第18話 聞き耳屋の帰還
『ピンポーン』
今の状況に不釣り合いなインターフォンの音が、夜のリビングに唐突に響く。男はビクリと反応して、玄関の方向を見た。
『ピンポーン』
二回目。
男は僕を見る。その目は分かりやすく、警戒心に溢れていた。戸惑う僕に注意を払いながら、男はインターフォンのモニターに目を遣る。保安灯だけの部屋に冴え冴えと光っているモニターには、黒の目出し帽を被った二人の男が映っていた。
マズいな。仲間が戻って来たのか。
男は気が緩んだのか、口元を歪めながら
「大丈夫か」
Tからの返事は聞こえない。胸元に耳を当てる。トクトクと心臓の動く感覚は伝わるものの、危険な状態に変わりはなさそうに思えた。
苛立つように叩かれているドアに向かって、男が「うるせぇよ、今開けっから」と言う声がする。あの時、佐藤氏の声が聞こえたのは僕の気のせいだったのか。
ひとりでもこんな状況なのに、三人に増えたらもう終わりだ。だったらせめて、Tだけでも助かって欲しい。
何か武器になるようなものはないかと周囲を見渡していると、ドアの開くガチャリという音がした。「もう引き渡してきたのか」と尋ねた男の声が驚きのトーンにガラリと変わる。
「何だ、お前ら。わ」
「お邪魔しますよーっと」
さっきまでここにいた男とは違う、若い声。廊下を歩いてくる複数の足音。
「お、バカ発見。まだ生きてんじゃん」
ひょいとリビングを覗いた顔に、僕は言う。
「……もしかして、鈴木さん?」
「だーっ! 何で速攻でバレんだよ。つまんねぇな。ちょっとは驚けよ。ていうか何で俺の名前知ってんだよ。お前、怖っ」
両サイドを刈り上げたマッシュヘアに黒のフーディーとカーゴパンツという出で立ちは、あの時のナチュラルテイストな愛らしい風貌とは全く違ったけれど、こんなにもお喋りで軽々しくバカと言う人を僕はひとりしか知らない。
「絶対分かるって言ったじゃないですか。ていうかめちゃくちゃ驚いてます」
「だったらもっと顔に出せ。そして感謝しろ」
「え、あ、すみません、ありがとうございます」
「いいぞいいぞ、もっと言え」
はははと上機嫌で笑う鈴木氏だったが、すぐに笑いを止めた。何故なら背後に佐藤氏が現れたから。
「鈴木くん」
「はい」
「違いますね」
「はい」
僕と佐藤氏じゃ、全然態度が違うじゃないかと言いそうになったけれど、とりあえず飲み込んだ。鈴木氏は床の上に転がっている僕に向かって正座をすると「この度は私の不注意で危険な目に遭わせてしまい、大変申し訳ございませんでした」と土下座した。
「え、あの」
突然の謝罪に困惑する僕。
「ごめんなさい」
「いや、えと」
「女の姿だったら許してやるということだったら今すぐ着替えて来るけど」
「違う違う、そういうことじゃなくて」
単にびっくりしただけで、許すも何も僕は怒っていないし、むしろTのことを教えてくれて感謝していると伝えると、鈴木氏はパッと顔を上げた。
「じゃ、これで俺のやらかしについてはクリアってことだよな。いいよね、佐藤さん」
佐藤氏は眉間に皺を寄せてひとつ溜息を
「それにしても佐藤さんさぁ、人使いマジで荒くないっすか。『罰金も再指導もナシにしてあげるから手を貸しなさい』て言われた時にヤな予感はしたけどさ、まさかここまで使われるとか思わなかったっすよ」
「だったら今すぐ罰金を払った上に指導も受けて来なさい」
「絶対イヤっす。マジでイヤっす」
「大体貴方が道に迷って私に電話なんてしてこなければ、こんなギリギリの事態にはならなかったんですよ」
「佐藤さんが送って来たマップが分かりにくかったからでしょうが」
「それぐらい解読出来なくてどうするんです」
「初めからちゃんとした地図を渡してくれたら済む話でしょ。俺ひとりであいつら二人相手にするの、結構面倒臭かったんですからね」
「どうせ面白がって遊んでいたんでしょう」
「ちょちょちょ、ちょっと待って下さい」
ヒートアップする師弟を止めて、僕は率直な疑問を口にする。
