七不思議と未来
階段にイクトが座り直す。なんともぎこちない動作だ。不具合を抱えたロボットのような動きで再びスマホを取り出す。
イクトの顔をのぞきこみながら、レイカが言った。
「ごめんね。変なこと言って。いまを逃したら、もう言えないと思って」
「いや、いいんだ。うん。きみが大丈夫ならよかった」
スマホを取り落としそうになり、危ういところでキャッチして画面を見つめる。シズクとレイカも同じようにして0時を待ち受けた。
イクトがカウントを始めた。
「3」
壁にいまのところ変化はない。
「2」
ただのコンクリートの壁である。
「1」
いままでに鏡がかけられていたような形跡もない。完全にのっぺらぼうの壁。
「ゼロ!」
全員で壁を見る。空気が固まったようだった。
数秒間待ち受けるが、ただ壁は黙りこみ、自分の脈拍が感じられるだけ。
やがてレイカが緊張を解いた。階段のごつごつに背中を押しつける。
「不発?」
「そのようですね」
シズクもスマホを白衣にしまいこむ。イクトも同じようにスマホをポケットへ突っこんだ。
「ま、俺も信じてたわけじゃないけどさ」
「信じてなかったわけ?」
レイカに突っ込まれ、イクトは降参のポーズを取る。
「でもほら、ただ可能性がある以上は検証しうわああああああ!!」
すっとんきょうな叫び声を上げて後ろ向きに倒れるイクト。階段に背中をしたたかに打ちつけ、痛みに身をよじらせる。
彼が驚いたのにはちゃんとわけがあった。
鏡が出現したのである。
シズクとレイカが立ち上がる。さきほどまで壁だったはずのところに、大きな鏡がかかっている。音もなくひっそりと。さも当たり前のように。
鏡に映っているのはじっと自分自身を見つめるシズク、目をこすっているレイカ、浅い息を繰り返すイクト。
三者三様に事態を受け止めたところで、鏡につぎなる変化が現れた。
鏡面が波打つ。たとえば水銀のプールがあったとして、それをかきまぜたらこのようになるのだろうか。三人の像がめちゃくちゃにかき乱され、消えた。ふいに明るい光が鏡から投げかけられる。階段の踊り場ではない、まったく別の場所の景色が映っていた。水銀を溜めたプールの下からモニターが浮かんできたかのように。
三人が鏡にゆっくりと歩み寄る。恐れながらも魅せられた視線の先には――都市の街並み。
「どこだこれ」
畏怖を込めたイクトの質問に、レイカが震える声で答えた。
「渋谷じゃない? ほら、109がある」
指差す先、鏡の中心には確かに109があった。ということは、鏡の画面一杯に映っているのは渋谷駅前のスクランブル交差点なのだろう。
「誰もいないようですね」
シズクが指摘した通り、スクランブル交差点は完全に無人であった。道交法を無視して駐車されたらしいおびただしい数の自動車たち。それが静止画でないことはすぐにわかった。駅前の大型ディスプレイが動いているのだ。
ディスプレイに映されているのはニュース映像のようだった。見える限りすべてのディスプレイが同じ映像になっている。
「緊急ニュース?」
見える文字をイクトが読み上げる。
「政府の緊急発表。外出禁止令。自衛隊が出動?」
「待って。ねえ、これなんだと思う?」
レイカが鏡の上の端を指差す。最初に見たときは気づかなかったのだが、なにか灰色のものが細く長く映りこんでいるようだ。
イクトはそれをにらみつけるように観察する。頭を地面に付けるようにして、下からのぞきこんでみた。レイカがそんなイクトへ呆れたように言う。
「下から見たって……」
「わああ!?」
イクトが叫びながら尻餅をついた。またしても呼吸が浅くなっている。しかも顔が青い。レイカもあわててしゃがみこみ、イクトに聞く。
「ど、どうしたの!?」
