお化粧はおきれいやけど、今は可愛くていいと思いますよ!」

 嫌味とかお世辞とか無しに本当にそう思った。

 肌艶いいし、アイシャドウとか入れなくてもはっきりとした二重が際立っている。

「いややー、おばちゃん喜ばせてどうすんのよー」

 急にレジから走り出したと思ったら、野菜ジュースを手にして帰ってきた。

「これも!」

 タバコと一緒に野菜ジュースもレジに通す。

「668円です」

「700円で、あ、待って8円ある!」

 コイントレーにこちらが分かりやすいように小銭を並べてくれる。

「お釣り40円になります」

 そう言ってお釣りとレシートを差し出すと、

「ありがとう!言ってくれて嬉しかったから良かったら飲んで!」

 差し出されたのは野菜ジュース。戸惑っていると手にそっとそれを乗せられた。

「健康第一!」

 タバコを握りしめて、颯爽と歩いていく常連さん。なんだか矛盾しているのは気のせいか。

「あ、ありがとうございます!」

 扉から出ていく寸前の常連さんに届くように声を張り上げた。

 常連さんは気づいてくれたようで、親指を立てグッドサインを送ってくれた。

 かっこいい。

 女性でかっこいいのは犯則だ。

 名前も知らない常連さんに少しきゅんとした感情が目覚めた気がした静だった。

 入れ替わるように来店したおじいさんが見えた。

 襟のついた白いポロシャツにベージュのスラックスがトレードマークのおじいさんで、何度か見かけたことのある人だ。

 小野があらー、お久しぶりですねと話しかけていた。

「今日は病院だったんですよ。コーヒーでも飲みながら帰ろうかと」

 優しく微笑むおじいさんに癒やされる。店員に優しく丁寧な言葉で接してくれる。

 なんていい人だとレシートの取り替えをしながら、今日はいい人が二人もいたぞと心の中で叫んだ。

 そのまま小野がおじいさんのレジをしていた。店内のコーヒーマシンによって、とても香ばしい深みのある匂いがする。

「今日はどうされますか?」

「砂糖とフレッシュ、一つずつお願いします」

 コーヒーはブラック派な人、絶対何か入れる人、その時の気分で変える人。このおじいさんは気分で変える人だ。

「どら焼きと一緒にたべよかな」

 わかる、コーヒーと餡子って合うんだよなとおじいさんに同意する。

 おじいさんは駐車場に止めてある車の中で食べるという。

「ありがとうございました、お気をつけてー」

 静と小野はおじいさんに手を振り、それぞれの仕事を続ける。

 小野は雑誌や雑貨の検品作業、静は床掃除にゴミ箱のゴミ出し。検品しながらレジをしてくれるので大助かりだ。

 床掃除は如何に手早く、順序よく、なるべく棚と棚の間を一筆書きのように掃いていくかを考える。レジ周りはお客さんの邪魔にならないように掃く、スピード勝負だ。

 ゴミ出しは、外に置いてあるゴミ箱からゴミを出し、それぞれの地区町村の仕分けに従いながらゴミを分ける。

 たまに燃えるゴミのところに、火のついたタバコが捨てられていたこともある。それで軽いボヤ騒ぎになった。なんだこれ!?と思うようなゴミもある。

 そんなときはもう心の中がブツブツ文句大会が始まってしまう。

(おいおいおい!なんてもん捨ててんねん、R指定のもんやんけ!自分の家で捨てろや)

 心の声は誰にも聞こえないので便利だ。口が悪くても誰にも咎められない。

 コンビニ業務は手早くしないと後の仕事ができなくなる。でも、休憩だって必要。

「あ、矢内さーん。ゴミ終わったら休憩ねー」

 ちょうど店長が出勤してきた。

 たぶん発注をしにきたのだろう。

「はーい!」

 10時過ぎ、今日の入りは5時半出勤だったのでお腹はペコペコだ。家でおにぎりを作ってきたのでそれを食べる。節約は大事だ。

 交代で小野と休憩を取り、あとはお昼のピークに備え、揚げ物を多くしておく。朝よりお客さんは少ないが買っていく量が多いのが特徴だ。お腹が空いてる時って何でも美味しそうに見えるからだろう。