「鈴木さん、あんた何やったんですか」
「何やったって……まぁ色々?」
スッキリとしたいい顔で笑う鈴木氏を見て、僕はこれ以上深追いしないことに決めた。多分、聞かなければ良かったと思うに違いないから。
「で、俺はこの子を病院に運べばお役御免ってことでいいんすよね」
倒れているTを指して、鈴木氏が言った。二人の登場にすっかり気を取られていた。そうだ、Tを助けてもらわなくては。
「さっき、男にスパナで殴られて」
「あー、なるほど。んじゃ急いだ方が良さそうだなぁ」
鈴木氏はTをうつ伏せにすると、脇の下から自分の首を差し入れて肩の上にTを担ぎ上げた。
「あー、意識ないから重てぇな」
「すみません」
今度は僕が鈴木氏に向かって頭を下げる番だった。
自分で何とかするはずだったのに。
気付けば関係のない人達を巻き込んで、こんなにも迷惑を掛けてしまっているなんて、本当に
情けなくて顔を上げられない僕の前に、鈴木氏がスッと右手を伸ばしてきた。
殴られる。
そう思い反射的に目をギュッと
痛い。
そろりと目を開けると、鈴木氏が自分の右手の中指に息を吹き掛けていた。
「デコピン……」
「ぶわぁあああか!」
鈴木氏は、心底つまらないモノを見るような顔で「謝らなくていい時に謝るんじゃねぇよ、バカ。次同じことしたらまたかますからな」と、中指を内側に曲げ親指で抑えながらデコピンの構えを取った。
「鈴木くん。もう行きなさい」
佐藤氏に促されると、鈴木氏は「んじゃ、ちょっくら行ってきまーす」と玄関へ向かう。出て行く時、
ドアの閉まる音を聞き届けたところで、佐藤氏は僕を縛っていた紐を外してくれた。無理な態勢を長い時間とっていたこともあり、身体のあちこちが痛む。
「まさか玄関から入ってくるなんて思いませんでした」
手首には縛られた跡が、くっきり付いていた。
「正面突破だと言いましたでしょう」
「そうでしたね」
僕は言う。
「もうダメだと思ったあの時、佐藤さんの声がしました」
「ちゃんと助けを求めることが出来ましたからね。それに対して褒めたまでです」
「佐藤さんには、僕の声が聞こえたんですね」
「もちろん。ヒトの話し声を聞くことが仕事ですから」
私の声が聞こえたという貴方も、なかなかでいらっしゃる――と佐藤氏は言ってくれたものの、「ただし」と続けた。
「私は貴方に動くなと言いましたでしょう」
「はい、言われました……」
「貴方という人は昔と同じことをして、学習能力がないのですか」
「いやもう、仰る通りです」
「
「本当にすみません」
どうしてだろう。
叱られているのに、嬉しくなっている自分がいる。こんな時なのに頬が緩みそうだ。
「――聞いていますか」
「はい」
「合図をしたら、そこのテーブルの下へ移動して下さい」
「はい?」
先程までの会話と流れていた空気が変わったような気がして、僕は佐藤さんを見た。これまでに見たことがない程、目が鋭くなっている。
「佐藤さん……?」
「『聞き耳屋』というのは、誰かにとって聞かれるとマズい話を収集することが
佐藤氏は頭を左右に振って、首をポキリと鳴らす。
「我々にとって会話は大切な商品ですので、奪われる訳には参りません。パワーにパワーをぶつける鈴木のような者も中にはいますが、基本的に我々は、仕事以外で無駄な力を割くことを良しとしません。ですので」
思いきり伸びをすると、佐藤氏は言った。
「『聞き耳屋』には『聞き耳屋』としての戦い方というものがあるのですよ。そういう訳で、研修と思ってそこで見ていて下さい」
悠一郎さん――。
そう言うと佐藤氏は僕の顔を見た。
まただ。
表情そのものは変わらないのに、佐藤氏は怒っている。
身体から立ち上る怒りの気配に圧倒された僕は、教えてもいない『悠一郎』という名前をどうして知っているのか、尋ねることが出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます