聞き耳屋
もも
第1話 聞き耳屋 佐藤一郎
アルバイトに行くという友人Tを席から見送った後、僕は隣のテーブルでノートパソコンのキーボードをカタカタと叩いていたスーツ姿の男に声を掛けた。
「あの、間違ってたらすみません。僕たちの話を盗み聞きしてましたよね。さっきから話す度にキーボードの音が聞こえてきて、ずっと気になっていたんです」
男は目元を一瞬ピクリと動かした後、「私に気付く方がいらっしゃるとは。貴方、なかなか大したものです」と、なぜか僕を褒めた。
「とはいえ、盗み聞きとは少し聞こえが悪いですね。聞き耳を立てていたと、我々は表現しているのですが」
「我々」
「はい」
他に仲間がいるのかと思い、僕は思わず店内を見渡した。
どこの街にでもよくあるコーヒーチェーン。平日の夕方前という中途半端な時間帯のため、客はまばらだった。
「大丈夫ですよ、私の同僚は今、この店にはおりません」
混乱と焦りと怯えが入り混じった僕の様子が愉快だったのか、男は笑いを堪えながらそう言うと「隣のテーブルとはいえ少し距離がありますから、良ければこちらの席に来ませんか」と、自分の向かいにある空いている椅子を指し示した。
この男の正体が分からないことには、落ち着いて生活が出来ない気がする。
僕はコーヒーカップなど荷物を手にすると、やや警戒しながら移動した。
「申し遅れました。私、こういうものです」
男が名刺を差し出す。
『聞き耳屋 佐藤一郎』
いかにも偽名臭い名前だと思ったが、この肩書きは何だろう。
「聞き耳屋、ですか」
「はい。他人様が話していることに聞き耳を立てるんです」
「何のために」
「商品にするためです」
言っている意味がよく理解できない。
「例えばコチラは、先程あなたとご友人がお話していたことを記録したものです」
佐藤氏はノートパソコンの液晶画面を僕に向けた。
『担当→佐藤(グレーのスーツ、白のワイシャツ、紺のネクタイ)
日時→十月二十九日 午後三時五十六分
場所→Aコーヒーチェーン(C支店。店内座席位置については図①を参照)
対象→二十代前半らしき男性二人
男A:黒髪、中肉中背。白のフーディー、濃いブルーのデニム、白のスニーカー。ホットコーヒー。
男B:茶髪、メタルフレームの眼鏡、細身。赤いTシャツ、薄いブルーのデニム、黄のスニーカー。アイスカフェラテ』
「黒髪・中肉中背・ホットコーヒーの男Aとは」
佐藤氏は僕を見て頷いた。
こうして第三者に表現されると、自分という人間は本当に特徴がないんだなと思わされる。佐藤氏が記した記録には、『いつ』『どこで』『誰が』の後に『何を話していたのか』が続いていた。
B:あれこそが本物のうどんだと思うんだよな。
A:本物のうどんって。じゃあ偽物のうどんってどういうのだよ。
B:んー、あれじゃね。ひやむぎ的なやつ。
A:いや、それはそもそもうどんじゃなくてひやむぎって食べ物だから。
B:大体さ、ひやむぎって何なの。冷えてる麦なのか。冷たくして食べる方が美味しいよってことなのかよ。
A:さぁ、何だろうな。定義とか僕に聞かれてもわかんないよ。
B:だよな。俺そういえばひやむぎ食べたことないわ。
A:僕もない。
B:今度ひやむぎ食おうぜ。
A:別にいいけど。
僕はノートパソコンを佐藤氏に戻して、言った。
「この会話のどこに商品価値があるんですか」
確かにTとは、うどんの話をした。
Tの田舎はうどんで有名な県にあるのだが、学食のふにゃふにゃとした柔らかい麺を食べる度に田舎にある腰の強いうどんを思い出すのだという流れから、本物のうどんトークが始まったのだ。
「具体的なうどん屋さんの名前がある訳でもないし、途中からひやむぎの話になってますよね。こんなの、情報もなければ脈絡もないんですけど」
「だからいいんです」
佐藤氏は力強く言った。
「こういう何気ない会話の方がリアルでしょう」
実際に話していた内容なのでリアリティがあるのは当然だが、それでもまだこれに価値があるとは僕にはとても思えない。
「ちなみに、どういった人が買うんですか」
佐藤氏は「色々な方がいらっしゃいますが」とした上で、「小説を書かれる方からお問合せをいただくことはよくありますね」と言った。
「作家さんですか」
「はい」
「何のために」
「目的は存じ上げません。我々は問合せに対して、それにマッチする会話をいくつかご提案させていただくだけですから」
作家というのはゼロから全てを自分の脳で作り上げて、それをアウトプットすることで物語を生み出すのが仕事だと思っていたが。
「何で知らない人間の会話なんて買うんだろう」
いまひとつ合点がいかない僕に、佐藤氏は「これはお客様が仰っていたことなのですが」と注釈をつけた上で教えてくれた。
「登場人物たちの会話があまりにも整い過ぎていて『こんな立て板に水で会話なんてしない』と違和感を抱いてしまったり、次の展開へ進めるためのアシストのようなセリフを入れたものの『サクサク行き過ぎて気持ち悪い』と感じることがある、と。そこで我々から購入したリアルな会話のやりとりを挟み込むことで、良過ぎるテンポを敢えて崩しているのだそうですよ」
「それなら適当なセリフを入れれば良いのに。作家さんならそれぐらいすぐなのでは」
「人工はあくまで人工であり、所詮本物には勝てないのではないですか。どんな殺人鬼が登場する小説でも、現実世界で起きた残虐な事件に関する記事を読む方がよほどおぞましいのと同じです」
佐藤氏はコーヒーを一口啜ると「失礼、私としたことが主観を交えてしまいました」と謝罪した。分かるようで分からないような話だが、何かを生み出すようなことを生業としている人々にはその人たちなりの考えがあるのだろう。そんなことを何となく考えていたら、佐藤氏が「そうそう、事件で思い出しましたが」と終わりかけていた話題を引き戻した。
聞き耳屋 もも @momorita1467
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