名探偵不在ミステリ!? バイトの名探偵が飛んだので雇用主のワトソン(私)が密室を解く!

@vampofchicken

名探偵不在ミステリ!?

「バイトの名探偵ホームズが飛んだので、雇用主ワトソンの私が密室を解く!」


 『名探偵、みなを集めてさてと言い』というフレーズは確かにあるけれど、助手役の謎解きはしかし、非常に稀だった。一瞬の静寂。四囲を囲む探偵の聴衆は、そのうちの一人である僕──関ヶ原たてまつを含めて、話の行末をじっ、と見守っていた。


「探偵さん……、の助手さん、でしたっけ? 仮に名探偵のバイトなんてものがあるとして、でしたらあなたは、一体……」


「だから、助手役のワトソンですよ。本名は秘密ですが。私に相応しい名探偵を探して、日々ホームズ役を募っているのです!」


 自信満々な彼女だったけれど、聴衆の彼らは戸惑っていた。何に戸惑っているって、名探偵を呼んだのに助手役が来たこともそうだが、雇用関係の矛盾に戸惑っていた。逆だろう、普通は。そんな当然すぎるくらい当然なツッコミを、彼女の溢れる自信を前に、全員が唾とともに、飲み込んだ。


「で、ではワトソン役は貴女がやるとして……、それじゃあ全体、誰が解決編をやるんです? 探偵は不在なんですよ?」

 

 聴衆の内の一人がそう聞いた。いや、密室を解くのがワトソンであるならば、衆目に推理を披露するのも、自然、ワトソンになるだろう。そう思っていたのだけれど、彼女の意向はそうではないらしく、

 

「探偵役以外に、名探偵に相応しい人間なんてそうはいませんよ」


 と言った。


「で、では誰が探偵役を?」


「そりゃもう、名犯人でしょう」


 自分でやったことを、被害者の前で自白させるのです──ワトソンはこともなげにそう言った。







 事件のあらましを解説するには、時計の針を戻すのが最も手っ取り早い。一時間前、僕は思いがけず休講となった講義の空きコマに、束の間、自由時間になった。束の間と言いつつも一時間半、つまりは九十分の余暇である。生半のことでは無聊ぶりょうを慰められない。そう思った僕は、なけなしの友人たちにLINEを送信して、浮いてしまったこの時間を、どうにかやり過ごそうと画策した。したのだが、あにはからんや。送ったLINEは総じて不発だった。仕方がない──と、落ち着ける場所を探すべく、僕は大学構内をゆっくりと見回った。良さげな場所はいくつかあったのだが、しかしいかんせん、人が多過ぎる。どうしたものか、適当に見繕って、うるさくともそこに腰を落ち着けるか、そう決めかけた刹那、僕ははたと思い出した。そういえばこの大学には、ほとんど強迫的に、静謐せいひつが守られる場所があるではないか。ラーニング・コモンズ。そうだ、あそこがあった。既に無駄にした時間をいくらか惜しみつつ、僕はそこへと歩を進めた。


 ラーニング・コモンズは、部屋の出入りを管理する為だろう、機械に学生証を翳さないとゲートが妨げとなり、中には入れない仕組みになっていた。僕は手間取りつつも、改札に定期を翳す要領でそこを突破する。入ってすぐ、受付? のスタッフと目が合った。なんとなく気まずいので目を逸らしたが、あちらからは挨拶をされたようである。軽く会釈をして、僕は出入り口とは対角のあたりに一人、腰を落ち着けた。そのすぐ横には、図書館と直通の自動ドアがあるらしいことを目の端に認めつつ、僕はふう、とようやっと息を吐く。さらにその横には、ドーム型の監視カメラが天井にしつらえられてもいた。


 僕はおもむろにスマホを手に取って、慣れた手つきでそれをいじり出した。この現代に慣れた手つきでスマホをいじれないのもいい加減少数派だろうが、とにかくそれで一息ついたのだ。お気に入りのYoutuberの動画でも見るかな、などと考えていた時、ふと、出入りを管理するゲート近くの、複数人の座るテーブルが目に入った。さっき入った時には居なかった人達であるので、推察するに後から入ってきたのだろう。出入り口とは対角の、奥の座席に座ったのもあって、ここからは部屋の全貌が伺える。従ってここからは、そのゲート手前にあるテーブルの人達も、大過たいかなく観察することができた。

 

 ややあって、争う声が聞こえてきた。なにぶん座席間の距離が遠いので、具体的な内容までは知るべくもないが、しかしあのテーブル──見る限り六人だろうか? ──では、争う勢力と宥める勢力とで、二分されているらしいのが分かった。争う勢力は、一人と二人に更に分けられる。一人は女子だった。その女子が他二人の男に対して、何やら食ってかかっているようだった。男子勢も弱々しく反駁はんばくを試みているが、見るに、勢いで負けていた。しばらくして、女子一人と宥め役三人は他のテーブルに移っていった。テーブルに残された他二人の男たちは、こちらからは後ろ姿しか伺えないが、がっくりと、肩を落としたようにも映った。


