ミスター・クラブ
鏡はいつの間にか消えていた。スマホを耳に当てているシズクと床に座りこんだままのふたりを残したまま、時間が静かに流れていく。
やがて、シズクが通話を切った。
「成功です。被害者たちの意識が戻ったそうです」
「え? ああ、そうだった。そうか、よかった!」
若干混乱しながらもイクトが立ち上がり、レイカに手を差し出す。レイカはその手を取って立った。
「これで終わりだよね?」
彼が聞くと、シズクがうなずく。
「被害者を診察したり後始末をしたりです。おおむね終わりと言っていいでしょう」
ほーっ、とレイカは長い息を吐いた。
「よかった。みんな目を覚まさないんじゃないかって心配だったんだ」
対して、イクトは鏡のあった壁をじっと見たまま言った。
「なあ、シズク。あの渋谷はこれから起きる未来なの?」
シズクも同じ壁を見ながら答える。
「正直に言うと、わかりません」
「ああならないことを祈るよ」
首を鳴らすイクト。今日は本当にキツい日だった。昆虫人間の世界に行った。呪いの鏡が生徒の命を奪いそうになった。そして月の落ちてくる可能性が急浮上。
「ですが妙ですね」
シズクがつぶやく。
「呪いの鏡と七不思議の鏡の特性が混じっても、あんな映像は見えないような気がするのですが」
短く振動する音が響いた。シズクがホルスターから銃を抜くように素早くスマホを取る。
「はいシズクです」
言葉を切った。相手の言葉に耳をすませているようだ。その表情が(わずかにではあるが)険しくなっていく。やがて通話を切ると、言った。
「行かなくては」
「八的さん?」
イクトの質問もあまり意識に上らない様子で、シズクはなにかを考えている。首を振って歩きだした。
「ともかく、行ってきます」
彼女は去った。残されたふたりを振り返ることもない。ふたりは顔を見合わせると、急いでシズクの後を追った。
校舎と体育館の間にせまいスペースがあった。闇がよどんでいる。その闇の奥底から靴音を響かせて歩みよってくる存在があった。シズク、イクト、レイカは身を固くして待ち受ける。
なにやら赤くごつごつした物体が闇から現れた。続いて黒のジャケット、黒のシャツとネクタイ。黒の手袋。黒のスラックス。黒の革靴。まるで暗黒を凝縮したかのようだ。
「なんだ、こいつ」
イクトがこわばった表情でつぶやく。三人の前に現れたのは異形の人型であった。黒づくめの衣装――そして赤いカニの胴体を縦に引き延ばしたような頭部。二つの黒い目が斜め上に飛びでている。
ただ頭部とシャツの間に人の肌が見えるため、これはヘルメットらしいとイクトは判断した。
「なんだとはなんだ」
低い声がした。ボイスチェンジャーを通したようなひずんだ声。存在が両手を腰に当てて見せる。怒っていることをアピールしているらしい。続いて人差し指を立てて、たしなめるように顔の前で振る。
「一言目が『なんだこいつ』? 初対面の相手に対してあまりに失礼じゃないかな。礼儀をわきまえたまえ」
「ご、ごめん」
イクトは思わず謝ってしまった。
「なんと呼ばれたいのですか?」
シズクが警戒しながら聞く。対して存在はうれしそうにうなずいた。
「よくぞ聞いてくれた。我が名はクラブ。ミスター・クラブと呼んでくれたまえ」
数秒ほど、ミラーと三人の間に沈黙が下りた。レイカが口を開く。
「安直じゃない?」
「安直とはなんだ!」
激高するクラブ。だが意識して冷静さを取り戻すと、赤い顔の前ににぎりこぶしを当てた。
「こほん。すまない。少々興奮してしまった」
「電話をかけてきたのはあなたですね? ミスター・クラブ」
シズクが言うと、クラブはうなずいた。
「そうだ」
「鏡の性質を歪めたのはあなただと……そして、大事な話があると言っていましたね」
「ああそうだ」
再びクラブがうなずく。今度は深く、ゆっくりと。
「用件を聞きましょう」
ミラーは沈黙した。夜風がそっと四人の人型存在を冷やして去っていく。
やがて、彼はこう切り出した。
「地球から退去してくれ。螺子巻シズク」
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