 お昼のピークが終われば、お菓子や飲料の補充に回る。それが終われば静の仕事は終わりだ。シフト制なので交代の人がくるまでの時間がより一層長く感じる。

 品出しをしながら、ゴールデンウィーク頑張ったから帰りに本屋に寄って帰ろうと決意した静だった。

 あとは一分でシフト上での静の勤務は終わる。が、交代の浜は遅刻魔である。あと五分、早く家を出たら良いのにといつも思うことだ。

 レジの後ろにある駐車場を見渡せる大きな窓を見ていると、車から降りて、全力疾走の浜が見えた。足が速い。

「おはよーございます!セーフ?セーフ?やうっちゃん、これセーフやな!?」

 入店音を巻き込みながら、バックルームに駆け込んでいく。

 いつも、コイツは騒がしいがコミュニケーション能力が高く愛されキャラとなっている。

 浜が働き出してから、静は年上の人には『矢内さん』、年の近い人たちからは『やうっちゃん』と呼び方が変わった。

 昼2時ちょっと。静の勤務がおわった。

「お疲れ様です、浜くん、がんばれー」

 制服を脱ぎ、ロッカーからお気に入りの犬がプリントされたトートバッグを持ってバックルームから出た。扉がしまってから、

「お疲れさまでしたー!」

 元気な浜の声。でかいな。

 コンビニの駐車場の隅に止めてある自分の車に乗り込む。むわっとした車内特有の温度が嫌で、すぐに窓を開けた。まだ五月だというのに暑い日が多い気がする。

 家から職場まではだいたい三十分ほど、ちょっと遠回りの帰り道になるが、本屋に行きたくてうずうずしている。車のキーをワクワクしながら回した。

 前は何軒か大きな本屋があったが、不景気なのか本屋は二軒ほどになっていた。悲しいことだ。

 今日来た本屋はこの辺りでは一番店舗が広く、品揃えも良い。隣に併設されている雑貨屋さんも見て回れるためお客さんも多い。

 通販でもいいのだが、本屋に行って直接選ぶという行為がすごく楽しいのだ。

 小説や漫画の新刊が発売されることは情報として頭に入ってるが、知らぬ顔で小説コーナー、漫画コーナーの新刊売り場で探す。

 じっくり右から左へ。一冊ずつタイトルを目で追っていく。その行為が宝探しのようで好きだ。

 見つけた時のあの快感、達成感が堪らない。  

 そして、手に取る。まるで何かの賞を取った感じが誇らしく思える。

 それとは別に思いがけない本に出会ってしまうのも本屋のいい所だ。

 小説は特にその出会いが多い。

 今までとは違うジャンルものに出会える。

 タイトルに惹かれ、冒頭を読み、文章の柔らかさに触れ、言葉の言い回し、自分の知らない世界が見え隠れしている。続きが気になるので買ってしまう。

 漫画はお財布と相談しながら、じっくり読みたいので小説は二冊までと決めている。

 静の個人的な考えだが、漫画は脳内で映画のようにキャラは動くし、声も聴こえるように読んでしまう。

 小説はその主人公そのものの物語。

 まるで人生だ。その人生に入り込んで、自分は透明人間のように主人公の後ろをついて回る。

 その二つの違いが楽しく本が大好きだ。本屋には時間があるときは一時間、二時間は軽く滞在してしまうのが静だ。

 最初は別の目的で本を読むようになったのにどっぷり本の虫になってしまったなと棚に並んだ本を見つめた。

 すでに新刊の漫画は一冊を手に持っている。

 次は、小説コーナーに行って、著者名順にじっくりと見ていこうと踵を返す。

 すると前には男性がいた。

「あ、すみません」

 咄嗟に声が出る。

 避けることができず、ぶつかってしまった。

 本に気を取られすぎていた。

「こちらこそごめんなさい。周りが見ていませんでした」

