第3話

真田さんは翠兄さんが運転する車で帰った。俺も同乗して、兄さんが作ってくれた夕飯の話をして「おいしかった」など言いながら盛り上がって、それを聞いていた兄さんは照れていた。

 歩けば遠いけど、車ではすぐに真田さんの家に着いて、真田さんはしきりにお礼を言って家に入っていった。

 そんなことを思い出しながら、俺は学校に登校した。

 教室に入ると、クラスメートが俺をなぜかからかいだす。「お前もすみにおけないな」「笹江先輩か?」「いやあの先輩はこんな字書くか?」「笹江先輩はあんなことしないだろ」「中身、女ものだったぜ」「意味がわかんねー」などという会話にクエスチョンマークを頭に浮かせていれば、クラスメートの一人が、俺の席を指さした。すると、俺の席には紙袋が置かれ、その近くにいる柚木君が何か手紙をにやにやしながら持っていた。そして、あろうことかその手紙を読み始めた。

 「昨日はありがとうございましたーだってよ。おい、緑川。昨日女でも連れ込んだかー?」

 俺は急いで柚木君に近寄り手紙をもぎ取った。その様子に柚木君は目を丸くして驚いていた。

 そんなものを無視し、手紙を読む。丁寧に書かれてあるが、少し丸い文字。内容に心当たりがあって、真田さんであることがすぐに分かった。

 クラスメートの様子を見れば、きっと誰もいない時間帯に学校へ来て、俺の教室に入ってこれを置いてくれたのだろう。名前を書かなかったのは、俺を気遣ってくれたのが見て取れた。

 紙袋の中身は、昨日貸した服だった。

 なんだか嬉しくなって、顔がにやけた。それを近くにいた柚木君に見られ、もっとからかわれた。色々否定しながら、俺は彼女の文字が綴られた紙を大事にそっと鞄の中のファイルに仕舞ったのだ。



★★



 廊下を歩けば、向けられる様々な感情が含まれた視線。分かり切っている。全て嫌悪や憎悪だ。

 自然と肩が小さくなる。全て無視することは小さい頃から慣れていた。けれど、一日に一回は辛いという言葉が浮かんできてしまう。そんな時は服越しでペンダントに触れる。それだけで安心できるし、それでだめだったら、あの手を思い出す。私にとっての光の手。

 ふうと歩きながら小さく息を吐く、大丈夫、そう言い聞かせて早く教室へ戻ろうと意気込むと、誰かが前に立った。自然と足を止める。

 誰か、いや、この学校にいてその人を知らない人はいない。

 金色の長い綺麗な髪を高く後ろで結んで、整った顔立ちに美しい赤い目をした女性。けれどその綺麗な容姿に反して、口調は男性のよう。逆らえないような高圧的な雰囲気を持っているその人は、絶対に関わるような相手ではないことは確かだった。だって、雲の上にいるような存在だったから。

 そんな人が私の前に立ち、その綺麗な赤い目で私を冷たく見ていた。いや、睨みつけていた。

 ペンダントに触れる。けれど、感じる怖さは消えなかった。

 片手を腰に当てている笹江ディオナ先輩。

 彼女は私に何か用だろうか。

 周りは笹江先輩が私の前に立っていることに驚いているらしく、ひそひそと何かを話している。それに私は、笹江先輩に申し訳なくなって早々にここを立ち去ろうと口を開こうとすれば、それより先に笹江先輩が話し出した。

 「もうあのお人好しに関わるな」

 それは、心に爆弾を落とされたような衝撃の言葉だった。

 身体が震えた。昨日のことを見透かされているようで、汗が背中を伝った。

 「お前は自分がどのように思われているか認知しているはずだ。お前に関われば、どうなるかも、だ。だが、あいつはそれを知っても尚関わろうとするだろう。あいつはドが付くほどのお人好しだからな。」

 低く、心に響く声でそう言う笹江先輩に、私は俯く。あの目に見られたくない、という思いもあった。

 「いいな、これ以上あいつに関わるな。私がこの言葉を二回言った意味を頭に叩きつけろ。いいな?」

 私は俯いたまま、小さく頷く。それを見て安心したのかどうか分からないけれど、笹江先輩は私の前から去った。

 涙が溢れそうだった。

 笹江先輩が言った「お人好し」を私は知っている。だって、私なんかのために怒ったり優しくしたりしてくれた。濡れた私を放って置けないと言って家に連れて行ってくれたし、夕ご飯もいただいた。

 随分前に失ってしまった暖かさを、与えてくれた。

 下唇を噛みしめ、零れそうになる涙を抑え込んだ。そしてまた向けられる視線は気にならなくなった。ただ、頭に浮かぶのはさっきの言葉を言う笹江先輩の声。

 「緑川、先輩」

 小さく、誰にも聞こえないような声で、声を掛けてくれた、頭を撫でてくれたあの人の名前を口にした。



★★



 今日は珍しく何も頼まれず下校することができる。それはきっと隣にいるディオナ先輩のおかげなのだろう。

 バァァンと教室の扉を開けて、入ってきた先輩はHRを終えた先生の言葉も聞かずに俺の席まで来て「帰るぞ」の一言。俺は逆らえず素直に返事をし、拉致させられるように教室を出たのだ。

 教室の残されたクラスメートの唖然とした顔は、結構面白かった。

 そんなことを考えているとバシンッと思いっきり鞄で頭を叩かれた。

 「おい、私と一緒にいるのにも関わらず、他のことを考えるとは、どうやら怒らせたいようだな?ん?」

 赤い目を怒りで染めている先輩に慌てて謝る。

 「ふんっ、せっかくこの私が助けてやったのに、なんて奴だ」

 やはり、助けてくれたのか。俺が何かを頼まれる前に拉致のようなことをしたのは。その気持ちだけで俺は嬉しくなり、にやけてしまう。

 「なんだ、そのだらしない顔は」

 そう言われ、俺はまた謝る。溜息を吐かれ、先に進む先輩の隣に並ぶように歩き、俺は素直にお礼を言った。

 「ありがとうございます、先輩。」

 すると、「ふん」とまた言ってそっぽを向いてしまう。にやけたのが気に食わなかったのだろうか。

 「先輩の優しさが嬉しくて、ついこんな顔になってしまったんですよ。先輩は本当に、優しい人だ」

 理由を述べると、急に先輩が足を止めた。俺は思わず先に進んでしまって慌てて後ろを見る。

 先輩は目を細め、眉を眉間に寄せていた。あぁ、また怒らせただろうか。そう思ってまた謝ろうとすると、先輩は歩くことを再開させて俺の頭をチョップする。

 「あいたっ」

 悲鳴を上げても先輩はチョップをし続けた。

 「痛っ。ちょっ、何っ、ですっ、かっ。痛っ、いっ、えっ?」

 「うるさいうるさい、くそ生意気だ。このお人好し、バカ、あほ、あほ、無表情、バカ」

 「えっ?えっ?痛っ」

 「お前は本当にっ・・・。だからっ、あんな女に」

 最後の方は声が小さくて聞き取れなかった。けれど、先輩のチョップは止められ、俺は頭をさする。先輩は何事もなかったように俺の横を通り抜け歩くので、俺は慌てて追いかけた。

 「ちょっと先輩」

 「誰構わず優しくするのはやめろ、美乃留」

 その言葉に、俺は言葉を無くした。先輩は構わず続ける。

 「お前の優しさは菓子のように甘い。甘くて甘くて・・・原型を留めないほどに溶けてしまうくらい甘い。それは、様々な人を惹きつけ、特にお前の場合は馬鹿な奴らを惹きつける。――私も、きっとその一人だ。」

 言い終わり、また立ち止る先輩と一緒に立ち止る。先輩の五㎝低い場所にある顔を覗き込むと、先輩は、不思議な表情をしていた。

 「私は、嫌なんだ」

 先輩は、目を伏せる。長い睫毛が震えている。

 「・・・先輩?」

 「これ以上、お前が私以外の誰かに優しくするのも、その優しさに甘える奴を見るのも・・嫌だ」

 「・・・」

 「・・だが、お前はやめない」

 そう言って先輩はその赤い目をこちらに向けた。そして、諦めたように小さく笑った。いつも男子を虜にするはずの綺麗な笑みだったが、やはり不思議な表情に見えた。どこか、いつもと違う。でもその違いが分からない。

