第19話 『声』の価値 

 佐藤氏はビジネスバッグからノートパソコンを取り出して起動する傍ら、スマートフォンを二台取り出してケーブルで繋いだ。片方の一台を操作して何かのアプリを開き、こちらをチラとも見ずにひたすら指で画面をタップしていく。

 一体何をしているのだろう。

 佐藤氏の肩越しにそっと覗こうとしたら「無駄ですよ」と言われてギクリとした。


「ショルダーハック防止機能が付いていますから、貴方からは見えません」

「……すみません」

「気になるのでしたら質問をどうぞ。お話し出来る範囲で回答します」


 僕の疑問など分かっている癖に、察することが大嫌いな佐藤氏は先回りして答えるようなことはしないと宣言した。


「じゃあ、佐藤さんは今、何をしているんですか」

「質問が曖昧です。もう少し具体的に仰って下さい」

「すみません」


 さっきから叱られてばかりだ。いや、指導されているというべきか。


「二台のスマートフォンを繋いで、何を行っているんですか」


 佐藤氏はスマートフォンの画面を見ながら答える。


「解析のために、男が所有していたスマートフォンから一切のデータを抜き取っています」


 佐藤氏は移行を終えたデータをざっと目視すると、男のスマートフォンに差していたケーブルをノートパソコンに繋ぎ変えた。だかだかとキーボードから文字列を入力する。パソコンのモニターにはパパパッといくつものウィンドウが開かれ、どれもが忙しなく動き始めた。画面には『searching』の文字が点滅している。


「何を検索しているんですか」

「痕跡です」

「痕跡」


 モニターを見詰めながら、佐藤氏は話を続ける。


「人というのは社会的な生き物です。誰かと交わりながら生きるということは、そこにはコミュニケーションが生まれ、分量に関係なく会話が発生します。会話というものは内から外に向けられるものであり、外部に放たれるということは誰かの目や耳に触れるということです。そういったものを拾い集めるのが、我々『聞き耳屋』です」


 初めて会った時、佐藤氏は自身の仕事について『他人様ひとさまが話していることに聞き耳を立て』て、それを商品にするのだと言っていた。


「聞き耳屋って、何人ぐらいいるんですか」

「正確な人数は分かりません。言えるとすれば」


 モニターには日本語だけではなく、英語、フランス語、アラビア語のほか、見たことのない綴りの文字が現れては消えていく。


「地上の大体の場所をカバー出来る範囲に存在しているということぐらいです」


 裏を返せば、それだけ周囲との縁が切れた人が世の中に存在するということか。考えてみれば日本を含め、世界中には法的にいないことになっている子どもたちがたくさんいるのだ。僕は、ひとつの想像を口にした。


「――人と触れ合いたいけどそれが出来ないから、聞き耳屋という仕事をしているんですか」


 佐藤氏の反応はない。僕は話を続ける。


「誰かと繋がりたくて、でも繋がることは出来ない。過去に悲しい思いをしたとか、腹立たしい経験が尾を引いているとか、そもそもどうやって接すればいいのかわからないとか背景は色々あるのかもしれませんが、たくさんの理由から人とコミュニケーションを取ることに問題を抱えていて、関係を結ぶことを拒んでいる。でも、誰かと繋がりたいという気持ちは無くならない。だって、僕らはそういう生き物だから」


 僕とTがそうであるように。


「だから他人の話に聞き耳を立てるんだと思ったんですが、違いますか」


 商品にするというのはただの言い訳で、理屈として必要だっただけ。誰かの話に耳を傾けることで、繋がったつもりになりたかったんじゃないだろうか。


「なるほど」


 視線をモニターに向けたまま、佐藤氏が返事をする。


「聞き耳屋という仕事を行うことへの考察について、今度上へ投げてみます」


 そっけない佐藤氏の態度に「違ったかな」と思っていたら、いくつかのウィンドウに反応があった。


「ふむ。やっぱりそうでしたか」

「何がやっぱりなんですか」

「『鷹の爪』はE市にいます」

「E市……て、ここですよね」


 闇バイトの指示役といえば、海外に拠点を置くのが相場じゃないのか。


「この辺りを担当している聞き耳屋が、会話を拾っています」


 佐藤氏はひとつのウィンドウを指した。


『担当→田中(白のワイシャツ、ノータイ、ベージュのスラックス)

 日時→十一月五日 午前十一時十分  

 場所→E市駅二番ホーム中ほどのベンチ(位置については図①を参照)