 彼等はしばらくして、ラーニング・コモンズの壁際にあるトイレに向かった。奇しくもそこは、出入り口とは対角にいた僕のテーブルの近くであり、トイレへと向かう導線上、彼等の会話がたまたま、僕からは漏れ聞こえる距離にあった。


「あの写真だけはまずい」


「ああ、どうしたもんかな」


 話を聞くために、僕もトイレへと向かった。時刻は9:30だった。







 トイレから戻った彼等は、その直後、他のテーブルに移動していた女子、および宥め役の三人の元へ向かいスマホを見せていた。遠目ながら画面は暗かった……、スマホの電源が切れているのだ。さっき彼等に食ってかかっていた女子は、それを見て「返してよ!」と声を荒げていた──席を立つ際、怒り心頭であったことも手伝ってか、彼らの座るテーブルにそれを忘れていたのだろう──が、そのあと、ぽつぽつと何フレーズか会話を交わしたあとにはもう、そのスマホを奪おうとはしなかった。「卑怯よッ!」という絶叫が聞こえてきた。その後に「最悪……!」という台詞が続くと、それを受けてか、彼等は自分たちのテーブルに帰っていった。時刻を見る。時計は10:00丁度を指していた。


 彼等はもう一度トイレへと向かった。今度は何も漏れ聞こえることはなかったので、彼等は無言であることがわかった。ほどなくして、彼等はトイレから出てきた。なんとなしに時刻を確認する──と、10:10。さっき時刻を確認したときから、もうすでに十分経過したらしかった。はやばやと自分たちのテーブルにつく彼等。椅子に座ろうという段になって、愕然として調子で次のように言った。


「ス──、スマホが無い!?」




 



「……と、こんな感じでしたかね」


「ありがとうございます」


 名探偵、ならぬ助手役の彼女から質問を受け、僕は事件のあらましを、あたう限り詳細に説明した。あたう限りとは、出来る限りの意味である……、言えるようなことは全て言ったということだ。

 

「他には何かありませんでした?」


「さっきので全部ですよ」


 ワトソンの彼女は「うーん……」と唸った。「なるほど、そうですか」


 彼女は今、事件を多角的に見つめようと、ラーニング・コモンズの全員に話を聞いていた。もちろん事件の当事者からも話は聞いており、すでにこの事件の密室性に関しては、彼女も認める所だった。


 この事件を密室たらしめる要素はいくつかある。一つは、ラーニング・コモンズの出入りを管理する、駅の改札のようなあのゲートだ。あそこを抜けて通りたくば、皆必然、自身の学生証をそれに翳すわけだが、そうすると個人の出入りが機械に記録され、誰がまだ部屋にいて、そして去ったのか、明白以上にハッキリと、事実として残ってしまうのである。で──あるにも関わらず、最期にスマホが確認された10:00丁度から、無くなっていることが確認された10:10までに、ラーニング・コモンズへの出入りは、機械に残った記録を見る限り、一つとして絶無だったのだ……、それは丁度、部屋にスマホが無いということは、外に持ち出されたのだという当然のロジックを、機械が否定しているかのようだった。


 そしてもう一つの密室性──それは、人の目だ。出入りを管理するゲートは、実は乗り越えようと思えば簡単に越えられる。だから密室性という意味では確度が低いと、言って言えないことは、全然なさそうではあるのだが……、さにあらず、出入りを管理するゲートのすぐ前には、受付のスタッフの目もあるのだ。学生証がないと入れないし、出られない。つまり記録は確実に機械に残るのだし、よしんば強行突破したとしても、人の目による監視でストップがかけられる。このことから、少なくとも出入り口からの脱出は、全くの不可能事と言えそうだった。


 人の目と言えば。ラーニング・コモンズへの出入りは、何もゲートからだけというわけではない。僕は出入り口を管理するゲートから対角の、部屋の奥へと腰を落ち着けたわけだが、そのすぐ横には図書館と直通の、自動ドアが普通にしつらえられてある。この事実だけを思うと密室性は格段に下がるというものだが……、しかしすでに述べた通り、そのすぐ横には、僕という『人の目』が出入りを確認し、見張っていた。そして知る限り、僕の後ろから人が来たことも、人が出たことも、席に着いて以来、一度も無かったようである。もっとも、トイレで離席した時間、出入りがなかったかは断言が出来ないが、スマホが最後に確認された10:00丁度から、スマホないことが確認された10:10の間、僕はずっと席に着いていたし、他用のため離席することもなかった。オマケに椅子は壁際ギリギリまで引いていたので、後ろから入って、僕に気づかれず死角を通ることは不可能だ──そして、ラーニング・コモンズには他に出口がない。密室要件は完璧に成立していた。