 俺は、先輩の目を見つめ返す。

 「そんなお前を、嫌いになれれば・・・こんな気持ちは抱くこともなかったのに」

 そう言って先輩は大きな溜息を漏らして、歩くのを再開した。けど俺はその場から動くことができなかった。

 先輩はこちらを見ずに歩き続ける。その背中が追ってくるなと言っているようで。先輩の背中が見えなくなっても、俺はそこから動けなかった。



どうしてか、俺は初めて、先輩に拒絶されたような気がしてならなかった。それが、とてもとても悲しくて苦しかった。

 俺は、どうして先輩にあんな顔をさせたのだろう。先輩は、俺の性格が本当はすごく嫌いで、たまらなくて。でも優しい人だから、いつも構ってくれて。あぁ、どうして気付かなかったんだろう。先輩の苦しみに。どうして。

 ――

 

 


――。 



どんっと後ろから衝撃を受けた。

 俺はよろけて前のめりになるが、すぐに足を踏ん張りゆっくりと後ろを向く。そこには、一人の少女が転んでいた。

 俺が通う学校の制服を着た、水色の髪の少女。

 あぁ、彼女は。

 「真田さん?」

 そう聞けば、真田さんは顔を上げた。その表情を見て、俺は顔を引きつかせる。

 泣いていた。

 その片方しか見えない茶色の目に一杯水を溜めて、頬を濡らしていたのだ。

 「あ、あ、あ、」

 口を半開きにして何かを言おうとしているらしいが、彼女は言葉を発せていなかった。ただ漏れるのは声だけ。

 しゃがみ込んで紙袋を置いて肩に触れる。

 「真田さん、どうし」

 「・・・っ」

 俺の言葉を遮り彼女は、俺に抱き着いた。その衝撃で尻もちをついてしまった。一体どうしたんだとか、そんなことが頭でぐるぐる回っているが、何も発せず、俺は彼女の肩に置いていた手を背中に置く。小さく震える背中に、また何かあったのだろうかと思う。

 「・・・・」

 彼女が何か言っている。けれど上手く聞こえない。

 「真田さん?」

 「・・・・・さ・・い」

 「え?」

 「・・・っ」

 聞き返すと、彼女は、はっきりと言ってくれた。

 


「助けてください、先輩っ!!」


 

