第16話 闇バイター・T

 幼いTが泣いている。

 きっと、僕のせいなんだろうな。

 僕のことを信じて助けてくれたのに、友達なんて言葉で縛ってごめん。

 周りの誰もがお前の存在を無視していたとしても、僕にはちゃんと見えていたよ。

 僕もTもひとりだったけど、本当はひとりじゃなかった。

 でもあの時の僕は、お前の手を握ることが出来なかったんだ。

 どれだけ大切な人でも、あっけなくいなくなって、もう二度と会えなくなることを知っていたから。なんてさ、どんな話をしたとしても、離れたことに変わりないよな。お前にも自分にも、取り繕ってばかりだ。

 それなのに。

 言葉をかすがいにして。

 存在を杭にして。

 引き留めてごめん。

 お前にとって僕という人間がいつだって過去の出来事を現実だと思い知らせるものでしかないのなら、いつでも抜いて良かったのに。

 鎹も、杭も、何もかも。

 でもお前には出来ないって、僕は知ってるよ。

 優しいお前のことだから、僕が先に抜き取るのを待っているんだろう。

 僕のいない世界でなら、安心して息が出来るんだよな。

 あぁ、そんなに泣くなって。

 お前の泣き声はあの日を思い出させるんだ。

 そうそう、僕はまだお前に言ってない言葉があるんだった。

 僕があの時に言うべきだったのは、友達じゃないとかそんな言葉じゃなくて――。



「やっと起きたぁ……!」


 顔がやけに湿っぽくて、その違和感で目が覚めた。

 涙でぐしゃぐしゃになったTの顔が仰向けに転がっている僕の視界いっぱいに広がっている。


「このまま、目が、開かなかったら、どうしよう、て……」


 Tの涙がぼたぼたと僕の頬に落ちる。濡れているのはこれが原因か。


「……心配かけてごめん」


 僕はTの目を拭おうとして、自分の両手が後ろ手に縛られていることに気が付いた。両足も同様で、自由に動かすことが出来ない。後頭部の鈍い痛みで顔をしかめた僕に、Tが「頭、大丈夫?」と自分の肩で涙を拭きながら聞いた。Tも僕と同じように拘束されているようだ。


「まだ痛むけど、まぁ何とか」


 答えながら僕は目を周囲に向ける。

 天井には保安灯状態のシーリングライト。木製のダイニングテーブルには椅子が二脚。布張りのソファの前にはテレビが置かれている。僕の目が捉えたのは、一般家庭のイメージにありがちな家具と配置だった。


「ここ、路地の向こうの家か」

「そうだよ」


 連中が狙っていた家。


「ユウくんを道路で倒れたままにする訳にはいかないし、車に乗せることも出来なくて、とりあえずここに運ぶことになったんだ」

「何でお前まで縛られてんだよ」

「今回のことをバラしたんだろって、疑われて」

「それは悪いことしたな」


 僕が勝手にあいつらの話に聞き耳を立てただけで、Tの口からは何も聞いていない。そうだ、僕は何も聞かされなかったし、鈴木氏に言われるまで気付くことも出来なかった。


「あいつらは?」

「二人は盗んだものを引き渡しに行って、もう一人は今頃僕たちのことをどうするか、上の人に相談してるんじゃないかな」


 呑み屋で佐藤氏に言われた言葉がよみがえる。


『予想外の部外者が乱入したことでパニックを起こし、貴方だけでなく貴方の大切な人もまとめて殺してしまうことだって十分にある訳です』


 とりあえず場当たり的に殺されなくて良かったと、僕は少しだけホッとした。


「ごめん」


 Tが謝る。


「巻き込んじゃって、本当にごめん」 


 うなだれているTに対して、自首した先で全てを話すことになるのなら、今は何も聞かずに「もういいよ」と流してしまっても良かった。だけど、そうしたら僕とTはもう二度と向き合うことが出来なくなる気がした。


「何で闇バイトなんかやってるんだよ」


 責めるつもりはなかったのに、どうしても口調が強くなる。


「『バイトに行く』て言ってたのは、全部これだったのか」

「違う」


 全部じゃないよとTは言った。その言葉の真偽は、今は置いておく。


「『免許持ってるなら、いいバイトがあるよ』てさ、サークルの友達から誘われたんだよ。ほら、ユウくんも知ってるあいつ」


 Tが名前を挙げたのは、映画論の講義の時、僕にTを紹介した男だった。あの野郎、今度会ったら絶対殴る。


「ちょうどお金が欲しかったから紹介してもらったんだけど、登録のために必要って言われて免許証のデータを提出するように言われてさ。そういうものかと思って出したら、こんなことになってる」

「お前、ニュースとか見ろよな」

「本当、迂闊うかつだった。でも友達から闇バイト紹介されるなんて思わないじゃん」

「友達は選べってことだな」


 僕には言う資格のないセリフだったと、言った後に反省した。


「何でそんなに金が必要だったんだよ。お前、普段からそんなに無駄につかう方じゃないだろ」


 Tは父方の祖父母に育てられたと聞いている。僕がTと知り合った時、既に父親の姿はなかったけれど、あの出来事の後にTのことを知って引き取ったのかもしれない。奨学金とアルバイトで暮らしていたTの普段の姿は決して派手ではなかったし、穏やかで真面目な学生という印象だった。


「何か欲しいものでもあったのか」

「いや、誕生日プレゼントを買おうと思ったんだよ」

「誰の?」

「ユウくんの」

「は」


 Tの顔は冗談を言っているようには見えなかった。


「就活も近いからさ、ネクタイだったらこの先も使えるからアリだなと思ったんだけど、いいなと思ったのがちょっと高くて」

「いやいや、何だよそれ」


 闇バイトのきっかけが僕の誕生日プレゼントって、マジか。


「あ、プレゼントはまともなバイトで稼いだお金で買ったから安心して」

「安心してって、お前……」


 今回のことも原因は僕とか、やっぱりあの時死んでおけば良かったんだ。


「……何か、責任感じてる?」

「感じまくりだわ」

「馬鹿だなぁ」

「馬鹿はお前だよ」

「ユウくんは何も悪くないよ」


 今も、昔も。


 そう言うとTは、幼い頃に見せたのと同じ顔で、にっこり笑った。

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