 対象→三十代後半の男性Ⓐおよび五十代後半の男性Ⓑ 

 男Ⓐ:明るめの茶色短髪、体格良し。黒地のスウェット、緑のカーゴパンツ、ごつめのショートブーツ。

 男Ⓑ:黒色短髪、黒縁眼鏡、小柄。水色のシャツ、ベージュのチノパンツ、茶色のビジネスシューズ』


 Ⓐという人物は、僕たちが遭遇した実行役のリーダー格だった男だろうと推測する。佐藤氏がウィンドウを拡大した上、スクロールしていく。


「この二人の交わしていた会話がこれです」


Ⓐおい『鷹の爪』、わざわざ呼び出して何の用だよ。

Ⓑ次から取り分、七対三にするから。三がお前らな。

Ⓐは? 何でだよ。おかしいじゃねぇか。

Ⓑおかしかねぇ。こっちは名簿業者やら下見の奴らやらにも渡してんだ。はえぇ話、経費が掛かってんの。言われたことだけやってるお前らとは使ってる額も頭も違うんだよ。

Ⓐ納得行かねぇって言ったら。

Ⓑこうするだけな(スマホの画面を見せる)

Ⓐおい、何で俺じゃなくて妹の写真ばらまこうとしてんだ。しかも何だよ、家まで写ってんじゃねぇか。

Ⓑここを押したらお前の妹のあることないことが世界中に広まるとか、想像するだけで楽しいじゃないか。雑コラしたこの画像なんかも合わせて載せるってのも面白そうだな。

Ⓐ止めろ、分かったから。もう言わない。こっちは三でいい。

Ⓑへへ。こういう生の反応はメッセージのやりとりじゃ見られないからな。呼び出した甲斐あったわ。次に同じことしたら撒くからな。じゃあそういうことで。


 会話の記録はそこで終わっていた。


「これ以外に、リーダー格の男と会話をしていた五十代後半の男性と見られる人間、即ち『鷹の爪』の声が長期間に渡ってE市で複数拾われています。通りすがりの街であれば、これだけの数は出てきません。E市が生活圏であることはほぼ間違いないでしょう。加えて」


 ノートパソコンに繋いでいたスマートフォンを開き、佐藤氏は手早く画面をチェックする。


「こちらも解析が終わりました」

「何を解析したんですか」

「リーダー格の男と『鷹の爪』の会話です」

「そういうのって時間が来たら消えるから辿るのは難しいって聞きますけど」

「意識的にせよ無意識にせよ、開発者というのは自分が有利な立場に立てるようにシステムを作るものです。有利さというのは『穴』みたいなもので、タネが分かればどうということはありません。そのタネが明らかになる頃には別のシステムが開発されるため、世の中では延々といたちごっこが続く訳ですが、幸いなことに彼らが利用していたメッセージアプリは既に我々が解体済みのものだったようです」


 全て、復元が完了しました――と、佐藤氏は普通のことのように話した。

 ここに来て、僕は佐藤氏に確認する。


「聞き耳を立てるのって、声だけなんですか」

「そうです。我々が収集するのは声だけですが」


 いまいち意図が伝わっていない感じがする。

 僕は質問を変えた。


「ええと、僕たちが今こうして話しているような声を集めるのが、佐藤さんたちの仕事なんですよね?」

 

 佐藤氏はさも当然と言った顔をして「もちろんです」と言った後、こう続けた。


「しかし、声というのは他にもあります。例えば『ネットの声』などと言いますでしょう。我々の収集対象は、他人が外に向けて発する会話の全てです。耳の良いことは聞き耳屋として非常に大切な素質ですが、集めるものは音声のみなどと、私は一言も申し上げていません」


 背筋に寒気が走った。

 会話に加えてインターネット上に散らばる声も全て対象だなんて、異常な情報量じゃないか。それら全てを収集して商品にするだなんて、扱い方次第では強烈な武器というか凶器になりかねない。下手をすれば国が滅ぶことだってあり得る。何なんだ、怖すぎるだろ、聞き耳屋。

 そう思ったところで、僕の頭にふと疑問が過ぎった。


「もしかして佐藤さんって、Tのことも本当は全部知っていたんですか」


 掲示板に書かれていたことも全部、何もかも分かっていたとしてもおかしくはない。けれど佐藤さんは「存じません」とあっさり否定した。


「我々の扱う情報量がどれだけのものだと思っているんですか。普通に考えて、こんなもの全て頭に入っている訳がないでしょう。そもそも分かっているのであれば、こんな風に会話の記録に検索を掛ける必要もありません」

「確かに」


 ですよね……と僕は質問を引っ込めたところで「分かりました」と佐藤氏が言った。


「いくつかの会話の発信元を辿ったところ、『鷹の爪』の拠点らしき場所が割り出せました」

「どこですか」


 ノートパソコンの画面を覗き込む。

 表示されていた住所と地図が示していたのは、今僕たちがいる旗竿地のこの家だった。

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