 

 以上のことから現場は密室と言えそうだったが、何が問題なのかって、現場が完全な密室だと確認出来たのに、スマホは室内に無かったことなのだ。……それはさっき聞いたって? いいや、違うんだ。何が違うって、無かったという情報の確度が違う。被害者である女子は、スマホが机から喪失したと判明した直後、直々にラーニング・コモンズにいた全員の、手荷物の中身を全てあらためた。にもかかわらず、スマホは見つからなかった……、見つからなかったのだ。探し物の行方は、ようとして知れない。状況は完全に詰みだった。


「無くなったスマホの特徴は分かりますか?」ワトソンは被害者の女子に尋ねた。


「うー……、んと、そうですね。アイツらのスマホと完全に同じ機種です」


 彼女が指差した先にいたのは、先刻まで彼女と言い争っていた彼等……、二人の男子陣であった。


「見せてもらえますか?」


「はい」


 彼等は唯々諾々いいだくだく、言われた通りにスマホを手渡した。彼女はそれをめつすがめつ見て、「電源を入れても画面が光らない……、充電は切れているんですね……」とひとりごちていた。「なるほど、ありがとうございます」


「なにか分かりました?」


 聴衆から投げかけられた問いに対して「いえ、これといって特に」と否定した途端、場に──鈍い者なら分からないであろう──わずかな失望が広まった。ワトソンはそのことを鋭敏に感じとり、いかにも名探偵らしく(ワトソンなのに)事件の難点を総括した。


「この部屋──ラーニング・コモンズへの出入りは、最後にスマホが確認された10:00~10:10の間は全くありませんでした。したがって部屋の外にスマホを持ち出すのは不可能であり、だから部屋の中にスマホがあって然るべきなのですが、その線も数十分にわたるスマホの捜索で否定されました。……それでは全体、どこにあるのか」


「いや、待ってくださいよ。いくら『人の目』による監視があったところで、所詮は『人の目』です。間違いがあったと考えるのが自然では?」聴衆の一人が、僕の方を見てちくりとそう言った。『人の目』オンリーで密室を担保できるとは思えない……、そういう思いが、ありありと視線に現れているようだった。


「そうでしょうね。ですが彼……」


 おっと、名前はなんでしたっけ? ──とワトソン。


「関ヶ原。関ヶ原奉です」


「ありがとうございます。関ヶ原さんは自動ドアの横で、人の出入りを見逃したと思いますか?」


「絶対に見逃さなかったとは言えないでしょうね。ですが……」


 ワトソンは僕と言わんとするところを先読みする。


「そう、自動ドアを抜けたところで、その先は図書館です。そして図書館の出入り自体も、あの改札のようなゲートで管理されている。側にはまた受付スタッフによる『人の目』です」そうでなくとも……、と彼女は続ける。「この部屋には監視カメラがあるので、『人の目』と『機械』のダブルチェックは、ここでも一応、成立しています。後で確認しておきましょうか」

 

 おそらくは図書館と直通だった自動ドアの、さらにその横の方の天井に設置された、ドーム型監視カメラのことだろう……、こともなげに僕は言った。「あぁ、ありましたよね」


「そうでしょう」彼女は神妙に頷いた。「しかし一応、網羅的に推理してみましょうか。可能性は確かめておいて、潰れるような可能性は認めなくてはならない……、考えるべき可能性は四つあります。


 一つは、ラーニング・コモンズの側から入ってきて、ラーニング・コモンズの側から出てくること。これは問題ありません。全て同じ機械に記録に残るのですから、大した恐れはないと言えましょう。


 一つは、図書館側のゲートから入ってきて、ラーニング・コモンズの側からでてくること。これも大丈夫でしょう。退室する際ラーニング・コモンズのゲートを経るわけですから、入室の記録はなくとも、10:00〜10:10以内に退室した記録が残っているはずです。


 一つは、ラーニング・コモンズの側から入ってきて、図書館側のゲートから出てくること。これも問題ないでしょう。どうあれそのルートなら、10:00〜10:10以内に図書館直通自動ドアを経るわけで、関ヶ原さんの証言と、後に調べる監視カメラの映像を併せて考えれば、出入りの有無なんかはすぐわかる筈です。


 そして最後の一つは、図書館側のゲートから入ってきて、図書館側のゲートから出てくること。これも大丈夫です。すでに述べた通り、図書館側から出るなら、どうあれ10:00〜10:10以内に自動ドアから出るはずで、そこさえ監視カメラで調べれば(もちろん証言のこともあります)、扉の開閉等でわかるでしょう。

