第20話 化物

「ここって、闇バイトの連中がターゲットにしていた家でしたよね。それでいて指示役の拠点にもなっているって、どういうことなんでしょうか」


 事態が飲み込めずにいる僕に向かって、佐藤氏は「仲間割れでしょう」とサラリと言った。


「先程の会話の通り、実行役の男は指示役とおぼしき『鷹の爪』から家族を盾に脅され、理不尽な対応を強いられていました。我慢のならなくなった男は他の実行役のメンバーを利用し、『鷹の爪』の指示だと思わせてこちらから拠点を襲い、本来貰うはずだった取り分を含めた金品を根こそぎ奪わせたということでしょう。まぁ、『鷹の爪』は自分の嗜虐しぎゃく心を満たすために姿を現したりと、相当間の抜けた指示役でしたからね。所詮は素人犯罪者です」


 会話も残し放題で迂闊にも程がありますと、『鷹の爪』に対する佐藤氏の評は散々なものだった。


「実行役のリーダー格だった男は、今度は自分が『鷹の爪』を名乗り、何も気付いていない実行犯たちを使って搾取を続けるつもりだったんじゃないですか」


 顔を見たことがない上、やりとりもメッセージアプリでの文字のみとなれば、相手の中身が入れ替わっていても気付けないかもしれない。ニュースなどで報じられていた闇バイトで用いられている指示役たちの名前をいくつか思い浮かべながら、僕はその向こうに一体何人の人間が関わっているのかを考えてゾッとした。


「とはいえ、『鷹の爪』も誰かの指示を受けているに過ぎないでしょうから、すり替わったところで搾り取られる構造は変わりません。愚かな話です」

「じゃあ本物の『鷹の爪』は」


 僕は男が手にしていたスパナに血が付いていたことを思い出す。


「二階の寝室でしょうね。意識があるのかないのか、生きているのか死んでいるのかは分かりませんが」


 思わず僕は天井を仰ぎ見た。

 この上に、顔も合わせたことのない人間が生死不明な状態で存在している。そちらも何とかした方が良いのではないかと佐藤氏を見たが、佐藤氏は気にも留めていない様子だった。


「あの」

「貴方と『鷹の爪』に今のところ直接の関係はありません。ここで貴方が手を貸せば不要な縁が生まれることになります」

「でも」

「彼の生死は今、優先することではありません。我々がやるべきことは」


 佐藤氏は開いていた機器を手早く片付けていく。


「さっさとここから離れることです」


 救急車を呼べば、まだ間に合うかもしれないのに。あまりのドライさに戸惑っていると、束ね終わったケーブルをバッグに収納しながら佐藤氏が言った。


「貴方がここへ来た目的は何でしたか」

「……Tを連れ戻すことです」

「その目的は果たされました。ご友人が関わっていた闇バイトの連中も仲間割れしましたし、遅かれ早かれいずれは捕まることでしょう。そこまで分かっている状況で、これ以上この場所に滞在する意味がありますか」

「だったらせめて警察に通報して、あいつらをさっさと連行してもらいましょうよ。市民の義務でしょう」

「結論から言えば、犯罪を知ったからと言って通報する義務はありません。ただし」


 僕の気持ちに念を押すように、佐藤氏が圧を込めて僕を見た。


「ご友人の犯罪を知っていて通報せずにかくまうなどした場合は、貴方自身が犯人蔵匿はんにんぞうとく犯人隠避はんにんいんぴの罪に問われることになりますので、お勧めしません」


 彼らを先に差し出したからと言って、貴方とご友人の時間が増える訳ではありませんよと、佐藤氏は言った。


 知っている。そんなことは分かっている。

 初めからそのつもりでここに来たし、Tにもそう言った。でも、ここでTと話したあの時間がとても懐かしくて温かかったから、もう少しだけ続けばいいのにと思ってしまったのだ。

 

 僕の弱さに、佐藤氏の言葉が突き刺さる。

 察することなどしないと言った癖に。


「悠一郎さん」


 不意に名前を呼ばれて、僕は顔を上げる。


「テーブルの下へ」

「え」

「テーブルの下へ行って下さい」


 いつになく強い口調で言われ、僕は急いでテーブルの下へ移動する。

 どうしたのだろうと思っていたら、玄関の方向からガサガサとした音が聞こえた。

少しずつ、雑で乱暴な足取りが近付いてくる。


「……バカにしやがって」


 のそりと現れたリーダー格の男の手には、スパナではなく折り畳み式のナイフが握られていた。玄関での仕打ちに相当腹を立てているのか、目が据わっている。


 佐藤氏はひとりで立ち向かうつもりのようだが、大丈夫なんだろうか。


 鈴木氏なら平気な顔をして飛び蹴りしそうな場面だが、佐藤氏はどう見ても武闘派ではない。そして僕も他人を殴った経験など皆無だ。飛び出したところで何の助けにもならないだろう。身体に嫌な汗をかきながら、どうすれば良いのだと佐藤氏を見たら、心底面倒臭そうな顔をしていた。


「鈴木にのされたままでいた方がまだ幸せでしたのに。負け犬のように逃げていただいても、こちらは良かったんですが」


 わざとらしく佐藤氏が溜息をく。


「それもまた、仕方ない話ですか。力しか誇れるものがないのにそこで負けを認めたら、それこそ貴方の価値なんてゼロですもんね。私だったら恥ずかしさと情けなさで死にたくなりますが」


