花の名

ヲトブソラ

花の名

 花の名


 この作品は新見南紀著『花をうめる』に心が揺れ、私なりの解釈と想い出で書かれた作品です。


 *


 あの遊びのことを何と言っていたのか。私や私たちが十に満たない歳にはしていた遊びだ。元々、あるものなのか、考え出したものなのかすら、思い出せずにいる。しかし、ふと思い出しては足元を見るのだが、そこにはアスファルトを踏みつける革靴と、へばりつく染みしかいない。


 私や私たちが育った町は辺鄙な山間の田舎だったが、生活に必要なものは大体あるような町だった。中学二年生にもなると町の外に出て遊んだりもするが、まだ小学生だった私や私たちには充分な町だった。本当に生活には不便することが無かったと思う。ひと声かければ、風呂の修理はしてくれるし、雨漏りをしても一週間もすれば修繕がずいぶん進んでいた。夕方五時半に閉める商店も、おじさんに頼めば菓子パンを買うことができたのだ。


 昔の木造家屋ばかりだから、窓ガラスを割ると大層叱られる。何故なら、現代の一般住宅にはめこむような規格のガラスとは違うからだ。しかし、これも町内にガラス屋さんがあり、ひと声かければ工房でガラスを必要な大きさに切り、取り付けに来てくれた。私や私たちは、そのガラス工房の近くでよく遊んでいたのだ。樹の少ない原っぱがあり、そこを駆け回る。特に一緒に遊んでいたのは、同学年のツグミだった。いつからツグミと、何故ツグミと遊んでいたのかは覚えていないが、夕方近くになり走り回ることに疲れると、よくした遊びがある。それが件の名を思い出せない遊びだ。


 その遊びは、まず、ガラス工房に行って割れたガラスをもらってくる。おじさんとは絶対に悪いことに使わないことと、怪我をしないという約束でもらっていた。そして、二人で花をたくさん集める。花が二人の手いっぱいになると、地面に掘ったちいさな穴へ花を葬り、最後に割れたガラスを花の上に敷き詰めた。光の屈折やガラスの繊細な色というものは不思議なもので、とても彩り豊かな、また不安をも覚えるほど繊細な色で溢れる。それを私たちは頰と頬をくっつけて、覗いていた。夕陽が沈む頃には、誰かが怪我をしないように土をかぶせて、それぞれ、手を振り、家に帰ったのだ。


 その日の極彩色を浮かべれば、天井から睨む誰かの目も怖くなくなっていった。少しずつ、日々、少しずつ、すぐに極彩色を思い出せるようになり、いつの間にか、天井から私を見ている目は木目なのだと知る。くる日も、くる日も、そうやってツグミと遊び、今日の花の色を布団の中で浮かべては、どきどきと胸が高鳴っていた。理由は分からないが、それが日に日に、母にすら言えない遊びとなっていく。


 今夜もツグミと集めた花の淵を覗いていたことを思い出していた。とても綺麗で、でも、どこかやってはいけないことをしている感覚。それなのにツグミの笑顔と、花とガラスの色彩が美しいことを思い出せば、すぐに目の前に極彩色の世界が広がる。たまに作ってもいない花の淵を想像して、ツグミと眺めることもあった。この遊びはツグミにも言えない秘密の遊びとなっていた。

 やがて名も覚えていない遊びは、二人だけの秘密として言葉にはせず、合図をして、今日その遊びをするのか、しないのかを決めるようになる。確か合言葉があったのだが、それがどういう言葉なのかも思い出せない。その遊びは小学校六年生になっても続いていたのだが、“やってはいけないこと”だという思いも強くなっていった。だから、割れたガラスを工房にもらいにいく時も、おじさんに何か怪しまれているように感じて、いつ叱られるのか怖くなったものだ。


