退去勧告
シズクはその言葉を聞き、固まってしまった。まるで頬をはたかれたかのように。
「地球から? どういうこと?」
レイカの声がした。だがクラブはそれを無視した。背中の後ろで手を組み、事務的な口調で続ける。
「きみは危険すぎる。きみの持つ知識は人類にとってあまりに高度すぎる。それに軽々しく行動しすぎる」
「軽々しい?」
シズクがようやく聞き返した。クラブは頭を振ってため息をつく。
「そうだ。特に今日など呆れたよ。きみが助手として使っているのは子供だ。わかっているのか? きみは地元民の、しかもただの子供を協力者に仕立て上げ、危険な目に遭わせているんだぞ」
「ちょっと待てよ」
思わず、イクトは割りこんでいた。
「俺は別に仕立て上げられてるわけじゃない。進んで協力してるんだ」
「ほう? なぜ」
クラブの問いに、イクトは腕を組んで答える。
「面白いからだよ」
そこでクラブの興味は失せたようだった。引き続きシズクへ向けて語りかける。
「きみはなにがしたい? なぜ地球に関わるんだ」
「それは……」
シズクは言葉を切り、ぼそぼそと言う。
「……人類がまだ幼いから。彼らにとって『異常』な存在、惑星外からの脅威、そういうものから守ってあげないといけないから、です」
イクトは彼女の口調に迷いを感じた。言い訳をしている感じだ。自分の偽善を暴かれているような、そんな口調なのだ。
クラブがくつくつと笑う。聞いた者を不愉快にさせる笑いだ。
「そのために人類の子供を危険にさらすのか? 矛盾じゃないか」
「お前!」
再びイクトが割りこもうとするが、クラブはシズクに指を立てて宣告した。
「きみは人類を保護すると言いながら、同時に保護者の義務を放棄している。いわば子供に対しての義務を放棄している親のようなものだ。人類のような新興種族に対して安易に関わるのはやめたまえ」
イクトはシズクを見た。彼女はうつむいて黙りこんでしまっている。
指を立てたままでクラブが言う。
「螺子巻シズク、きみに地球外への退去を勧告する。期限は無期限とし、退去は直ちに行うこと」
「ねえ、あんたさ」
そこで再びレイカの声がした。
「なんの話かよくわかんないけどさ。さっきから聞いてたら、あんた何様? あんたはなに? そんなにえらいの? 螺子巻さんに命令できる立場なの?」
「これは命令ではない。勧告だ。従わなければ困ったことになる」
イクトは鼻で笑って見せる。
「要するに脅迫じゃねえか。従わなかったらどうなるっていうんだよ」
「ふむ」
クラブはジャケットの内側へ手を突っ込み、なにかを取り出した。手のひらに収まるサイズの四角い物体だ。銀色に輝くそれのボタンを、黒い指が押しこんだ。
みょみょみょみょみょ、と空気が妙な周波数で振動を始める。
「うっ」
シズクが突然うめいた。地面にくずおれる。胸を押さえてうずくまったまま、苦しそうに背中を上下させた。
「お前なにをした!」
イクトがクラブに向かって行こうとするが、アスファルト上の砂利を巻き上げて止まった。クラブが謎の物体を持った反対側の手でイクトをまっすぐ狙っているのだ。拳銃を持った手で。
動けないイクトがミラーと対峙している間にも、シズクは息を荒げている。
クラブが言った。
「ほら、我慢することはない。真実を教えてやりたまえよ」
シズクの肌が変色し始めた。
実際には変化は数秒間で完了したのだが、レイカにとってそれはもっとはるかに長い期間におよんでいるように思えた。
シズクの肌がカニのような赤褐色に染まっていく――頭上でまとめていた髪がほどけて、しゅるしゅると頭皮に収納されていく――身体全体が固い光沢を帯びてふくらんでいく――白衣を破り、ジャージを破る。
服の切れ端を落としながら、それは完全に姿を現した。
レイカが口を両手で押さえる。後ろから見ると、それは巨大なエビのように見えた。だが内部に成人がすっぽり入るほど大きい。
分割された赤褐色の甲羅に覆われた背中が、呼吸のたびに上下する。
胴体から長細い筒が二本飛び出ている。腕のようだ。枝分かれした細長い筒が腕の先端から伸びている。
胴体の下には四つの太い脚。何カ所にも分割された円錐形で、カラーコーンを重ねたような形状だ。
それの涙滴型の頭部がレイカを振り向いた。顔がない。代わりに黒く丸いボウルのようなものが顔を覆っているようだ。ボウルはよく見ると、細かい六角形のものがびっしりと詰まっているようだ……複眼だろうか。
「あ……あ……」
複眼の辺りからひずんだ声がする。クラブがからかうように言った。
「ほうら、見たまえ。それが螺子巻シズクの正体だ。よく目に焼きつけておけ」
「やめろ。すぐに戻せ」
イクトがクラブをにらみつける。小首をかしげて見せるクラブ。
「なぜだ? 宇宙生物ならそれらしく堂々としていたらいい。わざわざ人間に擬態するなんていかにも窮屈だ」
レイカはその場から動けない。悲鳴をかろうじて留めたまま、シズクの複眼をじっと見つめる。クラブがレイカに向けて言う。
「知らなかったようだな。教えてやろう。螺子巻シズクは地球外生物だ。自分の同胞を皆殺しにして、地球へ逃げてきた。六十年前に」
レイカの背筋が寒くなる。シズクはなにも言わない。レイカは口に当てていた両手を胸の方に下げた。
「……本当なの? 螺子巻さん」
シズクは答えず、ふたりはしばし視線を交わした。言葉が見つからないようだ。やがてなにかを振り切るように、シズクはその複眼をクラブに向けた。
「あなたは機構のトップレベルにしか共有されていない情報にアクセスしている。何者ですか?」
「さあて、何者だろうね」
銀色の物体をしまいこむクラブ。拳銃は油断なく三人に向けたままだ。
「では、塩森レイカ。螺子巻シズクは地球に残るべきだと思うかね? 人類の意見を聞かせてくれ」
レイカはクラブを見て、シズクを見て、またクラブを見た。シズクの複眼には、困惑するレイカ自身の姿が反射している。イクトが横からレイカに言った。
「塩森さん。シズクはこれまでずっと地球を守ってきた。悪いヤツなんかじゃない」
「堺イクト」
クラブが冷たい声でイクトに警告を与えた。黒光りする拳銃がしっかりとイクトの頭部を狙っている。
レイカはためらい、考えを巡らした。そして、ようやくしぼり出すように言った。
「わからない」
「わからない? なぜだ」
「あなたの言うことが本当なのかもわからないし、それに……」
シズクに視線を移すと、彼女が振り向いた。複眼と単眼が進化の道筋を越えて見つめ合う。
「どうしても悪い人には見えないから」
クラブはその答えを聞いて、あごのあたりを指でさすった。少し間が空いて、つぶやく。
「ふうむ。非論理的だな。だが尊重しよう」
拳銃を下ろす。
「しかし警告しておくぞ。きみと同じ意見のひとが何人いるものだろうね」
別の足音が背後から荒々しく近づいてきた。レイカがそちらを向く。
「ここにいたのか! どうしたんだ」
八的であった。
「あいつが……」
レイカが八的からクラブに注意を戻す。彼は消えていた。まるで存在などしなかったかのように、音もなく。
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