トモダチ

奈月遥

第1話

 細く、弱く、絹糸のような雨が、透き通る灰色の雨が、世界を濡らす。

 傘を叩く音は柔らかく、地面はしっとりと濡れても水かさは増えず、たぶん世界で一番優しい部類の雨が降っている。

 雨の日は、気が楽だ。

 興味のない友達が笑いながら交わす会話を聞き流しても、雨の音で聞こえなかったと言い訳できる。

 昨日のテレビ、深夜のラジオ、バスケ部のイケメン、嫌いな教師の失敗談。中学生らしい会話を、同級生達は楽しむ。

 クラスメイトで、同じ部活で、同じ帰り道だから、一緒に帰っているけれど。わざわざ帰るのをずらすのも面倒くさいし。

「ね、柳もそう思うでしょ?」

「……ごめん、雨で聞こえてなかった」

 前を歩く二人の内の一人、他のクラスメイトから見たらわたしと仲良しらしい子が振り返って水を向けるのを、用意していた言い訳で受け流す。

 それでも、彼女は目を吊り上げる。これも予定通り。

「もう! そんな後ろに離れるからだよ!」

「横に並んで歩いたら、車の邪魔だよ」

 わたしは学校からよくよく注意されている帰り道のルールを盾に追撃を防ぐ。

 それで彼女はふいっと顔を背けた勢いで前を向いた。

 わたしは、こっそり溜め息を雨に紛れ込ませて、俯く。

 等間隔で並ぶ街路樹の立木の隙間を、背の低い生垣が埋めている。生垣と言ったけど、これは生垣であってるんだろうか。別にどうでもいいか。

 雨は細いから、視界は少しも遮られていない。薄い透明な幕をかけたように、いつもと同じ風景が見える。

 その中で。

 生垣のさらに下で土を覆う草が、揺れて、その隙間に何かが見えた。

 猫、ではない気がする。もっと小さい。

 虫よりは大きかったような気がする。

 わたしは足を止めて、目を凝らした。

 それは丸っこい体で草を揺らして、茂みに隠れる。

 なんだ、あれは。

 わたしは目を凝らし続けて、次の動きを見逃すまいと心に決める。

「柳!」

 そこで、気付けば遠くまで友達は進んでいた。二人してわたしを見て、足を止めている。

 その声に呼ばれるのに首を向けてしまい。

 視界の端で草が揺れたのに気付いて、慌てて元に戻した。間に合わなかった。

「置いていくよ!」

 友達の声が苛立っている。

「いいよ!」

 だから、どうした。わたしは制服のスカートが濡れるのも構わず、その場にしゃがんだ。

 きっと彼女は、わたしが駆け寄ってこないのに、顔を真っ赤にして肩を震わせているだろう。いつもそうだ。

 でも、今日は知るもんか。

 木の枝と草の葉が重なって陰になったそこは、目を凝らしてもなにがいるのか、いないのか、わからない。

 じっとしていれば、わたしも生きものじゃないと油断して、姿を見せてくれないだろうか。野生動物を撮影するには、じっと耐えるのが大事だとテレビで言っていた。

 刹那。

 それは小さな顔で草を跳ねて現れ、そして一瞬でまた奥へと逃げ隠れた。

 胴体から繋がった顔は、首がないように見えた。

「おまえは、だれ?」

 茂みの中に隠れるそれに声をかけたわたしも、中学二年生らしく夢見がちなんだろうか。

 どうでもいい現実やテレビを嘲って日々を過ごす友達よりはマシか。

 しばらく待ってみる。声が返ってこないのは、当然か。

『と、ともだち、まってるよ』

 でも不自然は起こった。

 びくついた声が、雨の隙間で気のせいみたいに届く。

「おまえ、しゃべれるの?」

 わたしの好奇心は、珍しくもうずいて、頭を横倒しにして少しでも茂みに近づける。

『ぼ、ぼぼ、ぼくは、ぼくは。ぼくなんかにかまってたらだめだよ』

「どうして」

 どうしてそんなつれないことを言うのか。

 どうしてかはわからない。なんでかはわからないけど、わたしはおまえにこんなにも心惹かれているのに。

『ぼ、ぼくが、みえるとか、変、って言われるよ。魔女とか、バケモノとか言われて、みんなにいじめられる、よ』

 ほほぉ。

 確かに、よくわからない動物っぽい何かが喋ってるんだ。そりゃ、変だ。わたしがそんなこと言おうもんなら、友達に頭の心配されるのもそうだろうと思うし、他のクラスメイトから指も差されそうだ。

 でも、それがどうした。

「おまえ、妖怪? それとも、妖精? 始めて見るけど、ここに住んでるの? それとも雨の時だけ出るの?」

 どうすれば、おまえにまた会えるのか、教えてほしい。

『ともだち、まってる。ともだちはだいじにしないといけないって、母様も言ってた』

「ふぅん。おまえ、お母さんがいるの」

 ひとつ、収穫だ。親から生まれるってことは、生き物の範疇なんだろうか。

 友達は大事、ね。うん、それはそうだろう。

 でも、ただ地域が同じだけであてがわれた相手を友達だと言わなきゃならないのか。

 トモダチって、自分で好きな相手を選んでいいと思わないかい?