 

 このことを全て踏まえて、この部屋の密室を立証しようと考えれば、やらなければならないことはたったの一つです。


 犯人のルートが三つ目でも四つ目でも、出る時は図書館直通自動ドアを経ることは共通していますし、最後にスマホが見つかったのが10:00、スマホがないことがわかったのが10:10なのですから(そして誰の持ち物からもスマホは見つからなかったのですから)、注視するべきはその十分間、その間に部屋を出た人間だけであって、とどのつまりは図書館と直通の自動ドアの開閉を、ひたすらにっと、見ていれば良いということになります。


 一つ目や二つ目のルートはラーニング・コモンズのゲートから出るわけで、もし犯人がその二つを使っていたら10:00〜10:10以内に記録が残るはずです。が──もう既に、その記録がないことは確かめ終えたわけですから、その二つを勘案する意味はありません。


 ……しかしまあ、今から監視カメラを見ようとするならば、当然スタッフさんの許可がいるわけで……、要するにその、今からできることは何もないです」


 今日はもう、あと少し話を聞いたら解散にしましょうか──縷々るるとして解説して疲れたのだろう、ワトソンはそう言って少し、微笑んだ。

 






「それで、どうして口論にまで至ったんです?」


「それは……」男子に喰ってかかっていた女子、もとい春夏秋冬ひととせ晴美は、訥々とつとつとした調子でこう言った。「前にみんなで撮った写真を、SNSにアップしていいか聞いたんです。嫌だと言うので、私はなんで? って、聞きました……、気になったから。そしたら、なんでもだ、とにかくダメだの一点張りで、まともに教えてくれなくって……、私、つい、カッとなっちゃって……」


「それが徐々にエスカレートして、ついに口論に……、って次第ですか」言うと、ワトソンは男子陣に正対した。「何故、断ったんですか?」


「それは、その……、肖像権っていうか……、なぁ?」春夏秋冬ひととせと口論になっていた男子、もとい、草木しげるは、上手い言い訳が出てこないらしく、縋るようにしてもう片方にそう言った。


「え? ああ、うん」もう片方、もとい森中迷子は、イマイチ要領を得ない調子でそう受けた。「そうだな、俺も、肖像権は大事にしたい」


「確かに肖像権は大事でしょうけれど……、しかしならば何故、今までは普通にSNSにも載せていたんですか? 春夏秋冬ひととせさんに許可をおろしていたそうじゃないですか」


「う」


 と、森中は短くうめき声を上げた。草木茂が森中を責める。


「バカ! う、とか言うな!」


「ごめん……」


「なにか不都合が?」


「──っ! ねぇよ、んなもんっ!」


 ワトソンは、含みありげな視線で二人を見ていた。が、すぐに切り替えて、ちら、とこちらに視線を寄越した。


「関ヶ原さんの話では、貴方たちはトイレから戻ってきた直後、春夏秋冬さんが忘れていったスマホを手にしていたようですね? 貴方たちはそれを見せて、全体何の交渉をしたのです?」


「……っ、それは……」


「脅されたんです」


 彼等が言い淀んだのを見て、春夏秋冬が直接そう言った。ぎくりと二人分の肩が微かに振動する。


「どんなふうに?」


「さ、晒すって……」


 言いさして、彼女はわっ、と泣き出してしまった。


「『あの写真を消さないのなら、オレたちはお前のハズカシイ姿を周囲に拡散する。それが嫌なら、このスマホからあの写真を消せ』って私を脅した後、『少ししたら結論を教えてくれ。それまでスマホは預かっている』……、そう言って席に戻っていきました……」


「『あの写真を消さないのなら、オレたちはお前のハズカシイ姿を周囲に拡散する。それが嫌なら、このスマホからあの写真を消せ』、そして『少ししたら結論を教えてくれ。それまでスマホは預かっている』……と、彼等はそう言ったんですね?」


 嫌味たっぷりに台詞を繰り返すと、ワトソンは彼等をきっ、とめ付けた。


「……まぁ」

「ん……」


 これといった反論も特になく、彼等は顔を伏せってしまった。ワトソンは「はぁ……」と嘆息をする。


「最後に皆さんの手荷物を見せて下さい。既に春夏秋冬さんが検めたそうですが、私も自分の目で見ておきたい」


 抵抗する者は一人としていなかった。




 



