事件の終わり

 レイカはシズクと校庭に取り残されていた。

 八的とイクトは周辺の捜索を行っている。あの怪人の残した足跡でも見つからないかというわけだ。


 レイカはシズクを見た。

 シズクの黒い複眼が悲しげにうつむいている。レイカにはその眼がどこを見ているのかわからないが、おそらく傷ついた心のうちを見つめているのだろうと思う。


「あの、さ」


 レイカがシズクにか細い声をかける。シズクがその光沢のある涙滴型の頭部をレイカに向けた。ひと息吸って、レイカが口を開く。


「その姿も……いいと思うよ」

「わたしは、そうは思いません」


 甲殻類のような姿のシズクが首を振った。やけに人間らしい仕草だ、とレイカは思う。レイカが打ちひしがれた彼女に聞く。


「なんで?」

「あなたがたにとって、この姿は怪物そのもの。そうでしょう?」

「で、でも、あたしにはそうじゃない。あなたが螺子巻さんだって知ってる」


 シズクの複眼がレイカをじっと見つめる。レイカは落ち着かない気分になった。シズクはレイカの真意を探っているのだろうか?

 シズクが言葉を継いだ。


「この姿でいると、水たまりが怖くなる」


 レイカは黙って聞いている。


「窓ガラス。鏡。銀製の食器。そういったものに映るのは同族の姿です。消えた同族。永遠に戻ってこない同族です」


 レイカはシズクとしっかり目線を合わせた。


「螺子巻さん。もう一度聞くね。さっきの変な男が言ってたことって本当なの?」


 シズクは言葉の続きをじっと待っている。

 意を決して、レイカは核心に迫った。


「あなたが同族を殺したっていうのは」


 シズクは黙っている。ふたりの間にある夜の空気すらも動かず、固まってしまったようだった。

 やがて、やや視線を下げてシズクが言った。


「あれは……」

「シズク!」


 だが、彼女の声は戻ってきた八的によって中断されてしまった。

 八的はシズクのそばに来ると、いつものいかつい表情に少しの同情をこめて、シズクへ言う。


「いま、適当な服を探しに行かせている。少し待ってくれ。それから……」


 レイカを見やる八的。シズクは用件を察したようだった。妙に人間くさい仕草で頭部をうなずかせる。


「そうでしたね」

「手順はいつも通りでいいか」

「ええ」


 そこでイクトが割って入ってきた。シズクの腕を取る。


「いいのか? 本当に」

「仕方ないでしょう。規則を破るわけにもいきません」


 すっかり話に入りそびれていたレイカだが、意を決してイクトに近づく。


「あのー、堺くん。あたしの話だよね」


 わざとらしく視線を逸らすイクト。ウソが下手だ、とレイカは思う。


「あたし、どうなるの? なにされちゃうの?」

「心配することはない。すぐ終わるし痛みもない」


 八的が請け負うが、レイカはそちらに猜疑心を隠そうともしない視線を向ける。じっと見ているうちに八的もそっぽを向いてしまった。また夜風が吹いた。見え見えのウソのベールを暴くように。


「記憶を消去します」


 シズクがひと息に言った。ああ……と納得するレイカ。実のところ、もっとひどい可能性を想像していたのである。レイカがシズクの流線型をした横顔を見つめる。


「消さなきゃダメなの?」


 ひと呼吸置いてシズクが事務的な口調になり、答えた。


「規則なので。部外者に不必要な負担を背負わせるわけにはいかない。それに機構としても機密漏洩のリスクを負うわけにはいかないのです」


 イクトが我慢できない様子で口をはさむ。


「でも、協力してくれたじゃないか。言いふらしたりしないって。ね?」


 最後の確認はレイカに向けたものだった。

 彼女は考えた。この突拍子もない状況を、これで終わりにしたいのだろうか。だが自分にその規則とやらをねじ曲げるに足る価値なんてあるのだろうか?


「仕方ないよね」


 レイカは笑顔になって言った。一点の曇りもない爽やかな笑顔、とはいかないが。


「いいよ。規則ならしょうがないよ」


 八的がうなずいた。イクトもあえて反対はしないようだ。八的はレイカに手で方向を示し、レイカはおとなしくそれに従って歩きだす。

 これでいいんだ、とレイカは思った。ちょっと面白かったけど。ちょっと刺激的で、小さな悩みなんて忘れられたけど。


 だが数歩行ったところで、レイカの脚が意志に反して止まってしまった。

 いまさら言っても仕方ないとわかりつつ、レイカは口にせずにはいられなかった。


「もっとあなたのことを知りたかった。螺子巻さん」


 八的になにか言われる前に、意志の力で再び歩を進める。

 

 遠くからシズクの声がした。



 螺子巻研究所。


 卓上ランプに照らされた指が素早く動く。その正確無比な動作はまるで機械のようだ。


「う、うーん」


 古めかしい革椅子にしっくりと収まったシズクは、椅子のキャスターを少しきしらせて背伸びをした。

 研究室の扉がノックされる。


「はい」


 シズクが答えると、扉が開いてパスパルトゥーが入ってきた。細いアームの先には銀色の丸いトレイ。トレイの上にはこれまた銀色のポットがひとつ、白いカップがひとつ、皿の上にビスケットが二枚。