「おまえがわたしのトモダチになったら、大事になるね?」

『と、とと、トモダチ!? ぼくが、ぼくが、ニンゲンのトモダチ!? そ、そそ、そんな、風虫姉様でもないのに!』

 かざむしって姉がいるのか。変な名前だ。

「おまえの名前は?」

『ぼ、ぼぼ、ぼくのなまえっ!?』

 なにさ、名前を聞いただけで声を裏返させて。そんなに怯えなくてもいいじゃないか。

 取って食いやしないぞ。おまえなんて、食えるところ少なそうだし。

『だだ、だめだよ。み、みみみ、みみ、未言とトモダチなんて! ぼ、ぼくは、それに、あやかす姉様の妹だし、そそ、そんなの、だめ、だめだよ!』

 みことってなんぞ。あと、おまえ、メスだったのか。ぼくっ娘か。今流行りの萌えか。

 わたしは流行なんて鼻で笑う質だけど、おまえがぼくっ娘なのは、うん、かわいいから、許す。

「わたしは、おまえがいいよ」

 かわいくて、小さくて、こうして話しててもおもしろい。友達って、こういう相手のことを言うんだって、そんな気がする。

 人間じゃなくても、犬とか猫とかを友達にする人もいるだろう。清少納言もそうだったって、国語の教師が言ってた。

『ぼ、ぼぼ、なんで、なんで、ぼく!? そりゃ、ぼくが見えたのだけでも縁があるんだろうけど、え、ぼくだよ!』

「おまえのこと、まだなんも知らんけど」

 ぼくだよって、なにをさも知ってるよねってていなのか。知らないって。今日初めて会ったって。

 なんだかちょいちょい抜けてて、おもしろいな、こいつ。ますます気に入った。

『うううぅぅぅ、そ、そんな知らない相手! それもニンゲンじゃない相手とトモダチになろうだなんて!』

「なんか、一目惚れした。結婚する?」

『しないよ!』

 そうか、良かった。昔話なら、こういうのと結婚するととんでもない目に遭いがちだからな。なんにも起こらないんだと確証を得てからにしたい。

『ぼ、ぼぼ、ぼくみたいな、普通の人には見えないのとトモダチになったら、さみしいやつって言われるよ』

「ん、あ、そっか」

 こいつの言葉で、わたしは自分の気持ちが分かった。そうかそうか、確かに客観的に見たら、そうだとしてもなんにもおかしくない。

 一緒にいる友人と話が噛み合わなくて、楽しくない。

 授業だって、受けさせられるから座ってるだけ。

 やりたいことも特にない。

 仲間外れにされると、いろいろ不利益が多いから、上っ面だけ合わせてる。

 そんなわたしは、ずっと。

「わたしはずっと、さみしいんだ。おまえ、このさみしさを埋めるためにトモダチになってよ」

 わたしは、茂みに向けて手のひらを差し出した。

 ぽつぽつと、雨が触れて冷たい。早く来ないと、わたしの手が冷えてしまうぞ。

『……え』

 恐る恐るといった感じで、それは顔を出した。

 首が見えなくて、顔と体が地続きになってて、耳は丸い。ていうか、フォルムが丸い。大福、というには、少し潰れた見た目か。

 透明な雨に紛れてしまいそうな、淡い灰色をした、それは、もしかしてネズミだろうか。なんか細いモグラって感じに見えるけど、目がくりくりとはっきり見えるから、モグラではないんだろう。

 なんかイメージと違うな、ネズミ。いや、こいつが本当にネズミか知らんけど。リスではないだろう。

『ぼく、ぼく……』

「ん?」

 目の前のそいつは、前足を合わせてもじもじと体を揺すっている。器用だな。やっぱ、動物じゃなくて、妖怪かなんかか。そもそも、喋ってる時点であれか。

 普通の動物は、喋ったりしないはずだしな。そう習っているし、テレビでもそう言っているし、実はみんな喋るんだって耳打ちしてくる奴もいないから、喋らないはずだ。

『ぼくも、さみしい』

 ぱたりと、所在なく前足を垂らして、そいつは心情を漏らした。

 なんだ、わたしたち、似た者同士か。なおさらトモダチにぴったりだな。

 わたしは、片手でそいつを掬った。

「わたしは、星柳。ほしやなぎ、じゃないぞ。星が名字で、柳が名前だ。間違えるなよ。おまえの名前は?」

『ぼくは……雨鼠。未言のひとつ』

 あまねず、か。ねずってネズミのことかな。やっぱりネズミで合ってたか、よかった。

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トモダチ 奈月遥 @you-natskey

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