 翌日、昨日の10:00〜10:10以内の図書館直通自動ドアの開閉を確かめると、その間の扉に開閉する様子はなかった。……要するに、現場は完全な密室だったのだ。


「さて、不確定要素が確定したところで」


 こともなげに彼女は言う。


「草木茂さんと森中迷子さん──、あなたたちが犯人です」


 ラーニング・コモンズが真実密室であったのが判明した瞬間、彼女はこれといった前置きも特に用意せず、取り立てて大袈裟に演出するでもなく、溢れんばかりの無気力と共に事件の犯人をすっ、と指摘した。


「な──っ!?」「どうして!?」


 彼等は異口を揃えてワトソンに抗議した。


「一体何を根拠に……っ! 俺たちやってないっすよ! 密室だったのは確かなんでしょう!? 不可能犯罪ですよ、人間は不可能を可能に変えられない!」


「そ、そうですよ! 最後にスマホが確認されたのが10:00丁度で、ないことが分かったのが10:10! その間に部屋の出入りがないのなら、部屋の中にスマホがあるはずだけど無かった! 矛盾している、だから密室……、密室スマホ盗難事件です!」


 もっともな意見である。しかし彼女は彼等の言を容れず、てんとして次のように言いのけた。


「いいえ。人間は不可能を可能に変えられるし、この犯罪に矛盾はありません」


 トリックですよ──と、ワトソンは笑った。


「ト、トリック……?」春夏秋冬は胡乱うろんな表情をした。単語自体は知っていただろうが、それを差し引いても耳馴染みがないのだろう。「それは、どういうことですか……?」


「ミステリーにはありがちなんですがね? 入れ替わりトリックなるものを用いて、周囲の人間に誤認させるというのがあるんです」


「入れ替わりトリック……、周囲の人間に誤認させる……、どうも、ピンと来ませんね」


「説明しますよ。これは一例なんですけれど、入れ替わりトリックの要件は双子であることです」


「双子」


「ええ」ワトソンは端的に首肯しゅこうした。「似た容姿の妹を殺したあと、自分は死体から剥いだ服を着用して、死体には自分が着ていた服を着せてしまう……、そうすることにより、周囲の人間には「死んだのは姉の方であり、生きているのは妹の方である」と、誤認させるのです」


「はぁ……、そんなのがあるんですね」春夏秋冬は首を傾げた。意味がわからないという風だった。「それがなんなんです?」


「要は入れ替わりって、『両者が似て』いて、『服を着せ替え』たら、簡単に出来てしまうことなんです」


「はぁ……」


「そして今回の事件も、入れ替わりトリックが使われている……、そしてさっき言った通り、入れ替わりの要件は『似ていること』と『服の着せ替え』です」


「……なるほど?」疑問符を浮かべながらも彼女は頷いた。「まあ、わかりますよ」


「スマホの入れ替わりと考えたとき、前者の要件はどのように満たされるか……、春夏秋冬晴美さん、わかりますか?」


「えっとぉ……、前者の要件は『似ていること』でしたよね……、あ!」天啓! みたい表情の春夏秋冬晴美。「『似ていること』……、つまり、であること!」


「正解」


 春夏秋冬は、ワトソンにスマホの特徴を尋ねられた時、


 ──アイツらのスマホと完全に同じ機種です


 と答えていた。『アイツら』とは草木茂と森中迷子のことである。

 

「なるほど……、前者の要件は分かりました。ですが、『服の着せ替え』とは……?」


「分かりませんか? 『服の着せ替え』ですよ? スマホの服とはこの場合、何ですか?」


「あ──」


 彼女は完全に理解したらしかった。


、ですね!?」


「正に」


 得意げに頷いて、彼女は推理を間断なく披露した。


「昨日、トイレから戻ってきた直後のこと。草木茂さんと森中迷子さんは、スマホを春夏秋冬さんに見せていました。ハッキリとスマホが確認されたのはその時が最後になったわけですが、その隠された真意とは、スマホが最後に確認された時間を、周囲の人間に誤解こと。春夏秋冬さんのスマホは、彼等がトイレから戻ってきた時にはもう、スマホカバーを着せ替えられていたのです!」


 つまり、草木か森中、どちらかのスマホを、貴方は見せられていたのでしょう──そんな風に纏めると、ワトソン役の彼女は莞爾ニッコリと微笑んだ。


「そ、そっか……っ!」春夏秋冬は嬉しそうにはにかんだ。「なるほど同じ機種であるならスマホカバーのサイズも合うだろうし、それで入れ替わりを果たしていたならば、私がラーニング・コモンズにいた全員の荷物を検めたときも、自分のスマホを自分のものと認識できなかったとて、不思議ではない!」