 キャタピラを鳴らしながらロボットはシズクの方へやってくる。機械の腕でカップとビスケットの皿をトレイから下ろし、机に並べていった。


「ご機嫌でいらっしゃいますね。お嬢さま」

「ご機嫌? ですか? よくわかりますね」


 シズクは顔のあたりを触ってみる。いつもと変わりない無表情だと彼女自身は思っているが、なにか異常があっただろうか。紅茶を注ぎながらロボットが言う。


「もうお嬢さまにお仕えしてずいぶんと経ちますもので。こんな時間までお仕事でいらっしゃいますか?」


 カップを持つシズク。小ぶりな口許へカップを持っていった。ゆっくりと中身を流しこむ。


「ええ。あちっ」


 シズクの身体が跳ねた。冷ますのを忘れていたようだ。ふうふうと息を吹きかける。少し飲むと、カップを机に置いてキーボードへ手を戻した。熱い紅茶によって中断された言葉を継ぐ。


「書類仕事です。助手がひとり増えるかもしれないので」


 パスパルトゥーがびっくり仰天して、危うくトレイを落としそうになった。なんとか空中に浮き上がったトレイを持ち直して言う。


「なんともはや! 驚天動地でございますな!」

「そんなに珍しいでしょうか」


 シズクはこのロボットの反応が大げさすぎやしないかと首を傾げる。

 トレイを持っていない方の手を振り回し、パスパルトゥーはまくしたてた。


「珍しいですとも! 所長を亡くされて以来、お嬢さまは三十年もずっとおひとりでお仕事されていたのですよ。それが境さまを雇用されたばかりか、またひとり増えるとは!」

「言われてみれば」


 もうひとくち、シズクは紅茶を飲んだ。カップを置いて言う。


「ですが、勘違いしてもらっては困ります」

「勘違いとは?」

「彼女は得体の知れない人物に目をつけられている」

「ほう」

「彼女を守れるのはわたししかいない。なので助手へ雇用するという形態を取るだけのこと」

「ですが嬉しそうでしたよ」

「パスパルトゥー。紅茶はもう結構」


 シズクが紅茶のまだ残っているカップを押して、パスパルトゥーの方へ滑らせた。パスパルトゥーはしぶしぶといった風にゆっくりと紅茶を片づける。

 去り際、パスパルトゥーはシズクを振り返ってこう言った。


「お嬢さま。常々申し上げているように、人はひとりでは生きられません」

「わたしは人ではない。下がって結構」


 パスパルトゥーはテレビで出来た頭を下げると、研究室を去る。

 研究室にはシズクひとりが残された。

 彼女は手を止めてなにかを考えていたようだったが、また仕事を再開した。



 早朝四時過ぎ。

 空は大部分が暗い。だが地平線のあたりにわずかな光が見えた。

 地平線に最も近い部分はオレンジ色で、その上に白と青の領域が広がっている。

 綺麗だ、とレイカは思った。奇妙な事件に巻きこまれたりしなければ一生見られなかったのではないか。


 気の進まない様子で自宅を見やる。

 リビングの照明が煌々と輝いて、薄明の情緒をぶち壊しにしていた。


 レイカは肩を落とし、一軒家の敷地へ入った。意識せずとも足音を消す形になってしまう。そっとドアノブに鍵を差しこみ――このときの音だけは消しようがない――ねじって鍵を開ける。


 薄暗い玄関から廊下へ進む。

 黙って二階へ上がってしまおうか? とふと思った。

 その途端、彼女の中の冷静な部分が即座にその案を否定した。いったいどうなると思う? あの母が怒ったら。

 冷たくなった手足を動かして、おずおずとリビングの扉を開く。


 母がソファーに座っていた。見えるのは母の背中。そしてその向こうの何も映っていないテレビだ。


「ただいま」


 母を刺激しないよう、なるべく静かに声をかけた。だが返ってきたのは刺々しい疑問だった。


「またウソをついたの?」


 その途端、レイカは立ちすくんでしまう。なにも言い返せないうちに、母は立て続けに言葉を重ねる。


「カラオケですって? あんたが? 友達と朝までカラオケ? 友達なんていないでしょうに。なんであんたはすぐにウソをつくのよ? 子供の頃からなんにも変わってないんだから」


 レイカの母はソファに座ったまま、首をぐいっとレイカの方へ向けた。まるで妖怪が犠牲者の人間を見定めているようだ、とレイカは思う。


「……ウソじゃない。友達ができたの」


 絞りだすように反論する。まさか超常現象の話をするわけにもいかない。それに後半は本当だった。

 母の表情は強い不快感を表していたが、すぐに皮肉な笑みを浮かべる。


ねえ。男?」


 思わぬ方向からの攻撃に、レイカはまたも動けなくなってしまった。母は数メートル離れた場所にいるのに、首根っこをつかまれている気分だ。

 母は笑った。残酷な笑みだとレイカは思う。


「そっか男か! へえー! あんたに男ね!」

「ち、違う」

「別にどうでもいいんだけどね? やることやってんだ、あんたも!」


 そこで、もうレイカは耐えられなくなった。

 笑い続ける母に背を向けてリビングを去る。

 階段を上って自室へ戻ると、握りすぎて痛くなっていた拳をゆるめた。

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