悲鳴のような声で聞いた、彼女の叫び声は、俺の耳に響く。

こつんっと聞こえる足音に顔を上げると、そこには黒いスーツを着た男性。鋭い目をこちらに向け――いや、真田さんに向けていた。

こつんっ。そう革靴を鳴らして、その男性は歩み寄ってくる。鋭い目をこちらに向けたまま。

 俺は寒気が走るのを感じた。この男性に対して、恐怖を抱いたのだ。

 下唇を噛みしめる。真田さんを庇うように胸の中に掻きこみ強く抱きしめる。彼女も俺に強くしがみついた。

 俺は男性を睨みつけた。効くとは思わないが、威嚇をした。男性はようやく俺に気付いたのか、その鋭い目を俺に向けた。すると、その目が一瞬驚いたように開かれた。

 「・・・」

 何か言いたそうにして、立ち止る。視線はまた鋭くされ、俺の後ろを見た、ような気がした。

 そこで、俺は後ろに誰かがいることに気付く。少し首を動かし、視線を後ろの方に向けると、変わった着物を着た10歳ほどの幼く白い髪を持つ少女が立っていた。

 少女は目を男性に向けていた。笑っているように見えるが、それは口元が逆さまの山のような形をしているだけで、紫色に近い黒い目は笑っていなかった。

 少女はこちらを見下ろした。

 「お兄さん、邪魔」

 その一言と同時に襟首を掴まれたのを感じた瞬間ぐいっと引かれ後ろに放り投げられた。

 「っ!!??」

 声にならない悲鳴を上げ、強く尻もちをつく。その痛みに悶えながら、視線を前に向けると、目の前が炎に覆われていた。

 「なんっ!?」

 声を上げると同時にさっきの少女が背中を向けながら、炎の中から出てきて、俺の横に着地した。そしてまた俺を見下ろす。

 「あれ?邪魔だって言ったのに、どうしているの?」

 首を傾げる少女に、俺は頭がおかしくなりそうだった。ただ、混乱する俺の頭でたった一つの言葉だけ読み取れた。

 逃げろ。

 俺はその言葉に従い、俺に抱きつき真田さんを姫抱きにして、震える足を叱咤して立ち上がり少女に背中を向けて走り出す。

 走って走って、人に見られようがなんだろうが、俺は走り続けた。

目指す場所は、自分の家。翠兄さんの場所だ。

あんな意味の分からないことが目の前で起きて、何もかも整理しきれない俺の頭は幻覚を見ているかもしれない。けれど、腕の中にいるのは確かに真田さんだし。しがみつく彼女の腕は震えているのが分かる。

息が乱れる。けれど、俺は走った。

恐怖と不安と混乱が俺を支配するが、俺はただ走るしかなかった。

あの場にいてはだめ、それだけ判断できた頭を、俺は褒めるべきだろう。

 「・・・くっ」

 苦しくなって声が漏れる。あぁ、全力疾走なんて五十メートル走ぐらいしかしない。だが、あと少しだ。もうすぐで着く。

 




「よう、お疲れ」





 褐色の肌を持つ男性が、家があるマンションの前に立っていた。

 焦げ茶色の長い髪を結び、煙草を口に咥えてポケットに手を突っ込む重ね着をしたその男性を見て、また頭が混乱した。

 「・・・貴方は」

 息が乱れたまま呟く。

 男性は、煙草を捨て、それを地面に落とし靴で踏みながら首を傾げたまま言った。

 「その女を渡してもらいたい、いや、渡してもらおうか」

 真田さんのしがみつく手の力が入る。

この人は、あのスーツを着た男性側だ。そう判断した俺は真田さんを抱える力を強くした。

 「それはできないです」

 その言葉を放てば、彼は面倒そうに溜息を吐いた。

 「じゃ、力ずく、そう力ずく、だっ」

 最後の言葉と同時に、俺は崩れるように尻もちをついた。

 「え?」

 腕に力が入らない。足にも、身体にも。何とか重心を前にして頭を真田さんの方に寄せた。

 「あ、先輩っ!先輩っ!!」

 真田さんの涙声が聞こえる。

 泣かないで、泣かないでくれ。

 そう思っても口も動かないで、瞼が重くなる。ふと頭に柔らかい感触を感じた。なんだろうか。手のようなものを感じ、きっと頭を抱きしめられているのだろうと思った。

 「先輩、いやっ、先輩!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!!」

 謝る涙声。近づく足音。

 あぁ、目を閉じてはだめだ。

 その命令を聞かず、瞼は残酷にも閉じてしまった。

 真田さんの叫ぶような震えた声が、真っ白になった頭に響き渡るのを最後に、俺の意識が飛んだ。


★★


 ぐったりして冷たくなる先輩の頭を抱きしめて何度も謝る。泣きながら、私は先輩を呼び、謝り続ける。

 どうして、こんなことになってしまったのか。分かっている、私のせいだ。私のせいで先輩は動かない。私のせいで先輩は、――死んでしまった。動かない、動かない、動かない!!