「いえ、それは違います」


 ワトソンは言下に否定した。


「貴方のスマホがカバンにあったなら、貴方のスマホと犯人のスマホ、合わせて二台出てきたはずです……、私も昨日、確かめましたが、全員スマホは一台持ちでした」


「ああ、確かにそうですね……」春夏秋冬はその言に納得した。自分の意見の矛盾を指摘され、若干意気が萎えているようだった。


「纏めるとこうです。密室が成立していた時間帯は10:00〜10:10の間ですけれど、すでに述べた通り、スマホはそれより前に入れ替わっていた。春夏秋冬さんのスマホ自体は、密室が成立していた10:00〜10:10時点にはもう、部屋の外に持ち出されていたというわけです。草木と森中らが、最後にスマホが確認された時間が10:00であると周囲に誤認させたかった理由はこれでしょうね。スマホが無くなった時間帯を、密室が成立していた時間帯と思わせたかった……、不可能犯罪に見せかけて、自分たちを容疑者リストから外させたかった……、そういう目論見です」


「!」春夏秋冬は眼をみはった。「なるほど、それなら矛盾がない……!」


「そう、密室が成立している時間にスマホが持ち出されれば謎ですが、密室でない場所からスマホが持ち出されても不思議はない……、この事件に矛盾など無いのです」


「でも……」と春夏秋冬。「それなら私のスマホは、全体誰が持ち出したんです? 犯人だと指摘された草木も森中も、ずっと部屋にいたじゃないですか」


「その先は名犯人にお願いしましょうか」ワトソンはそう言った。そういえば解決編は、名犯人にやらせるとか言っていた……。


「お、俺らっすか?」と、草木と森中。


「違います。貴方たちは単なる犯人です。……名犯人じゃない」


 聴衆の誰かが「……では、誰が?」と呟いた。そのことがカンフル剤となり、彼等のどよめきは次第に、疑念を伴ってく、拡散された。彼女は言う。「この事件の犯人、ならぬ名犯人は──






















 ──関ヶ原たてまつさんです」







 犯人、ならぬ名犯人に指摘され、僕は衆目の視線を一身に浴びせられた……、一瞬怯んだが、しかし、彼女の言に根拠はない。無根拠を根拠に、僕はすぐに、反駁はんばくを試みた。


「……僕だってずっとラーニング・コモンズにいましたよ。スマホを持ち出すなんて出来たはずがない」


「持ち出したのは他の人ですよ。……あぁ、そうじゃない。解決編は名犯人の貴方に譲るんでした」


 おっとっと、みたいな風情で、ワトソンは口の前にバッテンを持ち出した。僕は言う。


「譲るんでしたと言われてもね……、根拠なくそんなことを言われても」


「根拠ならありますよ」


 例えば、と人差し指を立てたかと思うと、彼女は森中からスマホを借り受けた。意図を図りかねていると、ワトソンはスマホの電源をつけ、LINEアプリを開いて、その画面をこちらに見せてきた。


を見せた時点で、私が全てを把握していることは分かりますね?」


 彼女の目は自信に満ちていた。僕はそれを見て、自身の犯行が露呈していたことを気取る。その事実を知っていれば後はもう芋蔓式だろうから。


「……ああ、よーく分かったよ」


 仕方がない、ここまで見せられては、犯行を認める他、ないだろう。


「そうさ、僕が名犯人、というか真犯人だ。……唆したのさ」


 不都合な写真を消す計画を。そう言って僕は、犯行の供述を滔々とうとうとし始めた。


「『昨日僕は、思いがけず休講となった講義の空きコマに、束の間、自由時間になった。束の間と言いつつも一時間半、つまりは九十分の余暇である。生半のことでは無聊ぶりょうを慰められない。そう思った僕は、なけなしの友人たちにLINEを送信して、浮いてしまったこの時間を、どうにかやり過ごそうと画策した。したのだが、あにはからんや。送ったLINEは総じて不発だった』」


 ここまでは、ワトソンに説明を請われた時したものと、全く同じ内容のそれだった。恐らく一言一句、ワンフレーズたりとも、元と違うものはないだろう……、だから、違うのはここからだ。伏せていた真相を、語らずいた実相を、つまびらかにするのは──だから、ここからだ。


「僕がLINEを送ったのは個人ではなくグールプLINEであり、メンバーは草木、森中、それと春夏秋冬……、計四人の所属する部屋だった。『なけなしの友人たち』と言うだけあり、僕の大学での友人は彼等だけなのだが、彼等もそうかと言われればそうではなく。彼等──草木茂、森中迷子、春夏秋冬晴美の三人──は、他のグループにも同じメンバーで、僕をのぞいてそっくりそのまま、この三人足す他三人で、六人いるグループにも所属している……、LINEが不発だったのはこの為だったのだ。他グループで共にいる約束が、後からの僕の誘いを断らせたということらしい。もっともこのことがわかったのはラーニング・コモンズで彼等が後から入ってきてからであり、だから僕は後から入ってきた彼らを見てなんとなく、遠巻きに様子を伺ってしまっていたわけなのだが……、ともあれ、彼らの席とは対角であるのもあり、僕はバレずに彼等を見ることができた」


