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 我が子がすでに寝息をたてていることに気づき、千絵は絵本をそっと閉じた。居間のソファーに戻り、窓の外をぼんやりと眺める。秋の空。午後四時。手のかからない息子。大切にしてくれる夫。一戸建ての家。テーブルの上のコーヒーはまだ少し暖かい。

 子供の相手をしながらも、頭の中は母から届いたメッセージのことでいっぱいだった。スマホを手にとり、あらためて読んでみようか、とも思う。なんとなく既読にしてしまうのが怖くて、さっきはロック画面の通知欄で内容を確認しただけだった。私は怯えているのだ、と千絵は思う。もちろん母に怖がらせる意図がなかったのは間違いない。しかし、生ぬるく淀んだ不安は、あの日からずっと心の奥底に潜んでいる。

 人生を記憶のフィルムと捉えるのならば、それは一つ目か、せいぜい二つ目のリールに収められているような古く色あせた思い出だ。しかしそれは千絵のおよそ三十年の半生において、事あるごとに再上映されつづけた場面でもあった。


 天使を見た、と千絵が二人に話したのは小学二年生の初秋のことだ。その二人――佳奈と祐未はどちらも幼稚園の頃からの友人だった。彼女らとどのように仲良くなったかを千絵は覚えていないが、家が近所だったことは大きく関係しているように思う。母親同士の交流も多く、母娘三組の六人でファミリーレストランにパフェを食べにいったこともあるし、あの年の夏休みはみんなで隣町の温水プールに行ったりもした。無論、親同士の仲がどれほど親密だったかは、まだ幼かった千絵にはわからない。ただ、その後の関係を思えば十二分に親密な仲だったと言える。少なくとも、あのような朗らかな夏を六人で過ごすことは二度となかったのだ。

 三人は同じ小学校にあがると、別のクラスにわかれた。それでも三人はいつも一緒に登校し、下校した。帰りのチャイムが鳴ったあと、待ち合わせのために校庭の水飲み場の前に立って二人を待っていた時間を千絵はよく覚えている。佳奈は長いおさげを揺らしながら、祐未はランドセルにつけてもらった鈴の音を響かせながら駆けてきた、あの時間を。

 かつて子供だった多くの大人は知っていることだが、子供にとって学校から家までの道のりは果てしなく長い(学校の目の前に住んでいるのならまだしも、みんなが見ている子供番組が始まる前に家を出なくては遅刻する距離に住んでいた千絵たちにとっては、もはや天竺へ向かう旅路を思わせる長さだった)。だから子供たちは、その道すがらであらゆる道草や遊びを思いつく――思いついてしまう――のだと千絵は思う。千絵が天使の話をしたのも、やはり下校中だった。

「わたし、ホンモノの天使を見たよ」

 その言葉に祐未と佳奈は一瞬だけ真顔になり、そして笑みを浮かべた。

「うそ! 天使なんていないんだよ」サンタクロースを信じている祐未が言う。

「それはいつ、どこで見たの? どんなかっこしてた? 大きさは?」一方の佳奈は矢継ぎ早に質問を繰りだす。そして、この反応は千絵をたいそう愉快な気分にさせた。

 当時の千絵は他愛もない嘘をたくさんついていた。先生には双子の兄弟がいると母に教えてみたり、テレビのコマーシャルで見ただけの玩具を「おじいちゃんに買ってもらった」とクラスメイトに言ったりした。そしてこの天使の話も千絵の嘘だった。そのころ、夕方に美形の天使が出てくるアニメが再放送されていて、千絵はそのキャラクターをいたく気に入っていたのだ。