 眼鏡を掛けた目がきりっとした人だった。短髪で背は高い。声もよく通るインテリ系イケボ男子ってやつだろう。

 この辺りでは珍しいイントネーション、標準語寄りだなと思いながら、

「ほんとにごめんなさい。私も周り見えてなくて」

 すっと頭を軽く下げる。悲しいかな、接客業で身についた癖である。

「それじゃあ、お互い様ってことですね」

 きりっとした目を細めて、何でもないと笑うその人。笑うと目尻が下がった。

 それではとその人も軽く頭を下げて、その場所から去っていく。

 はぁー、スマートだーと感心した静だった。

「あっ」

 トートバッグからスマートフォンを取り出す。

 時刻は16時32分。

 ちょっとだけ小説コーナーを覗いていこう。

 結局迷いに迷って、小説は買わずに漫画だけをセルフレジに通した。

 迷いすぎると判断力を失ってまた今度となってしまう性格を直したい。

 精算を終え、入り口に向かう途中、

「ただの腰痛やって。湿布張っておけばええと思うんよ」

 四十代くらいの作業着を着た男性が電話をしながら歩いていく。

 ああ、もうそんな時間か。

 今年に入ってから何故か、日があるのにも関わらず赤いものが見えるのだ。

 男性の腰には蛇のようなものが巻き付いていた。おそらく頭の方だろう、赤い糸が蛇の舌のように出たり入ったりしている。

 早く家に帰ろう。黒いのが見える前に。

 静の目には赤以外にも見えるようになっていた


 四月がくれば中学校一年生になるという頃に初めて黒いモノが見えた。

 土曜日の昼、父方の祖父母の家に泊まりに行ったときだった。

 祖父母の家は静の家から車で二十分ほどの所にある。父の兄家族もいて賑やかで泊まりに行くのが週末のお楽しみだった。

 従姉妹達とも遊べるし、祖母とも遊べるのが何よりも楽しかった。

 しかし、今回は兄家族は旅行中で、従姉妹達とはまた今度遊ぼうなと約束を交わした。

 祖母は面白い話をよくしてくれた。

 怪談話だったり、この地域で起きた不思議な話や草木の話もとても面白かった。

 祖母といるのが楽しくて、畑を手伝ったり、台所でお茶を入れる祖母の後ろをついて回ったのをよく覚えている。

 居間の五時を知らせる時計がぼーんぼーんと鳴り響く。

 嫌な時間帯が始まる音。

 祖父母二人に赤いのが見えても触ればいいだろうと覚悟をしていた。

「しぃちゃん、お風呂沸かすから入ろか」

 お風呂場へ行く祖母にまで静はついて行った。

「おばあちゃんとはいるー」

「狭くなるでー」

「ええのー」

 そのやりとりを後ろで見ていた祖父がばあちゃんくっつき虫が現れたと笑っていた。

 せっかく遊びに来たんやもんと、まだまだおしゃべりしたい一心で祖母のまわりをウロチョロしていたとき、

 もぞり

 脱衣所で何か動く音がした。

 湯船に溜まっていくお湯に混じっていたため聞こえづらかったがなんだろうと目を凝らして見た。じっと周りを見たが何もなかった。

「溜まるまでご飯の準備しとこかー」

 はーいと返事をしようと祖母の方向いた。

 ニコニコしている祖母の後ろに、黒い泥人形のようなものが立っている。

 祖母の後ろ姿をじっと舐め回すように見ていた。祖母の身長よりか少し大きく、どろどろした腕のような物を祖母に向けている。手を伸ばしているようだった。

「ひっ」

 それは静に気づいたみたいで、ニチャアっと口みたいな所が弧を描くように笑った気がした。

「どないしたん?」

 不思議そうに祖母が静を見ていた。

 なんもない、なんもないと台所で手を洗いながら、

「今日のご飯、なんなん?」

 精一杯楽しみだって聞こえるような声をだした。

 あんなん言えるわけがない!