 さっきワトソンから突きつけられた画面には、グループLINEのグループ名をタップすると表示される、所属するメンバーのアイコンがあったのだ。その中に僕はいた。そして彼等も──草木と森中と春夏秋冬も。だから話した。このことが決定的だったから。


「少しして、彼等の争う声が聞こえてきた。他テーブルに四人が移動して、グループが二勢力に別れた後、困り果ててしまったのだろう、彼等は一旦トイレへと向かった。その導線上、彼等はこちらにいた僕には気づかずに、「あの写真だけはまずい」「ああ、どうしたもんかな」……と、漏らしていた。。僕には身に覚えがあった。だから話を聞くために──文字通り彼等に話を聞くために、僕もトイレへと向かった。時刻は9:30だった」


「それはおかしいですねぇ」


「ああ、実におかしい。草木と森中は、トイレから戻ってきたに、スマホカバーを着せ替えたスマホを、春夏秋冬たちに見せていたのだから。少しだけ会話を交わして、それもすぐ終わったというのに、その時の時計が指していていた時刻は──最後にスマホが確認された時間は──10:00丁度だった。9:30にトイレへと入って行き、出てきたのは少しの会話を挟んで10:00丁度。……約三十分もの時間をトイレにいて、彼等は何をしていたのだろうな」


「そうですね。草木と森中のみならず、そこには直接事情を聞きに赴いた、関ヶ原さんだっていたはずなのに……、全く不思議でなりません」


「ひょっとすると」と僕。


「ひょっとすると?」


「ひょっとすると僕は、彼等に事情を聞き、危機を理解して、それを凌ぐ作戦を話したのかもしれない……、密室を作る為に、スマホが最後に確認された時間を誤認させる必要があることだとか、その為にはスマホが入れ替わりこそが必須であり、入れ替わりの要件は、『同じ機種であること』、『スマホカバーを着せ替えること』、『入れ替わる両方の充電が切れていること』であることだとか……、そういうことを、トイレにいる間に」


「『入れ替わる両方の充電が切れていること』……? それも必要なんですか」


「ことを自然に運ぶためにはな」


「どうしてです?」


「俺は草木と森中に、『あの写真を消さないのなら、オレたちはお前のハズカシイ姿を周囲に拡散する。それが嫌なら、このスマホからあの写真を消せ』っていうのと、『少ししたら結論を教えてくれ。それまでスマホは預かっている』みたいなことを言わせたんだが、それぞれあれらには理由があってな……。


 まず前者。あれはもちろんのこと、『スマホが最後に確認された時間を周囲に誤認させる』という目的を、スムーズに達成するためのものだ。なんとかして不都合な写真を消したいというこちらの事情はあちらにも伝わっていただろうから、「私と交渉をするためにスマホを持ってきたんだな」という風に、都合よく解釈してもらえると踏んだんだ。


 そして後者は、春夏秋冬がスマホのバッテリーを切らしていて、しかもモバイルバッテリーを持ってきていなかった、という裏事情があったことを勘案すると、聞こえてくる意味が変わってくる台詞なんだ。何故かって? もう一度台詞を思い出せよ。『少ししたら結論を教えてくれ。それまでスマホは預かっている』。草木たちはそう言ったんだぜ? こんなのはスマホのバッテリーはこっちで充電するから、その間に考えておいてくれ、という意味に決まっているじゃないか。


 この流れを疑念の余地なく自然に作ることで、①10:00にスマホ(入れ替わり済み)の存在を春夏秋冬に確認させる。②「こっちで充電しておくから」など理由をつけて、春夏秋冬たちからスマホが見えない状況を作る。③10:10にスマホが無くなったとあえて喚く。④だから10:00〜10:10以内にスマホは盗まれたに違いない。……という結論を、こちらに都合よく成立させたのだ。


 後者のセリフ── 『少ししたら結論を教えてくれ。それまでスマホは預かっている』──がなければ②が不可能になり、「最後にスマホを見たのは10:00なんですけど、それ以降は草木たちに充電してもらってて見ていません。10:10に彼等がスマホがないと言い出してようやく、スマホが無いことに気づきました」という路線に、証言を持っていけなくなる。


 それに、②ができなければ、どうしてもいずれ、スマホを持ち出したことがバレてしまう。入れ替えられているだけで草木か森中のスマホだからな。自分のものと勘違いされたそれは、そのまま持ち帰られてしまうだろうし、一度持ち帰られれば家での充電はスマホは復活し、画面が違うとかで一瞬で作戦がパーになる……。つまりどうあれ、後者のセリフを言うためにも、充電は切れていなければならないのだ」

