事故責任

小狸

短編

 *


 

 適職診断では、いつも美術科とかクリエイターとか、そういうものばかりが表示されていた。


 世間的に見て、自分が変わっているということは分かっていた。


 いや、ぼくは誤解を恐れる人間なので説明させていただくと――別段その「変わっている」は、なにも「信号が赤でも進む」とか、「喜びいさんで法律を破る」とか、そういう理解不能な狂人じみた「変態的」という意味での「変」という意味を含んでいない。


 異端とか異常とか、そういうものではない――のだと思う。


 ただ、たとえば何かを選択するとき、ぼくだけが、皆と違う方向を向いていることが多いという――それだけの話なのである。


 いや――と何度も否定していると、まるで自分に言い訳ばかりしているようではあるが――異端や異常でないという判断は、あくまでぼくの主観に過ぎない。故に、ぼくを見てそう思う人がいたとしても不思議ではない、とだけ言っておくことにする。


 さて。


 世から見て、己を観て、所謂「外れて」いる自分。


 これは、どうなるだろうか。


 どうなるというのは――どうするかということで、どう生きるかということでもある。それはたとえば将来だとか、適職だとか、そういう話である。


 もしこれが――ぼくの人生が――少年漫画か何かだとしたら、異端たるぼくは間違いなく何らかのキャラクター性が与えられるだろう。その異端性に特殊な能力を付けられ、何らかの意味を含ませられ、壮絶な過去を持たされ、或いは同じような仲間と隣り合うことになるのだろう。主人公になるかもしれないし、主人公の味方か。それとも敵キャラクターとして、令和現代の多様性の功罪として、ぼくというキャラクターは表現されるのかもしれない。最近はそういうものが多い。


 しかし。


 ぼくの人生は少年漫画でなければ、ライトノベルでもない。


 異端は異端。


 異常は異常なのだ。


 それは「社会に出る」ことによって、より浮き彫りになってゆく。


 ぼくも昔は、そんな自分に憧れたりすることもあった。


 この場合の「そんな」とは、異常のまま、異端のまま、生きていく自分のことである。


 クリエイターとか、何かを創る者になって、そういう唯一無二の存在になって、誰も横に並び立たなくなって、自分という個がコンテンツ化して、世の中に必要な存在になっていくんだと。そんな泡沫の夢を見たこともあった。


 ただ。


 この言葉もあまりぼくは好きではないのだが、敢えて使うとすると。


 世の中はそんなに甘くなかった。


 皆と同じ方を向かないということは、畢竟皆と同じことができないということでもある。これは社会人にとってかなりディスアドバンテージであることは、言うまでもない。


 クリエイター関係の職業を必死に探していた時期もあったけれど、それらは全て叶うことは無かった。


 ぼくの代わりに、ぼくのような中途半端ではなく――もっと異端で、もっと異常で、そしてそのままにちゃんと社会性を有して、才能を含んでいる人間が、その立ち位置に取って代わっていった。


 就職活動には落ち続けた。


 適職適職、と言っていたのを、どんどん妥協していって、一般企業に行くようになった。しかし、大概の企業の面接担当者や人事部は、異端を見抜く。異常を見透かす。


 残念ながらぼくのような半端者は、振り分けられて残る側だった。


 いびつな粒だった。


 何にもなれないままに、大学四年生の冬を迎えて、ようやっと取った内定の会社は――さもありなんというべきか、ブラック企業だった。


 3カ月頑張った。


 3カ月、持った。


 そこまでだった。


 それ以上は、頑張ることができなかった。


 上司や同期から、何度激励という名の罵詈雑言を浴びたか、覚えていなかった。


 訴えても良かったけれど、異端たるぼくには、異常たるぼくには、味方がいなかった。


 人間は独りでは、何もできない。


 それを一番、ぼくらは知っている。


 それに何より、根底には「悪いのは異常な自分」であると、ぼくは了解してしまっていた。


 毎日貯金を崩しながら、今は何とか生きている。


 ただ、生きる。


 容赦のない恵まれた人間は、こんな風に言う。


「ただ生きていればそれだけで良いんだよ」


「生きているだけで幸せなんだよ」


 下らない。


 生きているだけで幸せだった試しなんて一度もない。


 それは自分の人生観を他人に当てはめて、幸福を強要している無慈悲で残酷な台詞である。


 生きるためには、食事がいる。生きるためには、服がいる。生きるためには、住む場所がいる。水道、電気、ガス、その他通信費、削ろうにも削ることのできない事柄がいくつもある。


 「ただ」生きる、ことなんて、本当はできない。


 そんなものは、戯言だ。


 生きるためには金がいる。そのためには仕事をしなければならない。


 ならば仕事のできないぼくは?


 定職に就くことができず、日に日に痩せていき、目につくもの全てどうでも良くなっていき、親に迷惑を掛けることもできず、誰からも理解されることなく毎日寝る前に泣いている。


 そんなの、死んだ方が良いじゃないか。


 そう思うし、その方が世の中のためだと思う。


 だって誰も異常者と仕事なんてしたくないんだろう、本音は。


 多様性だとかなんだとか言いつつ、正直そうなんだろう?


 だったら死んでやろうって言っているんだ。


 しかし世の中は、それすらも許さない。


 生きろ、と。


 死ぬなら他人に迷惑を掛けるな、と。


 人を頼れ、と。


 本当、無茶ばかり言う。


 そんなことができるなら、最初からやってんだよ。


 本当、分かり合えねえよな。


 人に迷惑を掛けない死に方なんて、あるわけないじゃないか。どれだけ配慮をしようとも、その遺体を処理する人間には迷惑を掛けることになるのだ。


 だったらせめて。


 世の中の復讐と。


 己への諦観と。


 自分への懲罰も兼ねて。


 今のぼくができる、最も世に迷惑を掛ける死に方で、死んでやろうじゃないか。


 そんな思考に至ったのは――。


 ごく自然な流れの話である。



 *


 首都圏内のさる電車で人身事故が起きた。


 無職の男が身投げした。


 鉄道会社が対処に追われたけれど、一時間ほどで運転は再開された。


 乗客と鉄道会社と、両親にちゃんと迷惑を掛けて、彼は命を絶った。


 ラッシュ時を外れていたことと、駅から数メートル先で起こったため存外対処に時間が掛からなかったこと、その状況の話題性の無さから、どこのニュース番組でも、彼のことを取り上げることはなかった。


 誰からも認められず。


 誰からも求められず。


 勿論、救われず。


 彼の生涯は、劇的に、そして静かに終了した。


 おしまい。




(「事故責任」――了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

事故責任 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