「今日はなー、ハンバーグ。しぃちゃんは育ち盛りやからね」

 ご飯にお味噌汁、祖母がつけたお漬物、それに煮込みハンバーグ。どれも大好きなメニューだった。

 美味しい美味しいと頬張りながら、なんて源に言うかを考えて食べたハンバーグはしょっぱい味がした。

 知らず知らずのうちに涙が流れていた。

 良かった。祖父母は気づいていない様子で、お笑いのテレビを見て笑っている。

 たぶん、解らずとも本能だったんだろう。

 敵わないと怖じ気づいたのだ。


 翌日のお昼過ぎ、祖父に家まで送ってもらった。両親へのただいまをそこそこに、源の部屋に向かう。

コンコン コンコン

 源の部屋をノックし、引き戸を開けると、

「お、おかえり。楽しかったか?」

 なにやら、ゲームとお菓子をリュックに詰めている。

「遊びにいくん?」

「そ!平のところにな。春休みだからなー、ゲームの期間だ」

 平とは安斎夫婦の息子だ。

 おっちゃんとは違い大人しい性格でよく源と合うなって思う。

 静の父は高校で歴史を教えている。

 平の名前を知ると、こんな近くに源平が揃うなんて!って感動していた。

 父は所謂歴史オタクだ。

 そのため、子どもの名前も歴史上の人物の名前を頂戴している。

「源も平くんも部活とかないん?朝だけの日?」

「そうなんよー、ゲームをしてくださいってゆわれてる気分やな」

 ワクワクが止まらないと言った感じで、ゲーム機の入ったリュックを抱きしめていた。

 「あ、なぁ、源。ちょっとええ?」

 祖母の後ろにいたもののことを話した。

「なんやろ、黒は初めてやな。泥人形ってどんな?」

「なんかどろどろって、あ、ヘドロみたいな。ずっとおばあちゃんのこと見てたんよ、目は笑ってないのに口はニチャアってなってた」

 あの祖母の背中を見てる目は、まるでテレビで見たライオンが獲物を捕らえた時の目によく似ていた。

「……なんかわからんけど、無理やっておもた」

 思い出して、背中がぶるっと震える。

 その日以来、源と約束をした。

 約束と言ってもホウレンソウだ。

 報告、連絡、相談。

 簡潔で分かりやすく覚えやすい。

 大人の真似事だが理に適っている。

「じゃあ兄ちゃん、部活の後、寄って見てくるわ。学校から近いし」

 祖父母の家と源の高校は自転車で十分ほどの距離感だった。家から高校まで源の運転が早いのか五十分くらいで着いてしまうらしい。

「ええの?しんどない?」

「しんどくない、しんどくない。ついでになんか食べてくる」

 一番の目的はそれだろう。

 部活の後はお腹が減って仕方ないらしい。買い食いしてお小遣いが足りないと嘆いていたと巴が言っていた。

 源に赤いものは見えていない。

 黒いどろどろした人形も見えないだろう。

 だから、本当にご飯をもらいにいくのだろうな。

 

 宣言通り、源は祖父母の家に行ってご飯を食べて帰ってきた。

 あの日からニ日後の事だ。

「黒いのは見なかったなー。やけど、炊き込みご飯は最高やったわ!」

 祖母の所でご飯食べて、家でたらふく夕飯を食べ、今は食後のおやつのあんぱんを食べる源を見てドン引きした。

「ばぁちゃん、元気やったで。なんもないと思うけど。腰が痛いって、年のせいっていやっただけや」

「そうなん?一緒に畑にいったりしたのが悪かったんかな」

 祖母の姿を思い出した。膝が悪く、少しゆっくりした動きだったけれど、何の違和感もなかった。

 赤い線が見えだして、戸惑いながらも見慣れつつあった静だった。

 安斎のおっちゃん、源には赤い線。みっちゃんにはミミズのようなもの。

 だんだんと線から物、動物、道具だったりと、形が変わってきていると感じていた。

 それは友達や先生、知らない人にまで見えるようになっている。

 なんで見えるのか、なんで形が違ってきているのか、怖くて不安で仕方なかった。

 そして、今回は黒いどろどろした泥人形だ。

 安斎のおっちゃんが事故になりそうだった事、源が怪我をした事が頭の中でよぎる。

 嫌な思い出となっている。

 そんな思いはもうしたくない。

 だから、なるべく触るように努力していたのに、

「知らん人には関わらんように、あと友達でもなるべくせんといて」

 少し厳しい声で源が言った。静に背中を向けて。

 なんで?と源に問うた。

「あれ、触ると気持ち悪いんやろ?頭痛くなるんやろ?怖いやろ?兄ちゃんは変わってやれんから。知らん振りも大事なんよ」

 無理する必要はないと源は悲しそうな顔をして言った。

 でもな、源。

 私には見えてしまってるんよ。

 心の中で源の気持ちに少し苛立った。

 わかってる、自分を思ってのことだと。

 赤いのが何なのか解らない、黒いのも見えた不安がない混ぜになって渦巻いていく。

 そのことをどう表現していいか、言葉にできない自分になによりも腹が立つ。

 両手に力が入り、手のひらに爪が刺さる。

 いろんな気持ちがぐちゃぐちゃだ。

 見えていない源が羨ましく思った。

 でも、反対の立場だったら、たぶん同じ事を源に言うんだろうなと静は思う。

 結局、保留になっていた両親と巴には内緒にすることになった。

 三年越しの源の判断によるものだ。


 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

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