 ――笹江先輩の言葉が蘇る。

 『関わるな』

 バカ、バカバカバカバカバカ!!!!私のバカ。

 どうして、あの時、助けを求めたの。どうして抱き着いたの。どうして、しがみついて離れなかったの。――どうして。

 涙が止まらない。

 走るようになった下校。けれど今日は走ることもなく、顔を俯かせて歩いていた。ぎゅっとペンダントを握りしめて、泣くのを我慢して、苦しくて悲しくて、そんな気持ちに支配されて、忘れていた。忘れてしまっていた。

 身体中が悲鳴を上げるように寒気。冷や汗。心臓をぎちりと握られる緊張感。苦しさ。

 嫌な感覚。

 に出会った、黒いスーツを着た男性が、後ろに立っているのに気付いた時に、全てを思い出したって遅かった。

 無我夢中に走って、前を向いていなかった私は誰かにぶつかって。

 『真田さん?』

 その声があまりにも優しくて、顔を上げて見た彼はやはり心配そうな顔をしていて。私の顔を見て慌てたようにしゃがみ込む先輩に思わず抱き着いた。

 彼なら、いや、彼だけしか、助けてくれない。そんな身勝手なことを思って、救いを求めた。先輩を巻き込むことを知っていて、それでも助けてほしくって。

 恐怖から、不安から、辛さから、悲しみから、全てから、助けてほしかった、救ってほしかった。

 後ろからあの男性が来る気配を感じる。ぎゅっとしがみついてしまって、すると、先輩は強く抱きしめ返してくれた。

 それが嬉しくて、さっきから涙が出ているのに、また懲りずに出てくる。

 あぁ、この人なら助けてくれる。そう思った。救われるって。ここで死んでも、私はきっと救われた気持ちで死ねるって。

 そんな身勝手ことを考えて、先輩の気持ちなんて考えないで。私を抱いてあの男性から、途中から現れた白い少女から逃げる先輩は、すごく辛そうだったのに、ただしがみついているだけで。

 気付けば先輩は、力なく私に凭れ掛かってきて、そこで目が覚めたように私の思考はフル回転する。

 何度も名前を呼んで、でも動かなくなって、これが私のせいだって認識して、謝り続けて、でも先輩は動かない。謝っても、もう戻ってくれない。

 あぁ、私なんて死んでしまえ。どうして先輩なの。どうして私を殺さないの。どうして、私を生かすの。

 私は近づいてくる褐色肌の男性を見上げた。

 ぼたりぼたりと涙が落ちる。それに構わず睨んだ。

 男性は呆れたように私を見下す。

 「あんたさ、どうして他人に関わろうとしたんだ?」

 そう言われて胸が苦しくなった。この人も、そうだ。私を嫌っている。顔には出ていないけどそうだと昔ながらの直感が働いた。

 「自分がどんな存在で、どんなものをもたらすのか知っているだろう?もしかして、知らないのか?知らないのなら納得だがな・・知っていて、もし関わろうとしているなら随分と悪趣味だ、あぁ、悪趣味だな」

 しゃがみ込んで目線を合わせる男性から煙草の匂いがして気持ちが悪かった。

 「本当に分からないのか?それは驚きだ。」

 男性は可笑しそうに笑う。その笑みが怖い。涙が頬を伝って落ちてゆく。

 「よく分からない、ああ分からない。あんた(、、、)達(、)はよく分からない。――まあ、知らないなら教えてやるさ。だから、大人しくついてこい」

 誰が行くものか。先輩を殺しておいて、何を言っているのだ。けれど、男性の言葉には、私が今まで理解できないことを知っているようなことが含まれていた。

 私は嫌われていて。それは知っているけど、この男性が言っているのは、それ以上のことのようで。

 「嫌です」

 「・・・」

 「知っています。私が嫌われているのも、憎まれているのも。あなたはそれ以上を知っているようですけれど、私はあなたについて行かない。」

 「・・・あんた。自分が断れる立場にあると思っているのか?」

 男性が笑いながら私を見て、首をぐっと掴んだ。

 ぐいっと上へ少し上げられ、苦しい。先輩を抱きしめる力が弱まっていくのが分かる。

 「あんたに最初から拒否権なんてない、ないんだよ。あんたはの言うことを大人しく聞いていればいい。それだけで多くの人を救える。いい話だろ?いいチャンスだろ?」

 「ぅ・・・ぐっ」

 「?」

 その言葉の意味を、私は、理解できなかった。いや、したくなかった。どういう意味なのか、そんなこと、考えたくなかった。

 先輩、緑川先輩。

 心の中で先輩を呼ぶ。何度も、何度も。

このまま、死ねたら、私は先輩のもとへ行けますか?