「本当に見たなら言えるでしょ」

 そんな佳奈の子供らしい挑発にのったフリをして、千絵は詳細を話す。そして千絵はその後の人生で、この瞬間に戻って自分の口を塞いでやりたいと何度も思うことになる。

「カクヨシの駐車場で見たよ」

 カクヨシというのは現在でも営業している地元のスーパーだ。千絵たちの家からは学校をはさんで反対側にあり、町内を東西に横切る長いヤチダモの防風林――不法投棄の多さで悪名高い防風林――のそばに店舗を構えている。大型とはいえないが必要十分な品ぞろえがあり、規模の割に駐車場も広くて使い勝手が良い、というのは千絵の母の評だ。駐車場は店舗を囲んだL字型になっており、店舗横の駐車スペースは入口から遠く、平日に車が埋まることは極めて稀だった。この店舗横の角に、どういう設計上の都合なのか、ぽっかりと窪んだ小さなデッドスペースがある。人ひとりがぴったり収まりそうなこのスペースが、千絵は――アニメの天使ほどではないにせよ――前から気になっていた。

 そうだ。昨日の夕方、母親の車に乗ってカクヨシに買い物へ行ったとき、人気のない店舗横のスペースを覗くと、そこに人影があったことにしよう。背中に羽があるかはわからなかったが、髪の毛は真っ白で、そう、白いヒラヒラの服を着ていたし、あの人は天使だと思う。あのね、気づいているのは私だけみたいでね、まわりの大人には見えていなかったみたい。

「そんなとこにいるわけないよ」思いもよらない場所での目撃談に佳奈は腹を抱えて笑った。「天使は買いものしないんだから」

「そうだよ、また嘘ついてる」祐未は言った。

「ほんとだよ! 見たんだから。じっとして、空を見てて……」

 家に着くまで、ありとあらゆるディティールを千絵は話したと思うが、そのほとんどは記憶にない。嘘だったからというのもあるが、何よりも最終的に問題になったのは、カクヨシで白いヒラヒラの天使を見たという部分だけだったからだ。


 その週末が明けた月曜日。思いもよらないことが起きた。いつものように三人で登校していると、佳奈がこんなことを口にしたのだ。

「ねえ、千絵ちゃん。わたしもカクヨシで白い人を見たよ」

 一瞬、千絵は佳奈が何を言っているのかわからなった。天使の話はあの日の帰り道の何気ない悪ふざけであり、それもすでに少し忘れかけているような程度の遊びだったからだ。

「それってこないだの天使のこと?」

 この祐未の言葉で千絵は自分の話を思い出し、そして驚いた。佳奈は何を言っているのか。そんな人がいるはずはない。だって自分も本当は見ていないのだから。しかしそれ以上に驚いた様子なのは祐未だった。

「えっ。じゃあ千絵ちゃんの話って本当のことだったの?」

 当然、千絵も押し通すしかない。「だから、本当だって言ったじゃん」

「天使が? 本当に?」

「うーん、私はそれっぽいのを見ただけだから」

 この唐突に始まった第二章で最悪だったのは、佳奈には作り話の才能があったことだ。佳奈はそれが天使だと言いきらなかった。あくまで自分が見たのは白い人だと言ったのだ。天使はファンタジーでも、白い人と言われれば実在しそうなリアリティがある。きっと祐未にはこう聞こえたに違いない。カクヨシの駐車場に現れたものは天使だったのか、それとも天使のような人だったのか。私にはわからないよ。見ていないのは祐未ちゃんだけ。次はあなたに確かめてきてほしい、と。

「でも本当にいたよ。白い人は」悪戯なんてしていないとうそぶく悪戯心に満ちた笑顔で佳奈は言った。


 その日の放課後、祐未は水飲み場に現れなかった。千絵は不思議に思い、佳奈と二人で祐未の靴箱を確認したが、すでに彼女の上靴はそこに収まっていた。どうやらすでに下校したらしい。仕方なく千絵と佳奈は二人だけで帰路についた。あとから考えると、なぜ天使の話と祐未の不在を結びつけて考えられなかったのか千絵は不思議でならない。その時の千絵にとっては、祐未の鈴の音が聞こえないこと以外はいつも通りの帰り道だったのだ。