震えるイクトの指が鏡へ伸びた。レイカが鏡を振り返る。彼女も目を丸くし、背中から床へたおれこんだ。
空に月があった。いつものことだ――ただしとてつもなく大きい。鏡の境界にさえぎられて三分の一も見えていないのに、空の半分ほどを覆いつくしてしまっている。フチの一部が白く輝いてはいるが大半が薄暗い。だが異常なほど接近しているせいで、暗い面ですらクレーターがはっきりと視認できる。
鏡から後じさるイクトとレイカ。問題ない、これはただの映像に過ぎない。立体的な映像だったことには意表を突かれたが。ふたりの視界に再びスクランブル交差点が入りこむ。
109が倒壊した。音はしないが、ふたりを怯えさせるには十分だった。巻き上がる煙がビルにはさまれた道路を駆け抜けて、交差点へなだれこむ。鏡は渦巻く煙以外のなにも映さなくなった。
ふたりはよろめきながら立ち上がる。そして助けを求めるようにシズクを見た。
「シズク。なにこれ」
「螺子巻さん」
シズクは目をすがめて鏡を注視していた。
「未来の映像……でしょうか。怪談が本当なら。ですが我々の未来というよりは……」
「地球の未来?」
先を引き取るイクト。レイカがイクトに言う。
「これが未来ってこと? 月が落ちてきてお先真っ暗?」
彼女の質問にイクトは答えることができない。なんと言ったものか迷っているうちに、鏡に映る煙が落ち着いてきた。
やけに暗い。
煙の向こう側になにかが置いてあるようだ。
突風で煙がすっかり晴れた。現れたのは黒い壁のようなもの。
ウロコに見えた。ウロコに覆われたなにかの生物の肌だ。肌が上方に向かって引き上げられ、再び交差点が見える。109は存在していない。だが代わりになにかがいる。
言葉もなく見入る三人の前に現れたのは、言葉通りの怪物であった。例えるなら白い粘土のボールを作って、そこに白く長い羽根をめったやらたに突き刺し、さらに大小無数の目玉でデコレーションしたような。
黒く巨大な柱のようなものが、交差点に突き刺さった。よく見ると形は脚のようだ。脚をかかとの方向から見ているのだ。
脚の持ち主が109の廃墟へ向けて歩を進めるにつれ、全貌が見えてきた。先ほどの黒いウロコの持ち主だ。こちらは大まかにヒト形だが、背中から無数の触手が生えている。タコとハ虫類を混ぜ合わせてから人間に寄せたような形状だ。
シズクがつぶやく。
「集団概念構造体」
イクトは視線が鏡に固定されているのを感じていた。そのままの姿勢でシズクに聞く。
「なんだって?」
やや遅れて、シズクの答えがあった。
「……つまり、人類の言葉で言うところの『神』のような存在です。極めて危険なので、機構が厳重に封じ込めています」
「外に出ちゃってるじゃん」
「ええ、かなり異常な事態です。決してあってはならないこと。機構のリソースが尽きかけているのか、他のなにかに対処しているのか……」
「うっ」
イクトの脳髄に鋭い痛みが走った。まるで燃える針を刺されているかのような。汗が噴き出して止まらないし、誰かがすぐ近くでささやいている気がする。だがスクランブル交差点から目が離せない。誰かに顔を両手でつかまれて固定されているような感覚だ。
突然、空間が大きくひび割れた。交差点も怪物たちも自動車もなにもかも巻き添えにして、空間全体が無数の直線で分断される。空間の破片は重力に従って落下した。コンクリートの壁が現れる。
ふいに拘束から解放されたイクトとレイカは、床にへたりこんだ。
シズクの声がする。
「大丈夫ですか?」
ふたりは顔が動かせることを確認するように、何度もうなずいた。シズクは金槌を床に置く。
「あまりじっと見ていると健康に良くない存在です。少し休んだほうがいい」
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