妄言
金原凛
美しい母
母は美しい人でした。誰もが母の虜になりました。私も例外ではありません。
母は、誰も愛することのない人でした。娘であった私さえ母に愛されたことはありませんでした。一応、血の繋がった家族ではあるので、育ててはくれましたが。
私は、母が仕事で寝た男との間にできた子どもです。母はたくさんの男と寝たことがあるため、どの男との子なのかはわからないそうです。
母は夜のお店の踊り子でした。キラキラしている美しい衣装で、蠱惑的に踊る母はこの世の何よりも美しかった。ステージの上で踊る母に惚れない男などいませんでした。私はそれが誇らしかった。
私は、誰も愛することなく、相手を魅了し、金を巻き上げる母を愛していました。今でも、母の官能的に歪む赤い唇を思い出すとドキドキします。
だからこそ、誰よりも美しく、孤独なあの人を殺したあいつが許せなかった。
私が12歳になった頃から母は機嫌良さげな様子で帰ってきて、私と少しお話しをしてくれることが多くなりました。その頃の私は、給料が高くなったのだろうかと思っていました。それより前の母は、無表情で帰ってきて、そのままお風呂に入って寝てしまっていました。お店での様子と違い、家では人形のように空っぽな母が、私は好きでした。
次第に母は人間らしくなっていきました。私は、人間らしくない母が好きでした。誰も愛することなく、相手を弄んで、限界まで搾取し捨てる母のことを愛していました。母は、私の愛した母は普通の人間などではなかった。あんな、あんなつまらない存在ではなかった。
あいつが私の前に初めて現れたのは私が14歳になった秋のことでした。学校から家に帰ってくると、あいつが母とともにリビングにいて、母から紹介されました。2年前から付き合っていて、将来結婚したいと思っていると言われました。私は受け入れられませんでしたが、母が悲しむ顔を見たくなくて何も言えませんでした。あいつは何も言わず俯いた私の両手をとり、「お母さんも君も絶対に幸せにする」と言いました。私たちを幸せにしたいならとっとと死んでくれと心の中で思いました。
翌年、母とあいつは結婚しました。白いウェディングドレスを着た母は美しかったですが、私は、あの店で男の欲情を誘うような服を着て踊る母の姿の方がよっぽど美しいと思います。実に平凡な式でした。母は幸せそうに笑って、あいつとキスをしました。あのとき、叫んで嘔吐しなかった自分を褒めてやりたいです。あいつの手からケーキを食べる母を見て、私は死んでしまいたいと本気で思いました。
あいつは、母に踊り子の仕事を辞めさせました。もうあんなところで踊らなくてもいいと言って母を優しく抱きしめました。あいつは何もわかっていない。あそこで踊り輝く母こそが一番なのです。何もわかっていないくせに。ぽっと出の男のくせに。
あいつと暮らし始めてしばらく経ったある日、母に謝罪されました。「今までちゃんと愛してあげられなくてごめんなさい」と。この言葉が何よりも辛かったです。ああ、母は死んだのだと、あいつに殺されたのだと思い知らされました。私は、誰も愛さない母を愛していました。誰も愛さず、誰も愛せず、孤独で、哀れで、この世の何よりも美しい母を愛していたのです。こんな風に自らの行いを悔い、私のことを愛そうとする母を私は望んでいません。私のことをその美しい目に入れない母が好きだったのに!実の娘でさえも愛さないあの人が、私は……!
取り乱してしまってすみません。とにかく、私の愛した母は死んでしまったのです。いや、殺されてしまったのです。あの男によって。
だから、仇を討たなくてはいけないと思いました。別に、私がどうなろうと良かったのです。殺された最愛の母の仇を取れればそれで良かったのです。
私は包丁と頑丈なロープを手に入れ、あいつを私の部屋に呼び出しました。布団が汚れるのは嫌だったので、布団にビニールシートをかけました。部屋に何かいる気配がして怖いから一緒に探してくれないかと言って部屋に誘いました。あいつは、気持ち悪いくらいお人好しだったので、何も疑うことなく部屋に来ました。ベットの下に誰かいるような気がすると私が言うと、あいつは馬鹿正直にベッドの下を覗き込みました。その瞬間を狙って包丁であいつの首を切りつけました。大量に噴き出る血には少し怖気付きましたが、それでも今しかないと何度もあいつの体を刺しました。
あいつの死体はベッドにかけていたビニールシートに包んでベッドの下に隠しました。ずっとそこに置いていようと思っていたのではなく、母が外出しているときにバラしてどこかに埋めようと思っていました。私にとって予想外だったのは、私がお風呂に入っているときに母がベッドの下を覗いてしまったことです。どうやら、カーペットに血が染みてしまったようで、それを不思議に思った母がベッドの下を覗いてしまったみたいです。母は私のことを責めました。あんなにも激昂した母を今まで見たことがありません。怒りで顔を歪めた母もとても美しかった。あんなに美しい人の娘に生まれたことを誇らしく思います。残念なことに、何度説明しても母は納得してくれませんでした。軽蔑したような、恐れたような目で母は私のことを見ました。母の方へ伸ばした私の手を振り払い、母は部屋を出ていきました。
そのあとはご存知の通り、母が警察に通報し、私はこうして捕まりました。なぜ抵抗しなかったのかとあなたは聞きましたよね。これで母は私を愛することはもうないでしょう。きっと、この先誰も愛することができないでしょう。生まれて初めて愛した人を娘に殺されたのですから。母はまた、孤独で美しい人に戻りました。それが私は何よりも嬉しいのです。私が刑務所に入れられることも、前科持ちになることも、怖くありません。母が私の愛する母に戻ったのですから。
ねえ、刑事さん。愛のためなら人はなんでも出来るって本当だったんですね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます