ウィンの旅路

キノシキ

第1話:廃墟にて

「では皆さん、そういうふうに川だといわれたり、乳の流れた跡だといわれたりしていた、このぼんやりと白いものが本当はなにかご承知ですか?」


 柔らかい声が部屋に響く。ひび割れた壁からはツタがのび、ガラスが失われた窓から穏やかな日差しが差し込んでいる。宙を漂う細かい埃が光に反射してキラキラと輝いている。


「(昼でも星が見えるとこんな感じなのかな?)」


 ベネフィは垂れ落ちてくる髪を手で押さえると、再び本に目を戻した。


「それって雲?ぶわーって流れるような雲見ることあるよね?」


 はつらつとした声にベネフィは再び顔を上げる。


「ウィンさん、まだ続きがありますよ」


「ねぇ、本ってなんでそんなに回りくどいの?見せたいものがあるなら、『はっきりこれがそうっ!』って書いちゃえばいいじゃない」


「見せるのではなく、読み手が想像するように書かれているのが本なんですよ」


 ベネフィは苦笑しながら本を閉じ、さっきまで読みたがっていたのに興味を失った少女、正確には彼女の左肩に視線を移した。


「ラドさんもそう思いませんか?」


 ウィンの左肩、そこに乗る手のひらサイズの端末に声をかける。透明なドームの中にあるレンズが伸縮し、スピーカーから機械的な声が返ってきた。


「小説とは概ねそのようなものです。中にはウィルの言うような本、図鑑や辞典と呼ばれるものもありますが…まぁウィルにとってどれも同じですが」


「むぅ、、、もしかしてラド、アタシのことバカにしてる?」


「1ページを読む前に寝てしまうのを何度も見て、、、ちょっとやめてください!目が回ります!」


 ウィンはラドを右手につかみ、全力で上下に腕を振った。


「端末が目を回すとかないし!なに嘘ついてるのよ!」


「処理落ちするんです!あーやめてください!やめてください!」


 二人のやり取りを眺めながらベネフィはくすくすと笑い、本を閉じてゆっくりと立ち上がる。


「で、ベネフィ、その本はなんてタイトルなの?作者は?っていうか売れそう?」


 今度はラドを上に放り上げながら、ベネフィに矢継ぎ早に質問を重ねる。


「えーっとですね、タイトルは...銀河鉄道の夜。作者はえぇと、みや?宮沢賢治さんですね」


 かすれた表紙を眺めながらベネフィは答え、もう一度本を開いてページをめくっていく。


「表紙は見にくいですが、中身は傷んでないですね。文字も読めますし、ページの抜け落ちもなさそう。...はい、最後までちゃんとあるみたいです」


「おぉ!それなら当分の旅費にはなるかも!本って結構高く売れるのよねぇ」


 ベネフィの言葉にウィンは嬉しそうに小躍りしたが、続くラドの言葉が期待を裏切った。


「この作品は私たちの街に流通してますね。近隣国にも出回っています。まぁ良くてパン一つと交換できるかどうかですね」


「アタシの期待を裏切るなー!」


 ラドはウィンの身勝手な理由で部屋の片隅に放り投げこまれ、その衝撃で積み上げられた机が派手に崩れ落ちた。舞い上がった埃が視界を灰色に染める。


 大きな音に驚いたベネフィは埃を吸って咳き込む。ラドを放り投げたウィンも同様で、二人は咳き込みながら、周囲の埃を振り払おうとする。


「げほっげほっ!あー最悪!全身埃まみれないじゃないの!」


「ウィンさんのせいですよ。ラドさんはちゃんと教えてくれただけなんですから」


 ベネフィはローブについた埃を手ではたきながら、部屋の反対側に移動する。艶のある黒紫の髪も埃まみれになったが、それを気にする素振りはない。

 ウィンもベネフィの隣に駆け寄り、服をはたくと隣にちょこんと座る。もう暴れるつもりはないらしい。


「朝からずーっと調べてたのに収穫は本一冊だけかぁ。それもしけしけ、、、」


 今度は床の埃を指でいじりながら、「やってらんない、おなかすいた、ラドのバカ」と身勝手な文句を書き始めた。


「えっと、ほら、この作品がないところでは高く売れるかもしれないですし、なんでしたら私が先にウィンさんから買い取る形でも」


 いじけるウィンにベネフィは慌ててフォローを入れる。


「それじゃベネフィが損しちゃうかもしれないじゃない。値がつく保証なんかないんだよ」


「まぁ、それほど荷物になるわけじゃないですし、そのうち売れる場所が見つかると思います。それに私もこの本を読みたいですし」


「うーん、そういうなら何かと交換にしてもいいかぁ。値付けはベネフィに任せるし」


「お話がまとまりそうなところですが、よろしいでしょうか?」


 崩れた机の隙間からラドの声が割り込んでくる。


「お二人の約200メートル離れた場所で動体反応を2体感知しました。先ほどの物音に反応し、こちらで高速で接近中です」


 ラドの淡々とした報告に、ウィンは慌てて崩れた机の中に腕を突っ込み、ベネフィも不安げに周囲を見渡す。


「えぇっと、ラドさん、ディアボはどこでしょうか?」


「先ほどから外周の探索に出ています。連絡を入れましたが、2体がここに来るほうが先ですね」


 なんとかラドを取り出したウィンは自分の左肩に取り付ける。舞い上がる埃を気にする余裕はない。


「その感じだと、話し合いは無理そうね」


 ウィンの顔が焦りの色に染まる。


「一瞬ですが、本体で対象の姿を確認しました。おそらく自動人形です」


 自動人形。この世界では意思疎通ができず、自分たちに対して攻撃的な存在をそう呼んでいる。


「武装も確認済です。胴体に機関銃を装備、口径は不明です」


「逃げるわよっ!ラド、お願い!」


 叫ぶと同時にラドはベネフィの腕を取り、全力で部屋から飛び出す。


「そこは5階ですので私では届きません。とにかく下に降りてください」


 廊下の端の壁が大きな音を立てて崩れ落ち、鈍色の肌をした四つん這いの人形が現れた。






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