 ふふふと笑う佐藤氏の姿を前に、男の手が小刻みに震えている。挑発してどうするんだとひやひやしていたら、佐藤氏が何かに気付いたように「あ」と声を上げた。


「負け犬なんて言いましたが、上下関係を見極められる犬の方が数十倍優秀ですし、群れのために仲間を助けられる訳ですから、家族も守れない貴方より余程素晴らしい存在でしたね」


 これは犬に対して謝らなければいけません……と言い切る前に、男が大声を出しながらナイフを手に突進してきた。


「佐藤さん!」


 目の前で刺される怖さを想像して、つい目を背ける。が、次の瞬間、どたんと大きな音がした。ゆっくり目を開けると、佐藤氏の背後で男が倒れている。佐藤氏が怪我を負った様子はない。


 けたのか。


 運良くけられたとはいえ、自棄やけになっている人間は何をするか分からない。男はすぐに立ち上がり、興奮で顔を赤くしながらナイフを右手に持つと再び佐藤氏へ切り掛かった。


「危ない!」

「右」


 そう言うと、佐藤さんは最小限の動きでナイフからスッと離れた。男は更に向かって行く。


「そのまま右下から左上へ」

「握り直して前へ」


 ナイフは佐藤さんに掠りもせず、くうを切る。何が起きているのだろう。僕は落ち着いて佐藤氏の動きを観察した。


「――目だ」


 僕の口からぽろりと呟きが零れる。佐藤氏が見ているのはナイフを握っている手じゃない。男の目だ。


「目は心の窓――などと言いますでしょう」


 必死の形相を浮かべる男を前に、佐藤氏は涼しい顔でするりと攻撃をかわしながら話す。


「先人の考えた言葉というのは、それなりに理由や意味があるものです。『目は口ほどに物を言う』というのもその通りで、ほら貴方、先程よりも瞬きが増えてきましたね。自分の道理が通らない相手に対して、今になって緊張してきたんですか」


 どれだけナイフを振り降ろしても全く当たらない。ただ見ているだけの僕ですら、男が焦っているのが分かる。


「う、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!」


 腕の軌道がめちゃくちゃになっている。


「お前なんか、絶対殺してやる」

「お前と呼べばマウントを取れるとでも思っているなら、なんとも浅はかですね。ほら、視線が落ちてきていますよ。先ほどまでの自信はどこに行ったんですか。あぁ、今貴方、上着のポケットを気にしましたね。さしずめ、悠一郎さんに使ったスタンガンでも入っているのでしょう」


 男は思わず、ポケットの上から中に入っている物に触れた。


「ナイフで切りつけた振りをして私にけられたところでそのまま後ろに回り、ポケットから抜き取ったスタンガンで背中に一発という流れですか」


 男の目が大きくなり、「ひ」と声が漏れた。

 冷ややかに笑いながら、佐藤さんは続ける。


「どうしてバレたんだ、スタンガンを持っていることがバレているならもう奇襲は上手くいかない」

「だったらナイフを捨ててスタンガンを正面からぶつけるか」


 怒りと焦りで真っ赤になっていた男の顔が、みるみる蒼褪あおざめる。佐藤氏は目に男を捉えたまま、半開きになった男の口に声を当てるように言った。


「ダメだ、スタンガンももう使えない」

「何だこいつ、どうして俺の考えが分かるんだ」


 男の視線が一瞬、自身の右手に向いた。


「ナイフだ、ナイフを投げよう」


 佐藤氏の声に男はビクリとする。


「どうして全部バレるんだ」

「何で」


 最初の威勢など欠片もなく、今や完全に男は怯えていた。腰が抜けたようにへたり込む。


「止めろ、来るな、来るなよ」

 

 後退あとずさる男の声と、佐藤氏の声が重なる。


「嫌だ、止めろ、これ以上近付くな」


 佐藤氏は腰を落とし、壁際に追いやられた男の鼻先に自分の顔を近付ける。男は半ば絶叫しながら、佐藤氏は殊更穏やかな声で、二人は同時に言った。


「この化け物め」


 男は恐怖のあまり、気を失った。

 しばらく様子を見ていた佐藤氏はゆっくり腰を上げると、僕を見て「いやはや、お見苦しいところをお見せして、大変失礼致しました」と言った。


「いや、そんなことは……」

 

 言いながら僕はテーブルの下から出ようとしたけれど、あまりの出来事に上手く身体が動かなかった。佐藤氏に手を貸してもらいながら立ち上がる。


「どういう仕掛けなんですか」

「仕掛けなんてありません」


 佐藤氏はビジネスバッグを手にすると、忘れ物がないか確かめるように部屋をぐるりと見渡した。


「だって、まるであの男の考えが見えているみたいでした」


 それはさながら『さとり』のような。

 佐藤氏は答える。


「見えてはいませんが、仕草や目の動きなどから推測することは可能です。比較的動きも思考も単純なあの手のタイプが言おうとしていることなんて、お見通しならぬお聞通ききどおしですよ」


 お見通しならぬ、お聞通ききどおし。


 かつて伯母が僕に向かって言ったものと同じ言葉をなぜ佐藤氏が口にしたのか。

 聞きたいことはたくさんあったけれど、ひとまず僕らはこの家を出た。


「もう少しで夜明けですね」


 時刻は朝の六時過ぎ。

 早朝の住宅街には人の動く気配がちらほらと漂っていて、何事もなかったかのように朝の顔を作り始めている。

 路地を抜け、車道に出たところで、僕は隣に立っている佐藤氏の姿を盗み見た。

 さっきまでのことが嘘のように乱れひとつないスーツを着た佐藤氏は、まるでこれから出勤するビジネスマンのような顔をしていた。

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