第2話 聞き耳屋に必要な素質
「こういった目的でのご購入もありますね」
「何ですか」
「アリバイ作りです」
「アリバイ」
穏やかではない言葉に、ドキリとする。
「先ほどお見せしました通り、弊社が収集している会話には全て『いつ』『どこで』『誰』が行っていたものなのかを記録していることに加えて、聞き耳を立てた社員の服装についてもメモしております。何らかの犯罪に巻き込まれ、ご自分が疑われそうな危機に直面した場合はこれらの会話を引き合いに出すことによってアリバイを作ることが可能です」
僕は思わず吹き出した。
「それは流石に無理がありますよ。例えば僕が疑われたとして『その時間帯はこの店にいて、隣でこんな話をしていた人がいたことを覚えています』と言ったところで、僕と佐藤さんは見た目も全然違いますからすぐにバレますって」
やっぱり怪しい仕事なんだな。
そう思った僕の心を読んだのか、佐藤氏はにっこり笑って言った。
「ではお尋ねしますが、席をこちらへ移動される前、貴方のお隣に座っていらっしゃった方がどんな人物だったのか思い出せますか」
「僕の隣にいたのは佐藤さんですよね」
「私の反対側にもおひとり、座っていらしたでしょう」
覚えていませんかと問われて、僕はさっきまで座っていたテーブルの隣を見た。
飲みかけのアイスティーと鞄が残されている。僕の隣人だった人物は、どうやらお手洗いか何かで席を立っているらしい。
確かに誰か座っていたような気もするが、うまく思い出せない。
Tの話す内容と佐藤氏のキーボードを叩く音に気を取られ、正直な話、反対側の隣のテーブルのことなど意識すらしていなかった。僕はうっすらとテーブルに残る気配から推測して、佐藤氏に答える。
「……三十代ぐらいの働いてそうな女の人、だったような」
「なるほど。それでは、ご本人がお戻りになるのを待ちましょうか」
佐藤氏は口の両端をグイッと上げ、これでもかとばかりにニンマリ笑うと、キーボードでの入力を再開した。手持ち無沙汰な僕はホットコーヒーを飲みながら考えた。聞き耳を立てるという行為が商売に結び付いていて、それを仕事にしている人が目の前にいる。隙間産業という言葉があるけれど、聞き耳屋もそれに当てはまるのだろうか。
「来ましたよ」
ノートパソコンの液晶画面に目を向けながら、佐藤氏が小声で言った。こちらへ近づいてくる足音に続き、テーブルの主が椅子を引いて腰掛ける。僕はチラリとそちらに目を遣った。
アメリカの名門校の略称がプリントされた黒いTシャツに、ベージュのチノパンツ。素足に濃い茶色の革靴を履いた、五十代ぐらいの男性だった。
「三十代ぐらいの働いてそうな女の人……ではありませんでしたね」
キーボードを打つリズミカルな音に紛れて、佐藤氏が呟く。全然違いましたねと、僕は素直に誤りを認めた。男性がトレイを手に席から離れたところで、佐藤氏は僕に言った。
「このような感じで、ヒトというのは興味のない事や物についてはほぼ意識しませんし、必要以に脳のリソースを割かない生き物です。ましてや今の時代、皆さん、暇さえあればすぐに携帯電話を取り出してSNSのチェックや動画サイトの閲覧、ダウンロードしたゲームのプレイなどで大変お忙しい。周囲へ払う注意力も下がるばかりで、自ら危機感を鈍らせていらっしゃる」
我々のような仕事にとっては非常に好都合でありがたい限りですと、佐藤氏は微笑んだ。
「それゆえ、お客様は聞き耳を立てていた当人である弊社の社員の服装や会話の中身を証言していただくだけで、『確かにあの店でそんな話をしましたし、そんな恰好の人もいました』と、確認された側が勝手に記憶を書き換えてくださるという訳です」
隣の席に座っている人の顔をまじまじと見て記憶しておこうと考えるヒトは、ごく稀なのだ。
「ね。アリバイとしても使えますでしょう」
「確かに」
そこまで聞いて思わず納得しかけたが、よく考えたら誤魔化せないものがあるじゃないか。
「カメラは?」
「ほう」
「防犯カメラのように客観的に物事を記録する何かに撮られてしまったら、顔の違いは誤魔化しようがないのでは」