「ねぇ、千絵」夕方のアニメの再放送が始まるころ、テレビの前に座る千恵に母が声をかけてきた。「今日も祐未ちゃんたちと一緒に帰ってきたのよね?」

 話を聞くと、たったいま祐未のお母さんから、まだ娘が帰宅していないのだが、そちらにお邪魔していないかと尋ねる電話がかかってきたという。

「ううん」千絵が首を横に振ると、母の不安げな顔がいっそう曇った。そして千絵は祐未がいつもの待ち合わせ場所に現れなかったことを説明する。

「そう。どこかに寄り道してるだけだといいんだけど」

 母が電話のもとへ戻っていくと、テレビでは再放送のアニメが流れはじめた。このとき、はじめて千絵の頭に天使のことがよぎる。

 祐未は天使を見に、カクヨシへ行ったのではないか。

 カクヨシは学校を越えて向こう、ぎりぎり学区外の場所にある。もし学校から向かうのであれば、下校ルートとは逆方面へずいぶん歩く必要がある。千絵にとってカクヨシは車で行く場所だ。歩いては行かない。しかし祐未ならどうだろう。なにせ見ていないのは自分だけなのだ。防風林の中にたたずむ白い天使を。

 千絵は母にこのことを伝えようかとも考えた。そして実際に伝えていたら――祐未の人生は何一つ変わらなかったとしても――自分の人生は変わったのではなかろうか、といまの千絵は思う。少なくとも、重荷を下ろすことはできたのではないかと。しかしまだ幼い千絵の心はすぐにテレビの天使に奪われた。


 祐未の死は翌日の朝に母から伝えられた。おそらく昨晩、学校から連絡があったのだろう。千絵にどのように伝えるか、母は寝ないで考えたに違いない。母の声色はいつもより低くゆっくりとしていて、その眼差しはピーマンを三角コーナーに捨てて怒られたとき以上に真剣だった。

「千絵、驚かないで聞いてね。もう祐未ちゃんには会えなくなったの」

 そしてしばしの無言。この日の朝はいつもならついているテレビがついておらず、部屋が無音だったことが千絵には強く印象に残っている。

「どうして」

「あのね。祐未ちゃんは……死んじゃったの。昨日、カクヨシの裏で事故にあってね」母は言った。「走ってきた車にぶつかったの」

 千絵は大人になってからこの事故を改めて調べることになる。それは天使の記憶フィルムの何度目かの再上映のあとで、やはり自分には知る必要があると考えたからだった。何気ない思い出話のフリをして母に訊ねたこともあったし、ネットや図書館で当時のニュースを確認したりもした。

 結論から言えば、あの日、やはり祐未は下校せずにカクヨシまで歩いていた。店に到着した祐未がどのような行動をとっていたかはわからない。駐車場を探し回ったのか。角のスペースをじっと監視していたのか。ただ確実なのは午後四時十二分、駐車場から裏の道へと勢いよく飛び出したということだった。事故を起こしたスポーツカーを運転していたのは、友人との待ち合わせに急いでいた地元の大学生。信号もなくて近道になるからと、店舗裏の防風林沿いの道を利用したらしい。彼の証言によると、少女は何かを追いかけていたわけでもなく、ただ駐車場から防風林に向かって飛び出してきたという。叔父からの入学祝いである青いFR車は、祐未のちいさな身体をゴムボールのように跳ね飛ばし、数メートル先のアスファルトに放りなげた。学生は車内で茫然自失していたが、急ブレーキと衝突音を聞いた精肉コーナーの店員が裏口から出てきて事故を確認。すぐに救急車が呼ばれた。祐未が搬送先の病院で亡くなったのは、千絵がおやすみ前の歯磨きをしていたころだった。

「でもね……祐未ちゃんがどうしてそんなところにいたのか誰もわからないの」母の声が涙で震えはじめた。「いつもみたく、あなたたちと帰っていたら、こんなことにならなかったのに」