薄れてゆきそうな意識の中、問いかける。

「あーあ、お早いお着きで」

 突然放った男性の言葉は、明らかに私に投げかけたものではなかった。その瞬間、


彼の首が

 

私の首を絞める手の力が緩み重力に従って落ちる手。そして、崩れるように横に倒れる男性の身体。少し浮いた腰が地面に付き、男性を見れば、首が、離れていた。

 「・・・っ、」

 それに息を飲む。

 「大丈夫かい、真田さん」

 呼ばれて、私は男性を挟んで立つ人の存在に気付く。ばっと見上げれば、緑の髪がすぐに目を惹いた。

 そして、何故ここにいるのか、という疑問が浮かび上がる。だが、その人はそんな疑問を抱く私を無視して、私に寄りかかる先輩に視線を向けた。そして足で首が離れた男性の身体を蹴ってその場を引かし、しゃがみ込んだ。先輩の頬に触れ、そして首元へ手を動かした。だがすぐに何かを掴んで手を引いた。

その手には男性――翠さんの手に収まるくらいの白い長方形の紙。

彼は、それをぐちゃりと握る。

 すると、先輩に暖かさが戻ったような気がして私は先輩を見た。

 「大丈夫、眠っているだけだ」

私を安心させるように優しい声で言う翠さんの言葉に、私は先輩の茶色い髪に顔を寄せて「よかった」と呟く。枯れてしまうのではないかと思うぐらい泣いたのに、また涙が溢れてきた。

翠さんが立ち上がった。それを目で追うと、翠さんの顔つきが変わる。

穏やかな表情をしていた翠さんの表情は険しく、眉間に皺を寄せている。

「久しぶりの再会に、悪趣味な挨拶だ、あぁ、悪趣味だ!」

その声に、私は震える。

だって、そばで首が離れて倒れる男性が、翠さんの後ろに立っているのだから。

「良く出来ている〈式紙〉だな。だが、リアリティに欠ける」

「血を再現するのは、それこそ悪趣味だ」

私の側で身体と離れた首が、白くなっていてって、紙に変わり崩れてゆく。それに驚いていると、クスクス笑う男性。彼はポケットから煙草を取り出し口に咥えた。火を点けている間に翠さんは私に背を向けて男性と向き合った。だから、翠さんが今どんな表情をしているのか分からない。

「もう二度と会うことはないと思っていたよ、クレェル」

クレェル、そう呼ばれた男性は煙草を咥えながら煙を吐き出し、肩を揺らして笑う。

「そうか?俺は会えると思っていた、あぁ、思っていたよ。――殺すべき敵としてな」

クレェルは笑いながら、煙草を指で挟んで口から離した。

「しかし、驚いた。お前がいない間に事を済まそうと思っていたんだが、とんだ誤算だ。失敗した、あぁ失敗した」

「・・・お前、ここに何しに来た」

翠さんの言葉に、クレェルは噴出して大声で笑う。長く続くその笑いを翠さんは止めることをしなかった。

クレェルは一通り笑い、私たちを見た。

「知っているだろう?お前ならば、なぁ、翠。お仲間(、、、)の気配でよぉぉく、な。俺がここにいる理由も、その女を連れて行こうとしている理由も、分かっているはずだ。あぁ、分かっているな。」

「・・・」

私は翠さんの大きな背中を見た。

「分かっていながらとぼけるなんて、おかしな技を身に着けたものだ。」

ふわりと風が吹く。その風は段々と強まり私と翠さんの髪を揺らし、砂埃が舞い上がる。何気なく上を見れば白い紙――翠さんが握りつぶした長方形の白い紙だ――が舞っていて、それはクレェルの周りに次第に集まっていく。それに囲まれながら、クレェルは笑っていた。

「まぁ、今日は退かせてもらうか」

 そう言って、紙がクレェルを覆い隠す隙間から見えるその目を翠さんから私に向けて細める。

 「またな、――」

 最後に何かを言ったようだけれど、聞こえなくて。彼は紙の吹雪に連れられ、その場から消えてしまった。

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