「あぁ、その点については問題ありません」
「問題ないとは」
「大丈夫ですよ。ご心配なさらずに」
佐藤氏はこれについて詳しい話をするつもりはないらしい。益々もって胡散臭い。防犯カメラをどうこう出来るなんて、どんな会社なんだ。
聞き耳屋という仕事について気になることはまだあるけれど、これ以上関わるのは良くない気がする。適当なことを言って店を出ようと思い、席を立つタイミングを計っていたら、佐藤氏から思いがけない言葉を掛けられた。
「貴方、この仕事をやる気はないですか」
まさかのスカウト。
僕は反射的に「ないです」と答えていた。
「結構向いていると思いますよ」
「遠慮しておきます」
「この仕事には、必要とされる素質が三つあります」
聞き耳屋の癖に話を聞かない人だ。
「ひとつ目。強い好奇心をお持ちなこと。自分の話に聞き耳を立てるような人間の向かいの席など、普通なら誘われたからと言って座りませんよ。それにやる気はないと言いつつも貴方、この仕事に興味津々でいらっしゃいますよね」
わかっていますよと言わんばかりに、佐藤氏は目を細めてニヤついている。
「ふたつ目。個性のないこと。『個性』のあることが尊ばれる風潮ではありますが、無個性、素晴らしいじゃありませんか。主体性もなくて結構、我々の作業に主観は不要です。大量生産の洋服、地味な顔立ち、癖のない話し方。ステルス的存在感とは何とも矛盾した表現ですが、目立つことなく、その場に馴染んで溶け込むことが出来るのは一種の才能です」
全くもって褒められている気がしない。これ以上聞くのも無意味だと思ったところで、佐藤氏は「次が最も大切なことです」と言って僕を見た。
「みっつ目。貴方は私を認識した」
「それは佐藤さんがあんなにキーを叩くから」
「普通、誰かと会話をしている人は隣のテーブルのキーボードを打つタイミングなど気にも留めません。これは一重に貴方の耳がいいからです」
「そんなこと初めて言われましたが」
「一般的な耳の良さというよりも、音を拾いに行く精度が非常に高いというのが正確でしょうか。貴方はご友人の話に相槌を打ちながら、私から発せられる音を無意識の内に拾い、発声とキーを打つタイミングがほぼ同時であることに気付いた上で、私を認識なさった」
佐藤氏はその時のことを思い出したのか、くくっと笑い声を漏らす。
「ダミーのキータッチも交えていたのですがね。この仕事に従事して十年を過ぎましたが、こうも簡単に見破られたのは初めてです」
いやぁ私の完敗です、まさに逸材、大変な能力をお持ちでいらっしゃると、佐藤氏は手放しで僕を褒めた。正面から持ち上げられて悪い気はしなかったけれど、僕にそんな器用さがあるとはちょっと信じがたい。疑わしそうな表情を浮かべる僕に、佐藤氏はノートパソコンを鞄に片付けながら言った。
「まぁ、無理にとは申しません。ご縁があればまたお会いすることもあるでしょうから、お返事はその時にでも」
佐藤氏のカップは、いつの間にか空になっていた。
「では」
スッと立ち上がった佐藤氏はそのまま歩いてトレイを返却棚に置き、こちらを振り返ることなく店を出て行った。テーブルにひとり残された僕は、改めて佐藤氏に渡された名刺を見た。会社の所在地や連絡先の電話番号、メールアドレスといった、一般的な名刺に書かれているであろう身元に関する基本的な事柄について一切記されていないことに気付く。
他人の会話は売っても、自分たちに繋がる情報を出す気は毛頭ないということか。
考えてみれば、名前や住所以外にも趣味嗜好や購入履歴など、あらゆる情報が金になる時代なのだ。口から発された先から消えていく『会話』が商品として扱われていても、不思議ではないのかもしれない。
聞き耳屋、佐藤一郎。
名刺に記載された文字を目でなぞる。
おかしなことに佐藤氏がグレーのスーツを着ていたことは覚えているのに、どんな顔をしていたのかについて、僕は一切思い出すことが出来なかった。
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