 いつもの通り、ちいさな穴を掘り、埋めるための花を摘む。ほんの手のひらに収まる二人分の花。そして、これもまた名前も理由も知らない夜がきたのだ。その夜、とても不思議な夢を見た。いつもの原っぱにツグミが佇み、微笑んでいる。辺りが光に包まれているようなのだが、山間の硬い光とは違い、ぼんやりと柔らかい霧のような光だった。彼女の足元には、以前、掘った穴があり、花はしおれて朽ちるどころか、ガラスの世界で閉じられ、永遠を手に入れた花畑のように生き生きと咲いているのだ。そんな妙な夢に覚め起きた朝。外では鳥が鳴き始めているのに、ぼんやりとした紺色の部屋で、夢の続きのような清々しくも霧の中で迷う感覚があった。夢から覚めても、夢のなかにいる感覚というやつだ。


 あの遊びのことを何と言っていたのだろう。私や私たちが十に満たない歳にはしていた遊びのはずなのだけど、誰からも聞いたことがない。ふと遊びのことを思い出しては、酷く身体が締め付けられるようになる。


 小学生最後の夏休みだったと思う。私とツグミのあいだには硬く結んだが故、解けもしないから切られて、ようやく終わるような絆があった。いつも通り、本当にいつもの通りだ。あの原っぱで遊んでいた。ただ、ひとつ違ったのは、名を覚えていない遊びをする前に、ツグミがガラスで足を切った。それは以前、掘った穴を誰かが掘り起こしたのか、埋めた花が朽ちて被せた土が落ちたのかは分からないが、鋭く尖ったガラスで足を切ったのだ。夏の強い光のなかでサンダルの片方だけを落とし、憂い表情で佇み、軽く上げた怪我をした足から指の先まで肌を伝う、紅い鮮血がついには耐えきれず、ぽたぽたと指から地に落ちていく。そのツグミの姿が、酷く痛々しく、身体が締め付けられ、潰れるほどに美しいと思った。その姿は目を閉じても開いても視えて離れず、ついには美しい極彩に見惚れ、夜に描いていた私の夢が見られなくなってしまった。

 その日から徐々にツグミとは距離が離れていき、ついに遊ばなくなる。やがて話さなくなり、中学校の廊下ですれ違っても目すら合わさなくなってしまった。恐らくだが、彼女に軽々しく触れると、ガラスで覆われた極彩色を穢してしまい、殺されるかもしれないという怖さがあったからだ。けれども、二度と美しい極彩色の彼女を見ないという決心はできなかった。穢してはいけない極彩色を、私の夢と置き換えて、毎夜、見るようになったのだ。


 中学校を卒業する前にツグミから、ある告白を受けた。それに私は返事をしたのか、返事をせずに曖昧に話を終わらせたのか、それもうまく覚えていない。もし、私がちゃんとした人間だとしたら、返事をして終わらせていたと思う。その後、中学校を卒業して私は町を出ることになり、彼女はあの町から何時間もかけて、どこかに通っていたらしい。終わったはずのきみからの告白から、三、四通の手紙のやり取りもしたが、それも続かずかなかった。今も、あの時のきみを探しているということは、きっと返事を間違えたのだろう。


 あの遊びのことを何と言っていたのか。いまはもう言葉にするものも、答えられるものもいないのだろう。私とツグミで穴を掘り、二人で花飾りを作り埋葬していた。ガラスの中に見た極彩色の世界は朽ちていく花とは裏腹に、鮮やかな想い出が極彩色に隠していく。まるで、いつまで極彩色を覚えていられるかと試すように、鮮やかな花の下で朽ちていく。たまに公園のまえを通ると、あの頃と同年代の子どもたちに、花の名を聞きたくなる時がある。きっと、ツグミはたくさん集めた、ひとつ、ひとつの花の名が言えたのだろう。


 私が十にも満たない頃からしていたものは、名前をなんと言うのだろう。ふと思い出しては足元を見るのだが、そこには長くなるばかりの影があるだけで、花の名も知らない伽藍堂がいるだけなのだ。


 あの花の名を、あの恋の名を何と言うのか。私が知りうる初恋という安い名で、そうとしか呼べないことが、苦しくて、苦しくて、仕方がない。


 あなたが花なら、あの花の名はなんというのだろう。


 おわり

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