 しかし千絵には祐未の行動の理由が十分すぎるほどわかっていた。いや、わかっていたどころではない。心に深く突き刺さっていた。

 千絵は声をあげて泣き、母は千絵の身体を強く抱きしめた。


 佳奈と再会したのは、その三日後に母と佳奈のお母さんと四人で事故現場に花を手向けに行ったときのことだ。

 千絵の家にお母さんと手をつないで現れた佳奈は、いつもの饒舌さを誰かに取り上げられたかのように大人しかった。子供というのは大人たちが考えている以上に他者の表情から多くの情報を得ている。千絵の感じていた不安を佳奈も同様に感じていたことは、その伏し目がちな表情から見てとれた。佳奈も天使の話は誰にも話していないのだ。いまや二人は共犯者だった。

 四人は千絵の母が運転する車に乗り込み、カクヨシの駐車場まで移動した。普段はなるべく入り口の近くに車を停めるが、今日は違う。店舗裏の道に近い、駐車場の奥まで進んでいく。店舗の角を曲がると例の外壁の窪みが見えてきたので、千絵は思わず目をそらした。千絵の母は店舗横の適当なスペースに車を止めると、ため息まじりに「じゃあ行きましょう」と言った。ああ、今日のカクヨシは楽しくない。

 四人が車から降りると、千絵の母はトランクを開けた。

「私が持つわ」佳奈のお母さんはそう言って、花束を取り出す。

 さらに千絵の母はその奥にあったビニール袋から小さな缶ジュースとお菓子を取り出して千絵と佳奈に持たせた。千絵が受け取ったのは祐未の好きなチョコレートだった。

 でもこれはもう祐未ちゃんは食べられない。私はまだ食べられるのに。

 秋風が千絵の頬を撫ぜる。

 トランクを閉めて、四人が裏道のほうへ歩きはじめた、その時だった。急に佳奈が足を止めたのだ。

「どうしたの」

 そう言って千絵も立ちどまり、振り返る。佳奈は口をぽかんと開けて、じっと前を見ていた。丸く見開かれた目ははっきりと驚愕を示している。じり。佳奈は力なく右足を少し引いた。まるでこれ以上は近づきたくないと勝手に身体が反応しているようだ。そして千絵は佳奈の視線を目で追った。

 防風林の中に白い影が立っていた。

 白い、影。

 千絵の心臓が跳ね上がる。

 それは天使だった。白いヒラヒラの服を着た天使だった。

 でもどうして。天使なんて私の適当な作り話。嘘なのに……いや、嘘をついたから? 嘘をついたから本当に出てきた? 

 そうだ。そして祐未ちゃんを殺した。

 いや、違う。祐未ちゃんを殺したのは私たち。私たちが少しだけ楽しい気分になりたいがために嘘をついて、その嘘で祐未ちゃんを殺したんだ。

 そして、天使は私たちのところにやってきた。私たちに罰を与えるために。

 足音が聞こえないことに気づいたのか、千絵の母が振り向いた。「千絵、どうしたの」

「悲しいのよ」佳奈のお母さんは言った。「無理もないわ」

「ほら、祐未ちゃんにさよなら言おう?」

 母に手をつかまれ、千絵は防風林に近づいていく。

 天使のほうへ。

 一歩。

 お母さん。私を連れて行かないで。そいつは私を捕まえに来たんだよ。

 また一歩。

 嫌だ。行きたくない。お母さん。お母さん。

 すると突然、林の中の天使が大きく身をよじった。祐未を殺した人食いの天使が。千絵は絶叫するように泣きはじめた。

「千絵……泣いてたら、祐未ちゃんは天国にいけないよ」千絵の母は言った。

 佳奈も涙を流していたが、千絵のように半狂乱になってはいない。「ちがう。お母さん、それ」涙を流しながら天使を指さした。それを見た二人の母が白い影に近づいていく。

「……汚いシーツ」佳奈のお母さんが言った。「ただのゴミよ。またどこかのろくでなしが捨てたのね」

 鼻をすする。涙をぬぐう。そしてもう一度よく見てみる。すると、木の枝に薄汚れたシーツのような大きな布がひっかかって、風にはためいていた。天使でも、白い人でもない。ただのゴミ。その言葉に少しずつ千絵も心も落ち着いてくる。

 しかしすぐに安堵と入れ替わるように、千絵の脳裏に不愉快な想像が生々しく迫ってきた。天使を探しにきた少女。白い人を探しにきた少女。駐車場を探しても、壁のくぼみを調べても見つからない。ふと、防風林に目をやる。そこには白い影がゆらゆらと揺れている。あれは天使? 白い人? それともあの子が見間違えた何か? 正体を知りたい。そして少女は駆けだして、短い冒険も、人生も終わる……。そうだ。きっと祐未はこれを見て、駐車場から飛び出してきたのだ。車の前に。

 千絵はそっと佳奈の顔を覗くと、佳奈も千絵を見ていた。二人はお互いのまだ幼い瞳にはっきりとメッセージを読み取った。このことは絶対に言ってはいけない。私たちの天使が祐未を死へ導いたことは決して。

 そして二人はもう一度泣きはじめた。


 その後、どのように佳奈との仲が終わっていったのかを、千絵は完全に説明することはできない。ただ、祐未の死を境に、お互いが自分のクラスの子と仲良くするようになっていったのは確かだ。そして次第に佳奈と一緒に学校へ行かなくなり、二人はただの同級生になった。それでも何かの拍子に顔を合わせることはあった。そんな時はただの顔見知り程度の距離感で言葉を交わした。二人の間にはよそよそしさと緊張感、そして死んだ友情と暗い秘密の匂いが漂っていた。そして別々の高校に入り、佳奈は同級生から近所の他人になった。その後の佳奈の人生は時おり噂話として聞くばかりになる。最後に聞いた話は五年前、佳奈が隣町の海鮮居酒屋で働いているというものだった。


 千絵は人生の節目節目に祐未と防風林の天使のことを思い出した。

 志望校に受かったとき。初めて恋人ができたとき。地方局とはいえ、夢だったアナウンサーとして入社できたとき。ファンだからと紹介された男が開業医だったとき。プロポーズされたとき。はじめて息子を抱いたとき。

 滋味深い幸福の味わいを感じるたびに、すぐ後ろを祐未の声が追いかけてきた。私は千絵ちゃんのせいで死んだのに、どうして千絵ちゃんは幸福に生きていられるの。千絵の中の祐未はそう責めた。そして恵まれれば恵まれるほど、祐未への罪悪感は増した。そしてこの幸福がいつ不幸に転ずるのかと不安になり、最後には罪悪感を覚えながらも己の幸福を失うことを恐れる自分の卑しさに嫌気がさした。これはあの天使の呪いなのだと千絵は思う。あの日、天使は本当に林に立っていたのだ。

 そしてこの呪いは佳奈にとっても同じだったはずだ、と千絵は思っていた。佳奈だって幸せに暮らしているはずだ。私だけが幸福なわけではないはずだ、と。どこかで同じ罪を抱えながら暮らしている佳奈の存在が千絵には支えだったのだ。


『小学校のときに遊んでた佳奈ちゃん、覚えてる? 亡くなったって。ビックリしたよ』


 母からのメッセージに死因は書いていなかった。せめて安らかな最期であればと思うが、「その願いも佳奈ちゃんを思ってのことではないでしょ?」という祐未の声が聞えてくる。そう、佳奈が不幸なら自分にも不幸が訪れるかもしれないという恐怖から逃れたがっているだけだ。

 そして千絵は気づく。これからは佳奈の分も背負うのだと。幸福の罪悪感と恐怖を。一人で。

 深いため息が漏れる。しかしそれは祐未ほどの不幸ではない、と千絵は思う。祐未ほどではないのだ。


 テーブルの上のマグカップを手に取り、ひとくち飲む。コーヒーはすでに冷めていた。


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