 

 スマホ(入れ替わり済み)を春夏秋冬に見せている時、彼女が「わかった。交渉に応じる」とか言い出したら、もし仮にスマホの充電が切れていない場合、あっという間に入れ替わったスマホであることが露見する。そして同時に、春夏秋冬の本当のスマホの充電が切れていなかった場合、「今見せられているこのスマホは、どうして充電が切れているんだろう」とも思われかねない。だからはやはり、『入れ替わる両方の充電が切れていること』という要件は、作戦遂行に必要なことだったのだ。僕は彼等から諸々の話を聞いて、入れ替わりの要件を満たしていることに気づいた。なればこそ、こんな面倒な計画を彼等に話したのだ。

 

「付け加えるなら、というかここからが重要なのだが、作戦を伝えるのに、時間は三十分も必要ない。実際にかかったのは十余分程度だ。では、残りの時間は何をしていたのか。簡単だ。自分たちが密室を作る前に、春夏秋冬のスマホを持ち出してくれる人を、トイレに来た人間から選んでいたのだ」

 

 ようやく春夏秋冬の、

 

 ──それなら私のスマホは、全体誰が持ち出したんです?


 という疑問に答えられる。そう、あの時僕等は、頼みを聞き入れてくれそうな誰かがやってくるタイミングを、トイレでずっと待ち続けていた。より具体的に言うならば、優柔不断で意志薄弱と当たりをつけた人間に、「何も言わずにこのスマホを外に持ち出してくれ。やってくれたら報酬金を払いたいから、明日どこどこで落ち合おう」と伝えたのだ。恐ろしいことだろう。しかし、企みはうまく行った。念の為僕がその彼とLINEを交換して「スマホ売るなよ」という旨のメッセージを送ったり、ざっくり伝えた話の詳細を話したりと、警戒自体はしていたのだが、今のところ返信や反応が帰ってきている。ワトソンさえいなければ万事うまく行ったことだろう。別に僕がスマホを外に持ち出せば良かったのかもしれないのだけれど、僕は10:00〜10:10の間に図書館と直通の自動ドアを通った人間がいないか証言する役をやらねばならなかったので、そこは仕方なく断念することにした……。


 ちなみにこの作戦は、むしろ密室でない方が都合がいい節がある。10:00〜10:10以内に部屋から出ていった誰かがいたのなら、その人が犯人だということになるし、それで決着がついてしまうからだ。だから僕としては密室でも密室でなくても良いといえばそうだったんだが、どちらにせよ容疑がかからない計画だったので、本質的にこの作戦は、どう転んでも成功する手筈だった。密室という不可能犯罪なら、不可能だから容疑がかからないし、密室でない犯罪であるならば、それが可能だった人間に焦点が絞られる。けだし、完璧である……、はずだった。


「そう、そのはずだったんだけどね……」


「私という助手がいたことが運の尽きです。出会い方が少し違っていれば、あるいは名犯人としてではなく、名探偵として雇えたかもしれませんが……」


 にっ、と笑って、ワトソンは言う。


「ホームズ役は、お預けですかね」

 

「…………」


 犯人として指摘されているにも関わらず、寧ろだからこそ、彼女のその笑顔を、僕は純粋に素敵だと思えた。それくらいに可憐だったのだ──思わず口許が弛緩する。


「ちなみに不都合な写真ってなんだったんですか?」


「ああ──、スマホのメモ機能を使って、草木と森中の意見も聞きながら、春夏秋冬の誕生日を祝うサプライズパーティーの詳細を詰めていたんだが……、そこを彼女に、後ろから撮られてしまってね。使ってみるとわかるんだけれど、アレって文字がデカいだろ? 今は気付いていないみたいだが、SNSなんかに投稿されたら、誰に指摘されるか分からない……、そうなる前に、先んじて消そうと思ったのさ」


「え? じゃあハズカシイ姿って……」


「寝ている所をイタズラで撮ったことがあるんだけど、それが酷い寝姿でね。本人は大層気にしているんだ」


 かわいいもんだろう? 僕はそう言って口元を緩めたのだが、何が気に入らなかったのか、ワトソンはしばらく信じられない物を見るような目を向けて、

 

「…………す」


 と、音らしい何かを発音した。


 僕は聞き返す。「今、なんて?」


「……ます」


 続けて彼女は言う。


「……雇います! このワトソンが、貴方を名探偵ホームズ役として!」


 こうして、僕と彼女の──助手と探偵の、奇妙な雇用関係がスタートしたのだった……、何やら、楽しい日々が始まる気配である。

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名探偵不在ミステリ!? バイトの名探偵が飛んだので雇用主のワトソン(私)が密室を解く! @vampofchicken

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