第3話:【小夜子視点】まだ純情


 はぁ~~~~っ。


 どうしよう。ヒナタ先輩の顔、見られないよぅ。


 私は自室となった部屋で扉を背に顔を覆った。

 扉の向こう――廊下ではヒナタ先輩が歩くほんのわずかな足音が聞こえる。

 それだけでドキドキしちゃって……もう、こんなに緊張するとは思わなかった。

 ホテルのロビーラウンジで顔合わせした時からそんな予感はしていたけど、ここまで自分が自分じゃなくなるなんてさすがに想定外。

 

 思い出す。

 パパが常連の女性といい感じの空気を漂わせ始めた時の事を。

 あの時期は売上がなくてバイトの皆さんをお店で働かせられなくってしまい、私が手伝いでお店に出ていたので二人の様子を近くで見ていて(あ、この二人、そのうち付き合うな)って直感してた。

 案の定連絡を取り合うようになって、もうお付き合い直前だなって思った時、私は娘として一応パパのお相手の事を知ろうと思って話しかけてみたの。

 そしたらまさか! お客さんがヒナタ先輩のお母さんだった事が判明するなんて!


“あの時”以来、いなくなってしまったヒナタ先輩。

 忘れた事なんてない。ずっと覚えてた。心の支えだった。また会いたかった。

 中学生になってあの頃は持っていなかったスマホを手に入れてからは、SNSで毎日ヒナタ先輩を探した。でも見付からなかった。

 そんなヒナタ先輩の手がかりが、こんなところで見付かるなんて!

 運命だ、と思った。

 

 それ以来、私は全力でパパと沙織さんを応援してきた。

 お互いに子どもを気遣ってなかなか距離が近付かないので、あえてお店には近付かないようにしてみたり。家でパパに『沙織さんってとっても素敵な人よね~。私、あんな人がママになってくれたら幸せだなぁ』と事あるごとに言ってみたり。

 二人がくっつけば私とヒナタ先輩は家族になれる――その一心で再婚をおねだりしてきた。

 でもあんまり必死だったから、パパも沙織さんも変に思ったらしくて。

 ある時沙織さんは言った。

『あのね、小夜ちゃん。そんなに急がなくてもいいじゃない? 私、もうすぐ息子が成人するから。そうしたら結婚しようかなって思ってるの。小夜ちゃんのために息子は高校を卒業したら家から追い出そうと思ってるから。そうしたら安心して一緒に暮らせるでしょ?』と。

 私はつい『私のため、ですか……!? そんな事をする必要はありませんっ!!』と叫んでしまった。

『どうして?』

『だって……』

 私は沙織さんに白状した。ヒナタ先輩への想いを。大切な思い出を。

 初めて人に話した。

 誰にも触れさせたくなくて、心の奥底にしまい込んでいた“あの日”の記憶を。

 話しているうちに涙が出てきて情けなかったけど、沙織さんも私と同じように泣いていた。


『そうだったの……』

 沙織さんは私の涙を拭ってくれた。

『そんな事があったなんて、私、知らなかったわ……。ごめんね、小夜ちゃん。ヒナタも……。そうだ、あの、これ……。今のヒナタの画像なんだけど……見る?』

『見ます!!』

 沙織さんのスマホで今の先輩を見せてもらった瞬間、私は『うひぃぃぃ』と変な声を出してテーブルに頭から倒れ込んでしまい、沙織さんに呆気に取られたあと爆笑された。

『しゅてきすぎる……! あの頃よりずっとおとなっぽい! 沙織さん、この画像ください!!』

『いいけど……不思議。私から見たら別にイケメンでもなんでもない普っ通の男子なんだけどなぁ』

『そんなことありません素敵です!! 誰よりもイケメンですよ!!』

『えぇ……? 嬉しいけど謎~。小夜ちゃんみたいに可愛い子ならもっとカッコいい人がいると思うのに』

『私にとってはヒナタ先輩以上にかっこいい人なんていません!!』

『そっか……嬉しいな。ありがと、小夜ちゃん』

 それからは沙織さんも再婚に前向きになったみたいで、パパと真剣に話し合う日を何度か作ってくれた。

 

 パパも、私が沙織さんと知り合う前から始めていた子役の芸能活動が最近急に大人向けになってきたのがかなり不安だったみたい。

 その仕事を続けるくらいならちゃんとした彼氏を作ってもらった方が良いと判断したようで。

『小夜。沙織さんから聞いたけど、お前、ヒナタくんのことが好きなのか?』

 私が頷くと、パパは難しい顔をして唸り『……もしヒナタくんがいたら、小夜は芸能活動をやめる?』とたずねてきた。

『もちろん!』

 元々、行方の分からなかったヒナタ先輩を釣りたくて始めた活動だったのだ。(パパのお店を助けたかったのもあるけどね)

 だから芸名も“ヒナ”ってつけて、先輩に寄せた。

 その先輩が見付かった今、続ける理由は無い。いつ辞めても構わない。

『そうか。それなら――ヒナタくんがいるうちに沙織さんと結婚するか』

『やったー!!』

 次の契約期間の満了をもって事務所を辞める。

 そうパパと約束して、私は晴れてヒナタ先輩と同居する資格を得た。

 

 今、長年の願いが叶ってヒナタ先輩と同じ屋根の下にいる――なのに、まともに顔も見れない!


「あの、小夜子さん?」


 コンコン、と先輩に扉をノックされて「ひゃい!!」と変な声が出る。


「廊下に落ちてたんだけど……これって小夜子さんのじゃないかなって思って」


 そう扉越しに言われて、おそるおそる扉を開く。

 先輩が差し出しているのはピンクのリップクリームだった。

 ジャージのポケットに入れてたはずなんだけど、いつの間にか落としてしまっていたらしい。


「あ、私のです……。ありがとうございます」


 受け取る瞬間、指先が触れてしまってびっくりしてつい手を離してしまった。

 コツン、と床にリップが落ちる。


「わあぁ! ごめんなさい!」


 せっかく拾ってくれたのにまた落としちゃうなんて!!

 バカバカバカ! 私のバカ!


 転がっていくリップを追って慌てて廊下に出ると、ヒナタ先輩が再び拾って差し出してくれた。


「はい。――あ、あんまり私物に触らない方が良かったかな。ごめんね、気付かなくて……」


「そんな事はありませんっ!!!」


 つい大声が出た。

 なんならどんどん触ってほしい。飛び出しかけたその言葉をすんでのところで呑み込む。


「そ、そう……? なら良かった」


 ちょっと引かれたかもしれない。だって顔が引いてるもの。

 先輩を前にすると私は失敗ばかり……。どうしたらいいの?


 背を向けて自室に向かっていく先輩を見送りながら、私はリップを両手で大事に握りしめた。

 

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義妹の策略~俺と同居したかった彼女が親同士を再婚させた事を俺だけが知らない~ @panmimi60en

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